ブルーマーメイド

= 王子様と人魚姫 =



− 6-1 −
6 夜が明けるまで





「うーん。どっちにしよ?」
 あかねはロマンス小説を片手に、深いため息を吐く。
 今夜は、寝物語を語ってもらうか? それとも、子守唄にしてもらうか?
 お風呂上りの人魚は、真剣に思い悩んでいた。
「ねえ、あかね」
「ん?」
 あかねは振り返りもせず、生返事する。
「第三の選択肢はないのかい?」
「三つ目の選択? どんな?」
「私と愛し合うという選択だよ」
「さっきしたからいいです」
 お風呂の中でたっぷりとサービスしたし、された。今夜はもう十分と、あかねは意を決してロマンス小説を勢いよく指し上げる。
「今夜はこっち!」
 あかねは本を抱えて、ソファに座っている友雅のもとへ駆けていく。遠慮もなく、男の膝にダイブするように飛び込む。
「おっと。お転婆だねえ」
 飛びついてきたあかねを抱きとめ、膝に座らせた。けれど、少女は大人しく膝になど座っていない。すぐさま友雅を振り返り、その首に甘くしなだれかかる。
「ねえ。もう寝よ?」
「まだ早いよ」
 これが別の意味のベッドへのお誘いならば、友雅に否やはない。
「わたし、眠い」
「おやすみ」
 赤ん坊を抱くように少女を抱えなおし、眠れとばかりにあやしてやる。
「やだっ。友雅さんっ」
「眠いのだろう?」
 あかねの使う手は見え透いている。
「お話してっ」
「やれやれ」
 頑固な少女は、退いてくれないだろう。友雅はため息とともに、彼女が手にしていた本を受け取った。そして、ページをひらこうとしたときに、来訪者を告げるベルが鳴った。


「イヤっ、絶対行かない!」
 あかねは友雅の後ろに隠れて出てこようとしない。友雅もまた、そんなあかねを庇って三人のカウンセラーに対峙している。
「ちい姫……」
 頼久が如何ともしがたく手を拱いた。
 彼も、行かせたくて行かせるのではないのだ。そして、こういった交渉ごとに向いてない男は、同僚にそれらを一任する。
「おめー、卑怯だぞ」
「なんとでも言え」
 あかねに無理強いのできない男は、早くも第一関門で挫折している。
「というわけで、あかね。行くぞ」
 どこにわけがあるのか? 理由になっていない事由を用いて、天真はあかねに手を差し出した。
「イヤイヤイヤーッッッ」
 取りつく島もなくあかねは拒否を示し、毛を逆立てた猫のように、フーフーッとカウンセラー達を威嚇する。差し出した天真の手など、今にも引っかかれそうだ。
「あかね。オレたちも一緒に付いて行くから、大丈夫だ」
「イ・ヤ! そんなに行きたいなら、天真くんたちだけで行けばいーのよ」
 ツーンとそっぽを向いて、あかねは聞き入れようとしない。
「オレたちだけで行って、あのヘンタイ伯爵が納得するわきゃねーだろッ!」
 あの男はあかねに逢いに来ているのだ。
「そのヘンタイとやらに、あかねを会わせに行くのかい?」
 友雅は目を細めながら、剣呑として天真を見据えた。 天真も友雅のその迫力に思わず後ずさる。
「怖い顔すんなよ、こっちだってやりたくてやってる仕事じゃねーんだから」
「だったら、そんな仕事などする必要はないね」
 あかねを膝に抱き上げ、友雅も少女を渡そうとしない。
 あかねも、友雅の懐にもぐりこみ、腕は男の首に巻きつけ抱きついたまま離れようとしない。
 そんな恋人の可愛い仕草に男の笑顔は脂下がり、擽るような軽やかさで、頬や目尻に口付ける。あかねも嫌がったりしないものだから、周りの目には熱すぎる光景である。
「あのーお二人さん。二人で世界にはまらないでおくんなまし………」
 見てる方の身にもなって欲しいと、天真は目のやり場に困りながら、二人を諌めた。
 際どい方がまだ見られる。あんまり反応が幼くて、見てる方が恥ずかしくなるのだ。
