※この作品はコミックベースのお話しです
※年齢制限を設けています。18歳未満(高校生含)の方は閲覧を控えてください
汝、とらわれしもの

= Happy Birthday!! =



−1−

捕らわれしもの








 一  観

 四神に護られし都・京。本来ならば安寧であるべき王都は今、鬼との戦いの最中にあり、人々は不安と隣り合わせの生活を強いられている。二百年から続く確執は日増しにその影響を色濃くし、街も人心も荒れる一方であった。
 ここにひとつの希望が降臨した。その身に神の力を宿し、悪しきものどもを討ち払う存在――――――――――龍神の神子。未だ公にされることこそ無いものの、人々はいずこ何処よりか現れた存在を風の噂に聞きつけ、口々に伝え広めた。
『必ず平穏は戻る』。逆境にある彼らにとって、神子はまさに一縷の希望のぞみだった。

「おっりゃあああぁぁぁッ!」
「まだまだっ」
 ぶつかり合う木剣の音と気合の入った掛け声、そしてそれを軽やかにいなす声。京の一角にある左大臣邸、その朝は早い。まだ薄暗いうちから威勢のいい声を発するのは、この邸を警固する武士団の者達だ。その中でも特に騒々しく挑みかかるのは八葉・地の青龍、森村天真。無論、その相手は同じく八葉・天の青龍、源頼久である。
 正確には天真は武士団の人間ではない。が、同じ棟で寝食を共にしていれば必然的に同じ行動をとる確率は増えるものであるし、また腕を磨きたい天真にとって武芸に秀でた者達とのやり取りは実に楽しいものであった。
 同刻。邸内に用意された自室であかねは目を覚ました。大きく伸びをして、すぐに飛び起きる。はじめは慣れなかった角盥つのだらいでの洗顔も今では難なくこなすことができるようになったし、水干風の着物も自分で着付けられるようになった。そして特製の角盥ベッドで眠る小天狗を起こさぬよう注意しながら、武士団の稽古場の見える場所へと急いだ。
「おはよう!詩紋くん」
「あ、おはよう。あかねちゃん」
毎朝の定位置に先に来ていたのは詩紋だった。
「今日は?」
「まだわかんない」
見れば、丁度激しい打ち合いの最中。汗を滴らせて打ち掛かる天真を対照的に無表情な頼久が右へ左へと受け流す。そして一際澄んだ音と共に勝負は決した。頼久が天真の剣を宙高く薙ぎ払ったのである。それを見ていた二人は至極残念そうな声を漏らした。
「あ〜ぁ。天真くん頑張ってたのになぁ」
「仕方ないよ。だって頼久さんすっごく強いんだから」
「でもさ。なんか剣道部の朝練みたいで懐かしいね」
「ホントだ。天真先輩部活やってなかったけど似合いそうだね」
「あ、こっち気付いたよ。おーい!おはよー!天真くーん、頼久さーん!」
あかねは大きく手を振りながら二人に声を掛けた。

