※軽度ですが、性描写があります。ご注意下さい。 |
花雲月夜 |
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= 春 = |
暖かな日が増えて、過ごしやすくなった。 何より外に出掛けるにしても、厚手の上着も必要なくて身軽になのが良い。 着るものだって、明るくて綺麗な色を選べるし、それだけで気分もどこかウキウキしてくる。 唯一難点を言えば…春休みはとても短いこと。 冬休みも長くはないが、何故か春休みはあっと言う間に終わってしまう気がする。 4月からの新学年に備えて、あれこれと用意などに追われるせいだろうか。 そういえば…今年は高校三年。一応受験生になるのだ。 「はあ…憂鬱」 「ショックだねえ。一緒にいる時に、溜息を付かれるなんて。」 コーヒーカップとパフェのグラスを挟んで、向き合う二人の後ろには小さな桜の木が見える。 ほぼ満開の景色をガラス越しに眺め、それでもあかねは溜息を付く。 「私といるのは、溜息が出るほど退屈かい?」 ひやっとする唇。 友雅の手にはスプーンが握られていて、その先で悪戯するように突いた。 「そんなことないですよ…。ただ、新学期のことを思うと、ちょっと憂鬱で。」 何となく進学コースを選んでしまったが、特に何かをやりたいわけでもなく。 それなのに、これから大学合格を目指して、勉強漬けの日々を過ごさなきゃならないのだ。 …思っただけで、こんなに晴れた春の日も、曇り空から雨になるくらいの天気に思えてきてしまう。 「大学、か。そこでどんなことを学ぶんだい?」 「…二年制の女子短大なんですけど。一応、家政科で栄養士免許取ろうかなと思ってて。」 料理をするのは元々好きだが、栄養学をしっかり学んでおけば、きちんとした栄養バランスを考えて献立を立てられる。 就職にも資格があれば有利だし、それなら私生活にも活かせる知識だ。 「そういうことを勉強しておけば、結婚して奥さんになったとき、旦那さんの身体を考えた献立を作れるから、花嫁修業にもなるんじゃないかって言われて。」 「……誰が言ったの?」 「あの、母が…」 花嫁修業、ね。成る程ねえ、そういうことの為に学びに行くのか。 友雅は話を聞いているうちに、暖かいものが胸の奥に込み上げてきた。 果たして、あかねの母が誰を娘の夫に想定しているか。 個人的にも、まんざらではないと自負してはいるのだが、その可能性があるのならば…彼女の進学の意味は他人事ではなくなる。 「高望みはしないんで、エリート校に行くつもりはありませんけど…。それでも勉強は、今以上に頑張らないといけないのは間違いないし。それを思うと…気が重くって。」 はあ、とあかねはもう一度溜息をつく。 目の前のパフェが、少し溶けかかって来ているのも、上の空で。 「春休みも終わっちゃうし。短いからつまんないですよー…」 もう少し長ければ、いろんな計画も立てられたのに。 こんなに良い天気が続いていて、桜も満開の最高の季節。 だからこそ、どこか出掛けられたらと思ったけれど、結局はいつも通りの日々。 もちろん、春休み中ずっと彼と一緒にいられたのは嬉しかったけど、何か変わった想い出が作りたかったな、と感じるのも事実。 …これから予定を立てるってて言っても、せいぜいお花見くらいかなあ。 外の桜を眺めながら、あかねはぼんやりとそんなことを考えた。 +++++ その日の夜、4日振りにあかねは自宅へ戻った。 春から運営を任された琵琶教室の打ち合わせで、友雅に用事があったからだ。 家に帰って夕飯の手伝いをしていると、あかねの手つきを見ながら母が言う。 「お嫁に行ったらねえ、自分の好きなものばっか作ってちゃ駄目なのよ。旦那様の健康管理とか、子供の成長に良いものを考えてね……」 「あーもう、分かってるってば!それを勉強するために、受験するんじゃない」 面倒くさそうに交わそうとするあかねだが、母には大いなる野望があったのだ。 