子守歌はあなたの腕の中で 

= エイプリルフール/春 =



−1−



 頼久は困惑していた。

このようなものは対処したことがなかった。
いや、存在は知っているし、見たこともある。だが触ったことも、ましてやこのように
抱きかかえたことなど未だかつてなかったというのに。

 今、自分の腕の中にあるこの柔らかで温かく、かつ意外に重みのある生き物を
どうすればいいのか。しかも、これは・・・・。

「よう、頼久!なに門の前に突っ立ってんだ?」

通りの向こうから歩いてきたのは、彼の対、地の青龍こと天真だ。
彼が命をかけて守ると決めた主、龍神の神子と同じ異世界より舞い降りて、鬼から京の
都を守るために共に戦った魂の兄弟。
 鬼の脅威が去った今でもまだ解放されずにあちこちを彷徨っている怨霊を鎮めるべく
奔走している龍神の神子・あかねと共に彼もまた、この地に留まっているのだ。

「天真・・・。」

彼にしては珍しく力ない呼びかけに、天真は首を傾げて頼久の腕の中を覗き込む。

「げげぇー!!な、何だよこれっ!おい、頼久!」

予想していた反応とはいえ、あまりの声に頼久は眉をひそめる。

「大声を出すな、天真。赤子が起きてしまう。」
「起きてしまうって・・・こここ、これ、いったいどこからっ・・・!」
「分からぬ。邸周辺の見回りを終え、戻ってきたらここに置かれていたのだ。」

よほどよく眠っているらしく、頼久が抱き上げても目を覚まさなかったのだ、と。

「捨て子ってことか・・・・?いや、でもこいつのこの顔って・・・・。」
「お前もやはり、そう思うか?」
「思うなんてもんじゃねぇだろ!こいつ、友雅にクリソツじゃねぇか!」
「くり・・・・?いや、これは栗ではないが・・・。」
「会話の流れ読めっ!『瓜二つ』ってヤツだよっ!てか、何でお前そんな冷静なんだよ!
これ、どう見てもあの友雅の・・・!」

動揺のあまり天真が頼久の腕を掴む。

「ん・・・んん・・。」とむずかる声。

はっと男二人が固まった途端、

「ふっ・・・・・ふえぇ〜!あぁぁぁん!」

と、赤ん坊が盛大に泣き出した。

「天真!だから大声を出すなと言ったろう!」
「そんなこと言ったって!」

男二人がおろおろと火のついたように泣き叫ぶ赤ん坊に振り回される。
揺らしてみたり、高く掲げたり。

「ああ、よしよし、泣くな!ほら、べろべろべろ〜!」
「何だ、それは?」
「知らねぇのか、頼久?赤ん坊ってのはこうやってあやすんだぜ?ほら、お前もなんか
ヘンな顔して見せろって。」
「ヘンな顔・・・こ、こうか?」

眉尻を下げ、戸惑いながらも。
頼久は天真のマネをして、舌をつきだし顔を顰めて赤ん坊を覗き込む。
途端に赤ん坊の泣き声がボリュームを上げた。

「頼久ぁ!脅してど〜すんだ!」
「脅したつもりなどない!赤子などあやしたことがないのだ、仕方なかろう!」

辺りに響き渡る赤ん坊の声。

「どうすりゃいいんだ、これ!」
「とにかく、中へ入って藤姫様にっ!」




◇◇◇




 土御門の西の対は龍神の神子の御座所となってから、貴族の屋敷とは思えない
ほどに開放的になっている。
夜でも蔀戸が降ろされることはめったになく、昼間は全ての御簾は巻き上げられ、
巾帳もほとんどが局の隅に追いやられてしまっている。

「この方が風が入って気持ちいいじゃない。ほら、庭の藤の花もよく見えるでしょう?」

あっけらかんと笑うあかねに、藤姫もお付き女房達もそれ以上強くは言えない。
何と言っても神より遣わされた神子だ。多少只人と違っても当たり前。
何よりもこの土御門に住むものは皆、あかねの明るさ、優しさに魅了され、
出来る限りその希望を叶えてやりたいと思ってしまっている。
顔を万人に晒し、まるで民草のように街中を歩き回るくらい、何だというのだ。

