ブーゲンビリアの咲く庭で

= 15.今日はごろごろデー =



−3−



 あかねの中で燻っていた熱が一気に爆発する。それは凄まじい風を引き起こし、ブーゲンビリアの細枝を揺らし、花を巻き上げ、濃いピンクの竜巻となって巻き上がる。

乱舞する花はまるで意志を持つかように友雅をめがけて降っていく。
ピンクの風が彼を取り巻いた、次の瞬間────。

「友雅!?」

 蘭の戸惑いと驚愕の声が響く。
あかねははっと顔を上げた。今、自分は何をした?体中が熱くなって、思わず叫んでいた。
植え込みの向こうに見慣れた翠の黒髪は見えない。

「友雅さん!」

 駆け寄ったあかねの目に飛び込んできたのは・・・・・・。




「にゃぁ〜。」

 引き締まった身体にすらりとした四肢。大きく尖った耳。顔と手足と耳と尻尾に濃いスポットがあるほかは淡いクリーム色の滑らかな毛並み。ひどく美しい、一匹のシャム猫がそこに、いた。

「・・・・友・・・・雅、さん・・・・・?」

 恐る恐るあかねが呼びかけるとシャムは濃栗色の長い尻尾をぱさりぱさりと振ってみせる。シャム特有のサファイヤブルーなはずの瞳は友雅と同じ翡翠色で。やっぱり友雅だ、とあかねは確信する。




ひょっとしなくても、これは自分がやったのだろうか。



 友雅を取られたくない、と思った。隣に立った蘭がどんなにお似合いであっても、友雅にはずっと自分の側にいて欲しいのだ、そう子猫のクトゥンのように────。



でも、ほんとに友雅さんを猫にしちゃうなんて!




「ご、ごめんなさい!私、こんなつもりじゃ・・・。友雅さん、元に戻って!」

 あかねがしゃがみ込んで友雅に手を伸ばすと、シャムはその指先に鼻をすり寄せる。
なんだかまるっきり猫だ。ひょっとして本当の猫になってしまったのだろうか?友雅の意識もなくなってしまったのだろうか?
 自分のしてしまったことの重大さに青ざめるあかねの頭に、押し殺した笑い声が降りてきた。

「くっくっくっ・・・・・。友雅・・・!あなた、なんて格好なの!」

 もう我慢できない、と蘭は腹を抱え涙まで流して笑い続ける。
呆気にとられてしばらくそれを見つめていたが、あかねは拳を固めて立ち上がる。

「そんなに笑うなんて、ひどいよ、蘭!猫になっちゃったのは友雅さんのせいじゃないのに!」
「あっは、は、苦し・・・・友雅のせい、だから笑ってるのよ。くっくっ・・・・。」

 息を切らして笑い続けながら、蘭は涙を拭う。

「え・・・・?」

 深呼吸して何とか呼吸を整え、蘭はあかねの肩をぽんぽん、と叩く。

「友雅はね、あなたに魔法を使わせようとわざと私を呼んだのよ。あなたが我を忘れるほどヤキモチ焼いたら魔法を使えるんじゃないかって。でもまさか、」

 蘭は腹ばいに座り込んでふわぁ、と大あくびをするシャムを見てまた吹き出す。

「ぷぷっ・・・まさか、自分が猫に変えられちゃうなんて思ってもみなかったでしょ!いい気味だわ!」

 例え友雅の作戦だったとしても、猫に変えられてしまったことに『いい気味』なんて、とあかねが再び抗議の声を上げようとした。そんなあかねに蘭は友雅が自分を呼び寄せて話したことをばらしたくなる。



『そんな見え透いた手にひっかかるわけないじゃない。』

肩をすくめた蘭に、あくまで優雅に男は笑った。

『引っかかってくれるんだよ、私のあかねはね。我を忘れて変身するか・・・攻撃魔法でもいいね。アクラムへのアピールとしては劇的だ。』
『恋人に攻撃されるのをそんなふうに言えるなんて、あなた相当変わり者ね。』

気を悪くすることもなく、むしろうっとりした様子で友雅はうそぶいた。

『私を想うあまりの行動だよ?うれしいに決まってるじゃないか。それに、攻撃されるなら私ではなく邪魔者の君だろうし。』
『何よあなた!わざわざ協力しに来てやった私に攻撃されろって!?』



 全くこの男と来たら、あかねにこと以外はどうでもいいのだ。いや正確に言えば、あかねを思い通りに操るためならば、ということか。あかねが悪く言われるような噂だって、いったい誰がリークしたのやら・・・。

 蘭は口を開きかけ、急にどしっと圧力を感じてシャムを見る。
先ほどまでのんびりと寝そべっていた猫の翡翠の目は、今は細められじっと蘭を睨め付けている。ぱたりぱたりと尻尾の先だけが地面を打って、明確に

『余計なことを言ったら・・・・どうなるか分かっているだろうね?』

とのメッセージを送ってくる。



 わかったわよ!黙ってればいいんでしょ!



