ブルーマーメイド |
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= 王子様と人魚姫 = |
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* 激しい水しぶきが上がる、それに続くジェットモーター音が友雅を覚醒に促していく。静かな水辺が、とたんに騒々しくなる。 (なんだね……) せっかく気持ち良く眠っていたというのに。ムクリと上半身を起こして、友雅は水しぶきの上がる方角に目を向けた。 友雅と人魚姫が出会った湖は、常の静けさを失い騒然としている。湖上をエアスキーが爆音を上げて飛び回り、一頭の水獣を追いかけて走り回っていた。 エアスキーを駆っている者たちの手には、それぞれにアクアライフルが握られている。 「ずいぶんと物騒だね……」 眉根を寄せながら、友雅は目を細める。そして、追い立てられている水獣を観察した。 (イルカ? いや、シャチか?) シャチにしては少し大きいように見えるし、何だか模様も怪しいような気がする。距離があるので、どうもハッキリしない。 友雅としても、シャチの姿をよく見知っていたわけではないので、その獣とシャチがどんな風に違いがあるのか分からない。ただ、漠然と違うような気がするだけだった。 ただの水獣とエリュシオンの警備隊の追いかけっこならば、友雅も無視しただろう。 (……あれは?) 一際高い水飛沫を上げて、水獣とそれに乗った桜色の髪の少女が飛び上がる。 息を飲むシーンだった。 警備隊の一人が、アクアライフルの標的を水獣に絞る。だが、舌打ちしながら、銃を下げた。水獣の背に乗る少女に当たることを懸念して、手を出せないでいるのだ。 水獣と少女はもの凄い勢いで湖を横切る。 哀れな獲物は、狩人たちの包囲網を絞られながら追い詰められていく。 友雅は弾けるように立ち上がった。そして、少女たちが追い詰められようとしている入り江へと駆け出した。 巨大な水獣は、自由に泳ぐだけの深さのない入り江に追い詰められた。彼はその俊敏性を失っていたが、追い詰められながらも、少女を庇いながら入り江へ入ってくる。 ゆったりと泳ぐ巨大な水獣。もはや、打ち仕損じる心配のなくなった距離で、警備員の一人が、アクアライフルの引き金を引いた。 甲高い悲鳴を上げて、水獣が悶えて身体を岸辺へと打ちつける。 それでも必死に痛みに耐えながら、水獣は水際の水段へ少女を運びおえ、ようやく安心したように身体を痙攣させながら波間に浮かぶ。 「いやーっっっ。ルゥーク! いやーっっっ」 少女は水獣に縋りながら、追い詰めてきた警備隊の隊員たちを睨みつけていた。 「近寄らないでっ!」 少女は敵を威嚇する。けれど、彼らは少女をまったく相手にしていなかった。 互いに目配せしながら、上陸するように指示を出し合う。 人間である彼らが湖に泳ぐことはできない。 一人の警備員が、水際の水段に降り立ち、少女を拘束しようとした。 無造作に少女の肩を掴んだ警備員は、強引に少女を水獣から引き剥がす。 「やだやだやだーっっっ。ルゥーク!」 あかねは必死でルゥークに縋ろうとした。けれど、警備員の拘束の前に、その身体は乱暴なほど無為に引き剥がされる。 「やれやれ。人魚は優しく扱うものではなかったのかね?」 警備員の肩をぽんと叩き、振り返ろうとした相手を無情なことに湖に投げ飛ばす。が、すかさず相手から奪い取ったアクアライフルの発射口を制服の肩のベルトにひっかけ、湖に落ちるのを阻止した。 「このまま落としてしまっても、私はいっこうに構わないのだがね」 そうもいくまいと、友雅は警備員を陸地に引き上げてやる。そして、奪った銃を投げ返し、水際で水獣に縋る少女のもとへとゆっくりと歩を進めた。 「どうしたの?」 泣きながら水獣に縋る少女を、友雅は覗きこんだ。 真珠の涙を盛大にこぼす少女は、しゃくりあげながら友雅を見上げてきた。 「……る……ルゥークが死んぢゃうっ」 友雅はルゥークと呼ばれた水獣を見た。 