しかし。

怨霊や鬼が昼日中から闊歩していた京の都。
多少の変事には慣れていた面々も、今、困惑を隠せずにいる。

局の中央に置かれた茵には、赤子用の小さな、しかし上等の衵にくるまれ眠る
赤ん坊。結局どれほど物慣れた女房にあやされようと、むつきを替え、重湯や
水菓子を与えられようと泣きやまなかった赤ん坊は、結局泣き疲れて寝入ってしまった。
柔らかな白い頬に残る涙の痕が痛々しい。
その赤ん坊をおよそ赤子を見る女性とは思えないほどの険しい目つきで睨みつけて
いるのは左大臣家の末娘、星の一族総領・藤姫だ。

扇を握る少女の手は怒りに震え、しゃらりと響く髪飾りの音も下座に控えて
固唾を呑む男たちには、今日はひどく恐ろしく聞こえる。

 廂の床に直接座り、藤姫から漂ってくる怒りのオーラを赤子越しにまともに浴びて
途方に暮れているのが鷹通と詩紋。
 中にはいるよう誘われても断固固辞して簀子に並んで胡座をかいている天真・イノリ、
そして階下に控えた頼久はまるで自分が叱責されているかのように身を縮めていた。
永泉は特別な法要のためしばらく仁和寺に籠もりきりであり、泰明は仕事で京を離れている。
それをうらやましい、と心の隅で考えた八葉はおそらく一人や二人ではなかったろう。

「・・・何という・・・・何ということでしょう・・・・!友雅殿の行状は存じ上げておりましたが、
よもやこのようなことを・・・しかも、よりにもよってこの土御門にっ!」

藤姫が姉とも慕う大切な龍神の神子。
その神子が大の大人でも怯む鬼との戦いに身を投じる日々の中で、心通わす相手が
出来たことを藤姫は一抹の寂しさと共に嬉しく思っていた。
だがその相手が当代きっての漁色家・左近衛府少将、橘友雅というのには控えめに
言っても仰天した。
 あかねの気持ちを尊重しつつ、それでも考え直すよう何度も諫めずにはいられなかった。
だがあかねはその度に恥じらいながらもきっぱりと言うのだ。

「大丈夫だよ、藤姫。確かに友雅さんはいろんな女の人とそういうことしてたけど、噂ほど
いい加減な人じゃないと思うの。本当はね、すごく優しい人。
『過去は消しようがないけれど、今もこれからも私には神子殿だけだよ』って言ってくれた
友雅さんを、私、信じてるんだ。」

幸せそうな微笑みに、藤姫はそれ以上言葉を重ねることが出来なかった。
それでもあかねがいないところで友雅に釘を刺すことは忘れない。

「神子様を悲しませるようなことをなさったら、わたくし絶対にあなたを許しませんからね!」
「大丈夫ですよ、星の姫。神子殿と出会って、私は己が何のために今まで生きてきたのかを
ようやく知ることが出来たのです。私の身も心も、未来も命も全て神子殿のためにのみある。
悲しませるようなことなど、いたしませんよ。」

誰をも魅了する微笑みを浮かべ、飄々と嘯いていたあの余裕が腹立たしい。
さらに友雅に呪いの言葉を重ねようとしたところに、優雅な侍従の香りが漂ってきた。

「おやおや、皆集まって、どうかしたのかい?」
「友雅!」
「友雅殿!」
「友雅さん!」

口々に叫ばれ、睨みつけられ。
一瞬目を瞠るものの、口元を蝙蝠で隠したまま、友雅の視線はそのまま奥へ。
くの字に敷かれた畳の正面に座しているこの局の主、彼のただ一人の愛しい月の姫に
微笑みかける。

「神子殿、ご機嫌はいかがかな?今日はどうしても抜けられない仕事があってね、
君の尊顔を拝するのがこんなに遅くなってしまったことを許しておくれ・・・・・おや?」

男たちの間を優雅にすり抜け、当然のようにあかねの隣に歩を進め、初めて友雅は
真ん中に置かれた『それ』に気がついた。
 数秒じっと見つめ、ぱちん、と蝙蝠を畳んだ。そして恋人に微笑みかける。

