平成☆光源氏 |
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= 08.アイドルとマネージャー = |
突然のことにあかねは狼狽を隠せない。 「友雅さん…またわたしのこと、からかってるんですね?」 「からかってるつもりはないのだが……今までのようにあかねも私が一緒の方が安心出来るだろう?」 「それはまぁ……」 「結婚してしまえば、君の両親―――龍雄と竜子が口を出して来る事もなくなるだろうし、あかねを悲しませるのは不本意だから、私は品行方正になるだろうね。そうすると、このように勝手に邪推されて記事にされることも減るということだよ」 「…………」 「どうだい?」 「…わたし……まだ恋だってしたことないのに、結婚なんて……」 「では、私に恋してみるのはどう?」 「無理ですよ……友雅さんは家族みたいな人だもの」 何気なく正直に言ってしまってから、傷つけてしまったかもしれないとハッとする。 「あ……」 「すまない。忘れておくれ……今日は朝から色々とあったから、気持ちが短絡的になっている気がするよ。少し、疲れているのかな」 ごめんと、言いながらも、友雅は寂しそうな顔をして俯いてしまった。 (あ…どうしよう…) ずるいとわかっていて、あかねは魔法の言葉を紡ぐ。 「友雅さんのこと大好きです」 「……知っているよ」 友雅は顔をあげて微笑したが、どこかそれはもの悲しげなままだ。 いつもならこれで機嫌が直るところだが、今日は与えてしまったダメージがかなり大きかったらしい。 あかねは次のステップへ進む。 椅子に座っている友雅の傍におずおずと近づき、その膝にちょこんと座る。 「本当に大好きなの……でも、よくわからなくて…ごめんなさい」 広い胸に頬を寄せてすりすり…。 これがなかなか効果が絶大だったりする。 「わかってる」 ふぅ、と落ち着いたような溜息をついて、友雅はあかねを抱きしめる。 「あかねを困らせてしまったね…許しておくれ」 あかねはふるふると頭を振った。 けれど実際は、どうしていいのかわからない。 親代わりに傍に居てくれた人に「結婚して欲しい」と言われても、戸惑いの方が大きい。断ってしまえば、もう傍には居てくれない気がして。 卑怯だとわかっていても、こうして中途半端な状態で繋ぎとめておくしかできない。 「家族で構わないよ。私はあかねを愛していて、あかねが必要としてくれるならいつでも傍にいるから、それだけは忘れないで欲しい。ね? さ、この空いてる時間に、明日のドラマ撮影の台詞を確認をしてしまうから、本読みの相手をしてくれるかい? マネージャー殿」 気まずさを払拭するような友雅の優しい笑顔に、あかねはホッと胸を撫で下ろした。 「うん」 「台本は私の鞄の中に入っているから」 「時間は大丈夫なんですか? 歌番組、始まっちゃうんじゃ…生放送でしたよね?」 「もう少しぐらいなら大丈夫だよ」 友雅がそういうのなら時間はまだ気にしなくていいのだろう。 「わかりました」 あかねはごそごそと友雅の鞄の中を探り、台本を取り出した。 「ページは165から」 「はーい」 ペラペラと項をめくり、あかねはP165を開き視線を落とす。 (えーっと……友雅さん役の台詞からかな) このドラマ『遙かなエンジェル』は、友雅演じるすべてにやる気の無いサラリーマンの翡翠という男が、ヤクザである関東高倉組の娘である花梨と出会い、その人生を変えてゆくストーリー。2部作で、1部目は夏に放送され、今撮影中のこれは次の冬に予定されている2部目のようだ。1部目はあかねもテレビで見たが、懸命に翡翠を追いかける花梨の純粋さと、初めての感情に振り回されて苦しみ荒れてしまう翡翠の姿、彼らを取り巻く陰謀と野望。ふたりが一緒になるその困難さに泣いてしまった。1部の最後では、翡翠と花梨は惹かれ合いながらもすれ違ったまま別れ、お互いに別の道を歩むことを決めてしまった。 「まだ俺のことが信じられない?」 いつもよりも少し低い声色に、胸がドキと跳ね上がった。 (わ…もう翡翠になりきってる?) 驚きに本から顔を上げると、見たことも無いような怖いほど真剣な眼差しがそこにあって、思わず息が止まってしまうほどだ。 「花梨と知り合った時、俺はまだこの気持ちがどんなものなのかわからなかった。