ブーゲンビリアの咲く庭で |
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= 15.今日はごろごろデー = |
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◇◇◇ 抜けるような青い空を、白い翼が舞う。 あかねはうっとりとその優雅な動きに見とれていた。通常の3倍はあろうかという大きな白ワシは、己の支配下である空の見回りを終えると一直線にあかねに向かって「落ちて」来る。 大地に激突する寸前にばさり、と大きな翼を力強く羽ばたく。すると次の瞬間、そこには銀色のドルマンをなびかせた美丈夫が佇んでいた。 「すごい、すごーい!友雅さん、かっこいい!いいなぁ、気持ちよさそう!魔法の絨毯もいいけど、あんな風に飛ぶのもすっごくいい!!ね、今度は私を背中に乗せて飛んで!」 「何を言ってるのだい、姫。飛びたいんだったら、君も鳥に変化してごらん?」 「出来るわけないじゃない!」 「出来るさ。ほら、イメージしてごらん。君なら可愛らしいカナリヤがいいかな?愛らしい翼と、一時も留まることのない舞姫のステップ。朗らかな唄声・・・・。」 あかねは目を閉じ、一生懸命自分の腕が翼に、体が小鳥になるところを想像する。だが、いつまで経っても羽根一枚生えそうな様子はなかった。 「やっぱりダメよ、私には無理だわ。」 「鳥がダメなら他のものでもいいよ。君がイメージしやすいものなら何でも・・・花なんかどうだい?君の好きなブーゲンビリアか・・・・バラもいいね?そうしたら私の胸に挿してずっと一緒にいられる。」 「枯れちゃうじゃない!」 「そんな訳ないだろう?私の愛を常にたっぷりと注いであげるから、枯れるなんてあり得ないよ。」 「・・・・・も、いい。練習するから、あっち行って。」 紆余曲折を経て両思いになった途端、この男は雨期の大河のような勢いで美辞麗句と愛の言葉をあかねに注ぎかける。あかねが恥ずかしがっていやがるのを喜んでいるのではないかと思うほどだ。 脱力してしっし、と友雅に手を振ると、いつもならさらに擦り寄ってくるはずの男があっさりと引き下がった。 「そう?では私は少し用を済ませてくるよ。後で見に来るからね、私への愛を奏でる小鳥か、情熱の赤いバラに変化して見せておくれ?」 さらにあかねに鳥肌を立てさせる台詞を残して友雅は去っていく。 その背を見送りながらあかねは首を傾げた。 変なの。いつもなら友雅さん、少しでも私にくっついていたがるのに。今日は何かあったのかな? むぅん、と唇を突き出して顎に桜色の指先を当てしばし悩む。 「ま、いいか。」 深くは悩まないのもまた、この少女の長所であり時には短所。あっさりと恋人の常とは違う行動に思い悩むのはやめにして、魔法の練習をするべく、城の中庭の奥へと歩を進めた。 ◇◇◇ 外からは厳つい岩城だが、内側は意外に普通の城だ。特に西の中庭は早くに亡くなった第二王妃──────あかねの母─── が花好きで丹精していたので、未だに季節の花々が溢れている。 魔王の娘でありながら魔法が使えない「みそっかす」の姫として城の中では居場所のないあかねにとって、ここは心安らげる数少ない場所だ。 「むぅぅぅぅぅ・・・・。えいっ!」 息を詰め、精一杯気力を集中し。何とか小鳥に変化しようとあかねは、薄目を開け、ぱたぱたと翼を模して振っていた腕を盗み見る。が、そこには羽毛の一枚も生えてはいない。 「あ〜あ、やっぱりダメかぁ・・・。」 腕を止めると柔らかな草の上にとすん、と腰を下ろす。これではいつになったら友雅と結婚できるかわからない。 いやそもそも、結婚なんて出来るのだろうか。