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ブルーマーメイド |
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= 王子様と人魚姫 = |
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1 蒼く眠る水の惑星より アルスファリア星系、第七惑星アクアウィータ。 地表の九割以上が水に覆われた、青の惑星。 人類が、アクアウィータを発見したのは、地球暦30XX年。すでに、その惑星には知的生命体、人型先住民族が海に暮らしていた。 発見者たちは、その惑星に住む彼らを、マーメイドと呼んだ。遥か昔、神話の時代に生きた半神半魚の妖精にその身を投影させて。 美しい真珠の鱗は持っていないが、それ以上の宝を持つ彼らは、マーメイドの名に相応しい生命体だった。 永遠を約束する、精霊。 何時、どこで、人類がそれを知り得たのかは、すでに謎であるが、彼らマーメイドは、人を延命させる特殊体質を持っていた。血、肉、体液、そられ全てのものが、人類が発生して渇望してやまない不老と、どんな難病をも快癒させてしまう奇跡の力を秘めていた。 その奇跡を求め、人はマーメイドを狩る。人々の底を知らぬ欲望の餌食となり、多くの人魚たちが命を落としていく。 乱獲、密漁によって、マーメイドの数は一気に激減し、種としての存続さえ危うくなっていった。 この事態を重く見た連邦が、即座にマーメイド狩りを禁止。だが、密漁者の数は減ることはなく、マーメイドは絶滅の危機に瀕していく。 減少するマーメイドを無為に消費することは不可能となり、科学者たちは血の滲むような研究を繰り返し、ようやく別の方法を発見し、その開発に成功する。 基本的に、マーメイドは人間との生殖は不可能であった。が、性交は可能だったのだ。 しかも、彼らは幻想的なまでに美しい生物だったので、好事家たちはこぞって彼らを手に入れようとしていた時代もあったほど。 彼らを喰らうことを、性交に置き換えることに目を向けた人間たちの研究はスムーズに進捗し、まさしく、殺さずに喰らうことに成功。血肉を食すのと同じ効力を、彼らとの性交で得られるようになったのだ。 人間たちはこぞってマーメイドたちと肌を合わせるようになっていった。若返りと快楽が一度に得られるようになると、今度は、その秘密と利益を守るために、連邦はマーメイドの保護と管理をさらに厳重にしていく。 そして、争うことを知らぬ彼らは、人類に蹂躙されるにまかせていた。 自らの悲しみは、自らの中にのみ溜め込み、それは、どこへも逃げ場なくマーメイドたちを蝕み続ける。 アクアウィータにマーメイドを管理保護する機関を設置、総称を『エリュシオン』。これによりマーメイドたちは、連邦に飼われることとなる。 エリュシオン──────── 。 多くの財産家、連邦の高級官僚、富と名誉を手にした人間たちの最後の望みの地、不老不死を約束する桃源郷となった。 いや、なるはずだった。けれど、綻びは、人々が思っていたよりも早く現れた。巧くいく筈であったそれらの計画は、繊細で誇り高く、そして悲しいくらい潔すぎるマーメイドたちの精神の前に脆くも崩れ落ちていく。 その、家畜のごとき扱いは、マーメイドたちの心を蝕んでゆき、彼らは絶望と共に病んでいった。ただでさえ、数が少なくなっていたところに、多くのマーメイドたちがノイローゼとなり自らの命を断つ凶行が続いた。 だが、しかし、人々は諦めなかった。計画をゼロに戻し、初めからやり直した。 まず、マーメイドたちを個別に管理する事から始まった。新しく生まれたマーメイドは乳飲み子のうちから母親の許から引き離され、人間の手によって育てられていく。当然、教育も人間が都合の良いように与え、決して産みの親には会わせずに、必ず親のいない離れた『センター』で細心の注意を払って育てられる。 そして、人間に奉仕することを第一義とし、そのことに疑問さえ感じさせぬように、彼らを心の中から教育し、倫理観さえも組み替えていく。 