*
エリュシオンは四つのエリアに別れて、それぞれに独立して運営されている。
東西南北の名を掲げる統括長(エリアマスター)をトップに、それぞれが研究し、育てるマーメイドたちの能力を競い合っているのだ。それは、出生率であったり、治癒能力であったり、耐久力であったり、顧客たちの質であったり。個々のエリアがしのぎを削って、さらなる高みを目指していた。
幼生体『あかね』の最終報告書を読み終わり、南のエリアマスターが、その天使の顔に笑みを浮かべていた。
「相変わらず、可愛いねー」
カードから立体投写する少女の姿が、テーブルの上に映されている。
「くすくす。カウンセラーたちを出て行かさないために、ここまでしたの?」
天真たちの靴を隠すことに始まり、あげくに、ハンスト。泣き落とし。人間の子供の第二次成長も真っ青の反抗期にまで突入。少女は思いつくかぎりの苦肉の策を弄したようだ。
あかねが起こしていた一連の行動を思い浮かべながら、金髪の美少年は報告書を提出しに来たカウンセラーを労う。
「お疲れさま、鷹通さん。これでようやく、『あかね』も一人前だね」
「……」
「それにしても、羨ましいなー。こんな面白い子が側にいたら、毎日、飽きないよね。ボクもまたカウンセラーに戻ろうかな」
「詩紋殿」
気楽なまでに明るいエリアマスターのノリに鷹通は軽い目眩を覚えた。
「詩紋殿。貴方は、仮にもエリアマスターなのですよ。いま少し、真剣みが足りないのではないでしょうか?」
「失礼だな。ボクはいつでも、真剣勝負ですよ? それに、可愛いものは可愛いのだからしょうがないよね」
「あかねはオモチャではありません」
「もちろん。オモチャであるはずがない。南の大事な金の卵だよ」
憤る鷹通を制する少年の瞳は、冷徹なほど怜悧に輝いている。
「面白い育て方をしたよね。好事家が喜ぶだろうな」
嫌よ。嫌よが、好きなのよと、思っている変態は世に大勢いる。
「ま。この子は、苦労するだろうけど」
他人ごとのように呟く詩紋に、鷹通は憤る。
「勝手なことを言わないでください」
「そう? でも、この子をこんな風に育てたのは、君だよ、鷹通」
そう言われた青年は、思わず言葉に詰まって息が止まる。彼の言う通りで反論する術を封じられてしまった。
「ふふ。君、若いね」
詩紋は皮肉げな笑みを浮かべ、鷹通を見ていた。
エリュシオン四大統括長が一人、南のエリアマスターの名を継ぐ少年は、幼く見えるのは外見だけ。その実年齢は老年の域に達している。
「ま、ボクも、この子がどんな風に育つのか興味があったから、黙って見てたけどね」
南の利益にならないと判じた時点で、鷹通をあかねのカウンセラーから引き摺り降ろしていただろう。
「さしあたりの問題は、この自我の強さに比例して、精神面も強靭であってくれるとありがたいんだけどね。メンタル面が弱いと、マーメイドって、ほら。すぐに病気になっちゃうから。仕事にもらないし、お金にもならないんだよね」
まして、成人前のマーメイドなど、ただの金食い虫以外のなにものでもなく、特に、あかねは別の意味でもプロトタイプ(試作品)でもある。
今、南の科学力が持てるだけの新技術が、少女にはほどこされている。受精する前段階から、少女の開発は始まっていたのだ。
「リカバー率は?」
リカバー率というのは、マーメイドが持つヒーリングスキルを示す。
「試作段階では、二十五パーセント」
「血? 骨髄液?」
「ただの唾液です」
ピュ〜と、詩紋が口笛を吹く。
「すばらしい」
体液を一言で括るにしても、分泌させる場所や、ものには違いがある。
マーメイドたちのもっとも濃い命のエキスは、骨髄液だ。次いで、血。
だが、それらを人間に処方するには、リスクが高すぎる。マーメイドは生かさず、殺さず飼わねばならない。だが、それはとても難しい。おかげで、需要に供給が追いつかない。
「では、この子の愛液は?」
「試作試験時に、四十一パーセント」
「凄まじい。試作試験時で、四割? では、実行段階でどれほど跳ね上がるか楽しみだ」
だが、現状では、マーメイドたちのセックスの回春率の平均は、八パーセントから十一パーセント。彼らのヒーリングスキルは、あかねの半分にも満たない。効果が薄いため、相応の結果を得るためには、長期でじっくり何度も施術をほどこさねばならない。もしくは薬剤などでマーメイドのスキルを一時的に上げてやるしかない。
「あかねこそ、エリュシオンが求めていた人魚姫だね。まさしく、性奴の名に相応しい」
血肉ではなく、まさしくその肉体を差し出す。
「詩紋殿!」
鷹通の憤るような批難の言葉など、詩紋の耳には届かない。彼もまた、生粋の科学者なのだ。そう。彼こそが、エリュシオンが誇る生化学の天才。『あかね』を創りだしたのは、彼自身なのだ。
「本当は、ボクが育てたかったんだけど、ボクが育てると面白味のない性格に育てちゃうからなぁ」
強力なマインドコントロールで完全な人形にしてしまう。それでは、面白味がない。だからこそ、感受性の高い鷹通たちを詩紋は選んだ。
「たぐいまれな人魚姫のデビューには、やはり、相応の相手ではないとね」
詩紋はあかねのホログラムをじっと見つめ、とうとうと呟く。
「この子の回春能力と、治癒能力が見たい」
文字通り、相手を若返らせる能力と、怪我や病気を治療する能力だ。
「設定タームを短くしよう」
一晩。もしくは、二晩。それで、どこまで相手を回復させられるか?
