子守歌はあなたの腕の中で 

= エイプリルフール/春 =



−2−




ずぅぅぅん・・・と地響きがしたような気がしてあかねはふと顔を上げた。

 台盤所の隣の間に座り込み、用意してもらった重湯を木匙でゆっくりと赤ん坊の口元に
流し込んでやる。
子どもを五人も育て上げた女房にすらむずかって泣いていた赤ん坊と同一人物とは
思えないくらい、にこにことご機嫌に重湯を平らげていく。
最初はおっかなびっくりだったあかねもすぐに慣れ、

「美味しい?」
「もっと食べる?」

と囁きかける姿も堂に入っている。
主のそんな姿を、頼久は優しい瞳で見守っている。
あかねの手が、止まった。

「・・・・神子殿?」

頼久の呼びかけにもあかねは俯いたままだ。

「・・・・頼久さん。この子やっぱり・・・・友雅さんの子、なんですよね?」

静かな声に、頼久はごくり、とつばを飲み込んだ。
自分でもそう思っている。だが友雅の口からはっきりとそう聞いたわけではないし、何より
肯定することはあかねを傷つける事だ。
しかし、『ちがう』などと気休めを言うことも出来ない。

「・・・・・私には分かりかねます。確かに、友雅殿によく面差しの似た子ではあります。
しかし本当に友雅殿の子か、と言われれば・・・・。」

口べたな頼久が精一杯気を使っているのが分かるから。
あかねは顔を上げ、微笑んで見せた。

「そうだね。決めつけるのはまだ早いよね。友雅さんって確か、お兄さんとかいたもん。
ひょっとしたらそのお兄さんの子かも知れないし、親戚の子かも知れないし。
あ、ひょっとしたら似てるのは全くの偶然で、『他人のそら似』っていうヤツかも
知れないもんね!」

満足したらしい赤ん坊の口元を柔らかな布で拭ってやり、あかねは赤ん坊を
抱き上げる。年配の女房に教えられ、赤ん坊を肩に凭せ掛けるように抱き上げると
背中をぽんぽんと叩いてやって。

「じゃあ、おへやに帰ろうか。みんなもう落ち着いたかなぁ。あんな興奮してちゃ、
出来る話も出来ないよねぇ。」

明るく振る舞うあかねが痛々しい。西の対へ戻っていくあかねに付き従いながら、
頼久はもっと気の利いたことの言えない自分に小さなため息をつく。

 こういう時に上手くあかねを慰められるのは友雅だ。だが今回はその友雅があかねの
憂いの元になっている。いったい誰があかねを慰めてやれるのだろうか。
 3歩先を歩く小さな肩を見つめながら、どうかあかねが泣くことのないように、と頼久は
祈ることしかできなかった。




◇◇◇




「とにかく、お前絡みの赤ん坊には違いないんだから、お前ん家に連れて行け!」
「そうですね、その方がいいでしょう。土御門に縁があるとは思えませんし。」
「うん、僕も・・・その方がいいと思う。その赤ちゃんを見るときっとあかねちゃん、
つらいだろうし・・。」

どことなくきな臭い空気が残る中、全くの無傷な友雅は蝙蝠でとんとん、と自分の肩を叩く。

「やれやれ、あの赤子もずいぶんと嫌われたものだ。まぁ、連れて行けと言われるなら
連れて行ってもいいのだけれど・・・。」
「待ってください!」

赤ん坊を抱いたまま、あかねが局に入ってきた。茵の上に下ろそうとしたが、赤ん坊は
あかねの水干の肩口をぎゅっと握って離さない。
 あかねはふっと慈愛の笑みを浮かべ、赤ん坊を抱え直して自分の膝に座らせる。
自分に注がれる7対の視線を真っ直ぐに受け止めて、あかねは口を開いた。

「あの、ね。この赤ちゃん、私が面倒見ちゃ、だめかな・・・?」
「あかねちゃん?」
「神子殿!」
「神子様、それは!」
「何考えてんだよ、お前は!」

予想通りの反応にあかねは顔を顰める。赤ん坊が泣いてしまうかな、と思ったが、
あかねの膝で安心してるのだろう、びっくりして目を見開いただけで、泣きだしはしなかった。

