※この作品は年齢制限を設けています。18歳未満(高校生含)の方は閲覧を控えてください
天探女(あまのさぐめ)

= 黒 =



−2−




あかねがその『怨霊』と出会ったのは、イノリ・頼久と一緒に右京の外れ辺りを訪ねた
ときだった。
 イノリからその辺りには貧しい者が多く、病に掛かっても薬師に診せることも
出来ずにただ横になって自然に治るか死ぬかを待つしかないのだと聞いた。
医者でもない自分にはなんの治療も出来ないけれど、もしその病が穢れによるものならば
何かできるかも・・・と思ったのだ。

 思った通り、病の一部は穢れによるものであかねが触れるだけで症状が軽減した。
だが根本的には栄養失調だ。藤姫の心遣いで持たせてもらった米や味噌などを
イノリと頼久が配っている僅かな隙に、あかねは何かに『呼ば』れた。

「誰?」

返事はない。気のせいか、とその時は気にも留めなかったのだが、その夜。
友雅からは宿直で今夜は来られないという知らせと、それに長々と続く愛の言葉・・・という
少々、いやかなり恥ずかしい文が届けられ、あかねが久し振りにのびのびと手足を伸ばして
独り寝をしていた夢の中に『それ』は現れた。

 そして、あかねと約束を交わしたのだ。

「・・・・つまり、その怨霊は神子殿と八葉の絆を疑っていて、君はその怨霊を納得させるまで、
封印はしない、と?」

あかねはこくんと頷いた。先ほどまでの汗は引いていたが、まだ顔色は随分白い。
怨霊を抑えているのが辛いのか・・・いや、泰明の言った通り、『穢れ』である怨霊に
触れているだけで、あかねの体力は削がれていくのだろう。
局の中に設えられた円座に胡座をかき、ゆったりと脇息に持たれて話を聞き終えると
友雅はぱちん、ぱちんと蝙蝠を閉じたり開いたりする。

一見いつも通り寛いで見えるが、その規則的な音が彼の不機嫌さの表れだ。

「無茶です、神子様!怨霊を身のうちに棲まわせられるなど、あまりに危険ですわ!」

 あかねの斜め前に女房達が設えた畳から藤姫は身を乗り出すようにして首を振る。
既にその瞳はうるうると潤んでいて、心配のあまり今にも涙が零れそうだ。

「藤姫・・・・。」

あかねはどう慰めて良いやら分からず困ったように首を傾げる。
じっとあかねを見つめていた泰明が音もなく立ち上がり、くるりと背を向けた。

「神子が『それ』を祓う必要がないというなら、私がここにいる意味はない。帰る。」
「そんな、泰明殿!」

藤姫がおろおろと中腰になった。当然泰明も共にあかねを説得してくれると思っていたのに。

「3日だ。」

簀子に出てから泰明は肩越しに振り向いた。
色違いの目は揺らぎもせずにあかねを見つめている。

「3日の内に何とかしろ、神子。それ以上はお前の命に関わる。3日経ってもまだ
その怨霊がお前の内にいるようなら私が退魔する。良いな。」

あかねはまだ少し白い顔のまま、泰明に感謝の笑みを浮かべる。
 柔らかな、だが断固たる意志のこもったそれをしばし見つめ、泰明は暇乞いもせずに
背を向けた。
 藤姫の隣に座した永泉は、自分に目もくれず歩き去っていくその口元に、微かな笑みが
浮かんでいたような気がして思わずその背を目で追った。
 だが森羅万象を表す陰陽の狩衣はすでに既に角を曲がって渡殿へ向かっており、
果たして自分の見たものが現か幻か、確かめることは敵わなかった。