「被験者としては、じじいのがいいよね。分かりやすいもの」
詩紋は他人事のように、くすくすと笑っている。
「この子の一番最初のリーダーは、ユーグ・ローライデ公にしよう」
「なっ!」
驚愕する鷹通に、詩紋は薄い笑みをむける。
「どう? 被験者としては、彼以上の男はいないと思うけれど」
鷹通は首を振る。否。彼以上に、最悪なパートナーはいない。
「やめてください! あんな男にあかねを託せば、あかねが壊されてしまうっ」
「マーメイドの祝福が、あの男に若返りの効果をなさなくなって久しいのはご存知でしょう? なまじの人魚では、あの男を癒せない」
長い年月にわたっての、マーメイドたちとの荒淫により、ユーグの身体はその効能を受け付けなくなってきている。どれほど人魚たちを抱いても若返らない身体に、男が焦りと憤りを、人魚たちに向け始めたのは、何時の頃からか?
「金払いはいいし、秘密を知りすぎた男だから無碍にもできないんだよね。それに、どちらにしろ、今度、あのオヤジを接待するのは南の持ち回りだし」
唇に指をあて、詩紋は一石二鳥だと嘯く。
「詩紋殿!」
「まあ。うちの虎の子を貸し出すんだから、大事に扱えとは言っておくから。むしろ、あの子を損なえば、二度と、あのじじいにマーメイドは都合しないと脅しておけば、そこまで酷いことはしないんじゃないのかな?」
「しかしっ」
そんな曖昧な返答では、鷹通としては承服しかねる。だが、彼のもちうる権限は低すぎた。
「あかねがマーメイドである以上、待ち構えている運命は変わらない。これは避けられないことだ。ローライデ公だろうが、他の男だろうが女だろうが、あかねがすることは一つ。彼らが求めているものは生易しいものじゃない。そして、その甘美な果実を与えられるのはあかねだけ」
「詩紋殿ッ」
「それは、マーメイドしか与えられない果実だからね。誰も変わってやれない」
もちろん、君にも……と、詩紋は鷹通に釘を刺した。
「ま、最初が肝心とは言うけどさ、初めが酷いと後が楽になるかもしれないし」
よく考えているでしょーと、自慢する詩紋の隣を、鷹通は擦り抜ける。
「帰るの? じゃあ、異論はないと受け止めていいんだよね?」
「私たちが、貴方相手にどれだけの異議を唱えることができるというのです?」
もともと、鷹通たちに拒否権はない。
「あかねの報告は終わりましたので、もうここに居る必要はないと思います」
そう言った鷹通の足は、出口へと歩を進めていた。
「そう? じゃ、おやすみ。良い夢をね」
ニコニコとほほ笑みながら詩紋は手を振って鷹通を送った。彼が詩紋を振り返ることはない。
鷹通の背中に、詩紋は小さく呟く。
「……あかねを天使でいさせたのは、君らだよ」
ここは、天国じゃない。むしろ、地獄に近い場所。
「いっそ、何も知らず。何も考えない方が幸せかもしれないのに。まあ、ボクはそんなことは望んでなかったけどね。あかねを育ててくれて、ありがとう。君のその才能が妬ましいよ、鷹通……………」
幸せの概念は、人それぞれだ。そして、人魚たちもそれぞれなのだろう。
だが、人魚の幸福が、この楽園にないことだけは確かだ。
「ねえ、人魚を助けたければ、いっそ人間をすべて殺しつくすしかないと、ボクは思うんだ」
あかねを大切にするだけ、傷つくのは分かっていた筈だ。それでも、選んだのは彼らだ。詩紋はそんな輩に同情などしない。
「馬鹿だよね。鷹通も天真も……それに頼久もね。そして、ボクもかな」
解っていて放置したのは、他ならぬ自分自身。あかねのためを思えば、カリキュラムをいくらでも訂正させることはできたはず。
だが、詩紋はこれこそを望んでいた。
人魚たちがいきつく未来を知りたいと、思ったのは何時頃だろう?
