クリスマス追想抄

= もう、待たないよ / 強引でも卑怯でもなんでもいい。それで愛しい君が私の傍にいて、私と一緒にいてくれるなら。 =





<3>






―――――疑いはその場できれいに晴れた。

けれど驚きと恐怖ですっかり力が抜けてしまったあかねは、その場にへたり込んでしまった。頼久はそんなあかねを抱き上げようとしてくれたけれど、自分で歩くから、と言って、断った。
それでも一人で歩くには足元が頼りなく、結局抱えられるようにして自分の房に戻って来るしかなかった。

「誠に、誠に申し訳ございませんでした」

しきりに謝ってくる頼久に「大丈夫だよ」と答えるものの、実はあんまり大丈夫じゃない自分自身にかなりなショックを受けていた。

―――――情けないなぁ・・・

でも、こんな情けない姿を、友雅に見つからなくて良かった、と思う気持ちが半分。
今すぐ会いたい、と思う気持ちが半分。

でも、それは見慣れた景色が近づくにつれ、自分の部屋が近づくにつれ。
半分半分だった気持ちが、「会いたい」、という方にどんどん侵食されていくのが自分でも分かった。
頼久の手を借りなければ立っていられないくらい心細くて、どうしようもなく友雅に会いたくて仕方なかった。
この心細さは京に飛ばされて来たときと似てるかなぁ・・・なんて、他人事のようにどこかでぼんやりと思っていた。
いろんな経験をして、あのときよりずっと強くなったと思っていたのに。
どうしようもなく心細くて寂しくて。こんなことくらいで弱気になっているのが情けなくて。
ただただ泣き顔にならないようにするのが精一杯で、そばにいる頼久の声も、周りの音もなにも聞こえず。視界も足取りすらも頼りなかった。



「神子殿?!一体なにが・・・?!」



音のなかった、ふらふらと回るような感覚だったあかねの世界に、突然遠くから音が響いた。

「と・・も・・・・まさ・・・さん・・・?」

履物も履かずに、真っ直ぐに駆け寄ってくる友雅を見た。
まるで、スローモーションのような、幻のような。そんな朧な感覚であったけれど、間違いなく友雅。
今、一番、誰よりも会いたかった、友雅だ。

「神子殿・・・?!どうしたんだ、一体なにがあった?!」

蒼い顔で問いかけてきてくれているのは、間違いなく。
ずうっと、そして今。自分が会いたくてしょうがなかった人。
大好きな人。
私の居場所――――。

あかねは緊張の糸が切れたのだろう。友雅の顔を間近にみたとたん、その胸に顔を埋めて、細く細く――――泣いた。

「ああ、・・・・・・大丈夫だよ。もう大丈夫だ。・・・一体どうしたというのだい?ね、話しておくれ?」

手を伸ばして、暖かい胸に触れたとたん。友雅が、本物の友雅だと思ったら、涙が出た。
懐かしい侍従の香りがする。
ゆっくりと優しく、背を撫でられ包みこまれ。
耳元で・・・友雅の声が聞こえる。
息をしたら、侍従の香りが胸を満たす。
手の中にも、触れているところからも、ちゃんと友雅の温もりが伝わってくる。


やがて、気がついた時には友雅に抱き上げられていて、歩き出していた。

ゆっくり。友雅の腕の中、胸の中でぽつりぽつりと泣かないように、この状況を説明する。

「・・・・・・散歩してて・・・歌を歌って・・・でも・・・じ、呪詛と・・・・・間違われて・・・・、武士団の人はみんな知ってると思ってたけど、知らないひとで・・・話しも・・・聞いてもらえなくて・・・クリスマス、したかったの。友雅さんと、一緒に。きれいなリースとか・・・見せてあげたかったの・・・でも、見せてあげられなくなっちゃて・・・」
「ああ・・・・・・私のためだったのだね?怖い思いをしたのだね?」

ゆっくりと優しく背を撫でながら、包み込んでくれたのは、本物の友雅。
寝所を整えてもらって気分が落ち着くように、と差し出された薬湯を飲み。

そばにいるから、と言ってくれた友雅の横で眠りについた。



「もう大丈夫だよ?ほら・・・・・・私はここにいるから、ずっとここにいるから・・・」





友雅の袖をぎゅっと握りこんで離さなかったことは、ずっと後になって、知った。



* * *



久しぶりの土御門は大変な騒ぎになっていた。

この前来たのが、三日前。あの日も北の方のための加持祈祷は盛大なものだと思っていたのに、今日のこれは、また凄まじい。北の対からはずい分離れているはずの車寄せまで読経の声や護摩木を焚く匂いが漂ってきている。少々うんざりするくらいだ。
「確かにこれだけ派手にやれば悪霊じゃなくてもどこかに行ってしまいたくなるね」と、溜息を零しながら西の対へ向かった。