「殺されたようには見えないのだがね」 そう言いながら、自分たちを包囲する警備員へと視線を向けなおす。 「殺したのかい?」 問われた彼らは顔を見合わせながら、首を左右に振った。 「だろうね」 殺すつもりにしては、この場の空気は殺伐さに欠ける。第一、水獣の傷も浅い。 「眠らされただけだと思うよ」 「……………ほんと?」 涙に濡れる瞳が上げられ、真偽を問う。 警備員の一人がルゥークに近寄ってきた。少女は毛を逆立てた猫のように、友に触れるなと相手を威嚇する。 「大人しくおし。彼も、何もしやしない」 友雅の言う通り、彼はルゥークの容態を診ただけだった。 「やだやだっ。その人に触れさせないでっ」 少女は友雅の腕を抜け出すと、ルゥークに縋って、警備員たちを泣きながら睨む。 「ああ。泣いてばかりいてはわからないよ。どうしたことか教えてほしいのだがね?」 友雅の問いに、少女───── あかねはしゃくりながら説明する。 「……ルゥークが売られちゃうのっ。知らないところへ連れていかれちゃうのっ。ルゥークはどこへも行きたがってないのにっ」 そんなのは嫌々と、あかねは動かなくなったルゥークに縋って泣きじゃくる。 「……………こんなのを買い取るもの好きがいるのかね?」 友雅の問いは、傍らに立つ警備員へのものだった。 そして、その問いを向けたときに、湖から別組の追跡者が到着した。 「あかね!」 ボートから水段に降り立ち、天真はあかねとルゥークの側に駆け寄った。そして、フィリッパーの様子を診て、頷きながら大きく吐息をこぼす。 「大丈夫。異常はない。寝てるだけだ」 あかねは泣き笑いを浮かべ、喜びを表す。 ルゥークの身体を撫でて労わるあかねの傍らに、友雅は膝をついた。 「これと離れたくないの?」 友雅の問いに、あかねは大きく頷く。 「これじゃないわ。ルゥークよ。ルゥークは、わたしの大事なお友だちなの」 泣き濡れる少女に頷き、友雅は後から現れた天真に向き合った。 「ルゥークとやらを買い取ることは可能なのかね?」 「……………まあ、一応は。売買契約が進んでるみたいだけど」 唐突な問いに、天真は戸惑いながら答える。 「では、私はそちらの言い値で、これを買い取ろう」 「は?」 天真は唖然としながら友雅の顔を見た。 「そして、こちらの姫君にお贈りしたら、問題はなくなるのではないかね?」 友雅の申し出に、あかねも天真も目を丸くしていた。 「……………え。でも、もう先約で決まってるみたいだし……」 戸惑う天真に、友雅はピシャリと反論を封ずる。 「どうにかしたまえ。君も、この子をこれ以上泣かせたくはないだろう?」 あかねはしゃくりあげる呼吸を整えながら、友雅を見上げる。 「ルゥーク……どこへも行かないの?」 「そうだよ。ルゥークと君が望まない限りね」 驚きの眼で友雅を見上げるあかねの両脇に手をさしいれ、腕に抱きながら立ち上がる。 「もう泣かなくていいのだよ、小さな人魚姫」 戸惑いながらあかねが問いかけた。 「……………どうして、どうしてそんなことしてくれるの?」 「命の恩人への恩返しでは納得できない?」 夕暮れに染まったせいで、少女の髪は薔薇色に見えていたのだろう。 柔らかな桜色の髪を撫で梳いて、友雅は目を細めながら応えた。 「君は、名前も教えてくれずに立ち去った」 「…………………………」 数日前の邂逅は、あかねも覚えている。 戸惑いながら男を見上げる少女の背中ごしに、悲鳴に似た声で名が呼ばれる。 「あかね!」 あかねと呼ばれた少女は、声の主を振り返る。友雅の視線もまた、少女に続いた。 鷹通の登場に、友雅は小さく目を見張った。だが、すぐに楽しげな笑みを浮かべる。 「やあ、ドクター」 「友雅殿」 息を切らせながら鷹通は、二人のもとへたどり着いた。 「素敵な偶然だ。この小さな姫君が、私のパートナーなのですね」 あかねが小首を傾げながら男を見上げる。そんな少女の戸惑う瞳に、友雅は優しく微笑みを向けた。 「よろしく、あかね。