そして、何も知らない無垢なマーメイドたちは、人間との交わりを聖職と認識し、人間たちをその身体の内に迎え入れていく。 そこには、もはや悲しみも、疑問もない。 アクアウィータに『エリュシオン』が置かれて、百五十年。人は今度こそ永遠の夢を手に入れた。 * 『エリュシオン』南端部、南のエリアマスターが統括する『サウザンド』の人工湖ベータ。そこは、主に、成人前のマーメイドが住まう湖。 「あかねーっ」 天真は朝早くからあかねを探していた。だが、あの悪戯者のマーメイドは、まったくこれっぽっちも姿を現わす気配を見せない。 「天真、見つかったか?」 反対側から現われた同僚が、天真に声を掛けた。 「頼久。そっちこそ、どうだ?」 それに対して、頼久と呼ばれた男は、首を振ってその成果を示す。 彼らはエリュシオンの若きカウンセラーたちであった。 マーメイドの精神や躰を守るために、マーメイドには三人のカウンセラーが付けられる。 一人はマーメイドの健康管理を主に受け持つ生体管理者。二人目は教育の担当官。二人は、マーメイドが成人する十三の年までマーメイドに付き添うので幼年管理官とも呼ばれた。 そして、三人目は、パーソナル・カウンセラーと呼ばれ、生体、教育両方を兼任し、そのマーメイドが成人した後にも付き添う。 二人は『あかね』と呼ぶマーメイドの幼年管理官たちなのだ。 「ふーッ、まったく世話を焼かすよな。アイツも………」 天真は盛大にため息をついて、この先の未来に思いを馳せる。 天真と頼久が、あかねの教育カウンセラーと生体管理カウンセラーになったのは八年前。その時、あかねはまだ四つで、パーソナル・カウンセラーの鷹通に抱かれたまま、くるくるとよく回る好奇心の強そうな瞳で二人を見ていた。 淡い桜色の髪、その太陽に映える湖面の色もかくやな翡翠色の瞳。普通の人間の子供となんら変わることのないように見えるが、彼女は紛れもなく、奇跡のマーメイド。 彼らがあどけない幼女の瞳に見たものは、悲哀でも憐憫でもなく、ただ……愛しさだけだった。彼らは、自分たちの存在意義も存在理由も、幼女の瞳を見ているうちに、全て忘れてしまった。 この美しく、稀有な生き物をその存在のままに、美しく、誇り高く、そして優しく育てようと決意した。いつかそれを死ぬほど後悔することも知らずに。 あかねと過ごした八年間はあっという間に過ぎ去ってしまった。あかねは、明日十三才になる。天真も頼久も今日を限りであかねのカウンセラーの任を解かれるのだ。 そして、何より、あかねは明日の夜、成人する。 天真と頼久は二人して、後悔と些かの自嘲を込めた笑みを顔に浮かべていた。 あかねを思うままに育てたのは、他ならぬ自分たちなのだ。 他のマーメイドたちと同じように何も感じず、何も考えず、何一つ自分で意思表示できない人形の様に育ててやれば、これから未来、あかねの中で芽生えるであろう葛藤に、彼女が思い悩むことは無かっただろう。そして、自分たちもまた、こんな後悔に苛まれなかったはずだ。 だが、もう賽は振られている。 運命の濁流に、あかねが呑みこまれないように二人は祈る。あの大切なマーメイドが壊れませんように。必ず、立ち上がりますように、と。 泥の中でも立ち上がれる強さを、あの少女はもっている。強く、優しく、そしてどこまでも愛すべきマーメイド。彼女を信じる以外に、自分たちが取るべき選択など、もはやないのだ。 けれど、今からあかねが辿る運命を知っているだけに二人の不安は膨れ上がる。 (あかねはきっと、負けねえ) 白衣のポケットに入れた手を握り締めて、天真はあかねを信じようと決意する。そして、頼久もまた天真と思いを同じくしていた。 自分たちが育てた自慢のマーメイドがそう簡単に壊れたりしないと、自らを叱咤し、不安を打ち消そうとしている。 繊細で、泣き虫だけど、本当は強くてしなやかなことを自分たちは知っているから。 きっと、大丈夫。必ず、あかねは必ず立ち上がると、半ば、自分たちに言聞かせるように何度も心の中で唱えていた。 