 頼りの泰明にあっさりと去られ、藤姫はおろおろと手を振り絞る。
再度あかねを説得しようと口を開き掛けた時、ゆらり、と重力を感じさせずに友雅が動いた。

 少しだけ開いた蝙蝠を顎に当て、愁いを帯びた顔つきであかねにいざり寄っていく。
その顔はどう見てもあかねの決定を歓迎しているようには見えない。

 藤姫の顔が途端に希望に輝いた。

そうだ。友雅がいたではないか!いろいろ気に入らぬところばかりの男だが、
あかねに関しては溺愛していると言っていいほど大切にしている。
普段はあまりに不愉快なので存在そのものを意識から消すよう心掛けているが、
今日ばかりはその無駄に大きな存在感も頼もしい。

「友雅殿、神子様をお止めしてください。貴方だって、大切な神子様に万が一の危険が
及ぶことなど、望まれませんわよね?」

友雅はあかねのすぐ前に座すると藤姫を振り向いた。
その顔は思いも寄らぬことを聞いた、という風情だ。

「止める?八葉が神子殿を?」
「・・・・友雅殿?」

まさか、と引きつる藤姫をよそに、友雅はひたすら甘い笑みを浮かべてあかねを見つめた。

「八葉は龍神の神子を守り従う者。神子殿がお決めになったことに逆らうことなど、
出来ませんよ。」

ゆったりとその美貌が近づいて。永泉は顔を赤らめて視線を逸らす。
友雅がこのようにあかねに近づいたときは、目のやり場に困る行為に及ぶことが多くて、
天真などはいつも友雅を怒鳴りつけているのだ。

「・・・・だが、心優しい神子殿は我ら八葉がいかに御身を大切に思い、ご心配申し上げて
いるかをご存じのはず。」

ひどく整った顔があかねのすぐ側まで寄せられる。長いまつげが影を落とす憂いの美貌に
逆らえる女性など・・・いやひょっとしたら男でも・・・・いようか?

「私が心配のあまり夜も寝られなくなってしまうことなど、君は望んではおられないよね?
・・・あかね?」

その耳に唇を触れんばかりに近づいて注ぎ込まれる熱い囁き。
いつものあかねならそれだけで顔を真っ赤にしてへたり込んでしまう。

だが。

「ふぅん、そうやって色仕掛けで『神子殿』を操ってるんだ?」

友雅の目がすっと細くなる。ゆっくりと身を離す間もその目はあかねから離れない。
いつもあかねを見つめる時はひたすら甘く熱く、周りの者が居たたまれなくなるほどの秋波を
放っている男が、今はまるで北の大地に吹きすさぶ地吹雪のように冷たい気配を
漂わせている。その声音はいつも通りの優雅さを保っているのに、耳にした途端、藤姫は
すくみ上がった。

「・・・・私は今、『私の』神子殿とお話ししていたのだがね?」

だがあかね─── のうちに巣くう怨霊はそれを鼻先で笑い飛ばした。

「あらあら、お邪魔しちゃったみたいね、失礼?でも、愛しの神子サマが途中で
私に変わったのに、気が付きもしないんだ。」

あの優しく穏やかなあかねの声で、見下すような嘲りの言葉が唇から流れ出る。
目に映るモノが信じられなくて、藤姫はふぅっと意識が遠くなった。

「藤姫っ!」

咄嗟に永泉が崩れ落ちる藤姫を支えた。ぐったりした彼女は完全に気を失っている。
女房達が呼ばれ、数人掛かりで姫を連れ出していき、永泉もそれに付き添って去っていくのを
友雅は背に当たる気配だけで確認した。目は一時もあかねから外さない。
 完全にあかねの意識を乗っ取ったらしい怨霊は、貫くような友雅の視線をモノともせず、
部屋の中の調度を物色したり、自らが履くスカートを物珍しそうに持ち上げている。

「・・・・どうやら、今のところ君の方が『神子殿』よりも優位なのかな?」

 鏡を覗き込み、短い髪を気に入らなさそうに引っ張りながらあかねはくすくす笑った。

「まぁね。でも、別に私はこの子をどうこうしようって言うんじゃないから、心配は要らないわ。
さっきの陰陽師が言った通り、3日経てば大人しく封印でも浄化でもされてあげる。
それまではちょっとこの子の生活を見せてもらうだけ。」