私の名は、友雅というのだよ」 その名は、あかねも聞いたことがあった。 「……………ともまさ、さん?」 「そう。君のパートナーになる男だよ。仲良くなろう。私も、君と友だちになりたい」 * 友雅に与えられた長期滞在用のコテージには、人魚のための湖の水を引き込んだプールがある。 今、そこには、巨大なフィリッパーと彼から離れない人魚が一人。 人魚は水獣とぴたりと寄り添いあいながらも、その視線は、じっとテラスのカウチに寝そべる友雅に釘付けだった。だが、友雅がちらりと少女に視線をくれると、慌てて水の中に隠れたり、水獣の影に隠れたりする。 薔薇色に染まるアクアウィータの夕暮れの中で、少女の髪は、夕陽に染まり薔薇色の輝きを映していた。 さて、どうやってあの警戒心が強くなっている人魚姫とお近づきになったものか? 友雅は、そ知らぬ顔をしながら新聞に目を落としているが、内心は少女のことばかり考えている。 人魚の保護者たちは、揃って始末書を提出しに、中央センターへ出かけている。本当は、あかねと友雅の間の緩衝材として誰か側についているべきだと、天真という青年が口を出していたが、友雅はちょうど良いこの機会に二人きりにしてもらった。 邪魔者はいらない。 が、残念ながら二人きりにはほど遠い現実があった。少女はルゥークをおいて友雅のところへ行くことを強く拒んだからだ。 急遽、友雅の滞在するコテージのプールを使用できるように調整し、なおかつ、適切な治療をほどこし半覚醒状態の水獣と、それから離れない人魚を招き入れる。 短くない時間の間に、水獣は完全覚醒し、今は元気に友雅のプールで泳いでいる。あかねもそれに付き添ってプールから出てこようとしない。そして、友雅のことが気にかかるのか、ちらちらとその熱い視線を向けてくるのだ。 「……やれやれ」 ぱさりと、友雅は新聞を傍らに置いた。どうせ、開いていても一文字も読めていない。 どうしたものか? 手も足も出ない状況に、いささかの閉塞感を感じていた。 さきほどから、プールでは水獣の甲高い泣き声が上がっている。狭くて嫌気をさしているのだろうか? 傍らに寄り添う少女に、水獣はぴぎーっ、プギーッと鳴きかける。 「だからね、ルゥーク……」 「でもね……」 「そんなこと言わないで……ルゥーク」 まるで、水獣と言葉を交わしているかのような少女の呟きが耳に届いた。 「君は、その獣と話が出来るのかい?」 とうとう痺れを切らした友雅は、プールの水際まで歩み寄っていた。 あかねはビクリと身体を硬直させながらも、ルゥークの後ろへ慌てて隠れる。 友雅はプールの縁に腰掛けて、足を水につける。感触は普通の水にしか感じられない。けれど、この水は友雅の身体を底へと引きずり込んでくれる。 友雅が不思議な水を掬っていると、ルゥークが足元へ擦り寄ってきた。そして、顔を上げて、プギップギッと鳴いてきた。 「豚のような鳴き声だね」 もしかして、自分は呼ばれているのだろうか? 友雅は顔を上げて水獣を見つめる。つぶらな瞳が興味深そうに自分を見上げていた。そして、彼の背後からこちらも好奇心に負けたのか、顔をひょいとのぞかせて小首を傾げながら小さく呟いていた。 「……ぶた?」 ルゥークを間に挟んで、友雅とあかねの視線が優しく絡まる。 「それは、なあに?」 好奇心に勝てない少女が、友雅を見上げながら問いかけてきた。 「ああ。ここには居ない生物なのだね」 地表を占める割合がわずか三パーセントにも満たない水の惑星……アクアウィータ。ここに陸上生命体は少ないだろう。あかねたち人魚は、亜陸上生命体に入る。陸上生活だけは生きていけないし、また、水中においてもそれだけでは生きていけない。 「まあ、ぶたも色々と種類がいるからね。口で説明するのは難しいかな? サイズにも、大小あるしねえ」 友雅は思案する。 「少し待っておいで」 そう言って、友雅はコテージの中へ消えていく。そして、戻ってきたとき、男の手にはモバイルの端末があった。 さきほどと同じく、プールの縁に腰掛けて端末を開く。 