今まであかねの魔力については何も言っていなかった父なのに、何故急に魔法が使えないと結婚させないなんて言うのだろう。 ああ、空の青さが目に沁みる・・・と頬杖をついていると、どこからかみゃぁ〜・・とか細い声。 「クトゥン?」 あかねは可愛がっている子猫の名を呼ぶ。背の高い草花の間から顔を覗かせたのは、クトゥン(綿)の名に相応しい、ふわふわした真っ白な子猫。大きな耳をぴくぴくさせ、じっとあかねを見つめている。 「やっぱりクトゥン。どうしたの?おいで。」 微笑んで手を差し出すと、一瞬鼻先を突き出し、しかし子猫らしい遊び心を出したのか、クトゥンはそのまま別の方向へ歩き出す。 「クトゥン、どこ行くの?あんまり遠くへ行くと迷子になっちゃうよ?いくらお城の中って言っても、何がいるか分からないんだから、一人でうろうろしてると危ないってば。」 そのまま花の間をピンと立てた尻尾を振りながら歩いていくクトゥン。あかねは自分も四つんばいになって、子猫の後を追う。ブーゲンビリアのトンネルをくぐり、ジャスミンの甘い香りを吸い込み、コーヒーの木の枝に頭をぶつけながら、シャルワールの膝が泥だらけになるのも構わず子猫を追う。 子猫も追っかけっこを楽しんでいるようだ。時折足を止め、あかねがちゃんとついてきていることを確かめると、また、走り出す。 やがて少し開けたところに出た。 「クトゥン!それはだめ!」 子猫が少し大きな木に前足をかけ、爪を研ごうとしているのを見て、あかねが慌てる。 それはアカシアの木だ。鋭いトゲがあり、子猫の柔らかな足などあっさりとつらぬいてしまう。 大きな声にびくりと身を竦ませた子猫をあかねはすかさず掬い上げる。 みゅ〜ん、と小首を傾げる子猫が無傷なのを見てあかねはほっとため息をつく。そのまま立ち上がろうとして、ぴん!と頭を引っ張られた。髪が一房、アカシアに絡まってしまったのだ。 「ああ、もう!この木、嫌い!」 そしてふと気がついた。母の庭にアカシアはない。どうやら子猫を追って北の庭、第一王妃の住まいにまで入り込んでしまったようだ。 兄王子の母である第一王妃は厳しい人で、魔法を使えないあかねをまるで存在しないかのように振る舞う。主がそういう態度なら、当然王妃に仕える侍女たちも、あかねに対する態度は王女に対するそれではない。 こんなところを見つかったら何を言われるかしれない。あかねはクトゥンが逃げないようにパブージの襟元から小さな身体を懐に押し込むと、両手で絡まった髪を解きに掛かる。 元々癖のないボブだが、子猫を追いかけて這い回ったせいでずいぶん乱れている。焦りがさらに手元を狂わす。 ようやく髪がトゲだらけの枝から離れた時、あかねはふぅっと安堵のため息をついた。 「─────じゃあの話、本当だったの?」 突然人の声と、複数の足音がして、とっさにあかねはしゃがみ込んだ。中庭の通路とあかねの間には、低木の茂みがあってしゃがみ込んだ小柄な少女の姿を隠してくれた。 第一王妃付きの侍女が3人、壺や布を抱えて話しながら近づいてくる。 「ホントみたいよ。『あの』あかね姫とランプの精が結婚するって。」 『あの』に込められた意味を察して、あかねの眉がぴくりと上がる。 「だって、ランプの精って友雅様のことでしょう?うわ、何?持て余しの姫を世話係に押しつけたってコト?」 「案外あの姫様のワガママじゃない?友雅様ってすごく素敵だもの。あんなみそっかす姫にはもったいないってみんな言ってるわ。」 「そうよねぇ。友雅様の恋人になりたいって女はいくらでもいるのに、魔王様の言いつけで守り役になったからってずうっとあかね姫に張り付きでしょ?ちっとも誘う隙がないのよね。」 「絶対あの姫が離さないのよ!