平成☆光源氏

= 08.アイドルとマネージャー =





「本当に忌々しいね」

 友雅はそう呟いて、小さく舌打ちした。

「ネグレクトのくせに、龍雄と竜子の奴……今更、あかねに親面してくるとは」

 龍雄と竜子が社長副社長をしている、芸能プロダクション『黄龍プロ』に、友雅はかれこれ17年間所属し、部屋が空いているから…と、その当時から社長副社長夫妻の家の3階に住んでいる。
 デビューしてから1年後に夫妻の間に生まれたあかねは、両親多忙の為、育児放棄されていたといっても過言ではないと友雅は思っているが、それに気づいてからは、友雅が親代わりになり多忙な仕事を調整しつつ面倒を見てきたのだ。

「『今後あかねの部屋に入ったら、この家から出て行ってもらう』だって? まったく、冗談じゃない」

 あかねももう高校生になったのだから、いつまでも一緒に眠るのはどうか…ということらしいが。

「何もあかねのことなんてわかっていないクセに、口だけ出してくるなんてね」

 あかねはとても繊細で不思議な力を持っている。
 赤ん坊の頃から、夜鳴きが多かった。言葉を話せるようになって、それが世間で大きな事件や事故、天災が起こる前の予知夢のようなものだと友雅は知った。
 あかね個人には防ぎようの無い多くの人々の悲しみや苦痛を、その意思に関係なく与えられてしまうのだ。
 それは高校生になった今も変わらない。
 そんな時は、友雅が抱きしめて歌ってやらなくてはならないのだ。
(それなのに―――)
 ドンドンドン、と扉を叩く音がする。

「出てきてください、橘さん! もう打ち合わせの時間終わってます。早くテレビ局の方に移動しないとドタキャンするはめになってしまいますよ! お願いします、生番組なんですから」

 マネージャーの藤原がさっきから扉を乱暴に叩き、何度も呼びかけてきているようだが、そんなことは知ったことではない。

「そんなことは龍雄と竜子に言いなさい。私がこうしている理由を一番よくわかっているだろうしね」

 仕事をストライキし、自分の部屋に鍵をかけ、友雅は立て篭もっている。
 今日は仕事をしない。そう決めた。
 いや、今日だけじゃない。契約期間が終わるまでに決まっている仕事については仕方が無いが、それ以後は、仕事は一切しない。芸能界など引退してやる。そしてあかねを連れて、どこか静かなところで暮らすのだ。
 藤原のそれとは異なる、扉をノックするコンコンという控えめな音が聞こえた。

「あの……友雅さん?」

 その声に友雅はソファから飛び起き、扉へと向かった。

「あかね?」
「うん…」

 まだ藤原が居るだろうから、扉は閉めたままだ。

「今日は朝からアルバイトだと言っていなかった?」

 数日前に、あかねから「今度、アルバイトをするの」と聞いていたが、その日は確か今日だったはずだ。
 初めてアルバイトが決まり、可愛らしくも緊張した面持ちだったのでよく覚えている。

「時間は間に合うの?」
「あの……その……」
「場所はどこ? 車で送ってあげようか?」

 今日はあかねがアルバイトに励む姿を見学する日にしてしまうのもいいかもしれない。
 面倒だが変装すれば、周囲が騒がしくなることも無いだろう。

「それなんですけど……」
「うん? どうしたの?」
「アルバイト…友雅さんのマネージャー……なんです」

 やられた。
 友雅は手の平で自分の目を覆った。
(龍雄と竜子め……)
 今日のストライキをよんで、あかねにマネージャーのアルバイトを依頼していたのだろう。
 あかねの初めてのアルバイトを、きちんとさせてやりたいという友雅の親心のようなものを利用する気なのだ。

「負けたな……」

 友雅はひとり呟いて、扉の鍵を開けた。
 あかねも自分の親の目論見に気づいたのだろう、目の前には申し訳なさそうな眼差しで見つめてくる姿があって。

「……ごめんなさい」

 そう謝ってくるあかねに友雅は首を左右にふった。

「あかねが悪いわけじゃないよ」

 その頭を撫ぜ、あかねの後ろに居る男に呼びかけた。

「藤原」
「はい」
「龍雄と竜子に伝えておくれ。とてもじゃないが、今後、曲を作る気にも歌う気にもならない。『しばらく安眠できそうにないから、来年に予定していたアルバムの話はなかったことに』と。いいね?」