「ぶたはこんな生物だよ」 目的のページを検索し、友雅はあかねを招き寄せる。 少女は、少しばかりの警戒心を見せたものの、ぶたなる生物が気になるのか、一瞬の逡巡のあとに、男の側へ泳ぎ寄る。 友雅は端末の画面をあかねの前に開いてやった。 水面に浮かんだ人魚と水獣が、どちらともなく顔を寄せ合って、画面に映るぶたを見ている。 「可愛いっ」 あかねは喜びながら、その桃色の生物を見た。 「気に入った?」 「このこたちは、友雅さん家にいるの?」 嬉々とした瞳が、くるくると輝いている。 「……残念ながら、私の家にはいないよ」 友雅に、豚を飼う趣味はない。ちなみに、それ以外のペットも以下同文だ。 「じゃあ、友雅さんの家の近くにいる?」 「……………さあ? 見たことはないねえ」 ぶたが放し飼いにされていれば、それはそれで問題があるだろう。だが、そんなことは、夢見る少女にはいわなくてもすむことだ。 「近くにいないのに、友雅さんはどうしてぶたのことを知っていたの?」 「まあ、近くにいなくても、知る方法はいくらでもあるしね。簡単な方法は動物園にでも行くことかな?」 「どうぶつえん? なあに、それは?」 「珍しい生物が多く集うコミュニティの一つだよ」 「ぶたは珍しい生物なの?」 「珍しくはないね」 「でも、どうぶつえんは、珍しい生物がいるところなんでしょう?」 「…………………………」 なんと説明したものか? 友雅は困り果てる。こんな質問が向けられるとは考えてもいなかった。だが、互いの文化の差異を考えれば、少女の疑問と質問は驚くようなことではない。 答えあぐねている友雅に、新たな質問が重ねられる。少女の好奇心が答えを待つことができなかったのだ。 「ぶたって、どんなコたちなの?」 「どんな子……と言われてもねえ」 まるで、友達の性格を聞くかのように問われても、友雅も困る。ぶたに知り合いはいないし、知己のそれもない。唯一、友雅の知る人格のあるブタと言えば、これだけだろう。 「ブー、フー、ウーという三兄弟のぶたがいたねえ。上の兄たちが怠け者で、末っ子のぶたが思慮深く働き者だったかな?」 記憶の紐を解く。だが、あまりに遠い昔に聞かせされた童話であるので、記憶が曖昧だった。 「ぶー? ふー? うー?」 そう言いながら、あかねが泳ぎながらいざり寄る。少女の手は、友雅の座る水辺の縁にかかった。 「三匹のこぶたという物語があるのだよ」 友雅がそう言ったところで、少女はさらに近寄ってきた。 「お話して」 「え?」 少女が触れられるほど側に寄ってくるのを嬉しいと思う反面、難しい要望を突きつけられて、男は内心で困り果てていた。 はてさて、三匹のこぶたの話を、自分は覚えているだろうか? 友雅は自身の記憶の図書館から、消去されかけているファイルを引き出し、ブー、フー、ウーの三匹のこぶたの兄弟たちの話を、あかねに話してきかせるのだった。 いつしか、少女は水から上がり、友雅の側にちょこんと座り込んでいた。 記憶が曖昧なところは適当に誤魔化しながら、友雅はなんとかハッピーエンディングまで物語をもっていくことができた。 ほっと肩を下ろしてあかねを見やると、幸せそうな笑顔を満面に浮かべた少女のそれが、友雅の視界に入ってきた。 「ご満足かな? 姫君」 「とってもステキ。友雅さんは、お話が上手ね」 「こんな話はお好きかな?」 「好き。とっても面白いわ」 友雅の膝にいざり寄り、少女の手が男の膝におかれた。そして、甘い瞳が男を見上げて、期待に満ちたおねだりをしかけてくる。 「もっと他にないの?」 「今日はこれで勘弁しておくれ。近いうちに、君に良いものを取り寄せてあげよう」 友雅は苦笑した。このまなざしに対抗できる術は少ない。 「いいもの?」 待ちきれない子供は、さらに男に近寄っていく。 「童話集を取り寄せてあげるよ。もっと面白い話がたくさん入っているよ」 「童話集?」 「私が今、話してあげたような物語が集められた本だよ」 「友雅さんが話して聞かせてくれるのがいいわ。それに、今、話してほしいもの」 お願いと詰め寄る少女に、友雅は戸惑う。 