「君は、どこへいくの? どこまでいけるのかな? ねえ、あかね?」
人魚の未来はどこにあるのだろうか?
*
キラキラと眩い朝の輝きが、あかねの目蓋の上に差し込む。カーテン越しにユラユラと揺れるその光に、少女は一瞬見惚れてしまうが、次の瞬間、思い切りよくシーツを蹴ってベッドから飛び起きる。
見たこともない部屋に、あかねは戸惑いながら、思わず、心細くなって自分を庇護してくれる男の名を呼んでいた。
「鷹通さんっっっ!」
開いていた扉から、見慣れた優しいほほ笑みが入ってきた。
「おはよう。あかね、よく眠れましたか?」
あかねはコクンと頷く。
「おはよー、鷹通さんっ。それより、ここドコ?」
キョトキョトと周りを見回しながら、あかねはカーテンを跳ね除けて窓の外を覗いた。
「ここ………」
「そう。あかねの新しいお家だよ。あちらのフラットは成人前のマーメイドのものですからね。ここは、大人になったあかねの為の家ですよ」
人工湖が以前の何倍も大きくなっている。対岸が遠い。そして、湖にはいくつもの島が浮かんでいる。
視線の先には自分よりも年が上であろう、マーメイドたちが中ノ島で水を跳ねている。
あかねの視線の先で、一際高い水しぶきを上げて水獣がジャンプ。その雄々しさに少女は目を奪われた。
「すっごい……」
「ああ、フィリッパーですよ。あかねは見るのは初めてですね」
あかねが今までいた人工湖にはフィリッパーは放されていなかった。出来るだけ、危険から遠ざけるために子供の人工湖には子供の頭ほどの体長の獣しか放されていなかったのだ。
「ねえ、鷹通さん! 外へ行ってもいい?」
好奇心に燃える瞳がくるくると色を変える。
「え? それは、出かけてもいいですけど。まず、食事をとってからにしましょう。それに、危険なことをしてはだめですから、後でメローズに案内を頼んでみましょう。だから、今は大人しくして……」
「えーっっっ」
不満タラタラにあかねは鷹通のエプロンを掴んだ。
「何もしないから。危ないことなんてしないからぁっっっ。ね? 行っていーでしょ?」
「あかね。お昼からでもいいでしょう? 起きたばかりではありませんか」
「ヤダ、ヤダっ。朝が一番キモチいーんだもんっ。ほら、見て見て。みんな、集まってる」
ソワソワと外を気にするマーメイドにこれ以上の静止はムリだろうと、鷹通は諦めかける。でも、
「せめて、食事をしてから……」
と、鷹通は最後の条件を出そうとしたが、敢えなくそれも無駄なお願いとなる。
「あかね。迎えに来たわよ」
窓の外から、一人の少女がひょいと顔を覗かせる。
「蘭」
ビショビショに濡れたままの少女が、湖からあかねを呼びに来たのだ。
「やあ、久しぶりですね、蘭」
「おはようございます、鷹通さん」
ニッコリと微笑む少女は、やっと自分に追い付いた少女に手を差し伸べる。
「待っていたのよ、あかね。早く、行きましょう。みんな、待ってるわ」
新しい仲間が、新しい妹を待っている。
「行っていい?」
返事を聞く前にすでに身体は窓から飛び出している。もう、何を言ってもムダだろう。
「分かりました。気をつけて行くのですよ。お腹が空いたら帰って来てくださいね」
「うんっ」
元気良く駆けていくあかね。迎えにきてくれた少女の手を取って、二人は湖に一目散に走っていく。
微笑ましい幼い子供の後ろ姿。鷹通は二人の影が湖に吸い込まれる瞬間まで、その窓から二人を見守った。
(……このまま時が止まればいいのに………)
こんな幸せな時間が続けばよいのに。
心地よい水があかねの身体を受けとめる。
(やっぱり、気持ちいいー)
グンと足を蹴って、あかねは自由自在に水の中を舞うように泳ぐ。
見慣れぬ新入りに興味をもったフィリッパーたちがあかねの側へ泳ぎより、少女にピッタリとついて平行して泳いだ。