そして、自らの不安を振り切るように、天真が湖に向かって大声で叫んだ。 「いーかげんに出てこーい。本当にもう会えなくなってもいいのかーッ」 天真の言ったことは嘘ではない。事実なのだ。カウンセラーの任を解かれるとは、別離を意味する。自分たちは今日を限りでここを去る。次の辞令が他のエリアだったら致命的だ。しかも、ここに残ったとしても、用もないのに会うことは出来ない。自分たちはこの『ベータ』はおろか、『アルファ』、『オメガ』、『ガンマ』またそれ以外の南のエリアにあるすべての湖に足を踏み入れる権限を、失うのだから。 「あかねーっ」 「ちい姫ーっ」 幼い頃からの呼び名で、頼久があかねを探す。が、隣の天真の手刀がビシリと頼久の肩口に入る。 「だから、頼久。あかねをちい姫って呼ぶのやめろ。ったく、あのベビーザラスを『姫』なんて呼べるのはおまえくらいだ」 「ちい姫はちい姫だ。おまえこそ、ちい姫をベビーザラスだなどと呼ぶな!」 どんなに悪戯者でも、頼久にとっては可愛くて、目の中に入れても痛くないほど、大切な子供なのだ。たとえ、頼久の大切な仕事道具である再生槽を何機も破壊されたとしても。 「あのベビーザラスのせいで、オレらが提出した始末書は過去の最高記録を毎年更新したんだぜ。それでも?」 「我らが未熟だからだ」 「確かに、おまえは未熟だよな。あかねに、甘えた声で、ごめんねぇ…って言われただけで、鼻の下を伸ばして、次はお気をつけくださいの一言で終わらせるんだからな」 悪戯の尻拭いの良いカモ扱いされていた相棒を、天真は揶揄る。 「おまえこそ、ちい姫の好き嫌いを何一つ直してないではないか! ちい姫の『これ嫌い〜。でも、天真くんのパンケーキ大好き♪』の一言でフライパンを握る男に意見されるなど、片腹痛い」 人魚姫探索をしていたはずなのに、いつのまにか口論になっていた二人の側の湖面に、影が揺れた。 パシャン…と、涼やかな水音と共に、水の上に散る桜の花びらに似た、桜色の髪が浮かび上がった。 二人ともはっとしながら、諍いをやめた。そして、苦笑いにも似た笑みを浮かべつつ、水際にどちらとも近づいていく。天真がゆっくりとその桜色の影の映る水面に手を差し伸べた。 「あかね」 「天真くん……」 天真の手をあかねが取ると、青年は小さなマーメイドを湖から引き上げた。 マーメイドにしても、あかねは少々十三才とは思えないくらい小さかった。そんな小さなマーメイドの濡れた顔や髪を白衣で拭いてやる。頼久も側に寄ってきて、着ていた白衣を脱ぎ、あかねに掛けてやった。 「ヤダ……。いっちゃヤダ………」 ポロポロと真珠の様な涙を零しながら、あかねはやっと口をひらいた。 「あかね……」 「天真くんも頼久さんもいっちゃヤダッ」 泣きじゃくるあかねを抱き締めて天真は口篭もる。何も云う言葉がない。何を言っても嘘になりそうなのだ。 「頼久さん、行かないで」 返事をしてくれない天真から、あかねは頼久に視線を向けた。縋るような瞳で、大好きなカウンセラーを見つめる。その瞳から溢れ落ちる涙は止めどなく流れ、目がうさぎのように赤くなっている。 「ちい姫……」 頼久もまた云うべき言葉がなかった。何を言っても今の自分の気持ちを伝えようがなくて、押し黙るしかない。 離れたくないのは、あかねも、天真も、頼久もまた同じなのだ。 勉強が嫌いなあかねはよく抜け出して、湖に出掛けた。その抜け出したあかねを探しに、天真と頼久は何度この道を往復しただろう。 いつもと同じようにびしょ濡れのあかねを抱き抱えて、あかねに与えられたフラットへ戻るべく、足を進める。普段と少し違うのは、今日は二人とも小言は言っていない。そして、抱き抱えられたあかねはその日の出来事を無邪気に報告するのではなく、天真の胸に顔を埋めて泣きじゃくる。 もう二度と、この他愛のない時間は戻ってこないのだ。そんな想いを噛み締める三人の頬を寂しい風が掠めたのだった。 どんなに、泣き叫んでも二人は戻ってこない。いつもはこれだけ泣いて一生懸命お願いをすれば、必ず二人とも叶えてくれたのに。