 彼らにもこれぐらいのペナルティーは必要だろう。悔しいことに、この程度のことは、予測の範囲内かもしれないが。

「それから、私はふたりもマネージャーはいらない。今日は君、事務所に戻っていなさい。あかねだけで充分だ」
「橘さん! しかし、それでは」
「スケジュールは頭に入っているし、車は自分で運転する。あかねにはマネージャーの仕事がどんなものか私が説明しておくよ。以上だ。帰っておくれ」

 少し凄むと、藤原は仕方なさそうに去っていった。
 きっと龍雄と竜子にそういう時には引き下がるように言われていたのだろう。

「友雅さん……」
「うん?」
「お父さんとお母さんから、もう高校生だからひとりで眠れるようにならないといけないって言われました」
「知ってる。私も言われたからね『あかねの部屋に入ってはいけない』と」
「いつまでも友雅さんに頼っててもいけないし、お父さんとお母さんの言うことにも一理あるかなって思ったんです」
「……そう」

 突然のことだったというのに、友雅とは異なり、あかねは腹立たしくはなかったのだと思うと寂しさが胸に広がる。
 すでにあかねには、今のふたりの関係に疑問が生まれて来ていたのかもしれない。
 それに気がつかなかったのは自分だけで―――

「でも、ひとりで頑張ってみて、どうしても眠れなかったら……わたしが友雅さんの部屋に来てもいい?」

 優しげに響くあかねの声に、不思議と苛立ちが収まってくる。
(もう…あかねには私は必要ないのかもしれない)
 いつの間にか少しずつ大人になって。
 自分で色々と考えて。
 心根はとても強いから、とっくにひとりで生きていけるようになっているのかもしれない。

「それなら友雅さんが怒られることもないし。ね?」

 その考えはたぶん正しくて、そして恐らく逆に気を使わせてしまっている。

「そうだね」

 あかねにはまだ自分が必要なのだと思っていたけれど、そうではないのかもしれない。

 必要としているのは、きっと……



*****




「友雅さん、そろそろスタジオに入った方がいいんじゃないですか?」
「ん? あぁ」

 けれど生返事をした張本人―――友雅が椅子から立ち上がりこの控え室を出ようとする気配はまるでない。
 リハーサルはギリギリ間に合い、本番までの時間をこの控え室で過ごしているのだが。
 女性週刊誌を片手に、友雅はそれを愉快そうに眺めている。
 あかねは肩越しにその記事を覗き込み、呆れたような息をついた。

「聞いてます?」
「ん? あぁ」
「もう…自分のゴシップ読んで何が楽いのかわたしにはわからないです。お父さんやお母さんの白髪がこれ以上増えたら友雅さんのせいですからね」

 あかねがその手から取り上げた雑誌のそのページには『平成の光源氏!橘友雅 夜の密会★今度のお相手は16歳の新人アイドル!』という大きな見出しと、ホテルと思われる建物の前で写る男女二人の写真。
 あかねは「はぁ〜…」とあからさまに大きな溜息をついた。
 女優やモデル、メイクアップアーティスト、デザイナー、アイドル、芸人、アナウンサー。今まで何人と噂になったことか。
 その度に、友雅が所属するプロダクションの社長と副社長であるあかねの父親と母親は、苦悩に頭を抱える羽目になるのだ。

「三十過ぎた元アイドルのオジサンが、夢と希望溢れる16歳のアイドルを毒牙にかけてどうするんですか。もうちょっと自重してください」
「最近のあかねは、少し言うことがキツイねぇ……反抗期かなぁ……」

 橘友雅は14歳の時にドラマ『僕の恋した白雪姫』と、そのエンディング曲『Snow White』で芸能界にデビュー。俳優として歌手として、類まれなる容姿と艶やかな声を武器に、瞬く間にトップアイドルへと駆け上がった。
 二十代を過ぎてからは、そのフェロモンと美声には磨きがかかり、知識や経験を積み重ねたことにより、まるで王者のごとく堂々たる風格に。その頃にはもうアイドルとは呼ばれず、実力派のマルチタレントとなっていた。31歳の今でも、人気が衰えることがなく、某雑誌では16年連続『抱かれたい男No.1』その地位を譲ってはいない。

「それにあの子とは食事をしただけだよ? さすがにあかねと同い年だと思うと……ねぇ?」

 何が「ねぇ?」なのだ。

「……16歳は子供ですか?」

 あかねの口が無意識に尖ってくる。

「子供だよ。まだまだ、ね」
「友雅さんは女の人とこんな噂ばかり……」
「妬いてるの? 嬉しいよ」
「妬いてません!」
「けれどこのような記事が出るのは気に入らないのだろう?」
「それはまぁ」
「噂がなくなる方法があるのだよ」
「なんですか?」
「ねぇ、あかね……私と結婚する気はない?」
「……は……ええ!?」





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