揺るがない願いを |
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= 本気になった男と戸惑う少女 = |
「お待ち下さい!!」 幼姫から発せられたその声は、庭の木々に羽を休めていたメジロを一斉に飛び立たせた。 御簾を跳ね上げ簀の子に出た友雅は、強くなりつつある陽射しに目を焼かれて脚を止める。そして盛大に刻まれた眉間の皺を、一層深くした。 「友雅殿、そのようなお顔で飛び出されて…どうなさるおつもりなのですか…っ?」 追いすがってくる星の姫は、不機嫌さを隠すこともない男の様子に震えつつ、冷静さを取り戻させようと気丈に話しかける。 しかし振り返ることなく、チラと寄越された底冷えするような眼差しに晒され、背を震わせ息を呑んだ。 「それを君に言わなくてはいけないのかい?」 冷淡な声音。 それは汗ばむほどの初夏の陽射しを切り裂き、肌が泡立つような感覚をもたらす。 触れただけで鼓動を止めてしまいかねない、絶対零度の怒気が立ち上っていた。 「──必要を感じないね。 これは、私と彼女の問題だ」 脚が震える。 冷や汗がこめかみを滑る。 平素は穏やかな雰囲気を纏い、柔和な微笑と悪戯めいた眼差しで温かみさえ感じさせる男であるのに。 今、この時。彼の心には夜叉が住み着いているとしか思えない程、放出される気配は痛いくらいに鋭利だった。 「そ、それでも!!放っておくことなど出来ません! あの方は…神子様は、すでに苦しんでおられるのです。これ以上お心を乱すのはおやめ下さい!」 いっそ恐怖に負けて、悲鳴を上げられればどれほど楽だろうかと思う。 けれど星の一族としての矜持が、そして心から慕うかの少女への思慕が、悲鳴じみた諫言を押し出した。 僅かに見えていた男の横顔が、小さく揺れる。 思いとどまってくれればいい。激昂のままに断罪するような事がなければ…。 けれど、その願いは虚しく地に落とされた。 「苦しむ?解せないね。なぜ苦しむ必要があるのだい? 彼女は私を好いてくれていて、私も彼女を愛しいと想っている。私たちを妨げるものなど、なにひとつないはずだろう?」 くつり、漏らされた嘲笑。 それは誰に向けられた物なのだろうか。恐怖と焦燥に混乱を来していた幼い姫に、理解することは困難だった。 「龍神の神子としての責務がおありの中で、ひとりの殿方を恋しいと想う…神子様にとって許し難い事なのだと、貴方ならお分かりになりますでしょう!?」 彼女の苦しみを、彼女の迷いを、理解してあげて欲しい。 確かに神子という重責をまっとうする上で、互いの間を巡る特別な想いに助けられ、甘えていた部分もあるだろう。 けれど、元より潔く潔癖な性根を持つ少女にとって、神に仕えている状態で一人の男に心を奪われることは、許されざる事なのだという認識でいるのも当然と思えた。 想いは、一種の拠り所であったのかもしれない。 結ばれないのだと思いこむことで、不安に揺らぐ自身の心を放棄し、そして逃げ出すことが出来るのだから。 「生真面目な彼女のことだからね、そう悩む気持ちは理解しているつもりだよ」 ならば、と唇が震える。 しかしその言葉が彼に届くことは無かった。 「けれど、それが何の障害となろうか。真実、私たちは互いを想い合っているのだから…」 彼女の戸惑い、彼女の弱さ、そして不安を理解してなお、彼は愛しい人の心を切り開こうとしている。 すでに無数の傷を負い、切ない痛みに身を焼いているだろうかの人を追い詰め、そして強引に奪うだろう。 それこそ、彼女の心が傷つき血を流し、悲鳴を上げてもなお。 「私はずっと待っているつもりだった。彼女がその責務を果たし、自らの意志でこの手を取ってくれる日を。 けれど、私から逃げようと…その想いを無かったことにしようとするなら、それなりの仕置きが必要だと思わないかい?」 もう、彼を止めることは出来ない。 もう、彼女を嘆きの海から救うことは出来ない。 その先に待っている物は、彼らしか辿り着くことの出来ない世界。 「私はね、藤姫」 彼は、陶然と微笑を頬に乗せた。 「──彼女を捕まえるよ」 嗚呼…っ!! 息が詰まって悲鳴さえ漏らすことができなかった。 許されざる恋 そんな悲劇めいた言葉で、この想いを誤魔化すのは許さない。 彼の双眸に、焔が燃え上がった。 |
さくらのさざめき / 麻桜 |