ブーゲンビリアの咲く庭で

= 15.今日はごろごろデー =



−1−

 物売りの威勢のいい声、屋台から漂ってくる香ばしいシシ(串焼きの羊の肉)の香り。バザールの隅で野菜屑に紛れるように路端に座り込み、少女は幼い弟にお話を聞かせてやっていた。母親が水がめの水を売り歩いている間、弟の面倒を見るのが彼女の仕事だった。

「─────そして現れたランプの精は言ったのです。『ご主人様、あなたの望みを何でも3つだけ叶えましょう。』ランプの精は主人に忠実で、決して逆らうことなく・・・。」
「それはデタラメです!」

 突然降って来た声に、少女も、幼い弟もびっくりして顔を上げる。

  さらりと流れる桃色の髪をぷっつりと肩先で切り揃えた少女が2人の前に立っていた。金の刺繍入りのパブージ(シャツ)は絹。薄布の腰帯の上に金銀細工の帯をつけ、薄桃色をした絹のシャルワール(ハーレムパンツ)。一見して少女の身分が決して町娘ではないことを示している。

 だが、パブージと同じく金と絹とで刺繍を施した袖無しのカフタンは本来部屋着で、外出用のマントや顔を覆うベールもなく、供もなく。こんな所にいるのは場違い以外の何者でもない「お姫様」の登場に、幼い姉弟はお互いに抱き合ったまま、固まっている。
 そんな2人にまるで頓着せず、「お姫様」は腰に手を当てたまま、2人に身を乗り出してくる。髪に飾ったブーゲンビリアからは甘い香り。パブージのV字襟から覗くシュミーズに付けられた鈴飾りがちりちりと可愛らしい音を立てる。

「ランプの精はね、本当はとっても意地悪でいじめっ子なの。ちっとも主人の言うことを聞いてくれなくて、勝手なことばかりしてるのよ!」

 15,6であろうその少女の剣幕にまだ幼い姉弟は目を丸くする。

「お姉さん、ランプの精を知ってるの?」
「そりゃもう!イヤってほど知ってるわ!ランプの精はね、陰険でね、主人を閉じ込めたり意地悪言ったり、お菓子をあげないって脅したりするのよ?」
「ふぅん、君は随分とランプの精について詳しいんだねぇ・・・。それで、それは『どこの』ランプの精のことなのかな?」

 また、別の声。だが今度の声に反応したのは桃色の髪の少女の方だった。2番目に降ってきたビロードの声は、あれほど威勢の良かった少女を一瞬で凍らせたのだ。

地面にしゃがみ込んでいる自分たちにも大きな影がかぶさって、幼い姉弟は視線を少女の背後に送る。
 そこには南方独特の、足首まで覆うゆったりとしたマント・ドルマンを羽織った背の高い男が立っていた。ターバンも巻かない髪を背にうねうねと流し、白いマンタン(シャツ)の袖口は上質のレースで縁取られ、こちらもかなり身分が高そうだ。華やかな刺繍を施したチョッキには切子風にカットした飾りボタンがきらりと光る。
 だがそれ以上に光っているのは、彼の目だ。口元に笑みを浮かべているのに、どこか怖い。優雅に腕を組み、目の前のお姉さんをじっと見つめている。

「ねぇ、教えておくれ・・・?『どこの』ランプの精が、君にそんな意地悪をしたの?」

 男は固まったままの少女の背後にゆっくりと近づく。が。

「あ、あの私!急に用を思い出したから!じゃ、またね?」

 ようやく溶けた少女は子どもたちにぎこちなく手を振ると、脱兎のごとく駆け出した。
男は慌てる様子もなくどんどん遠ざかる背を見つめ、ため息をついた。

「全く、どうしていつまでたっても学習しないかね?逃げても無駄だと言うのに。」

 組まれた腕が解かれ、男の優美な指がぱちり、と鳴った。
 男の整った顔立ちに見惚れていた幼い少女の髪を突然風が巻き上げ、何かがすごい勢いで通り過ぎた。風を目で追うと、色鮮やかな小型の絨毯が逃げたお姉さんの後を追って飛んでいくところだった。あっという間に追いつくとつるんとその体を掬い上げ、そのまま巻き取ってしまう。お姉さんの絨毯巻の出来上がりだ。絨毯は円筒形のまま高く空に上がる。