友雅は軽く眉を顰めた。

「それは先ほどの神子殿の話と少し違うね。
君は神子殿と八葉の絆を疑っているのではないのかい?だから神子殿はそれを君に
証立てようとしてるのでは?」
「ああ、それ?この子が勝手に言ってるだけよ。それに私疑ってなんかいないし?」

あかねはひらひらと手を振って、どうでも良さそうに肩をすくめた。

「疑っていない・・・?」
「あるはずのないもの、疑いようがないでしょ?」

あかねは腰に手を当てて、ひどく挑戦的に友雅を見る。

「アンタ達が絆だの信頼だのとか後生大事にしてるのはみ−んな目にも見えない、
触れることもできない幻だわ。そういうモノがある信じると自分が居心地が良くなるから
声高に唱えてるだけの代物よ。そんな目に見えない幻を、どうやって私に証明しようって?
甘いのよ、この子。よくあの金の鬼を相手に喰われなかったもんだわ。
よほどアンタ達が必死に守ったのねぇ。でも私みたいな怨霊につけ込まれちゃうんじゃあ、
守りがいがない神子サマだわね。
京も救われたことだし、とっととお帰り願った方が面倒がなくて良いんじゃないの?」

くすくすと局に響く嗤い声は、突然友雅にぐい!と腕を掴まれ、
丸柱の一本に押しつけられたことで止まる。

「神子殿を侮辱することは許さないよ。例え君が神子殿の中にいてもね。」

地を這うような声。友雅の瞳に籠もる怒りに怨霊は初めて息を呑んだ。

あかねの考え方が甘いことは同感だ。時々友雅もそう思う。
だがそれこそがあかねの本質であり、龍神に選ばれた所以だろう。
それを嘲笑うことなど誰にもさせない。ましてや、あかねを帰らせろ?冗談ではない!




焦がれ続けた桃源郷の月。
手に入れることなど叶わないと思っていた至高の天女は友雅の手を取ってくれた。
龍神にすら渡すものかと守り抜いた彼女を元の世界に帰せ、と?



 そんなことは誰にもさせない。
例えそれが彼女の口から出た言葉だとしても、自分は─────── !

「────さん。友雅さん、痛いです!」

友雅ははっと手を緩めた。我を失い思わず手に力が入りすぎたようだ。
ちゃっかり怨霊は引っ込んで、あかねと交代したらしい。
友雅の知るあかねが、腕を痛そうに撫でている。

「あ、ああ、申し訳なかったね、神子殿。あの怨霊があまりに失礼なことを言うので、
つい、ね・・・・。」

あかねは心配そうな顔で友雅を見つめ、そっと指を伸ばして友雅の頬に触れる。

「ごめんなさい、私が上手くあの子に説明できないから、友雅さん達を面倒なことに
巻き込んでしまって・・・。」

温かい。
自分の頬に触れる小さな指をそっと握り、友雅は桜貝のようなその指先に唇を寄せる。
たちまちあかねの頬に指先の色が移った。

「・・・・あの怨霊が表に出ているとき、君自身はどうなっているのだい?」

あかねはちょっと首を傾げる。どう説明して良いのか、考えているようだ。

「えっと、真っ暗な部屋の中にいる感じです。でも、あの子が・・・『私』が、何を
喋っているかは聞こえるし、みんなの声も聞こえます。
それにテレビを見てるみたいに・・・あ、えっとですね、窓から外を見るみたいに、
『私』が見てるものは見えてます。ただ、感触とか匂いは分からないし、『私』を
動かそうとするのはすごく難しいんです。
あの子が譲ってくれる気にならないと、ただ見てるだけで。
だから・・・あの子がひどいことを言っても、止めることが出来なくて。
・・・・ごめんなさい。皆を傷つけるようなこと・・・・。」