かき乱される気持ちを持て余して…つらくあたったことは悪いと思っている。君が居なくなって、君を好きなのだと気がついた。恋をしている、と」 次は花梨の台詞のはずだ。 あかねは本読みの相手をしなければ、と慌てて台本に目を落とすが、友雅の痛いほどの視線も気になってしまい、顔が台本と友雅とをいったり来たりと、つい挙動不審になる有様だ。 あかねは友雅本人には耐性があるが、至近距離で見る友雅の演技に対するそれがない。 普段の本人には、真剣や真面目、本気なんてことは微塵もありえないからだ。 (真剣な友雅さんって初めて見た! なんか……ちょっとドキドキする…どうしよう…) 正直言えば、ちょっとではない。 親子のように兄妹のように過ごしてきたのだから、こんな風に意識したことがほとんどないのだ。 あかねは崩壊しかけた平常心をなんとかかきあつめて、花梨の台詞を言葉にした。ひっかかりながら棒読みになってしまうのは仕方が無い。素人なのだからとあかねは自分に言い訳する。 「……酷いよ…今更…。だってわたし、もう…若頭の勝真と婚約してるのよ」 「そんなことはどうでもいい。大切なのは―――」 後半に途端に甘くなる声と、ゆっくりと近づいてくる足音が聞こえ、あかねの心臓が再び激しく鼓動を鳴らし始める。 (は、破壊力がすごいんですけど…) 一般人だけでなく、芸能人の中にも友雅のファンは多いと聞いている。 整った容姿。魅力的な声。スバ抜けた演技力。 昔は映画や舞台にも出演していたが、両親の愚痴によると、ここ数年は「面倒くさい」の一言で断っているらしい。 今はたまにこのような単発のドラマやトーク番組に出るぐらいだが、CMや雑誌でその姿を見ない日はない。 今日、発表する新曲も、ファンからの要望があまりにも多いために事務所あげての必死の説得により、3年ぶりにようやくでるようになったと聞いている。 「今、君も俺を好きだってことだ。そうだろう?」 間近にまで迫っていた友雅の足が止まり、あかねが一瞬ホッと安堵しかけたその時、強い力で肩を掴まれ、顔を上げさせられる。 あかねが「え……」と上げた声は、友雅との口付けで途切れることになった。 友雅の唇はすぐに離れたが、その顔はまだすぐ目の前にあり、パチパチとあかねは瞬きを繰り返す。 小さな溜息をつき、あかねの知る友雅の声で「ここまでのようだねぇ」と呟かれたことで、あかねの正気が元に戻った。友雅の表情は、もう翡翠ではなかった。 「あ…わたしのファーストキスが」 思わずそう呟いたあかねに、友雅は笑う。 「今更、だろう?」 友雅とのキスは初めてではない。 一緒に眠った時は、おやすみのキス。起きた時はおはようのキス。友雅の仕事で数日会えなかったら再開のキス。と、子供の頃から何度もしているが、かれこれ3年以上―――中学生になって親からキス禁止令が出た為に、高校1年下の現在まで、一度もそういうことはしないようになっていた。だからあかねは、これからする初めてのキスをファーストキスにすると決めていたのだが。 「…友雅さんのバカ……」 友雅は「はいはい」といつものように軽く流すだけ。 「バレたらお父さんとお母さんに怒られちゃいますよ?」 「私は本読みに付き合ってもらっただけだよ」 ほら、と友雅が指差したあかねが手に持ったままの台本を見てみると、ト書き部分にキスシーンの説明が入っていた。 「ね?」 「でもわざとでしょ?」 「ふふふ、さぁ…どうだろうね? そろそろスタジオに移動するよ。これ以上、あかねに嫌われても困るからね」 それじゃあ、とヒラヒラと手を振って友雅は控え室を出て行く。「あ、そうだ」と小さく呟いて、友雅は足を止めて振り向いた。 「あまり怒らないで? それから…ご馳走様」 「からかいすぎです。……デビューした時のキラキラでヒラヒラした衣装でバク転してるマル秘動画をインターネットで流しちゃいますよ?」 友雅の右の眉が僅かに引き上がった。 「そんなことしたらお仕置きだよ。久しぶりにお尻ペンペンだね」 飛び上がるようにあかねは条件反射でお尻を手で押さえる。 「あかねが困らないようにちゃんとお仕事してあげるから、番組が終わるまで、大人しくしておいで」 「言われなくても、大人しくしてます」 「感心だね。今日披露する新曲はあかねを想って歌うことにするよ。