「・・・・・神子殿が産んでくださったのかな?可愛らしいややこだね?」

張り詰めた沈黙が一気に崩れる。

「友雅ぁ!てめぇ、いい加減にしろっ!どうやったらあかねにこんな大きな赤ん坊が
産めるって言うんだ!」
「そうですよ、友雅さん!僕らがここへ来てまだ4ヶ月なんですよ?赤ちゃんっていうのは
生まれるまでに10ヶ月くらいお母さんのお腹にいないと・・・。」
「詩紋!そういう問題じゃねぇ!」
「友雅殿、私はあなたを見損ないました。過去の行いはともかく、今は神子殿一筋で
いらっしゃるものと信じておりましたものを・・・・。」
「オイ、やっぱこれ、お前のガキなのかよ!」

一斉に八葉が友雅に詰め寄る。あかねはといえば、まだ茫然自失としたまま、ただ赤ん坊と
友雅とを見比べている。

「少し落ち着きたまえ。ややこが起きてしまうよ?」

ため息混じりのその言葉に、一同がはっと口を紡ぐ。だが一歩遅かった。
赤ん坊は再び手足をうごめかすとふえぇぇ・・・と泣き始めたのだ。

「うわわ、ど、どうすんだそれ!」

子分達の面倒をよく見ているはずのイノリも、この赤ん坊にはお手上げだ。
おろおろと手足を無意味に動かすだけ。
あれこれ手を尽くしたが同じく惨敗した天真と頼久も及び腰だ。
書類仕事なら決して泣き言は言わない鷹通が困惑して眼鏡を押し上げる。
藤姫もさんざん大きな泣き声を聞かされたのであろう、扇で怯えたように顔を隠す。

「ふ・・・・うわぁぁぁぁん!」

一拍置いて、赤ん坊が本格的に泣き始めた。
小さな身体のどこに、と思われるその大音量に誰もが手を出せずに後ずさる。

「よしよし・・・そんなに泣いちゃダメだよ。涙で眼が溶けちゃうぞ?」

そっとそう囁きかけ、あかねが赤ん坊を抱き上げる。
ぎこちない手つきながらも、決して落とすまいと懐深く抱き込んで、少女はにっこりと
赤ん坊に微笑みかけた。

 途端に。
赤ん坊はぴたりと泣きやみ、不思議そうにじっとあかねを見つめた。そして。

「笑った・・・・・。」

誰かが思わず呟いた。まさに天使の微笑み。
にこぉっと笑うと、赤ん坊はそっと紅葉のような手をあかねの方に差し伸べたのだ。

「うわぁ、可愛いね。」

詩紋もつられて微笑んで、その笑顔を覗き込む。あかねも微笑み返す。
先ほどの殺伐とした雰囲気が一気に和んだ。

「さすがだね。ややこながら女性を見る目は確かなようだ。それとも神子殿だから、かな?」

まるで自分の手柄のように言う、赤ん坊そっくりな男はいつの間にか円座に胡座をかき、
隅に寄せられていた脇息を引き寄せてゆったりと寛いでいた。
その友雅に足音荒く天真が詰め寄り、ぐい!と緩められた襟元を掴み上げる。

「おい友雅!」

さすがに三度、同じ失敗は繰り返さないらしい。
押さえた声で、しかしその分殺気を込めて天真は友雅を睨みつける。

「あの赤ん坊がお前の子だって認めるんだな?」
「私は産んでいないよ。天真、少し離れてはくれまいか?神子殿以外の人間に迫られても
嬉しくはないのだが。」
「誰が迫るか!」

天真は突き放すように離れた。
ことさら相手の神経を逆撫でるようにゆったりと友雅は襟元を整える。

「友雅殿!あなたという方は!あれほど神子様だけと仰っておきながらそのような・・!」
「藤姫、赤ちゃんがまたびっくりしちゃうよ。」

詩紋にたしなめられて、藤姫は浮かしかけた腰をしぶしぶ下ろす。
しかし視線は友雅を焼き尽くすように鋭い。

「あかねちゃん、赤ちゃんが起きたのなら少し喉が渇いてるかもしれないね。
台盤所に重湯を用意してもらってるから、連れて行って飲ませてあげてくれる?
あかねちゃんには懐いてるみたいだから。」