 珍しく微睡んでいた友雅の耳にもその声は届いていた。
「―――――賑やかなことだね」
大抵、貴族の邸とは静寂を好む。虫の音や鳥のさえずりを聞き、楽の調べを楽しむ為であるし、身分あるものは取り澄ました態度を崩さない。だが彼女が来てからこの邸は少し趣を変えた。朝は鳥のさえずりと共に彼女の明るい挨拶で始まる。
 ふと隣に目をやれば、そこにあった温もりはすでにほんの僅かの残り香を残して冷めていた。大方たっぷりと未練に後ろ髪を引かれながら自分の勤めに向かったのであろう。彼は自分を嗤った。寝顔を晒すなど勿体無いことをしたものだと。
 本来、彼の眠りは浅い。自宅以外では気を許せないからだ。無論自宅以外で休むことが多い為に必然的に仮眠代わりにうとうとすることはあるが、それも所構わずということはないし、頼久ほどではないにしても一応武官である彼の感覚は鋭い。何事か起こればすぐに目を覚ますはずだった。
(いささか疲れていたのだろうか)
此処のところ忙しかったのは事実だ。激しくなる怪異、突然現れた異世界の娘、それに付随する『八葉』と呼ばれる者たちの出現。そして女たちの夜の相手。最後は自業だとしても迂闊であった。そろそろ手を切るつもりの相手に己の弱みを見せるなど。
(まぁ、いい)
脱ぎ捨てた着物をゆるりと纏いながら彼は思った。手切れだと思えばいい。後は文のひとつも送って、それで終わりだ。ひとつ嘆息して、彼は御簾をあげた。
眩しい光の降り注ぐ中喚声をあげつづけるあかね達の姿を、目を細めて眺めやる。これまで見てきたどんな人間とも違う異世界から来た神の使い。近寄りがたい神々しさよりもむしろ人懐こい印象を受ける。市井の娘のように快活にくるくると変わるその表情は、聞き及んだ年齢より幼く思えるほどだ。
(――――あの娘は…)
風変わりだ。短い髪にむき出しの脚。話す時も外出する時も顔を見せることを厭わず、己の感情に正直に笑い、泣き、怒る。人に対しても、鬼に対しても。
 かつて彼女は鬼の首領に恋心を抱いていた。単身、邸を抜け出して会いに行ったこともあるし、先頃など鬼に捕らわれていた天真の妹・黒龍の神子を救出するために敵の懐に乗り込んだ。流石にこの時ばかりは肝を冷やした。怖れを知らぬとはいえ無謀な行動をしてくれたものだ。大事こそ無かったから良かったようなものの、帝からの命もある。その身に危険が及ぶようなことがあってはならない。
 あの後、頼久は片時もあかねの傍から離れることなく警護の任についているし、天真たちも付いている。だが用心に越したことは無い。それに。
 「あ!友雅さんもおはようございます」
振り返ったあかねが溢れんばかりの笑顔を見せた。
「おはようございます、友雅さん」
「おはようございます」
「………おう」
隠れていたわけではないが見つかりにくい位置であることは確かなはずだった。よく目敏く見つけたものだ。
「おはよう、神子殿。今日も愛らしいね」
破顔一笑。完全に虚を突かれたことを誤魔化すため、美声と名高い低めの声で気障な科白を付け足した。そうすれば彼女は言われ慣れない言葉にうろたえて、また一段と可愛らしい姿を見せてくれるだろう。隣では天真が掴み掛からんばかりの勢いで睨んでいる。
 (ああ。本当に神子殿、君は)
友雅は静かにその先の言葉を飲み込んだ。



 二  視

 笛と琵琶の幽玄な調べが場を満たす。人払いがなされ、聴衆は御簾の中にただ一人きり。内裏の中央、清涼殿に召された友雅は永泉と共に楽を所望された。帝はこの腹違いの弟を殊の外目に掛けており、ことあるごとにこうやって参内させては仏の教えを語り合ったり笛を吹かせたりしていた。
 「いつもながら見事だな、永泉」
微かな余韻までも味わいつくしてから親しみをこめてそう呼びかけた。
「友雅もだ。しかしまた腕を上げたのではないか?」
「そんな…もったいのうございます、主上」
 二人の邪魔にならぬよう、返事の代わりに深く頭を下げた。本当にこの兄弟は仲が良い。腹違いであり、一時的とはいえ対立したことさえあるのにもかかわらず。それが原因でこの繊細な弟宮は出家するに至ったのだが、結果的にはそれも良かったのかもしれない。
「して、札の方は順調なのか?」
にわかに空気が引き締まった。
四方の札。鬼に奪われた京の護り手を取り戻す為に必要な4枚の札。今現在2枚目が此方の手に集まっているが、それとて安易な道程ではなかった。これから争奪戦は弥が上にも激しくなるであろう。
友雅はちらりと目線を移した。永泉の手は笛を握り締めたまま細かく震えている。無理もあるまい。先だって北の札を取得する折に小天狗を犠牲にしてしまったことを気に病んでいるのだ。
「どうした?永泉」
「恐れながら」
 押し黙ったまま答えることのできない永泉を気遣い、友雅は自分から口を開いた。
「八葉みな全力を持って捜索に当たっております。どうかご心配なく」
「そうか」
 兄の声に答えられなかった自分を永泉は責めた。俯いたままきつく瞼を閉じる。痛々しいまでの姿に友雅も言葉を掛けられずにいた。
「永泉」
叱られた子供のように背を丸める弟に、兄は殊更優しく語りかけた。
「私は何もしてやれぬ。だが八葉であるそなたなら、この京を救えるのだ。頼んだぞ」
「………はい」
「友雅も。神子殿と…そして永泉をくれぐれも頼む」
「はっ」
「ときに。神子殿はどうされておられるのだ?」
 思いもよらぬ問いに、弾かれたように永泉が顔を上げた。そしてゆっくりとまた俯き加減に力なく答える。
 「近頃は…私も修行が忙しく……。おそらくお元気かとは……」
「そうか」
僅かな落胆の色が混ざっていた。以前ならもっと弾んだはずの会話はそこで途切れた。生きることさえも諦めたような弟がようやく見せた明るい表情をまた見せて欲しいと願って選んだ話題だった。兄は少しの後悔を含んだまま二人に退出を許した。
 「永泉様」
呼び止めることは躊躇われたが、それよりも心配の方が勝っていた。
「これから土御門へ参るのですが、ご一緒にいかがですか」
「はい…あ、いえ私は……」
 今にも消え入りそうな声。視線さえも合わせられないほど彼は怯えていた。元来線の細い性質たちには現状はあまりにも過酷なのだろう。
「天真なら今日は泰明殿を探しに出ております」
「えっ?」
 驚いて上げた瞳が物語っている。何故判ったのかと。そして何故知っているのか、と。己の心を見透かされたのかと狼狽する永泉を気遣うように、友雅は努めて明るく言った。
「参りましょう。あまりお姿を見せられなければ神子殿が心配します」