「だってね、他の人が抱っこすると泣いちゃうんだよ?ここの女房さんだって
ダメだったんだから、友雅さんの邸の女房さんだって泣かれちゃうんじゃない?」

その点私は大丈夫だもんねー?とあかねは赤ん坊の柔らかいほっぺをつついて
微笑みかけた。
赤ん坊はくすぐったそうに笑い、引っ込められた指を捕まえようと小さな手を伸ばしてくる。

「それに、この子のお母さん・・・・・・が、ひょっとしたら連れに来るかも知れないじゃない。
その時にどこに行ったか分からないんじゃ、心配しちゃうでしょう?」

微かに胸が痛んだが、あかねはにっこりと笑ってみせる。あかねの心情を察せられない
者はいない。誰も言葉を継ぐことが出来ずに互いを見交わす。

「確かに、」

鷹通が小さく息を吐き、いつもの優しい笑みを浮かべた。

「四条の橘邸ではなく、この土御門に置いていったことにも何か意味があるのかも
知れません。それが分からないうちに、むやみに動かすのは早計かも知れませんね。」
「でもよぉ・・・。」

イノリはまだ不満そうだ。詩紋が己の対の肩をポン、と叩く。

「イノリ君、事情はどうあれ子どもに罪はないよ。僕たちも精一杯面倒見るし、その・・・
事情も、みんなで調べようよ。ね?」

穏やかな詩紋の笑みにイノリも渋々頷く。

「ありがとう、詩紋君、イノリ君。・・・・藤姫?いいかな・・・?」

あかねだって彼女の感覚から言えば居候だ。
家主である藤姫に断りもなく勝手はできない。
扇で表情の見えない少女をあかねはおそるおそる窺った。

「・・・・・・神子様が、そう仰るなら・・・わたくしに異存はございません。」

到底十歳とは思えないため息と共に。

「その子は、当面我が土御門でお預かりしましょう。」
「ありがとう藤姫!私ちゃんと面倒見るからね!」

まるで拾った子犬を飼っていいかと母親に聞く子どもみたいだなぁ、と詩紋は苦笑する。
そして視線を動かす先は、絶対うんとは言わなそうな顔の天真だ。
誰よりも熱い、そしてあかねを大切に思っているからこそ、納得できない男。
糾弾の声を上げようとしたところを、しかし対の力強い手が押し止めた。

「頼久!お前、何ともないのかよ、こんなことっ・・・!」

苛烈な視線を頼久は怯みもなく受け止める。

「何ともないことなどない。だが、何より優先すべきは神子殿のお気持ちだ。違うか、天真?」

ぐっと黙り込み、天真は必死に怒りを拳の中に握り込もうとする。
そしてくるっと背を向けると歩き出した。

「先輩?どこ行くの?」
「その辺聞き込みしてくるっ!要するにそいつを捨てたヤツに引き取らせれば
いいんだろっ?」

肩を怒らせ、無造作に腰巻きした狩衣に両手の親指を引っかけて。
ぶっきらぼうだけど優しい天真にあかねは心の中で感謝した。
その肩をふわりと心地よい香りが包み込む。

「友雅さん。」

華奢な両肩を抱き寄せ、男はひどく優しい瞳であかねを覗き込んだ。

「本当にいいの、神子殿?君に我慢を強いるようなことはしたくないよ?」

先ほどまでの、意識して微笑んだのとは違う、自然な笑みがあかねの顔に広がった。

「大丈夫ですよ、友雅さん。本当に私がこの子を預かりたいんです。だって、ほら
こんなに可愛くて・・・友雅さんそっくりなんですよ?」

あかねは赤ん坊をぎゅっと抱きしめる。抱きしめられた方はきゃっきゃとご機嫌だ。

「やれやれ、君が他の男にそのように夢中なのを見るのは複雑だねぇ。
君に触れていいのは私だけの特権だというのに。」

あかねの顔がさっと朱に染まる。

「な、何言ってるんですか、友雅さん!赤ちゃんですよ?そんなこと・・・あれ?そういえば
この子、男の子なんですか?」
「確かめればいいじゃん。」

イノリが衵の裾をひょい、と開く。

「あ、ついてら。」
「イノリ君!もし女の子だったらどうすんの、そんな確かめ方してっ!」
「赤ん坊なんだから別にいいだろ?それよりあかねこそ、こんな事で狼狽えてて、むつき
換えたりとか出来んのか?友雅とおんなじ顔だぜ?」