若葉の瞳が曇り、丸柱に持たれたまま、あかねは俯いてしまう。

「神子殿・・・・あかね。」

友雅はそっとその顎を持ち上げる。

逆らわずに上を向いたあかねの瞳はゆらゆらと揺れていた。
それは彼女の不安と苦悩、そして譲れない決意とに乱れる彼女自身の心の動きを表していて、
友雅はぎゅっと抱きしめたくなる。
深く深く抱き込んで、何も心配ないのだと、全て自分に任せておけばいいと言いたくなる。
だが、彼の心を浚った唯一の女性であるこの少女は、大人しく友雅の腕の中には
居てくれないのだ。自分が納得しない限り、彼女は自分の足で確かめ、自分が出来ることを
成そうとする。例えそれで己が傷ついても。



 いつか・・・・いつか、この腕から飛び立ったまま、帰ってこなくなってしまうのではないか。
このふたつとない宝を失ってしまうのではないか。
友雅が自らの奥底に押し込め、考えまいとしていた恐れを、あの怨霊は暴き出した。

「あかね・・・・・・私の、白雪・・・。」

その存在を確かめるように、友雅はあかねを直衣のたっぷりとした袖で包み込み、
抱き寄せる。そして唇を重ねようとした、その時。

「────  色仕掛けは通じないわよ、地の白虎サン?」

すでにその温もりまで感じられるほど近づいた唇がぴたりと止まる。
すっと、友雅は腕を下げた。
あかね────怨霊はひどく冷めた目でそれを見送り、ふっと笑う。

「・・・・どうやら、君がいる間は、神子殿と睦み合うことはできなさそうだね。」
「私がお相手してあげても良いけど?」

ばさり、と白銀の直衣が翻る。侍従の香りが局中に広がった。

「謹んでご辞退申し上げるよ。私が欲しいのは神子殿の身体だけではないからね。
強情でお人好しで向こう見ずな、愛しい私だけの神子殿の心と体の全てが
私の望みなのだから。」

足音もなく、滑るように友雅は去っていく。あかねは顎に指を当ててそれを見送った。


若葉の瞳にはひどく面白そうな・・だがどこか歪んだ光があった。





◇◇◇





 桜模様の水干に制服のスカートといういつのも格好でどんどん朱雀大路を進むあかねを、
鷹通と詩紋は複雑な思いで見つめている。
前日の夜、内裏から帰宅して事の次第をしたためた藤姫からの文を受け取った鷹通は
今朝早く土御門を訪れた。一見いつもと変わらない、だが口を開けば似ても似つかない
あかねの様子に呆然とするばかりだ。

「これでは、京の街へ散策になどお出になるわけには参りませんね。・・・・3日で、元に
戻られるのですね?」

鷹通が難しい顔で眼鏡を押し上げる。
泰明や友雅がそれを認めてしまったというのが信じられない。
尊い巫女姫の身に少しでも穢れが及ばないようにすることが八葉の役目であろうに!
 だが本人達が居ないのに不満をここでぶちまけても仕方ない。
事情を話す藤姫は、扇の影からもすっかり憔悴しているのが見て取れる。
ここで声を荒げても彼女をますます追いつめるだけだろう。

仕方ない、帰ろうと腰を上げた鷹通を呼び止めたのはあかねだった。
その口から出た提案に、鷹通は目を瞠った。

「冗談はおやめなさい。あなたに怨霊の封印など、出来るはずがないでしょう。」

鷹通はばかばかしい、と頭を振る。例え器はあかねでも中身は怨霊なのだ。




怨霊が怨霊を封印する?あり得ない。




だがあかねは脇息にだらしなくもたれ掛かった姿勢のまま、にやにやと笑う。

「大丈夫よ、危なくなったら『神子様』に代わってあげるから。第一、『神子様』がいないと
アンタ達だけでは何にも出来ないんでしょ?」

いかにも馬鹿にした言い方に、温厚な鷹通が思わず腰を上げる。

「無礼なことを言うのは控えなさいっ!我々は神子殿をお守りする八葉です!
神子殿がいなければ何も出来ないなど・・・!」
「なら、別に『私』のままでも良いんじゃないの?」