「……………そう言われてもね。私もあまり覚えていないのだよ」 相手を困らせているのに、ようやく気付いたあかねが、しぶしぶと男から身を退いた。 「その本、友雅さんが読んでくれるの?」 「君がお望みなら」 とたんに満面の笑顔になるあかねに、友雅も釣られる。この笑顔を前に、断れる男はいないだろう。 クキューッと甲高い泣き声が響く。 ルゥークのことを思い出した少女はあわててプールへ飛び込んだ。そして、寂しがっている友の側に泳ぎより、その身を摺り寄せる。 友雅もまた、一抹の寂しさを感じていた。 今、このときまで自分の側にいたのに、巨大な水獣に大事な人魚姫を奪われてしまった。 肩肘をつき、人魚と水獣の戯れを見守る。 なんと羨ましい光景であることか。 「友雅さん!」 「なんだい?」 「ルゥークを助けてくれてありがとう。ルゥークも、ありがとうって言ってるわ」 「そうかい? 別に礼には及ばないよ。むしろ、私が君に返せぬ恩義があるからねえ」 「じゃあ、ルゥークにも感謝してね。このコを探しにきたときに、友雅さんを見つけたんだもの」 「ほう……」 すでに、あのときには、この水獣は捕らえられていたようだ。そして、少女はその場所を確認するためにあの湖に泳いでいたらしい。 「たっぷりと感謝するさ」 少女と出会わせてくれた水獣に。そして、この運命にも。 夜がゆっくりと深まっていく。 警戒心を解いたはずであった少女が、夜の深まりとともに、友雅に距離を置くようになっていた。そして、近くなく、また遠くもない場所から、ちらちらと男の動向を探るような視線を向けてくる。 「どうしたのだい? そろそろ眠らないで大丈夫なのかい? もう、夜も晩いよ?」 訝しげに問うと、少女は小さく首を振る。いや、さらに不思議そうな視線を友雅に向けてきていた。 「私に付き合って晩くまで起きていないでいいのだよ?」 友雅に早寝早起きの習慣はない。 だが、目の前にいる少女の生活習慣は、健全そのものだと思うし、何よりも、昼間、あれだけの冒険活劇をしたのだ。きっと、疲れて眠くなっているはず。 「……………でも」 戸惑う少女が、友雅を探るように見上げてきた。 「ん? どうしたのだい?」 腰を屈めて、少女の視線に高さを合わせる。すると、躊躇いがちな瞳が友雅を捉えた。 言うか、言うまいかと、迷っている少女の内心の葛藤が見えてしまう。勇気がしぼんだのか、あかねは俯いてしまった。そんな少女の頭に、友雅の手が延びた。そして、優しく撫でてやると、戸惑いながらも少女の視線が上がり、男を再び捉える。 「……しなくてもいいの?」 恐々と尋ねてきた言葉。少女がそれを厭い、怖がっているのは、その眼差しと態度でありありと解る。 こんな小さな子供をどうかしたいと思うほど、友雅は餓えてはいないし、何よりも、女に不自由していない。さらに言えば、そうすることで自分の身体を癒すために来たが、友雅は己の傷の快癒などどうでもよかった。 「君は気にしなくていい」 ただ、あかねのことを可愛いと思っているし、気に入っているのは確かだが、そこには男と女の生々しい感情は介入していない。 目の前にいるのは、守られるべき小さな子供。そして、友雅の退屈に膿みきった心を刺激する興味深い存在だ。 自分に娘がいたら、こんな気持ちになるのだろうか? と、埒もないことを考えたりもしてしまう。 「……………叱られちゃう……」 「誰もあかねを叱ったりなどしないよ」 友雅は震えるあかねを片腕に抱き上げる。少女は目に見えてビクリと身体を固くさせた。あきらかに、友雅を警戒している。 リビングから寝室へと移動し、ベッドの上にあかねを転がした。 「さ。眠りなさい」 半信半疑な瞳が友雅を見ている。 「子供には、夢を見る時間が必要だよ」 少女をベッドに横たえ、その傍らに自らも横たわる。 「さて。寝物語はどんな話がいいかねえ?」 だが、友雅の覚えている童話のストックは少ない。 困ったように苦笑する友雅に、少女が口を開く。 