 あかねも照れて見せるあたりが、可愛らしい。テヘッと三人のカウンセラーに笑ったのち、顔を赤く染めながら友雅の首に擦り寄る。
「君たちを引き離したいわけではないが、こちらも譲歩を見せなくてはならないのです。すみません。タイムリミットです」
 鷹通が天真にめくばせして、鷹通と頼久があかねの肩を取った。
「イヤっ」
 あかねはとっさに友雅に手を伸ばす。
「あかねに触らないでおくれ」
 友雅があかねを取り戻そうと伸ばした腕を、頼久と天真に取られる。。
「ハイハイ。ダンナのお相手は俺たちね。あかねじゃなくて悪いけど、暫らく俺らと一緒にお留守番しててほしいんだけど」
「離しなさい」
「すまん、友雅。今は大人しくしてくれ」
「冗談ではないね」
「あかねは大丈夫だ。鷹通が付いている。それに、今、ことを起こすのはメリットがない。変に警戒されるのも面倒だし、多少は中央に恩を売っとくのも手だから」
 鷹通に肩をつかまれ、あかねが半泣きで友雅を呼ぶ。
「友雅さんっ。友雅さんっ」
 あかねの腕が友雅へと伸びている。縋る視線に、どうして黙っていられよう?
「君の言うこともわかるよ。だが、あの子の泣き顔を見て、大人しくしていられたら、それは私ではないね」
 友雅は天真たちの手を振り解き、あかねに駆け寄る。そして、少女を優しく抱き上げた。
「すまないね、ドクター。この子を、ここまで臆病者にしてしまったのは私なのだよ。この子を叱らないでおくれ」
「叱りません。こうなったのは、あかねのせいではありませんし、また貴方のせいでもありません」
 鷹通は小さく嘆息した。けれど、失望したわけではなかった。
「君が理性的な人で助かるよ」
「貴方にも、理性的な行動に出るようお願いしたいものです」
 ため息交じりの鷹通の呟きに、友雅も意味ありげに嘯いた。
「私もこのまま中央に睨まれるのは面倒だからね」
 あかねを抱き上げたまま、三人を促す。
「私も同席するということで、どうだろうね?」
「友雅殿?!」
 驚愕する鷹通は、重々しく頭を抱えた。
「それはお断りいたします。ますます相手の神経を逆撫でるようなものですからね」
 鷹通としても、あかねと伯爵を会わせなくてすむならそれに越したことはないのだ。ただ、気になることがあり、相手への譲歩を試みようと思っただけである。
「私たちも、無為にこのような席を設けようと思ったわけではありません」
 ここ数日、ずっと伯爵に対峙してきた鷹通は、神経が磨り減るような修羅場で戦ってきた。
「いえ。私が気にしすぎているのでしょう」
 そうあってほしいと、鷹通は呟く。
「何かあったのかね?」
 傲慢さと泰然さが紙一重の友雅の態度。それでも、伯爵よりははるかにマシ。少なくとも、彼の態度に苛立ちを覚えることはない。まだ、こちらの方がマシだなと、鷹通は肩を落としながら答えた。
「あまり刺激すると、何をするかわからない方なので、このあたりで多少の譲歩をみせておこうと思っただけです」
 しかし、いくら譲歩しようにも、その当人であるあかねがこれほど激しく反応しては、行動する意味はないだろう。
「お騒がせしました。これで失礼させていただきます」
「おや。連れて行ってくれないのかい?」
「火に油を注ぐような真似はやめてください」
 伯爵の態度は硬化するだろう。彼に会うと思うと気が思いが、同時に、あかねを連れて行かなくてもすむと思うと、それはそれでいいとも感じる。
「私もお供します」
 頼久が、鷹通の後ろに続く。
「天真くんは行かなくてもいいの?」
「オレが顔を出すと、あのオヤジはいい顔しないんだよ」
 これは、天真にとっての幸運である。
「それに、このオヤジに用があるんだよ」
 天真は顎をしゃくって友雅を指した。
「と言うわけで、友雅」
「なんだね?」