「さて、では私も失礼するよ。」

 声とともに男はふわりと浮かんだ。そして振り返ることなく絨毯の後を追う。

「・・・・おねぇ、ちゃん・・・。今の・・・・。」

 幼い弟はあっけにとられた顔のまま、姉に縋りついた。

「・・・・うん・・。本物の、魔法使い・・・本物の、ランプの、精・・・?」

 姉弟はぎゅっと抱き合ったまま、いつまでも空を見上げていた。お姉さんの髪から落ちた濃いピンクの花が、足下で風に揺れた。



◇◇◇



 世にも珍しい空飛ぶ絨毯巻はくねくねとその身を捩らせながら、風を切る。男が追いつくと、捩れるたびにくぐもった声が、

「出してー!」
「苦しいってばー!」
「出さないと、ひどいわよ!」

と叫び声をあげている。

やがて絨毯は止まり、もう手に負えない、とばかりに中の少女を吐き出した。転がり落ちた体の行き先はもちろん男の腕の中だ。
 転がり込んできた柔らかなそれをしっかり抱きとめ、男は笑う。

「お帰り、姫君。散歩は楽しかったかい?」
「散歩?楽しい?」

散々暴れてすっかり紅潮した頬で、少女は男を睨み上げた。

「いきなり巻き上げられて荷物みたいに運ばれるのを楽しいって思う人が、どこにいるのよ!」
「おや、君は常々輿に押し込められたりラクダに乗ったりの移動はつまらない、と言っているだろう?こういうのも刺激的でいいのではない?」
「冗談!いつも以上に窮屈で・・って、きゃぁぁぁ!何するのっ!」

 男は抱えていた柔らかな身体を無造作に下ろす。足下は急斜面でとっさに目の前にあった青銅の柱とその先端の丸飾りにしがみついた少女が改めて周りを見回すと。
 そこは、彼女の父王の城のてっぺんで。並び立つ塔の中でも一番高い、南の塔の先端、丸屋根の上だった。滑り落ちないようにつるつるした丸飾りにしっかりと縋り付きながら下を見る。
元々小高い丘の上に建つ王宮の、一番高い塔の上。遙か下には城の中庭が、そして動き回る召使いたちが豆粒のように見えている。

「ちょ・・・・、お、下ろしなさい!何だってこんな高いとこに・・・・!」
「降りたかったら、自分で『飛んで』ごらん。」

 空中に優雅に寝ころんで、男は面白そうに少女を見つめる。

「ムリ!絶対、無理っ!」
「無理ではないよ。君はこの大陸で最強と呼ばれる魔王アクラムの末娘だよ?空くらい飛べなくてどうするの?」
「私には魔法なんか使えないってばー!だからあなたが私の守り役についてるんでしょ、『ランプの精』!」

 そうなのだ。父王も兄王子も姉王女も皆優れた魔法使いであるのに、末の姫・もうすぐ17になるあかねだけが子どもの頃から魔法が一切使えなかった。娘の安全を憂いた父王が、世話係兼ボディーガードとしてつけたのがこの『ランプの精』友雅だ。

「まぁね。でも君に魔法を使えるようにすること、それが君のお父上との約束なのだよ。それが出来ないとね、」

 必死で屋根にしがみつき、あまりの高さに目眩がするのか目をつぶったままのあかねに友雅はふわりと近づき額にちゅ、と音を立ててキスをした。

「・・・君との婚姻を認めていただけないのだよ。だから早く魔法を使えるようになっておくれ、愛しい姫君。でないといつまでたっても君の全てを私のものにすることが叶わない。」

 突然のキスにあかねは思わず目を開けて友雅を睨みつけた。その頬は怒りとは別の色に染まっている。

「鍵を開ける魔法を覚えてもらおうと部屋に閉じこめたのに、まさか窓を割って脱出してしまうとはね・・・。君は私と結婚したくはないの、姫?」

 切なげな流し目はさらにあかねの頬を紅潮させる。

「そっ、そりゃ私だって・・・早くちゃんと、友雅さんと結婚・・・したい、けど・・・。で、でもほんとに私、魔法なんて・・・。」

 勝ち気なのにウブな恋人は口の中でぼそぼそと呟く。友雅の顔に蕩けそうな笑みが広がった。

「大丈夫だよ、姫。君にはちゃんと魔力がある。ただそれが上手く使いこなせないだけなのだよ。」

 実際、少女がよちよち歩きの頃から側にいる友雅は、あかねが信じられないほど強力な魔力を発動させるのを何度か目撃している。ただしそれはあかねが眠っている時や我を忘れるほど激昂している時で、本人は覚えていないのだ。

 ではなぜもっと早くあかねに魔法指導をしてやらなかったのか?