 その日、事態は急激に動いた。泰明の失踪と3枚目の札の取得。イノリの姉・セリとイクティダールとの関係。
「厄介だな」
 ひとりごちて杯を干す。目の前ではイノリが眠っている。先程まで騒いでいたのだが、疲れたのだろう。幸せそうな寝顔だ。
「仲間は大事だろう、か」
 おそらく彼も悩んでいるのだろう。自分の中の理解しがたい感情に。否、気付きかけていてあえて否定しようとしている。だからこそどうすることもできずにいるのだ。正直になることもできずかといって諦めることもできない。さりとて隠しおおせるような性分でもない。
「如何ともしがたいね」
 杯を傾けつつ思いを巡らせる。薄々勘付いてはいたが、これで確信した。天真と永泉の確執。泰明の失踪と鷹通の科白。イノリ、頼久、詩紋。八葉全てが一人をめぐって争う立場にあることは明白になった。
(面白くないな)
 あまりにも出来過ぎているではないか。宝珠を得て八葉となった者が皆、一人の少女に心を奪われている。これは本当に己の意思かそれとも何者かの思惑か。
自分は蚊帳の外にいるべきだと常に思っていた。冷静に、客観的に物事を把握し分析する。京も鬼も知ったことではない。その思いは変わらない。だが否定しがたい想いが自分の中にあることも判っていた。はじめは歯牙にもかけていなかった。毛色の違いが珍しいだけだと思っていた。
(錯覚だ)
あの瞳が、笑顔がちらつく。これが彼女の言っていた言葉なのだろうか。この感情が。
 『本気にならないのは貴方がそれを知らないから。それがどんなに見苦しくてやっかいで熱いものかを』



 三  察

 四方の札が揃った。これで四神を開放し鬼を倒せば京に安寧が戻るはずだ。それがなった時、彼女はどうなるのだろう。
 最近同じことばかりを繰り返し考えている。いや本当はもっとずっと前からだった。わざと避けてきたのだ。目に映ることばかりが真実ではないと知っていた。だが人とはその目で見たものしか信ずることはできない。だから心を信じない。それは目に映らないから。だが気付かされてしまった以上、もう偽ることは止めにしよう。同じだったのだ。天真と、鷹通と、永泉様とこの心の中の感情は。
何だって良い。誰だって良い。この身を焼き尽くすほどの想いを知りたいと願い続けてきた。その感情を彼女が教えてくれた。
(同じだったのだろうか)
今まで情を通じるふりをしてきた数多の女性たちも、そして黒龍の神子・森村蘭も。冷たい男だと言われてきたし、またそう演じてきた。だからあの娘の告白も踏み躙った。
 微かな後悔が胸をよぎる。あの時は知らなかったのだ。己の心がこれほどまでに揺さぶられることがあるということを。こんな熱い気持ちが己にも存在するということを。今までに逢った女達も皆、こんな気持ちで自分を欲してくれたのだろうか。
 否。おそらく誰よりも強い感情だ。『優しい大人』としてではなく一人の『男』として想われたい。神子でない、生身の彼女に。一人の女性として、自分を選んで欲しい。
 全てが終わった時、彼女はどうするのだろう。友人達と共に遠い世界へと帰ってしまうのか。役目を果たした後龍神の神子がどうなるのか、藤姫は知っているのだろうか。失うことを、初めて怖いと感じている。だから告げなければならない。
 「帰らないでくれまいか。ずっと、私の傍にいなさい」
と。




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いろは 様