「そのベビーザラスをすぐに寝かしつけてこい」
「わたし、ベビーザラスじゃないもんっ」
 あかねは異論を唱えるが、天真は聞いちゃいなかった。
「その間、これをオレは片付けておいてやる」
 勝手に友雅のキャビネットから、秘蔵品を抜き取る。決して、自分の給料では手が出せないものばかりを二三本選んでいた。
「ゆっくりでいいぞ〜」
 それだけ飲み干せば、友雅があかねを寝かしつけた頃に戻ってきたとしても、今度は天真がここで気持ちよく眠っていることだろう。
「私にも残しておいておくれ」
「おめーが、さっさとそのチビ恐竜を寝かしてくれればな。さっさと行けや、ベビーシッター!」
「やれやれ」
 すぐにも天真に突っかかって行きそうなあかねを宥めながら、友雅は寝室へと少女を誘った。
 腹芸のできない少女に、脱出計画は漏らすことができない。きっと、大喜びして不自然な態度を山ほど取るだろう。あげくは、仲間たちにさよならを言わないといけないと思い実行する。だが、彼らに伝わった時点で、カウンセラーに伝わる。とてもではないが、そんな危険は冒せない。


 天真の足元には、すでに二本の酒瓶が転がっていた。
「おや。まだ出来上がっていなかったのかい? なかなか強いじゃないか」
 友雅に声をかけられて、青年が顔を上げる。そこには酔いの兆しすらない不敵な笑みがあった。
 悠々と三本目の酒をグラスにあけ、それを掲げて友雅を歓迎する。
「贅沢な奴だよな。あんたの歌を子守唄にして、毎日寝てんのか?」
 あかねが眠っている寝室をしゃくる天真に、友雅は微苦笑を浮かべる。
 それは是であり、また否でもある。
 子守唄であったり、寝物語であったり、または、熱い夜の営みであったり、枕辺の供は多岐に渡る。
「さて。さきほどのあれは、何か問題があったのかい?」
「問題は毎日山積みさ。あれは、伯爵が駄々をこねていて、こっちが振り回されているだけ」
 一口ウオッカを口にし、さらに続ける。
「そんでもってなかなか会わせてもらえないので奴が勝手に切れて、あかねを言い値で買うとかほざき始めやがった」
「ほう……」
 天真の手から酒瓶を取り上げ、友雅も自分のグラスにそれを注いだ。
「で?」
「いつものように、詩紋が慇懃無礼にお断りしていたぜ」
「なんと言って?」
「あかねが『はい』と言わない限り、お前にはくれてやれないってな。以前は、『そんなはした金で話になるか!』って怒鳴りつけてたけど」
「やれやれ。エリアマスターは、最初からあかねを手放す気などないのだね」
「その通り」
 あっけらかんと天真は答え、グラスの中身をちびりちびりと舐め、しばし考えたあと、一気に中身を煽ってしまった。
「美味い」
 やめられない。とまらない。天真はさらにお代わりを続ける。
「君たちが先にプロジェクトを進捗させてくれていたおかげで、ずいぶん円滑にこちらは進んでいるよ」
 天真と頼久が、すでにエリュシオン外での人魚の成育プログラムを組んでいたので、友雅がその計画書を受け取った時点で、すぐに行動を起こせる状態になっていた。
「あんた、ちゃんと中央に申請は出したのか?」
 あかねを譲渡してほしい旨の申請を、関係機関に提出しているのか? と、天真は確認する。
「出した。ことごとく、却下されてるがね」
「引き続き、出し続けろ………」
 一朝一夕であかねが友雅の許へ嫁けるとは天真は思っていない。だが、すぐにも友雅のもとへ行かねばあかねの命はない。
「さて。こういうお役所仕事の申請関係など、時間がかかるのは当たり前のことだよ。こんな無駄なことをさせてどうしようと言うのだい?」
「ルールに則っているふりができる」
「つまり、ルールに則る気はないということだね?」
 友雅は天真の出した結論に慌てない。
「話してもらおうか?」