でもって、魔王様の権力を笠に着て、友雅様に結婚迫ってるんじゃない?なんてずうずうしい!」 あかねの顔が怒りに染まる。 誰が無理矢理結婚迫ったって?毎日迫られてるのはこっちだっての!そりゃ好きって最初に言ったのは私だけど、ちゃんと友雅さんだって私のこと、ずっと好きだったって言ってくれたもん! 文句言ってやる!と立ち上がりかけたあかねの耳に更に姦しいおしゃべりが飛び込んでくる。 「まぁでも無理でしょ、結婚は。」 「なんで?」 「だって、魔王様が出した結婚の条件は『あかね姫が魔法を使えるようになること』だから。」 ええぇぇ!という息のあった叫びが木の葉を揺らす。 「『あの』あかね姫が魔法を?」 「無理無理!あの姫に魔法が使えるならとっくに使ってるって!」 「そぉよねー。何それ、魔王様、言外に結婚させないぞって言ってらっしゃるの?」 きゃははは、と若い娘達の笑い声が中庭に響く。中腰になったまま、あかねは唇を噛みしめる。 怒鳴りつけてやりたかった。全部否定して、友雅と自分はちゃんと両思いで、2人とも結婚したくてがんばってるんだって言ってやりたかった。 だけど、「魔法が使えない」のは本当で。 父王がそう考えているのかも、とはあかねもちょっとは思ったことで。 少しも途切れることのないおしゃべりのまま、侍女達は遠ざかっていく。 あかねは鼻の奥がつんと熱くなるのを必死で堪えた。 人の気配がなくなったことを確認し、ゆっくりと立ち上がる。来た道を逆に辿りながら歩き出すと、パブーシが丸く持ち上がり、柔らかな毛玉が顔を出した。 「みゃぁ〜う?」 心配するように主人を窺うクトゥンにあかねはふと微笑んで、指で耳の間を撫でてやる。段々小さくなっていった侍女達のおしゃべりが、まだあかねの耳に残っている。 『だいたい、友雅様の隣にあかね姫が並んで似合うわけないじゃない?やせっぽちのお子様で、色気もなくて!』 『そうよね。友雅様は身分こそないけど魔力といい、美しさといい、ピカイチの魔法使いだもの。どこのお姫様だって欲しがるわよねぇ。』 『東の大国の皇女様が友雅様に仕官するよう使いを寄越したんじゃなかった?美人って噂の!』 『それを言うなら西の島の大魔女でしょ!ものすごい美女で、ずっと昔から友雅様を狙ってるって!』 『いずれにしても、友雅様の隣に立つのは、身分も魔力もずば抜けた絶世の美女でないと、みんな納得いかないってコトよねぇ。』 とぼとぼと歩くあかねの足下に、見慣れたピンクの花が見られるようになった。西の庭に戻ってきたのだ。 友雅が戻ってきた気配は、ない。 社交的で侍女を多く抱える第一王妃の北の棟や、4人の妻を持つ兄王子の東の棟に比べると、あかねの住むこの西の一角はひと気がない。母はあかねが小さい時に亡くなり、「みそっかす」のあかねはあまり社交的とは言い難い。 陰であれこれ言うお付きの者など煩わしいので、あかね付きの侍女は一人だけだ。身の回りのことはたいがい友雅がやってくれてしまうから不自由はない。 だが時々、無性に寂しくなることがある。 自分で自分を抱きしめるように身を縮めると、苦しくなったのかクトゥンが懐から抜け出して、ぴょんと飛び降りた。 「ああ、ごめん、クトゥン。痛かった?」 怒っていないよ、とクトゥンはあかねの足の間を8の字を描くように身をすり寄せて歩く。 「転んじゃうよ、クトゥン。」 少女はくすぐったさに笑いながら、白い毛並みを撫でた。 「・・・・お前は、私が美人でなくても、魔法が使えなくてもそばにいてくれるよね。」 「みゃ〜う。」 もちろんだ!と言わんばかりにクトゥンはあかねの足に頭を擦りつけた。 少女はぐいっと顎をあげる。 下を向いていると落ち込んでしまう。不安で歩けなくなってしまう。