クリスマス追想抄

= もう、待たないよ / 強引でも卑怯でもなんでもいい。それで愛しい君が私の傍にいて、私と一緒にいてくれるなら。 =





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深々と。
降るように、底の方から凝るように冷え込む京の冬。

路地を急ぐ人々の吐く息は瞬く間に白く変じ、頬や鼻は寒さに焼けて真っ赤になる季節。
冬枯れた木々の枝間を音を立ててすり抜ける風は刺すように冷たい。
澄んだ、穏やかな陽射に溢れていても、日陰に張った氷はおそらく今日も解けることはないだろう。
木々も人々も。暖かな春の陽射しが恋しい、そんな年の瀬の京の都。


―――――四条、橘邸

もちろん、この邸にも冬将軍は例外なく訪れてきている。けれど、ここ北の対。それも、この邸の女主人の房だけは、凍てつく寒さの中にあってもどこか柔らかな気配に包まれていた。
陽だまりのような気配、とでもいうのだろうか。
実際、部屋には明るさを損なわないぎりぎりまで、屏風をはじめ幾重にも几帳が立てかけられ、赤々とした炭を埋けこんだ炭櫃に火桶、手あぶりの火鉢と、部屋の主を寒さから守るために並々ならぬ気配りがなされ、冬将軍の進入を拒んでいた。

その春のように明るく暖かい部屋の中で、なお明るい笑みを浮かべ。
この邸の女主人―――あかねは女房たちとさざめくようにおしゃべりを楽しみながら、また時には鼻歌を歌いながら、せっせと手元を動かしている。

   真っ赤なお鼻のトナカイさんは いつもみんなの笑いもの〜
     We wish you a Merry Xmas  we wish you a Merry Xmas ・・・
        もろびと こぞりて うたえまつれ ・・・

まろぶように軽快な、また、それでいて優しいの異国の歌に。またそれを歌うあかねの表情に。
このような歌を知らない女房たちまでが、心浮き立つような、楽しい、和やかな気分になるのだった。

笑顔の輪の中であかねは、ようやく腰の上まで届くようになった明るい髪を、冬にふんわりと花が咲いたような雪の下の襲の袿の上に散らし、慣れた様子で縫い物をしている。
時おり手を止めては傍らに眼をやって、どこか悪戯な、楽しげな笑みを浮かべては、また人待ち顔な様子で取りとめもなく歌を歌い、おしゃべりに花を咲かせる。

視線の先には黒漆塗りの広蓋。
その中には、丁度両手のひらに載るくらいの大きさの、きれいに円く形作られた、緑の輪。
蔓梅もどきや山帰来の赤や黄色の実、松ぼっくり、とりどりの木の実に混ざって金や赤、黄色のリボン――端布をつないでリボンのようにしただけのものであったが――で彩られた、瑞々しい針葉樹の青葉が眩しい・・・クリスマスのリースが納められていた。




「ふふふっ、今年も迦陵頻伽もかくやの天女の歌声が響く季節になったね。」

不意に響いた甘い声。
振り返って見上げれば、あいも変わらず艶めいた笑顔を浮かべる愛しい夫が、几帳の林を抜けて房の中へと入ってきていた。

「わ・・・! おかえりなさい、友雅さん!早かったですね。お仕事はもういいんですか?それとも・・・・・・また戻っちゃうんですか?」

驚いたあかねは手元でわだかまっていた布を慌てて、でもそっと横に置き、待ち焦がれた夫に満面の笑顔を向ける。
しかし、出かけたときと同じ緋色の衣冠姿のままの友雅に、また仕事中に抜け出して来たのでは、と、心配にもなる。

「いや、まさか。天女の歌声に引き寄せられて真っ直ぐにこちらに来てしまっただけだよ。もう今日で宿直は一旦おしまい。充分に働いたからねぇ。これ以上君の元を離れていたら病気になってしまうよ。まぁ、君の元に留まるためになら、病も一興かもしれないね。――――ああ、元気にしていたかい?私の白雪。もっとよく顔を見せておくれ。」
「やだ、もう・・・」