イノリの行動に狼狽えていたのに、その台詞にさらにあかねの顔が紅潮する。



 と、友雅さんのおむつ換えっ・・・いやいや違うって!友雅さんに似てるだけで、
赤ちゃんだから!




何を想像したのかぐるぐる回ってしまっているあかねを見て友雅がくすくす笑う。

「神子殿に手ずから脱がせていただくなら、赤子ではなく是非私をお願いしたいねぇ。」
「友雅殿!お戯れもいい加減になさいませ!神子様たってのご希望ですから、この子は
確かにお預かりします。ですが、あなたにはきちんとこの子の・・・・。」

言い淀む藤姫に鷹通が助け船を出す。

「治部でも半年前に姫君が出産された貴族がいないか、調べましょう。届けがされて
いなくても産屋を建てていれば誰かの耳に入っているでしょうし。
あるいはこっそり都を離れて産んだという可能性もあります。それも併せて調べて参ります。」
「面倒を掛けるね、鷹通。」

他人事のように微笑む自分の対に、温厚な天の白虎は精一杯冷たい視線を向ける。

「友雅殿。あなたも、『生まれ変わったから覚えていない』などと都合のいいことを仰って
いないで、顔見知りの女房殿から話を聞くなり、調査に協力してください。」

藤姫とあかねにぺこりと頭を下げ、さっそく大内裏に戻るべく鷹通は去っていく。
 一向に動こうとしない友雅を、藤姫がぎろり、と睨みつけた。

「何をなさっておいでなのです、友雅殿?あなたも調べにお出かけなさいませ!」
「しかしねぇ、藤姫。いくら懐いているとはいえ、赤子を神子殿一人に押しつけてしまうほど、
私は非情な男ではないのですよ。まだ自分のことが何も出来ない赤子、ずっとそばで世話を
しなければならないでしょう。私が神子殿の手助けをさせていただきますよ。
昼も夜もつきっきりでね。それがせめてもの男のけじめというものです。」

 あかねには藤姫の背後でどかん!と火山が噴火したような幻が見えた。

「『男としてのけじめ』・・・・?」
「ふ、藤姫・・・・落ち着いて・・・。」
「原因を作った方が何を図々しく言ってらっしゃるのですか!神子様には私たちが付いて
おりますから大丈夫です!さっさとあなたはどこへなりと消えておしまいなさいませ!」

仁王立ちになり顔を真っ赤にして凄む藤姫にさすがの赤子も固まっている。
しかし叱られた当人は柳に風だ。

「おお、恐い。ではね、神子殿。名残惜しいがこれ以上星の姫のお怒りを買うと、本当に
君と会えなくされてしまいそうだから、ちょっと出掛けてくるよ。」

ちゅ、とおでこにくすぐったいキスをされて、あかねはつい笑いながら答える。

「はい、行ってらっしゃい。」

ふ、と友雅が笑みを深める。

「『行ってらっしゃい』か。早く毎日君にそう言って貰える日が来ると良いのだけれど。」

少し落ち着きかけていた朱色が再びあかねの頬を染めあげる。
 すぐにでも婚儀をすませあかねを正室として橘邸に迎えたいという友雅に、まだ
浄化されていない怨霊が残っているから、と待ったを掛けているのはあかねだ。
もちろん藤姫以下、残りの八葉達がそれに依存があるわけもない。

「ねぇ神子殿・・・いっそのこと、その赤子の世話を私の邸でするというのはどうだい?
いい予行練習になるだろうし、もちろん例えその赤子がすぐに君の手から離れたとしても
君に寂しい思いはさせないよ?」