≪名前は?≫
あかねはシャチに似た流線型の新たな友達に念話をおくる。すぐさま新しい友達はあかねの問いに答えてきた。
≪るぅーくダヨ キミノ ナマエハ?≫
綺麗な水獣の瞳があかねを映す。見たこともない水獣はとても友好的にあかねを迎え入れてくれた。
≪わたしはあかね。よろしくね、ルゥーク≫
ルゥークに泳ぎ寄って、あかねは彼の背びれに手を掛けた。
≪ヨロシク あかね アソボウ あかね≫
ルゥークの泳ぐスピードが早くなる。けれどあかねはそれに振り落とされない。それどころか、ルゥークの背に跨がって、
≪跳んでっ、ルゥーク!≫
≪ワカッタ あかね ツカマッテ≫
綺麗な弧を描きながら、あかねとフィリッパーは空を舞う。
「きゃ〜っ♪」
あかねの喜びの声が湖に木霊した。
中の島でそんな彼らの戯れあいを、年嵩のマーメイドたちが微笑ましげに見つめている。
「あれが、あかねなの? 蘭」
「ええ。お姉さま」
「可愛いわね。とっても元気」
「ええ、あかねはいつも元気なの」
ニコニコと蘭の同意をするのは、二シーズン前まで、あかねたちと同じ湖にいた、人魚。彼女も楽しげにあかねを見つめている。
「でも、来たばかりでルゥークのお気に召すなんてすごい子ね。フィラーラ、おまえも行きたいのではなくって?」
傍らの水面から顔を出していたフィリッパーが肯定するように、クキュっと一声鳴いた。そして、スッと水に潜ると、物凄い速さで水際で遊ぶ二人の許へと近付いていった。それに続いて他のフィリッパーたちも後を追う。
「あら、あら。フィラーラだけでなく、他のみんなまで…」
ほうっと、マーメイドたちがことの成り行きを見守る。
あかねの周りでフィリッパーたちが飛びかう。
その雄姿にあかねは怯えるでなく、手を叩いて大喜びしながら彼らの輪に入っていった。
一際大きなルゥークが、あかねを背に乗せてジャンプをする。それに平行してフィラーラとカイエも飛んだ。
しなやかな黒と白の体色が朝日に輝いて金色に移る。その背に乗るあかねの桜色の髪も朝日を受けて金に輝いた。
「……綺麗…」
「フィラーラ! ルゥーク! 連れてきて。あかねを連れてきて」
思わず、メローズは叫んでいた。
美しく泳ぐマーメイドに感じたデジャヴ。自分たちが無くして久しい、生命の輝きを、あかねに感じたのはメローズだけではない。
フィラーラは美しい自分の主人に命じられて、彼女の望みを叶えるべく、あかねを乗せて泳ぐルゥークの横腹に寄り添った。
「ああ、ごめんなさい。待ってくれてるのね。すぐに、みんなのところに行くから」
つい、遊ぶことに夢中になって仲間を忘れていたあかねが、慌ててルゥークの背から飛び降りようとした。
水を蹴って中ノ島を目指す。だが、あかねの下から回り込んだルゥークが、再びあかねを背に乗せた。
「ちょっと、ルゥーク!」
自分は仲間の所へ行くのだ。後で遊んであげるからとあかねはルゥークに語り掛けた。だが、彼から返ってきたのは、
≪ボクガ ツレテイッテアゲル≫
グンッとスピードを上げて、ルゥークは中ノ島へ向かっていく。
「ありがと」
彼の背をポンポンとあかねは叩いて、自分よりもはるかに早く泳ぐ友達に感謝を捧げた。
新しい仲間は桜色の髪をした子供。
まだ何も知らない小さな子供。
湖から戻ったあかねはフラットに戻ってくるなり、
「鷹通さぁ〜ん、お腹すいたぁーっっっ」
バッターンと、キッチンへ転がり込んでくるなり、あかねはお腹を押さえて鷹通を見上げる。
「まったく、こんなになるまで遊んでいたのですか」
呆れてあかねを見下ろす鷹通ではあったが、すでにその手にはあかねの為の朝食のプレートがある。
「だって……楽しかったもん」
「はいはい。皆と仲良くなれてよかったですね。はい、朝ご飯ですよ」
「わぁーい♪」