 嫌なヤツ!と蘭は顔を歪め、心配顔のあかねににっこり笑いかけた。

「とにかく、あなたが気に病むことなんて何もないのよ?それより良かったじゃない。これで友雅と結婚できるんでしょ?」

 あ!とあかねが目を大きく見開く。そうだ。とっさにとはいえ、魔法が使えた。しかも他人を変化させるのはかなりの高等魔法だ。あかねの顔がぱぁっと明るくなった。

「友雅さん!やったよ私、魔法が使えた!」

 嬉しそうに抱きついてくるあかねの頬をシャムの友雅は労うように舐める。

「さっそく父様に報告に行こう!友雅さん、早く元に戻って?」

 あかねはもう立ち上がり、今にも駆け出さんばかりに友雅を促す。だが、シャムはじっとあかねを見上げている。

「友雅さん?」
「魔法はかけられた者には解けないわよ。掛けた本人か、それ以上の魔力の持ち主でないとね。」

 ええ?とあかねはにやにや笑う蘭と、友雅とを何度も見比べる。

「えっと・・・・。蘭、解ける・・・・?」

 蘭はお手上げ、と両手を挙げる。

「無理よ、私には。あなたの能力の方がずっと上だもの。気がついてないの?あなたの魔力、相当よ?友雅よりもずっと強い。さすが魔王アクラムの娘ねぇ。」

思いも掛けないことを言われてあかねはぽかんと口を開けた。



◇◇◇



「だめだぁ!何度やっても解けないよぉ!」

 さんざんいろいろ試して疲れ果てたあかねは草の上に仰向けに倒れ込んだ。

『まぁしばらくそのままでもいいんじゃない?少しは大人しくなるだろうし、いい薬よ。そのうち元に戻れるわよ、放っときなさい。その姿なら悪さも出来ないでしょうしねぇ。』

 そういうとまたひとしきり笑って、蘭は去っていった。
だけどいくら何でも猫のままではまずいだろう。そう思っていろいろ試してみるのだが、どうやっても元に戻せない。あかねは空を見上げてため息をついた。

きっと父ならすぐに元に戻せるだろう。でもそんなこと頼みに行けば

『自分で解けないような半人前は結婚させられない』

と言われそうだし。兄や姉にも頼めない。いつもなら『私に任せなさい』と言ってくれる友雅に掛けられた魔法だ。なんとか出来るのはあかねだけ。もしこのまま戻せなかったら────── 。
 恐ろしい想像をして固まってしまったあかねの頬に濡れた鼻先が押し当てられる。

”大丈夫だよ、君なら元に戻せるさ。”
「友雅さん!?」

頭の中に響いた声に、あかねは飛び起きる。シャムは尻尾を振りつつ喉を鳴らす。

「友雅さん、友雅さんだよね?今喋ったよね?」
”心話というのだよ。直接君の心に話しかけているんだ。”

絶対友雅だとは思っていたが、それでもこういう風に話しかけられるとやはりそうだった、と実感できてあかねはほっと息をついた。
 気が抜けて思わず少し涙が滲む。それを手の甲でごしごしと擦り、あかねは微笑む。

「良かった、やっぱり友雅さんだ。本物の猫みたいで、心配しちゃった。もう!何でもっと早く話してくれなかったの?」

 あかねの目尻をぺろり、とピンクの小さな舌が舐める。少しざらついた舌は、温かかった。

”ごめんよ、突然のことだったので、少し私も動揺してしまったようだ。”

 本当は馬鹿みたいに笑う蘭の前で話すのがいやだったのだ。目論見が外れたことも心外だった。だが何より、こうして心配するあかねの顔はひどく男心を擽る。

 そんな男の黒い悦びなど想像もせず、あかねは心からの笑顔を向ける。

「とにかく、元の姿に戻らなきゃ。ねぇ、どうすれば魔法は解けるの?」
”君に解いてもらうしかないねぇ。お父上に頼みに行けばせっかくの『魔法が使えたら』の条件が台無しになりそうだし。”
「やっぱり友雅さんもそう思う?」

あかねの肩ががっくり落ちる。友雅の大好きな、へにょんとしたあかねの落胆顔だ。これを励まして立ち直らせてやった時に見せるあかねの笑顔が最高なのだ。
 シャムの友雅は耳をぴくぴくとうごめかす。

”大丈夫、一度掛けられたのだから、解くことだって出来るさ。時間が掛かったっていいじゃないか。”
「うん、そうだね・・・。でもさ、もしかしたらマグレかもしれないよ?これで元に戻せたって、父様に『やって見せろ』って言われてもできないかも。だって、どうやって掛けたのか、覚えてないんだもん。」

 猫の口がにんまりと笑みの形に開く。あかねの潜在能力の大きさはとっくにアクラムだって承知の上だ。あまりに力が大きすぎて、無意識のうちにあかねが自分で封じているだけなのだ。
だから必ず、魔法は使える。
しかしそれを教えてやるのはもっと後でいいだろう。周りに知られてしまえば、この少女を友雅一人で独占することは出来なくなるだろうから。今はまだ、愛しい少女に全面的に頼られたい。
 男の企みなど知らない少女はどんどん落ち込んでいく。