この後のやりとりをあかねに聞かすのは酷だ。
そう判断した詩紋はあかねを促して立ち上がらせる。

「あ、そうかも。じゃ、ちょっと行ってくるね。」
「頼久さん、お願いします。」

詩紋の意を理解した頼久があかねに付き添って局を出て行ったことを確認し。
部屋に残された全ての眼が、友雅に集中する。

「友雅殿。あの赤子はどう見ても、あなたのお子としか思えません。いったいどちらの方の・・?」

鷹通の勤めて冷静に話そうとする努力も、友雅の蝙蝠に当たって床に落ちる。
ぱちり、ぱちり。
侍従の香りが移った蝙蝠を弄びながら、友雅は首を傾げた。

「さて、ねぇ。確かに私によく似た顔をしているのは認めるけれど、身に覚えがないからねぇ。」
「身に覚えがないはずございませんでしょう、友雅殿!無責任ですわ!
仮にも子をなすようなことをしておきながらそのような・・・!。」

藤姫の叫びは半分泣き声だ。あかねは一見平静そうに見えたが、どれほどショックを
受けたろう。どれほどつらいだろう。誰よりも幸せになって欲しい人なのに。

「友雅さん、あの赤ちゃんは生後半年くらいだそうです。ということは生まれたのが
去年の暮れ。逆算すれば、友雅さんがあの赤ちゃんのお母さんとその、そういう
おつきあいがあったのはその10ヶ月くらい前って事になるんですが。」

少し頬を赤らめながら詩紋は指折り数える。
 友雅はもう10年以上も公達として内裏に上がっている。
年齢から言っても、そういう付き合いの女性がいない方がおかしいだろう。
ましてやあかねに出会う一年以上前のことで彼を責めるのはお門違いだ。
詩紋は今にも友雅に飛びかかりそうな天真を宥めながら問いかけた。
しかし当の本人は事の重大さ分かっているのかいないのか、あかねが去ってしまった
台盤所の方角をつまらなそうに眺めながら首を傾げるだけだ。

「おい友雅!何とか言えよ!その頃付き合ってた女の誰かなんだろ?
それとも覚えがねぇくらい無節操に付き合っていたのかよ!」

イノリの糾弾はある意味、正しい。あかねに出会う前の友雅は、美しさや趣味の良ささえ
好みに合えば、別に拘りなく大人の付き合いをしていたのだから。
もっともほとんど女性の方から声を掛けてきての付き合いであって、友雅から強引に
したことなど、一度もない。
 一人の女性と長く続いたことはないし、一度別れた女性と再び付き合ったこともない。
だから一年以上前に付き合った女性といわれてもすぐには思い出せないだろう。
それに。

「神子殿に出会ってからの私は生まれ変わったようなものでね。一年前どころか半年前の
自分の生活すら思い出せないねぇ。いったい私は、神子殿に出会う前は何をしていたのかと
思うよ。ずっと眠っていたのではないかね?」

ヌケヌケと惚気てみせる友雅に男たちは握りしめた拳を振るわせる。

「それに、相手が誰であれ、私は自分が家庭に不向きな男だとずっと思っていたからね。
子種を注ぐような真似はしたことがないよ。」

露骨な言い様にお子様組が赤面する。

「私に似た子どもなど、この世に残したいと思ったことはなかったよ・・・・・・つい先ほどまではね。」

友雅はうっとりと視線を庭の藤棚に送る。間違いなくその脳裏には先ほどのあかねの姿が
浮かんでいるのだろう。

「神子殿が産んでくださるのなら、いいかもしれないねぇ。ああ、でも出来るなら私よりも
神子殿に似た子がいいね。その方が私もお世話申し上げるのが楽しいだろうし。」
「友雅殿!いい加減にしてください!」
「そうですよ、友雅さん!そんなことより、あの赤ちゃんのお母さんのことを・・・!」
「いや待て!『そんなこと』じゃねぇぞ、詩紋。」

天真がさっと顔色を変えた。そしてフルフルと震える指先を友雅に突きつける。

「おい、友雅・・・・。正直に言え。お前、まさかもうあかねに『子供が生まれるようなこと』、
してんじゃねぇだろうな・・・・?」

地を這う声に怯えるというより、その内容を想像してしまった天地の朱雀があさっての
方向を見る。
友雅は弄んでいた蝙蝠を広げてにっこりと笑った。

「おやおや、天真はずいぶんと無粋なことを聞くのだね。」
「とぼけんな!どっちだ!きっちり返事しろ!」
「ふふ、本当に、知りたいのかい?」
「と〜も〜ま〜さぁぁぁぁ!!!!」
「てっ、天真、落ち着け!」
「先輩!ダメだよこんなとこで招雷撃使っちゃあ!」



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