 上手く乗せられてしまったようで腹立たしい。
いつもの鷹通ならもっと冷静に対応できたはずなのに、やはりあかねの姿で、ということの
影響が大きいのだろうか。
 とにかく3日、いや既に1日は過ぎているので明日の夜までの辛抱だ、と鷹通が
己に言い聞かせていた時。

「鷹通さん!」

詩紋の声に鷹通ははっと顔を上げた。
怨霊が辻の角、焼け落ちた屋敷跡にゆらゆらと浮かんでいた。
鷹通は懐から小刀を取り出し、油断なく構えながら詩紋を見る。
緊張した少女のような優しい顔が、こくんと頷きを返した。

「神子・・・・殿は、お下がりください。」

他の呼び方は思いつかない。鷹通の口が苦い物でも含んだかのように歪む。
あかねのくすくす笑いがさらにそれを煽った。

「あら、いいの?じゃ、お手並み拝見。」

あかねは崩れた土塀を乗り越えるとかろうじて残っていた木にもたれ掛かった。
足を組みのんびりと・・まさに『高みの見物』態勢だ。
怨霊と距離を保ちながら、詩紋と鷹通は油断なく力を蓄える。龍神の助力無しで使えるのは
ごく初歩的な技だけだが、この怨霊なら二人がかりで掛かれば神子の封印の力無しで
消すことが出来るだろう。
 いつものあかねならこんな小さな怨霊でも必ず封印しようとするだろうが・・・・今日の彼女は
どのような行動をするか予想が付かない。

 焦れた怨霊が仕掛けてくる。

 詩紋はさっと身をかわし、鷹通が天の白虎の力を振るう。が、外した。
意外に動きの素早い怨霊だ。
 怨霊は素早く反転すると鷹通に飛びかかってくる。
咄嗟に小刀で振り払ったものの、直衣の袖を少し持って行かれた。
どうやら鋭い爪か牙を隠し持っているらしい。

 じりじりと対峙していたが、己の不利を感じ取ったのだろう、突然怨霊が向きを変え、
立木に向かって・・・その幹にのんびりと持たれていたあかねに向かって飛びかかる。

「危ない、あかねちゃん!」

詩紋が飛び込むようにしてあかねを突き飛ばす。
一秒前まであかねが居た辺りに鋭い3本爪の跡が刻まれた。
 共に倒れ込んだ詩紋がすぐさまあかねを抱え起こし、その背に守る。

「大丈夫、あかねちゃん?下がってて。僕が絶対守るから。」

いつものあかねなら感謝しながらも詩紋を気遣う声を掛ける。

だが、今日は。

「健気ねぇ。たいした力がないからって、身体を張って神子を・・・『私』を守るんだ。」

詩紋は思わず振り向いた。

「あかねちゃん?」

怨霊に怯えるわけでも戦いに緊張するわけでもなく。その唇に浮かぶのは冷笑だ。

「アンタ、元の世界ではいじめられっ子だったんでしょ?同じ人間には立ち向かえなかったのに、
怨霊には立ち向かえるって・・・・『八葉』っていうちょっと特別な力を手に入れて、強気に
なっちゃったの?」

古傷に触れられて詩紋の顔が少し歪む。何故、この怨霊がそんなことを知ってるのだろう?
詩紋の心を読んだように、怨霊が─────あかねが嗤う。

「私は『神子様』の中に居るんだもの。この子が知ってることなら何でも知ってるわよ。
アンタもこの世界に残ることにしたんですって?そうよねぇ、元の世界に帰ればまたアンタは
なんの力もない、ただのいじめられっ子だもんね。
それならこっちで人にない力を振るってた方がいいわよねぇ。」