――――こんな騒ぎではあかねもきっと退屈しているだろうから、明日はどこかへ出かけるのも良いかもしれないね。

さて、どこへ行こうか、などと思案しながら歩くのだが、どうも様子が違う。
取次ぎの女房がなかなか戻ってこないものだから、勝手知ったる邸の中だとばかりに通ってきたが、あの喧騒が同じ邸内なのが信じられないくらいに西の対はひっそりしていた。

訝しみながらあかねの房の前に繋がる透渡殿へ差しかかったとき、突然その光景が目に飛び込んできた。


あかねが足取りもおぼつかない様子で、頼久に抱えられるようにして歩いている。


「神子殿?!」

大声で呼びかけるが、自分に気がつかないのかあかねに反応はない。

「神子殿、一体なにが・・・?!」

飛び降りるようにして、あかねのところに向かうが、様子がおかしい。頼久も苦い顔をしたまま顔を伏せるが、今はあかねだ。

「神子殿・・・?!どうしたんだ、一体なにがあった?!」

肩を取り、正面から顔を覗き込むように話しかけるが、反応が薄い。身体は小刻みに微かに震えている。それでも泣いてはいないようだが――――顔色が酷い。

「と・・も・・・・まさ・・・さん・・・?」

じっと、こちらの顔をみて、ようやく安心したのだろう。ふらりと胸の中に倒れ込むようにして、細く細く泣き出した。
    ――――息が詰まる。
あかねはこれまで、鬼との戦いの中でも、同じ世界から来た友人たちを見送ったときでさえ、こんな儚げな、胸の痛むような泣き方はしなかった。
    ――――胸が、痛む。

「ああ、・・・・・・大丈夫だよ。もう大丈夫だ。一体どうしたというのだい?ね、話しておくれ?」


友雅もまた、戸惑っていた。「大丈夫だ」と声をかけるが、事情が一向にわからないまま。
一体、なにが・・・と思いを巡らす前に、友雅の目にあかねの手首が―――――痛ましいまでに青黒く、きつくついた、男の指の痕が――――目に入った。


その瞬間、全身が総毛立ち、目の前が真っ赤になった。
弾けるように頼久にその眼を向け、射殺さんばかりに睨めつけた。
――――一体、なんだ、これは?!どういうことだ?!
胃の腑が煮えたぎり、喉が焼ける。
怒りで全身が強張り、身体中に炎が走ったようだ。傍に居た頼久もそれを感じたのだろう。一層身を低くして下がっている。

が、しかし、今はまず、目の前のあかねだ。

震えが走ったのは、あかねに伝わっただろうか。ぎり・・・と奥歯をかみ締めて、なんとかこの獰猛な衝動を抑えるのに必死である。

誰が・・・。
どこの愚か者が、私のあかねに・・・。

間違いなく、そのせいであかねはこうして泣いている。ただ事ではない。
―――――まずは、あかねを落ち着かせて休ませねばならない。
そのことがなかったら・・・・・・この衝動のまま、その愚か者を探し出して八つ裂きにしていただろう。
ああ、胸が、痛い。
ギリギリと音を立てて何かが軋んでいる。
一足一足が、煮えるような痛みと熱で床を踏んでいる。
気を抜けば、この怒りは腕の中のあかねをも焼いてしまいそうだ。

あかねをきつく抱き込んで、そのまま抱き上げ、房へ向かう。
少しずつ落ち着いてきたのか、涙を堪えながらぽつり、ぽつりと事情を話しだした。

こんな泣き方をするあかねだっただろうか?


あかねの房についた。

が、呆然と・・・足が、止まった。

本来なら暖かく設えられているはずのあかねの部屋は、火鉢や火桶の火がほとんど消えかけていた。炭はまだ小さく熾ってはいるけれど、そんな小さな火では部屋を暖めるには程遠い。
おそらくあかねが庭に出た時のままなのだろう、文机もそのまま。
ましてや、自分やあかねがここにいるというのに、誰も出てこない。
あかねが一層身を硬くしてすり寄って来た・・・ような気がした。

―――――こんな・・・・・侘しい暮らしをされていたのか?