ほんのり熱を持ってしまった頬を意識してしまうと、顔を上げるのが恥ずかしい。
そんなあかねの姿を微笑ましく見ていた女房たちは、友雅のために円座を用意すると、そっと房から退出していった。
だが用意された場所は友雅が思うよりも距離があったようで、円座を通り越し、あかねのそばに擦り寄るようにしてふわりと腰を下ろした。

「お疲れ様でした。少し休みますか?それとも何か軽く・・・」
「そうだねぇ・・・」

思案する間もなく、女房たちへ声をかけようと腰を浮かしかけたあかねを捕らえて膝の上へ抱え込み、久しぶりの妻の温もりと香りを堪能することにした。
横抱きに抱き込まれる格好になったあかねは、ひゃっ、と小さく悲鳴を上げたが、この手のことは既に日常茶飯事。おとなしくされるがままに抱き込まれ、そして自らも久しぶりに間近に感じる愛しい人の温もりと香りにうっとりと身をまかせた。

「ただいま、私の白雪。愛しい月の姫。ご機嫌はいかがかな?寂しくはなかったかい?」
「大丈夫ですよ。みんないてくれますし、それに今年はすることもいっぱいありましたから」

眩しそうに見上げてくる妻の瞳が心地よい。・・・が。
あかねの視線の先を追って、友雅の片眉がひくりと上がる。

「・・・今年もきれいに作ったね。だけど昨年よりずいぶん多いんじゃないのかい?」
「ほら去年、藤姫ちゃんにあげたら喜んでくれたでしょ?だから今年はみんなにもあげようと思って。鷹通さんでしょ、イノリくん、頼久さん、泰明さんに永泉さん・・・だから、ウチのとあわせて7つ作ってみたの。友雅さんにも見てもらってから届けようかな、って思って帰ってくるのを待ってたんです。ね?きれいでしょ?みんな喜んでくれるかなぁ・・・」

リースをひとつ、友雅に渡しながら嬉しそうに語るあかねの顔は、それはそれは愛らしいものである。
・・・が、しかし、だ。その艶やかな唇から他の男の名が紡がれることに素直に喜べないのはいつまで経っても変わることがない。しかも、おそらくはこれを作るのに費やした時間も、長くはないとはいえ友雅にとっては充分に不愉快な時間なのだ。

―――面白くない。こっちはやっと数日ぶりにまともにあかねの声を聞いて、顔を見れたというのに。

「ああもちろん。こんなにきれいにできているじゃないか」

穏やかな返事の声とは裏腹。見る間に先ほどまでの笑みが嘘のような仏頂面になって。抱えていたあかねをゆっくりと降ろし、半ばふて腐れるように彼女の膝に頭を載せ、そのままごろりと横になった。

「きゃ・・・っ!もう、友雅さんっっ!・・・・・・あーもう、そんなトコで・・・・・・・・・・・・まぁ―――いっか」

友雅の不機嫌を、実はちょっと予想していただけに、あまりにも予想通りなそのやきもちがなんとなく嬉しくておかしくて。どうしても口元が緩んでしまう。
口では多少怒っているように言ってみても、その足を少し横に流し。自分にも友雅にも楽な姿勢をとってやる。

「小さな子供みたいですよ〜、友雅さん」

ちょんちょん、と友雅の頬をつつきながら、うふふ、とほんのり頬を染めながら笑みを深くして。
濡れるように輝く瞳が、甘く友雅を見下ろしている。

白い、温かな手は友雅の額の髪を梳き流し、柔らかく額や頬を滑っていく。
満ち足りた、優しい微笑。そんなあかねを見上げていると、ホンの少し尖り気味だった口元が自然とゆるく笑みをかたどる。