あかねをすっぽりと抱え込むように直衣で囲い込み、その耳に甘い囁きを注ぎ込む
懲りない男。

「と〜も〜ま〜さ〜ど〜の〜!!!!」

たおやかなはずの姫君の叫び声が、広い土御門にこだまする。

すっかり茹でダコになったあかねを離し、今度こそ人騒がせな男は鮮やかに直衣の裾を
翻して去っていった。




◇◇◇




 夏とはいえ、池の上を渡ってくる風は心地よい。
赤子と護衛の天真と共に、あかねは河原院まで足を伸ばしていた。
すいっと時折ツバメが水上を掠める。水面に出来た波紋がきらきらと光を反射して眩しい。
赤子が嬉しそうに声を上げ、見事な反転を決めて空高く上がるツバメを目で追った。

「あれ、ツバメって言うんだよ。気持ちよさそうだねぇ。ふふ、友治君もお空を飛びたいの?」

あれから5日。
鷹通達は貴族の屋敷を中心に調べて廻り、イノリや天真は土御門の周りで赤子を
連れた者を見なかったか聞いて廻った。だが、手掛かりは何もない。
そしてもちろん、『友治』───あかねが赤ん坊に付けた名だ──── を引き取りに来る
者はいなかった。

「マジで捨て子かよ・・・どうする気だ?母親が名乗り出なかったらよ?」

半ば答えを予測しながらも、天真は言った。

「もし本当に、この子のお母さんが見つからなかったら・・・私が育てるよ。」

予想通りの答えに天真は大きくため息をつきながらくしゃくしゃと髪をかきむしる。

「お前なぁ・・・お人好しにも程があるぞ?そいつは友雅がどっかの女と遊んで出来た子だぜ?
お前が面倒見る義理なんかぜんっぜんねぇだろうが!」

あかねも天真の答えは予想していた。
困ったように微笑んで、そして友治の癖のある柔らかな髪を撫でる。

「私ね、天真君・・・・。友雅さんのこと、すっごく好きなの。」

途端に天真の顔が苦虫を噛みつぶしたようになる。

「・・・・知ってるよ。」
「自分でもどうしてこんなに好きなのかなって思うくらい好き。友雅さんの姿も、声も香りも、
話し方も、ちょっとルーズなとこやはっきり答えを言ってくれないずるいとこも・・・・・全部、
好きなの。」

天真はため息をつくだけだ。

「そしてね、ほんとはすごく寂しがりやで臆病なくせに、絶対それを人に見せようとしない
ところも・・・好き。」
「『寂しがり』で『臆病』?あいつがぁ?」

天真から見れば友雅は厚顔無恥の歩く見本だ。しかも寄ってくる女に事欠かない。
寂しいと思う間などいつあるのだ。
あかねはくすくすと笑う。本当はもっと好きなところがあるのだが、それを言うときっと
天真は更に納得できない顔をするだろうから、言わない。
 『それ』はあかねだけが気が付いた、あかねだけが知っているところだから。
だから、誰にも教えてあげないのだ。
でも、彼のことを正しく知って欲しいと思う気持ちも本当だから。笑いを納めて言葉を継ぐ。

「私も最初の頃は全然分からなかったんだけどね・・・なんて言うのかな、本当に
欲しいものを求めても手に入らなくって・・誰にも分かってもらえなくて・・・すごく傷ついてる。
すごく絶望してて、もう何も求めたくないと思ってる。」

あかねの目の前をまた、ツバメが羽虫を求めて飛び抜けた。
池の対岸では、水辺に生える薬草を求めてきたのだろうか、幼い兄妹らしい子どもが2人、
岸から水の中へ手を伸ばしていた。