信じられない言葉に詩紋は固まったまま動けない。

「詩紋!何をしているのですか!」

はっ!、と詩紋は振り向いた。怨霊がすぐ目の前に迫っている。
咄嗟にあかねを庇うようにぎゅっと抱きしめる。
瞑った瞳の奥にも強い天の白虎の輝きが差し込んだ。

「神子殿!詩紋!怪我はありませんか?」

怨霊をはじき飛ばした鷹通が駆け寄ってくる。
詩紋がほっと息をついて腕を解く。

「大丈夫?あかねちゃん。」

心底あかねを気遣う優しいマリンブルーの瞳。それを『あかね』は冷たく突き放した。

「ご苦労様。『御子様』の体は無事よ。」

そして詩紋の肩越しに鷹通に視線を送る。

「案外やるわね。別に神子様がいなくてもできるんじゃない。
ねぇ、アンタ常々この子の行動が『龍神の神子』として相応しくないって言ってたんでしょ?
一番やっかいな鬼の一族もやっつけたんだし、もうこの子を龍神の神子として
祭り上げる必要ないんじゃないの?むしろここで帰ってもらった方が、あんたの好きな記録に
『神子らしく』ない行動を書き込まなくても済むしね。
怨霊が少しばかり残ってたって、内裏には影響ないわよ、あそこは陰陽師が結界張って
守ってるんだから。これ以上頭痛の種になられる前に、さっさとこの子には元の世界に
帰ってもらって・・・。」

 ぱちん!と軽い音がした。詩紋があかねの頬を叩いたのだ。
あかねはびっくりした顔で詩紋を見つめていたがすぐに笑い出した。

「あはは、温厚なアンタも怒ることがあるんだ!そうよねぇ、いくら大切な神子様にでも、
ホントのこと言われたら腹も立つわよね!」
「違うよ。」

詩紋の顔は揺らがない。

「本当のことを言われて怒ったから叩いたんじゃないよ。あなたがあかねちゃんを
傷つけてるから怒ったんだ。」
「私がこの子を?」

あかねの眉があがる。

「あなたが言ったことは・・・本当だよ。僕は確かに元の世界でいじめられっ子で・・・
逃げてばかりだった。僕が我慢すれば、争いは起きない。誰も傷つかないと思ってた。
でも、逃げてるだけじゃ何も変わらないんだってこと、この世界に来て分かったんだ。」

イノリと分かり合えたこと、京の街の人たちに受け入れてもらえたこと。
詩紋は自分が行動することで相手も変えられることを学んだ。
そしてその勇気をくれたのは、後押しをしてくれたのはあかねだった。

「僕、あかねちゃんが大好きだよ。あかねちゃんはホントに痛いのは何かってこと、ちゃんと
知ってるんだ。そして何が人を傷つけるのかも知ってる。」

 詩紋はじっとあかねの顔をのぞき込んだ。

「ねぇ、あなたの中のあかねちゃんにも僕たちの声は聞こえてるんでしょ?
あなたがさっきみたいなことを言うと、あなたの中であかねちゃんは僕らを
傷つけてしまったってきっと泣くよ。僕は自分のやってきたことをちゃんと知ってる。
隠すつもりも忘れるつもりもないんだ。だけど、それを言うことであなたがあかねちゃんを
傷つけるなら・・・僕はあなたを許さないよ。」

鷹通がぱちん・・・と小刀を鞘にしまい、懐に収める。

「・・・・確かに、私は神子殿にもっと龍神の神子として『正しい』行いをしていただきたいと
思っていました。私自身が、常に物事を正しく捉え、正しく対処したいと思ってきたからです。
ですが、」

几帳面な指が考え込むようにめがねを押し上げ、あかねに視線を戻した。

「神子殿に教えられたのです。物事は、見る方角を変えれば別の面が見える。
同じ事象も、立場が違えば正しくも、誤りにもなるのだと。
何が正しくて何が間違っているなどと、簡単に決められるものではないのだと。
・・・あなたは、神子殿に早く帰ってもらうべきだと言いましたね。
私の記録にあの方が神子らしくない行動をとったことを記載しなくても済むように、と。
ですが、今の私は、あの方ほど神子らしい方はいないと思っています。
あの方が神子でよかった。
そしてあの方の八葉でいられることを、私は誇りに思います。」




あかねは詰まらなそうに肩をすくめた。




次へ≫




夢 見たい / koko 様