さらりとした心地良い手にさらにうっとりとした笑みを浮かべて。
なにもかもを委ねるように友雅もまた眼を閉じる。



ゆるゆると流れる静かな時間。

お互いの温もりが、どこまでも暖かく愛おしく。


この年の瀬の昼下がり。
既に毎年恒例になりつつある友雅の宿直明けの一日の穏やかな二人の時間。




今年もそんな時間を持てたことが幸せだ―――と、自分の膝の上にある友雅の穏やかな顔を見つめながら、あかねはほんの少しの昔を振り返る。



こちらにひとり残ると決めたあの年の。
初めてのクリスマス・イブの夜を―――――




□□□




あかねが龍神の神子の務めを終え、『友雅の妻としてこちらに残ります』と宣言したのは、神泉苑での戦いの後、左大臣の計らいで催された宴の席でだった。

突然の発表に目を白黒させたのは藤姫だけではない。当の友雅としても、横やりが入る前に何とか静かに速やかにあかねを自邸に引き取ろうと思案していたところだったのだ。
案の定、“結婚・即同居”、はこちらの常識から外れている、どうかお考え直し下さい、と藤姫の切々と訴える泣き顔と、八葉の皆からの猛烈な説得が怒涛のように押し寄せた。

――――結果。
『まだまだ慣れないこちらのことを学びながら、友雅さんの妻にふさわしい教養を身に付けるのも悪くないかな、と思うの。・・・・・・一緒に住むのはもう少し待ってくれますか?』と、あかねから言われれば、もう、その願いを蔑ろにすることもできない。
余計なことを吹き込む元・仲間への憤りで内心はかなり大荒れに荒れていたのだが、そこはそれ。渋々でも受け入れるしかなく。
「今は」甘んじて藤姫の提案―――“通い婚”を受け入れたのだ。
だがそれも、あとしばらくの間だけ。
二人の間では秘めやかに『桜の頃には一緒に住もうね』という甘い約束も交し合い。
こうして二人の新婚の甘い日々が土御門で始まったのだ。

友雅は、ほぼ毎日土御門で寝起きし、出仕も土御門から通う日々。
あかねも、手習いや歌、香、琴や裁縫、季節ごとの衣装の合わせ方などを藤姫や邸の女房たちに教えを乞い、神子時代とはまた違った慌しい生活を送っていた。


とても幸せで、楽しかった。
こんな日がずっと続くと信じて疑わなかった、穏やかな優しい毎日。


―――――ところが。
藤姫の義理の母にもあたる左大臣の北の方が、霜月に入ってから気分が優れない日が続き、先日からはなにやら腰も痛むとやらで、ついに寝込んでしまった。
普段はそんなに行き来のない北の方ではあるけれど、こうも病が長引いては心配になるというもの。藤姫も、最初のうちは見舞いのお歌やお品のやり取りをして、北の方を慰めていたというのだけれど、このところは一層心細い思いをされているらしい。
曰く、
『できることなら気鬱や痛みを散じるための薬湯を処方して欲しい』
『なにか障りがあったのではないか、どうか占ってみて欲しい』
など、となにかと乞われるようになり、藤姫が直接にお見舞いへと出向くことが多くなった。
あかねも一緒にお見舞いに、と申し出たのだけれど、“病で臥せっているところに尊い神子様にお出でいただくわけにはいかない”と北の方からやんわり断られてしまった。

藤姫も、ずっとあかねの元を離れていることを気にしてくれているけれど、病人の、ましてや義理の母にあたる方の願いはぞんざいにすることもできず。

「本当に申し訳ありません、お姉さま。こんなに度々・・・」
「大丈夫だよ。私のことは気にしなくていいから、北の方のことしっかり看てあげてね?」

と、そんなやりとりが幾度か続いていた、師走も半ばを過ぎた頃。
相変わらずの北の方の容態に、ついに加持祈祷の僧侶や薬師が大勢出入りするようになった。




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 katura 様