直ぐさま椅子に座って、あかねはプレートの中を覗く。ホカホカのほうれん草入りココット。マッシュポテトはフワフワ。こんがりトーストにたっぷりバター。極めつけの苺ミルクはつぶし具合が最高だ。
「いっただっきまーす」
「はい、召し上がれ」
「鷹通さん、いちごジャムも」
もぐもぐぱっくん。一生懸命に頬張りながらあかねは手を出した。
「トーストにはバターがついているでしょう」
「ヤダ、いちごジャムも!」
「まったく、しょうがないですね」
口では文句をいいながらも、ちゃんと苺ジャムを用意してあるあたりが鷹通のあかねへの甘さでもある。
「あまりつけ過ぎないこと」
「ん♪」
ビンを受け取ってあかねは嬉しそうに蓋を開けてスプーンでジャムを掬ってパンに塗る。チラリと鷹通を盗み見てもう一スプーン掬ってそれを苺ミルクに放りこむ。
「こらッ、あかね」
「もういれちゃったもーん♪」
ジャムの蓋を閉めて鷹通に返す。ペロリと舌を出して確信犯な笑顔を向けてくる。その表情はイタズラっ子のように茶目っ気たっぷりだ。
「全く、油断も隙もないですね!」
でも、美味しそうに食べるあかねを見ていると、怒る気になれない。
「美味しいですか?」
「うん。すっごくおいしい」
「それは、良かった」
いつものように微笑みに満ちた円満な食卓を二人で囲む。少し違うのは、天真と頼久がいないだけ。
パクパクと食べながら、あかねがふとそれを思い出し、フォークが止まった。
「どうしました?」
「ううん。天真くんや頼久さんとは、いつ会えるよーになるのかなって思っただけ」
「…あかね……」
「鷹通さん、心配しなくてもいいよ。いい子にしてれば会えるんでしょ? だったら、もう泣かない。でも、いつ会えるのかな? 早く会えるといいよね」
ニコッと、鷹通に笑い掛け、あかねは食事に戻る。まだ成長期なあかねには栄養補給は大切なセレモニーなのだ。
「いい子ですね。では、いい子ついでに、部屋の片付けは自分でするのですよ。前のフラットから、君の荷物が届いたから、部屋の入り口に置いてますからね」
「そう言えば、引っ越したんだよね」
引越しなんて初めてで、あかねはなんだかワクワクしてきた。
自分の部屋を片付けるのもいいが、数か月ぶりで再会した蘭。そして、初めて会った綺麗なマーメイドたちとフィリッパーたち。彼らと遊びたい気持ちも強かった。
「お片づけが終わったら、お昼からまた遊びにいっていーい?」
「遊びに行くまえに、少しお話があります」
「お話?」
「大人の人魚になるための心得ですよ」
「鷹通さんたちが言ってる、あの大事なお仕事のこと?」
難しい話は少女は苦手だった。
人魚にはとても大切な仕事があると言い聞かされて育てられてきたが、それがどんな仕事かは、あかねは知らない。
人間に従順であることを言い含められてきたが、他のマーメイドたちのように、力でそのことを強制されたことはなかった。ただ、鷹通たち以外の官吏を相手にするときは、穏便に従っておくようにと、いつも注意されている。
実際、あかねは鷹通たち以外の官吏たちは大嫌いだった。皆、あかねが少しでも逆らうと、鞭を振るってきたり、戒めの用水層に閉じ込められたり、嫌な思い出が多い。嫌なことはされたくない。必然的に、少女は、鷹通たちの忠告に大人しく従うようになっていた。
ちなみに、あかねを酷い目に合わせた官吏たちは、ウラで天真や頼久が相応の礼をしてきたことは公然の秘密である。
「後じゃダメ?」
「時間がないのですよ」
「でもぉ……」
あかねは指を咥えながら、窓の外に視線をやった。そして、振り返り鷹通の顔を見る。
しばしの逡巡の末、少女は不承不承に青年に頷いた。が、この約束は守られることはなかった。
子供は、えてして目の前の誘惑に弱い生物なのだ。
NEXT≫
|