親の贔屓目を通してみても、まあ外見は平々凡々か…ちょい可愛い程度。 育ちは、一般的なサラリーマン中流家庭。 ひとり娘だから、それなりには手塩にかけて育てたつもりだ。 まあ、普通に暮らして普通の相手を見つけて、普通に何事もなく結婚してくれれば…と思っていた。 ………けれども! 初めて娘が連れて来た"彼氏"は、一回りほど違う年上の男性。 最初はびっくりはしたけれど、それより驚いたのは…彼の艶やかさと雅やかさ。 緊張しつつも話してみれば、意外にきさくで何より物腰が柔らかい。 優雅な知識に長けていて、しかも古典芸能の教師をしているとのこと。 あかねの幼なじみでもある天真や詩紋とも親しく、彼らから話を聞いてみれば、どうやら先祖はお貴族様とか!? 今は身寄りもなく天涯孤独らしいが…こんな相手が娘に執心してくれるなんて! …そうよ、どうにか橘さんにあかねを貰ってもらって、橘さんを義理の息子にするのよ! そうすれば息子だもの、一緒にお買い物に付き合ってもらったって良いわよねーっ。 でもって、素敵なスーツとか見立ててあげちゃったりして、それを知人たちに見せびらかしちゃうのよー。 私の自慢の息子ですのよ、とか言っちゃって。 フフフ…皆きっとうっとりするわよ!でも、れっきとした私の息子ですもの! …あかねが橘さんと一緒になれば、の話だけれども。 そのためには、何とか橘さんに愛想をつかれないように、教育しなくちゃならないのよ! とびっきり素敵な理想の息子を、手に入れるチャンスよ…フッフッフ。 「お母さん、何一人でニヤニヤしてんの?変なの」 「え?あ、何でもないわよー。ええ、何でもないわ!ホッホッホ!」 どう考えても、何でもないようには見えないが? 野望というか妄想を巡らせて、浮き足立っている母の様子を不思議に思いつつ、あかねは味噌汁の鍋をかき混ぜていた。 「おう、あかね。携帯鳴ってるぞ、橘さんからじゃないか?」 父が居間の方から呼んでいる。 耳を澄ませてみれば…確かにあの着信音は、友雅専用のメロディ。 「ああ、こっちは良いから良いから。早く橘さんの電話に出なさいよ!ほら、早く!」 お玉杓子を取り返した母は、ぐっとあかねの背中を押して、キッチンの外へと追い出した。 「今、打ち合わせが終わったところでね。車が来るのを待っているところ。」 そろそろ自分で動ける足を、入手しようかと思っているのだが、それには免許というものが必要らしい。 教習所というところに通うのが通常らしいが、始まったばかりの教室が忙しくて、今はとてもそんな余裕が無い。 「でも、夜桜を眺めながら車を待つのも、なかなか良いよ。」 「周りに桜の木があるんですか?」 「ああ。ビルの前から公園通りに向かって、ずっと桜並木が続いてる。街灯に照らされて、とても綺麗だよ。」 はらはらと小さな花びらが、闇夜の中で雪のように見えた。 桜吹雪という言葉がぴったりだな…と、この光景を眺めては実感する。 「良いなあ…夜桜。あ、そうだ!確か隣町のお寺がライトアップしてて、夜桜が見られますよ。今度行ってみませんか?」 澄み切った青空を背に、明るい日差しに浮かぶ桜も美しいが、夜の闇に浮かぶ桜も幻想的で美しいだろう。 桜まつりと銘打っているので、屋台も出たりと昼夜通して賑やかなはずだ。 「…うん、それも良いけれどね…。でも、どうせならもっとのんびりと、二人きりで夜桜を楽しめるところに行かないかい?」 「二人きり…で?」 電話をしているあかねの後ろで、キッチンの隅から両親がこちらを覗き込んでいる。 「もう少しだけ、春休み残っているだろう?急だけど、明日と明後日都合つかないかな?」 誘ったのはこちらの方だったのに、何故か今度は彼の方から夜桜見物に誘われてしまった。
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右近の桜・左近の橘 / 春日 恵 様 |