「私、友雅さんに諦めて欲しくない。友雅さんに、本当に欲しいものはとことんまで欲しがって
もらいたい。欲しいって声を上げてもらいたい。それに・・。」

視線を天真に戻すとぺろり、と舌を出した。

「・・・私も、諦めたくないの。例えどんなハンデがあっても、友雅さんを欲しいと思う自分の
気持ち、なしにしたくないんだ。だから・・・。」
「あかね・・・。」

 甘酸っぱい切なさが天真の胸を締め付ける。
あんな奴のために苦労を背負い込む必要などないのに。
おどけていてもどこか寂しげなあかねに思わず手を伸ばし・・・。

表現しがたい匂いに思わず2人は固まった。
この数日のうちにすっかり馴染みになってしまった匂い。

「だー!お前、出掛ける前に出したばっかだろうが!ほいほい垂れ流してんじゃねぇよっ!」
「天真君!赤ちゃんに怒ったって仕方ないでしょ!わわ、どうしよう、おむつの替えなんて
持ってきてないよぅ!」

 かといってこの匂いのまま土御門に帰るのは躊躇われる。

「仕方ねぇ!どっかそのヘンでなんか布きれもらって来てやる!そこで待ってろ!」

言いながらもう天真は駈けだしていた。あかねは辺りを見回して、とりあえず朽ちかけた
簀子に友治を下ろす。

「えっと、このままじゃ気持ち悪いよね。まず、脱ごうか。」

すっかり慣れた手つきで衵の裾を割り、柔らかくしたさらしをそっと解いていく。
ふと友治のお尻の上の方にあるものが目に留まり、あかねは小さなため息を漏らす。



 初めておむつ換えをした時にこれを見て、覚悟はしていたものの少しだけショックだった。
そこにあるのは小さな、葉っぱのような形のアザ。
実は友雅にも同じような場所に、同じような形のアザがあるのだ。



顔は他人のそら似でも、ここまで似るなんてやっぱりこの子は友雅さんの─────




「神子様?どうかされましたか?」
手を止めてしまったあかねに、おむつの巻き方を教えてくれていた女房が首を傾げる。

「あ、何でもないです!えっと、こうでしたっけ?」
「そう、お上手ですわ。」

 その夜、褥の中であかねは少しだけ、泣いた。




 友治のお尻がそれ以上汚れないように足を持ち上げおむつを外し、丁寧にお尻を拭いて
やって。アザを指先でつん、とつつくと、友治がきゃっきゃと嬉しそうに笑う。
 余分なものがなくなって身軽になったからだろう、ご機嫌に手足を動かしている。
はいはいをするのもじきだろう。子どもの成長は早いものだ。




この子も大きくなったら友雅さんみたいにたくさんかりそめの恋人を作るんだろうか。
あんな寂しい笑い方をする人にはなって欲しくない。私が友雅さんに出会えたように、
この子にも、ただ一人のひとと思えるような人が現れるだろうか。





 そうあって欲しい、出来れば早くに─────と思った、その時。

ぱしゃん!

水音に続いて、「お兄ちゃん!」というか細い声。
あかねははっと振り向いた。目に映る状況を見て取るや、とっさに友治を
簀子の奥まった所に移動させ、走り出していた。
 池のほとりで手を伸ばして水中の草を取ろうとした、幼い少女がもろくなった土手の
盛り土と共に水にずり落ちたのだ。
兄らしい少年が助けに水の中へ入ろうとする。

「だめ!そこにいなさい!」

長いことうち捨てられていた池はすっかり泥がたまり、小さな子には底なし沼のような
状態だ。泣きそうな顔であかねを見る少年に、安心させるようににっこり笑いかけ、
あかねは小袖の裾を躊躇いなくまくって絎帯(くけおび)に差し込むと、草履を脱ぎ捨て
水に足を踏み込んだ。
 水は驚くほどに冷たかった。ずぶずぶと足首まで柔らかな泥に埋まる。
バランスを失って転びそうになりながらもなんとかパニックになって暴れている少女の
近くまで行き、手を掴む。

「大丈夫よ。さ、そっちの手もだして。」

少女が涙と泥とでぐしゃぐしゃになった顔のまま、あかねに手を伸ばす。
その手をぎゅっと握って引っ張り上げた。

「あかね!」

天真が向こうから走ってくるのが見えた。少女を脇に抱え込み、もう大丈夫、と天真に
手を振ろうとした、その時。

「うわぁぁぁぁぁん!!」

火のついたような幼い泣き声。

「友治君!?」



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夢見たい / koko 様