「……………あのね……人魚姫のお話をして……」 少女にリクエストに友雅は目を丸くする。 「あれがいいのかい?」 あかねはこくりと頷きながら、毛布を引き上げて顔を半分隠した。 「また泣いてしまうよ?」 「……いいの」 「よくないよ」 あかねがよくても、友雅が承服できない。 「やれやれ。めでたし。めでたし。で終わる物語の方がいいのではないかな?」 だが、哀しいかな、友雅も童話などうろ覚えで、寝物語に語ってやれるかどうかが、すでに怪しい。 「……ダメ?」 小首を傾げてのおねだりに、友雅は苦笑する。こんな表情でおねだりされたら、なんでも叶えてやりたくなってしまう。 「ね? ぜったいに泣かないから」 「そんな約束はいらないよ」 友雅はあかねのまなじりに小さなキスを落とす。 「泣きたいだけ泣きなさい」 我慢をすることはない。哀しいときには、哀しいと泣く。嬉しいときには、心から喜び笑えばいいのだ。 「明日の夜は、幸せな物語を用意しておいてあげよう」 人魚姫の物語よりも、少女の気を惹ける物語を用意しよう。 * 何事もなく、瞬く間に二週間が過ぎ去った。本当に何も起こらなかった。あかねと友雅の奇妙な生活は平和に続いている。 仲良く過ごすことがほとんどだが、衝突しないわけでもない。 微妙に頑固な少女と、生活スタイルが確立してしまっている個人主義な男の間では、交わらない一線というものが存在する。それは、衣食住に関することが多く、どちらもひかない。 だが、どんなにケンカをして、ブツブツ文句を言っていても、お互いを視界の内にいれながら、好きなことを互いにしている。あかねは日がな湖で遊び、友雅は湖畔で昼寝をするか、仕事をしている。 そして、和やかな二人の関係に周囲は安心しきっていた。 が、ある日、鷹通は医療班から、友雅が何一つ治癒されていない経過について説明を求められ、驚いていた。 「なんですって?! 全然癒された形跡がないですって? そんな馬鹿な……」 あの二人は毎日、毎夜、同じ部屋で眠っているのだ。訪れた日からそれこそずっと。それこそ、昼も夜も。それなのに、何も効果がないなんて考えられない。 カウンセラーとして二人の様子を見る限り、不審な点はない。むしろ、今までになく良好な関係を築いているように見える。 鷹通としては、あかねは長期の癒しに向いているのかもしれない。そちらの専門に転換するものいいかもと考え始めていた矢先のことだった。 だが、現実は大きく違った。医療班からは無常な検査結果を指し示されている。 「事実です。どうしたのですか? いくらなんでもこの数値は酷すぎます。これでは自然治癒レベルの癒値でしかない。早急にどうにかして下さい」 どうにかしろと言われても、こちらも困る。鷹通は途方にくれるしかない。理由なんて鷹通が聞きたいくらいだ。 「一応、医療班の権限でリカバリーを受けさせるように手配しました。メディカルセンターのリカバリーシフトへ、マーメイドを連れて行くように支持を出しています」 「あ、はい……」 ご丁寧にも、その医療担当官はリカバリーの予定まで組み込んでくれている。 「それでは、早急に原因解明をお願いします」 「はぁ……」 用が済んだら、さっさと退場する医療官。その後ろ姿を見送りながら、鷹通は漠然とした不吉な予感を感じていた。 いったい何が起きているのだろう? 早急に原因を突き止めなければならない。リカバリーついでに、あかねのメディカルチェックもさせておこう。鷹通もまた、メディカルセンターへ急ぐことにする。 十中八九、あかねにリカバリーを受けさせようとしている担当者は苦労しているはず。 あかねのリカバリー嫌いは並みじゃない。鷹通のマーメイドは、ワガママさにかけてはエリュシオン一だと自負している。 素直でいい子だが、ことヘソを曲げると、医療官吏たちに扱えるほど可愛げのある子供じゃなくなる。 間違いなくそのお鉢はあの二人に回っているのだろう。これは予感ではなく、確信でもあった。 |
展示室≫ | ||
Cream Pink / 狩谷桃子 様 |