それはもちろん、あかねが魔法を使えるようになってしまえば友雅の役割がなくなってしまうからだ。守り役として世話を焼いているうち、すっかりこの少女のとりこになってしまった友雅だが、あかねが成長してようやく過日、晴れて恋人同士になった。だが、いざ結婚しようとするとあかねの父・アクラムが待ったをかけてきた。

いわく、
     『魔法も使えない子どもが結婚するなど認めない。』

なら守り役として24時間一緒にいられるのをいいことに身も心も恋人に、と思ったら

     『守り役が姫に手を出すことは許さない。あかねはいずれよそへ嫁に出す。』

─────── というわけで、どうあってもあかねには魔法を使えるようになってもらわなければならなくなったのだ。

「こうして身に差し迫った危機感があれば、君も必死になれるだろう?がんばっておくれ、私の白雪。自由に空を飛べるようになれば、魔法の絨毯などいらないし、」

 寝ころんだ姿勢のまま、あかねの肩を抱き込むように近づくと友雅は熱い囁きを耳に注ぎ込む。

「空を飛びながら『する』のもまた、格別なのだよ・・。早く君に教えてあげたいね。」

何のことだか分からずにきょとんとするあかね。良からぬことを教え込むいけないオヤジのような笑みを浮かべたまま、友雅はちゅ、ちゅ、と少女の頬に、瞼に、こめかみに口づけ、鼻先をぺろり、と舐めた。

「んぎゃ!な、舐めたぁ!」

 色気のない恋人の叫びも予想のうち。大きく開かれた可愛らしい唇をすかさずかぽんとくわえ込み、好き勝手に口中を蹂躙する。

「ん、んん!・・・っ!」

 まだまだそういう面では友雅に敵わないあかねはされるがままだ。

舌をきつく絡め取り、唾液を混ぜ合わせごくりと飲み込む。あかねのそれは花の香りがする。唇を合わせたまま満足の笑みを浮かべると男の行為はさらにエスカレートする。
するりと友雅の手があかねの背を撫でそのまま脇へと伸ばされる。掌は脇に置いたまま、指先が柔らかな丘の裾を悪戯し始めた。そして少しづつ丘を登ってくるのだ。

逃れたくても両手は落ちないように掴まっていなくてはならないし、頭はしっかりと押さえ込まれ、口もふさがれ抗議も出来ない。声どころか息すら奪われ、身体は好き勝手に弄られ。意識は次第に朦朧となり、ふるふる震え続けるあかねの身体からついに力が抜けた。

 ぐらりと傾いたかと思うとそのまま屋根を滑り落ちるようにしてあかねの身体は宙に放り出された。そして真っ逆さまに落ちていく。

 急に強い風にあおられて、あかねの意識が戻った。そして自分が地上に向かって落ち続けていることに硬直する。みるみるうちに地面が近づき、もうダメ、ぶつかるっ!と目を閉じた瞬間、身体がふわりと浮いた。

 あと2秒で地面、というぎりぎりであかねを腕に抱き留めたのは、恋人の泣き顔も好物な、困った魔法使いだ。目を閉じた途端本当に気絶してしまった、恋人 兼 己のあるじの柔らかな身体をしっかりと抱え込み、友雅は首を傾げた。

「やれやれ。自分の命が危ないという時でもまだ魔法を使えないかい?君は本当に手間の掛かる、頑固な姫君だねぇ・・・ま、そこがまた、いいのだけれどね♪」

 気絶してしまった今のうち、とばかりに更にその唇を好きに貪りつつ、友雅はふわりと舞い上がった。



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夢見たい / koko 様