友雅がいればすかさず手を差し伸べてくれるが、あかねは友雅に頼り切るのはいやだった。出来る限り自分の足で立ちたかった。 だから、泣きたくなっても我慢する。怖くたってがむしゃらに突っ込んでいく。弱みを見せるのは大嫌いだ。(それでもどうしようもなくなって、友雅に頼ってしまうことが多いのだけど。) あの侍女たちの言い分には言い返してやりたいことが山ほどある。だけど「魔法が使えない」ことには何の反論も出来ない。 「まず、目の前の問題をなんとかしなきゃ。悪口言われるのなんか、今に始まったことじゃないんだから!よし!がんばれ、私!」 声に出して自分を励ますとガッツポーズを作る。 ブーゲンビリアの植え込みをかき分け、曲がりくねった小道へ出ようとして、人の気配に気がついた。微かに届いた声は間違えようもない、ビロードの声。 友雅さんだ!と顔を輝かせ茂みから首を伸ばしたあかねの目に飛び込んできたものは。 どんなに遠くからでも、どんなに大勢の中に紛れていても絶対に見分けられる、豊かに流れる緑の黒髪。すらりとした立ち姿。彼しか纏わない、銀のドルマン。どれだけ見つめていても見飽きることのない、彼女の恋人。 こちらに向かって中庭の小道を歩いてくるのは、しかし彼一人ではなかった。 その隣にぴったり寄り添っているのは、あかねも見知った美少女。金貨を飾り付けた被り物から流れる黒髪は長く腰まで覆っている。綴織りのスカートが優雅に風になびく。細腰に巻かれた黒の腰帯には銀で美しい装飾が施され、少女の豊かな胸と女らしい腰を強調している。 「蘭・・・・。」 あかねは小さく呟いた。 蘭は黒真珠の精だ。その類い希な大きさと美しさとで何百年も争いの元となり、すっかり彼女を人嫌い・魔人嫌いにさせていたが、運命の悪戯かアッラーのお導きか、彼女の本体は今、黒い海の底に沈んでいる。 「もう誰の物にもなりたくないの。ここでのんびりさせてもらうわ。」 そういって笑った彼女は本当に美しかった。決して攻撃的ではないが強い魔力を持つ彼女は、その身を深い海の底に留めたまま、仮の姿を遠くへ飛ばすことが出来る。 どうして蘭がここにいるの?どうしてそんなに友雅さんとくっついているの?どうしてそんなに楽しそうに2人で笑っているの? あかねは胸がきゅっと潰されるような痛みを味わう。心臓がどきどきと胸を叩く。 確かに蘭は美人だ。チビで、年の割にやせっぽちな自分よりスタイルもいいし、何より魔力が飛びきりだ。友雅の隣に並び立っても全く見劣りはしない。 あかねの脳裏に再び先程の侍女たちの心ない声が蘇る。 『───── 友雅様の隣に立つのは、身分も魔力もずば抜けた絶世の美女でないと、みんな納得いかないってコトよねぇ────── 』 こうして覗き見していても、友雅にぴったり寄り添う蘭の姿はまるで一幅の絵のようだ。蘭なら、その美しさも魔力の釣り合いも誰も文句はつけられまい。 魔王の娘なんて言われてもまるきり魔法が使えない、そして父からも半ば見捨てられたかのような自分より、ずっと蘭のほうが友雅にはお似合いだろう。そう、面倒なことばかりの自分より、蘭の方がずっと・・・・・。 でもでもでも! あかねはぎゅっと目をつぶる。身体が熱くなる。背中にだけは冷たい汗がすぅっと流れた。 瞼の裏に、幼い頃からの思い出が次々と蘇る。 寂しい時も楽しい時も、友雅はずっと側にいてくれた。あかねがどんな失敗をしても、どんなに姫らしくないことをしても友雅は笑って手を差し伸べてくれた。 あの優しい手を離すことなんて、出来るだろうか? 「・・・・やっぱりだめ!!例え蘭でも、友雅さんはあげられないっ!私のなの、取っちゃダメ─────!」 |
夢見たい / koko 様 |