 顎の前で手を組んで、友雅は拝聴する体制を整えた。そして、告げる方もしらふではいられない。こちらも臨戦態勢は完璧だった。
「実力行使ってヤツだな。いわゆる事実婚とか、占有をもって所有権を主張するってヤツ」
 あかねを無理遣り攫って自分のテリトリーに囲って、エリュシオンの追求を振り切るのだ。
 そして、自分の惑星で気長に交渉をする。
「乱暴だね」
「気に入らねえか?」
「とんでもない。異論などないよ」
 申請が通るまでの間、あかねに別の客を取らされる心配がない。実に簡単でいい。
「リスクが高いって思わねーのか?」
 成功しても失敗しても、友雅の名前は地に落ちるだろう。人魚と駆け落ち。いや、略奪か? さらに、法的に言えば、ただの窃盗である。
「リスク? それは、あかねをここに残して、私以外の男にあの肌を触れさせることかね?」
「問題の趣旨が違うぞ」
「だが、私にとってのリスクとはそれだけでね」
 涼しい顔をしている友雅は、己が名の浄や不浄を気にもとめてない。ただ、あかねの好意のバロメーターだけが、男を慌てさせるのだ。
「色々と準備をしているけれど、どうしてフィリッパーまで必要なのだい? まあ、あの子はルゥークととても仲がよいから、彼は致し方ないとは思うがね」
 他の邪魔者までは欲しくないと、友雅の表情が語っている。
「ああ、あいつらな」
「君の計画書では、最低三頭は必要とあったろう? しかも、ルゥークが雄だから、他の二頭は雌にしろとの指定もあったねえ」
「マーメイドとフィリッパーは共生関係にあるんだよ」
「共栄関係?」
「フィリッパーは、言わばバクなんだよ。マーメイドの悪夢を喰らう」
「バク?」
「アイツ等がエサを食ってるトコ、見たことがあるか?」
「………………」
「フィリッパーは物は食わない。奴らが喰うのは、マーメイドのストレス」
 平たく言えば、感情。
 気持ち良いと思う、そんな意識だったり、悲しいと嘆く、感情。
「マーメイドってめっちゃストレス性の高い生き物なんだよ。フィリッパーが居なけりゃ、一、二年でマーメイドは死体になるぞ」
「……………」
 思わず、友雅は先日のプールでの一件を思い出して少しだけ、得心がいった。
(……ルゥークは食事をしていたのか……)
 あのヘンな行動の意味を友雅はそんな風に受け止めた。
「フィリッパーの輸送が困難なんだよな。とりあえず、ルゥークだけは連れて行って、残りの二頭はコロニーができてからにするかな?」
 ぶつぶつと自分の計画の補正案を呟く。
「で、計画はどうするね?」
 伯爵が予定よりも早く到着してしまったので、こちらの計画にも補正が必要だった。
「あのクソオヤジが調整している間に逃げ出しちまう予定だったんだがなぁ」
 天真が忌々しげに親指を噛む。予定では、まだ一ヶ月以上の時間があった。
「急がせてはいるが、まだ水槽の方は半分もできていないそうだよ」
「やれやれだな」
 当初の予定でもギリギリだった。
 あかねもルゥークも、アクアウィータの水のないところでは生きられない。
 焦燥が表情に浮かぶ天真の前で、友雅はどこまでも涼しげだった。
「というわけで、水族館を一つ買ったのだよ」
「は?」
「施設の総水量は一万一千トン。メインの巨大水槽は、深さ九メートル、最大長三十四メートル、水量五千四百トン。広さはともかくとして、君の言う水量と深さの問題はクリアしているよ」
 天真は唖然としながら、友雅を見やった。
「友雅」
「なんだね?」
「おまえ、機転きくな。つか、いつのまに」
 トラブルが発生して、それに対応する速さが並みでない。
「なに。私の人魚姫のためだからね」
 いくらでも働き者になってみせよう。



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