「やっぱり私なんて、みそっかすなのかなぁ。だから父様も友雅さんとは結婚させてくれなくって・・・どこか余所へやっちゃおうって思うのかなぁ。」

友雅が口をきいてくれたことで逆に張り詰めたものが切れてしまったのだろう。あかねは膝を抱えるようにしてうずくまる。

”もし本当にお父上が君をどこかへやってしまうと言ったなら・・・私が浚っていってあげるよ。”
「友雅さん?」
”確かに私の力ではお父上には敵わないけれどね、君を連れて逃げるくらい、出来るだろう。そうだねぇ、海を越えて西の方へ行こうか?砂漠の向こうには黄金で出来た国があるらしいよ?”
「でも・・・・そしたら私、魔法が使えない上に『魔王の娘』ですらなくなっちゃうよ?何にも出来ない、ただの子どもだよ?」
”私が愛したのはただの君だよ、愛しいあかね。魔法使いだからでも、魔王の娘だからでもない。私の目の前にいるただの君を、愛しいと思っているのだよ?”

 行儀良く前足を揃えて座ったシャムの尻尾がそっとあかねの足を撫でる。
あかねが手を伸ばすとその指先に丸い頭が押しつけられて。光沢のある滑らかな毛並みはとても柔らかくてずっと撫でていたくなる。

”君こそどうなのだい?私と一緒に来てくれるかい?私はらしい財産も地位もない、古ぼけたランプに住む、根性の曲がった年より魔法使いだよ?”

 あかねは友雅らしい言いように思わず声を上げて笑う。

「それこそ関係ないよ、友雅さん。財産も地位にも私は興味がないし、友雅さんの根性が曲がってることなんて、とっくに知ってるもん。『何も出来ないただの子ども』でいいなんて言ってくれるの、根性の曲がった友雅さんぐらいだよ?」

 シャムの耳が器用に両方、外へ向く。

”そこまで言われると複雑だねぇ。でも君は、『何も出来ないただの子ども』ではないよ。1000年近く生きてきてもそのほとんどをただランプの中で存在するだけだった私を、こうして外に引っ張り出して、先のことまで考えさせている。君以外の誰にも、それこそアッラーにすら出来なかったことだよ?君は、そのままで十分なのだよ。”

 あかねの指に友雅の頭がすりすりと押し当てられ、喉がごろごろと心地よい音を立てる。少しずつあかねの心が浮上する。頭の中で木霊していた侍女たちの心ない台詞が消えていく。

どうして友雅はこんなにあっさりと自分を掬い上げてしまうのだろう。これも彼の魔法なのだろうか。

友雅の言葉を聞いていると、自分がちっぽけな、つまらない子どもだという思いも、誰にも構われない寂しさも、ひどくつまらない悩みのように思えてくる。

 あかねはころんと草の上に仰向けに寝ころんだ。

「そうだよね。・・・・・まぁ、いくらあがいたって、出来ることとできないことってあるもんね。出来るだけがんばって・・そしてどうしようもなくなったら、そうだね!2人で逃げちゃおっか!」

 う〜ん!と手足を伸ばす。友雅がひょい、と前足とあごをあかねの胸に乗せて喉を鳴らす。ごろごろという振動があかねにも伝わってくすぐったい。くすくすと喉の奥で笑いながら、あかねは空を見上げた。さっきは少し寂しく思えた青さが今はとても気持ちいい。少し顎を挙げれば、母の愛したブーゲンビリアが花盛りだ。

あかねはそっと目を閉じた。胸の上の温かさと重みが心地良い。この温もりが一緒にいてくれるから、大丈夫。



 今日はこのまま、一休みしよう。
友雅さんとここで寝転がって、何にもしないで。
やらなきゃいけないことは、全部明日。
明日から、2人でまた、がんばろう。









数年ののち。


 アクラムの後を継いだ魔女王の名は広く大陸に知れ渡る。
桃色の髪をした慈愛の女王はその絶大な魔力を決して悪用はせず、魔族にも人間にも等しく慕われたという。
そしてその傍らには、常に翠の黒髪の魔法使いが寄り添っていた。仲睦まじい2人の姿は長く人々に語り継がれていった・・・・・。








 「今日はごろごろデー」というお題を見た時、「ごろごろ」→「喉を鳴らす?」→「猫」→「どっちかを猫に!」の発想がぽん、と。友雅さんを猫にするにはやっぱ魔法?とかうきうき粗筋考えて、ふと気がつきました。「ごろごろ」って、喉鳴らすんじゃなくて、寝っ転がるってことかぁ?!(←普通そうだって)道理でレアなお題だな、と。・・・・・・う〜ん、ここまで来たらもうこのまま、行っちゃえ!で、無理矢理「猫がごろごろ喉鳴らしながらごろごろ」な話になったのでした。無理矢理な話で失礼しました!

猫好きな方へオ・マ・ケ

夢見たい / koko 様