ぱたぱたぱたと、聞きなれた小さな足音が聞こえてきたが、口を開くのも腹立たしい。いや、口を開けば、どんなことを叫び出すかわからない。あかねを抱いたまま、ぎっ、と一瞥しただけで後はやってきた女房に任せた。

友雅とあかねの様子に顔色をなくした藤姫も、おそらくそれ以上は居た堪れなかったのだろう。
慌ててやってきた女房たちに必要な指示をして、続きの房に下がっていた。




不安定な様子だったあかねがようやく眠りについて。
静かに御帳台から出てきた友雅からは、一切の表情が消えていた。


こんなに怒りをあらわにしている友雅はこれまで見たことがなかった。
落ち着いてゆったり構えて見えるのはあくまで表面だけ。実際藤姫などは友雅が入ってきてからずっと震えが止まらない。その冷たい目はおよそ人の目ではないような、そんな目だった。

隣の房で用意された席にゆっくりと座り、控えていた藤姫と頼久に改めて問いかけた。
一通りの事情を頼久が報告したが、表情は一切動かない。それどころか、薄笑いまで浮かんでいる。
見るものを凍てつかせ、射殺せるような、そんな笑みだった。

「ふぅん、そう・・・・・。だが、どういうことだい?あの手首の痣はなんだ。ここは神子殿にとって一番安全だ、と言ったのはお前じゃなかったかね?」
「ああ、貴女も同じ様なことを仰っていましたね?寂しい思いを神子殿にさせるわけにはいかない、と。私の邸では神子殿は私以外に頼るものもなく一人になってしまう、と、それは大層に仰っておられましたね。こちらでは我が邸などより遙かに人手があったように思っていたのですが・・・どうやら神子殿はずっと寂しくお過ごしだったようだ。
あの気丈な神子殿があのようになるまで・・・これは一体、どういうことなのだろうねぇ。」

蝙蝠扇を打ち鳴らす音がやたら大きく、はっきり聞こえる。

「そ・・・んな、今日はたまたま・・・」
「――――いえ、申し訳ございません。神子殿の手首に傷をなしたのは私の部下です。申し開きのしようもございません。いかようにも御処断下さいませ―――」

震えながらも口を開いた藤姫だったが、その先を制するように頼久が深く深く平伏する。


―――フン
そんな姿にも一切心を動かされた様子もなく、手元の蝙蝠をぱちり、ぱちりと弄ぶ。
ぱちり、と音がひとつするたびに、二人には友雅の凍てつくような怒りが全身に突き刺さるようだった。
気丈さではあかねといい勝負かもしれない幼い姫でも、今回ばかりは友雅の雰囲気に言葉も発せられず、ただ震えながら耐えるしかなかった。

「・・・まぁ、ともかく。その男たちの処分は任せるよ。お前にね、頼久。だが、どのような処分にしたのかはきちんと報告してもらいたいね」
「ああ、貴女は義母君についてあげて下さい。あかねがそう望んだのでしょう?それを途中で投げ出すなど、さらにあかねが気に病んでしまいますからね。ご心配なく。あかねには、私がずっとついておりますからね」

ぱちり。

ぱちり。

ぱちり。 

―――蝙蝠を弾く音が、痛い。
この音が、言葉以上に冷たく二人を責める。
どこか芝居がかった、それでいて寛大な物言いに訝しい思いもあるけれど、口を開けないほどその場の空気は重く。さらに身を低くすることで応えを返すしかなかった。

「ああ、どうぞもうそれぞれの御用を成しに行かれたらどうですか?これ以上こうしていてもしょうがないでしょう。それぞれ忙しいのですから。・・・・・・さぁ、どうぞ」

出て行け、と言われれば、もう退くしかなく。
藤姫はあかねのそばに付いていたそうだったが、友雅の冷たい一瞥を受けて断念した。
最後に「どうぞお姉さまをよろしくお願いいたします」と、言い残して、頼久に支えられるようにして西の対を後にした。





――――最初からそうするべきだったのだ。


低い友雅のつぶやきは、藤姫たちに届いたのかどうか――――





ばちり、と、ひとつ。
大きく蝙蝠を弾いて、友雅は再びあかねのもとへ戻っていった。








NEXT⇒






 katura 様