『ファーストキス』の記念に」 思い出すように、友雅は指先でうっとりと自らの唇をなぞった。 「け、結構です! もう、さっさと行ってくださいっ」 羞恥に顔を真っ赤にしたあかねの叫び声に押し出されるように、友雅は少し笑って控え室を後にする。 スタジオに向かいながら、友雅は目を通した週刊誌を思い出しひとりごちた。 「平成の光源氏、か……」 友雅が光源氏ならば、若紫はあかねの他にはいないだろう。 安心して一緒に居られるのはあかねだけだ。 (確か光源氏が若紫を娶ったのは22歳の時だったか……) 出来ることなら光源氏のように若紫を手に入れたい。けれどそうするには家族のように過ごした日々は長く、友雅は歳を重ねすぎてしまった。 結局、欲しい欲しいと思いながらも、今の関係を壊すことが怖いのだ。 無理強いすることは簡単だ。 けれどそれであかねが泣いてしまったら。 心が離れてしまったら。 もしもあかねの姿を見れなくなってしまったら。 その声を聞けなくなってしまったら。 そう考えただけで足がすくみ、立ち止まってしまう。 若さという勢いに任せることが出来たならどれほど良かっただろう。 それをしでかした源氏が羨ましくてたまらない。 (三十過ぎた元アイドルのオジサン、か……) あかねの言葉が胸に深く突き刺さり、友雅はがっくりと肩を落とす。 長く活動しているだけに、友雅のファンは年齢層が広い。 それこそ園児から老女までだ。 けれど『友雅? かっこいいけど三十過ぎたらもう範疇外よ』という世間の若者の声があるのも確か。 「まさかこの歳になってこんな片恋の苦しみを知るとはね……」 友雅はスタジオの扉を開けた。 きっと今日は今までにないぐらい上手く歌えるだろう。 この気持ちを抱えたままなら。 歌うのは切ないラブソング――― 「結婚、か……」 本気で友雅は結婚したいと思っているのだろうか。 『ねぇ、あかね……私と結婚する気はない?』 からかわれるのは日常茶飯事のこと。 けれど、家族だからとこたえた時の、あの傷ついた様は、偽りではない気がする。 あかねは変な誤魔化し方をして、そして友雅は誤魔化されてくれたフリをしてくれていたように思えた。 一緒に居てドキドキしたことがないと言えば嘘になるけれど、それがどういう気持ちなのか判断がつかないでいる。 (あ…始まった) 音量を消したままつけっ放しだった控え室のテレビが、友雅の姿を映していた。 あかねは慌ててリモコンを探し、音量を上げる。スタジオに入っている観客が、テレビ越しに見ているだけでも耳が痛くなりそうなほど歓声を上げている姿が映った。 ついさっきまで一緒に居たのに、テレビに映ると、途端に遠い人になってしまったように感じる。 客観的に見るととてもカッコいい。 自分には勿体無いぐらい。 「ごめんね…もう少しだけ待って……」 友雅が真剣ならば、あかねもいつか返事をしなくてはならない。 けれど今はまだこの夢物語のような、家族ごっこの中に浸っていたい。 歌番組は久しぶりにも関わらず、友雅は緊張した面持ちが欠片も無く、いつものように飄々として、くつろいだ笑みを浮かべていた。 「ねぇ、聴いていてくれた?」 本番を終えた友雅が控え室に戻ってくるなり訊いてきた。 「うん」 「どうだった?」 「良かった…です。あのサビの…『I miss you…I miss you…』ってところ」 あかねが具体的に答えたからか、友雅は満足げに頷いて、あかねが用意しておいたお茶で喉を潤している。 「仕事で夜遅くなる日が続いたりすると、そう思う日が増えているから、自分と重なって感情がこもったのかな…」 物言いたげにチラリと流れてくる視線に、あかねは墓穴を掘ったとばかりに慌てた。 「え、英語…苦手だから、意味…よくわかんないんだけどねっ」 「あかねは随分と頭が弱いのだねぇ」 「ひどいー」 じゃれるようにポカポカと叩くと、友雅もクスクスと笑いながら逃げてゆく。 今はこんな時間が愛しくて。 歌に聞き惚れて、手に持っていたペットボトルを落としてしまったのは内緒。 二人が寄り添うようになるのは、まだもう少し先の話――― fin |
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ルナてぃっく別館 / くみ 様 |