あかねはそれが覆しようのない決定事項だと、やっと肌で感じ取ることが出来た。 もはや、どれだけ泣いても拗ねても、二人はここを出ていくのだ。 小さな認証カードを、二人は鷹通から渡されてフラットを出て行った。『サヨナラ』と、小さくあかねに告げて。 「鷹通さん、どうして天真くんも頼久さんも、ここにいちゃいけないの? あかね、ずーっと一緒にいたいよ。みんなといたいのに、どーして?」 泣きながらあかねは鷹通の白衣の袖を掴んで、もう一度二人を連れて帰ってくれるようにせがんだ。 自分の『お願い』では駄目だけど、きっと鷹通の『お願い』なら、二人も聞き届ける筈だ。あかねは期待を込めて鷹通に頼む。 「ねえ、鷹通さんっ。二人をつれもどしてよ。ずーっといっしょにいよーよって言ってよ」 だが、鷹通は悲しそうに首を振るだけであった。 「あかね……、これは決まりなのです。皆、同じ思いをしているのです」 「ヤダっ、ヤダっ、ぜったいーヤダっっっ! できないもん。あかね、我慢なんてできないもんっ」 「あかね……」 「天真くんも頼久さんもいてくんないと、やだぁーっっっ」 嫌だ、嫌だと言って、あかねは床に転がって地団駄を踏む。 「あかねと同じ年齢で、『蘭』もセリとユナとさよならしたのですよ。もちろん、蘭だけじゃありません。『瑠璃』も『香奈』も同じように『さよなら』をしました。あかねだけが出来ないなんてことはないでしょう?」 少女の成長を、鷹通は優しく諭しながら促した。 本当に、他のマーメイドたちもあかねと同じ思いをしているかどうかは別にして、鷹通は負けず嫌いなあかねを奮い立たせようとわざとこんな言い方をした。 しかし、あかねにはこれで十分であった。根が単純なので、すぐさま鷹通のそれに引っ掛かってしまう。 「うっ………」 グイッと涙を拭って、 「わたしだって、出来るもんっっっ」 「そう。出来ますよ。ずっと会えないわけではありません。いつか、必ず会えます」 「ホント?」 「ええ。あなたがいい子にしていれば、きっと」 「いい子にするっ」 あかねの顔は現金なくらいに明るくなる。 鷹通は優しくほほ笑みながら、コクリと頷いてやる。 今まで通りとはいかなくても、きっと会えるはずだ。彼らがあかねと離れて他のエリアに行くとは考えられない。なんらかの形であかねと接触の取れる部署へ、移動を希望するはずだ。 (これ以上、この子を苦しめたくない) あかねの苦難はこんなものではない。むしろ、これは露払いにすぎない。これから、始まるのだ。あかねの心を守るためにも、あの二人は必要なのだ。 (出来るかぎり、守ってあげるから) 小さなマーメイドを抱き締めて、鷹通は誓う。 「鷹通さん? あかねは、もう泣かないよ。だいじょーぶだよ? どーしたの? つらいの? それともどっかイタイの?」 自分を苦しげに抱き締める鷹通の顔を覗き込んであかねは心配そうに表情を曇らせる。 「泣いてるの?」 「ああ。大丈夫です。泣いてなどいません。すみません、心配掛けてしまいました」 「ううん。もう、あかねも泣かないから、鷹通さんも泣いちゃダメだよ?」 浮かび上がりそうな鷹通のまなじりに、少女の小さな手が添えられる。そして、小首を傾げて鷹通を見上げてくる。 「泣いてないでしょう?」 安心したあかねは、にっこりと大きく笑う。 そして、そのまま鷹通の首に小さな腕を回して抱きついた。 「あかね、いい子にする。そしたら、みんなに、すぐに会えるよね?」 さっきまで盛大に泣いていたあかねは、会えると約束して貰えて嬉しいのか笑顔で鷹通に甘えてその柔らかな桜色の頭を彼の胸に擦り付けている。 あかねは鷹通が大好きだった。もの心ついた時から自分の側で優しく微笑んでいる鷹通が大好きだった。父も、母も知らない。けれど、鷹通がいれば良い。あと天真と頼久がいればもっと良い。それが、あかねの知る幸福の全てだから。 あかねは、まだ知らない。 自分を待ち構えている悲劇を。その濁流の激しさを。 だから、笑っていた。無垢な笑顔ままで────。 |
展示室≫ | ||
Cream Pink / 狩谷桃子 様 |