尾花幻想

= すすき野原でつかまえて =



−2−



「わわっ、友雅さん!競技どうするんですか!」

 不安定な体勢で走っているのであかねは友雅の首に腕を絡めて落ちないように必死である。おまけにみんなに友雅に抱きかかえられているところを見られて恥ずかしくて仕方がない。

「ん?競技はそのまま続けているよ。あかね、舌を噛むといけないから少しその可愛らしい唇を閉じてはくれまいか」

 艶めいた声で言われればそのまま従うしかない。先ほどの激しさはどこへやら、あかねは顔から火が出そうなくらい真っ赤になっておとなしく友雅の腕の中に収まっていた。
 直ぐにゴールテープの白い紐が見えて、友雅とあかねは見事一着でゴール。しかしこれは借り物競争なのだ。きちんと指令どうりの物を借りてこなければ失格である。

「一着おめでとうございます、友雅殿。しかし・・・」
「なんだい、鷹通。何か問題でもおありかな?」

 あかねを地面に下ろしながら友雅が尋ねる。
 抱きかかえることはやめても、あかねの身体をしっかりと自分の腕の中に捕らえることは忘れない。

「いえ、問題というか・・・一応指令の確認をさせて頂きます」
「ああ、構わないよ。ほら」

 そういうと友雅は短パンのポケットから指令の紙を取り出して手渡した。
 四つ折りにされたそれを開いて、鷹通は中身を確認する。

「・・・?なっ・・・!!」

 鷹通は一瞬困惑した顔を見せたあと、直ぐに真っ赤になって一着の旗を渡してくれた。

「ねぇ友雅さん、一体なんて書いてあったんですか?『龍神の神子』とか?」

 応援席に戻る途中であかねが友雅に尋ねる。
 他の競技者を見てると人を連れてこいなんて指令は一つもなく、『藤姫の冠』や『文車妖妃の文』や『黒麒麟』などとなかなかに難しい課題だったのに対して、友雅のだけずいぶんと簡単だった気がする。
 『藤姫の冠』を引いてしまった詩紋など、貸してもらったのはよいのものの、「その冠は、お父様から頂いた大切な大切な物ですのよ。もしお壊しになどなったら、いくら八葉の詩紋殿といえども・・・・・・ただじゃおきませんことよ」などと言われて涙目になりながら恐ろしく慎重に運んできたためビリになってしまったし、シリンも文車妖妃相手に自慢の髪を少々焦がされたりしていた。
 ちなみに斎姫の霊は顔がないため指令が読めず棄権してしまった。

「知りたいかい?愛しい君の頼みを断れるわけがないからね。教えて差し上げよう」

 友雅は指令の紙を再び取り出すと、あかね手のひらにそっと置いた。

「なんだろ・・・・・・え?」



 『月』



 開いた指令の紙にはただそれだけが書いてあった。

「ふふ・・・こんな指令が書いてあったら、あかねを連れて行くしかないだろう?」
「とっ友雅さん・・・」

 あかねの肩を抱きながら友雅が耳元で艶やかに囁けば、あかねは恥ずかしさの余り耳まで真っ赤になってしまう。友雅に抱かれている姿をみんなに見られただけではなく、この指令の内容を鷹通には知られてしまったのだ。

「恥ずかしい・・・」

 あかねは穴があったら入りたいと思うくらい羞恥心で一杯になってしまった。その様子を笑いながら見ていた友雅が、あかねの耳元で囁きかける。

「何も恥ずかしいことは無いよ。それよりあかね、老体に鞭打って一着になった私に、勝利の女神の祝福はないのかい?」
「誰が老体ですか!」

 老体なら老体らしく大人しくしていてもらいたいものだ。都合の良いときだけ年寄りのふりをする友雅に思わずあかねは抗議の声を上げた。

「祝福してくれないの?」
「う・・・し、しますよ。しますからちょっとしゃがんでください」

 切なさと憂いをを孕んだ瞳と声で請われれば、断ることなどではしない。友雅が一着になったのは素直に嬉しいし、怪我で参加できなかったあかねに少しでも運動会の気分を味わわせてくれたのにも感謝していた。
 友雅がしゃがむと、あかねは友雅の髪を結んでいた紐をほどく。はらりと束ねられていた髪がほどけ、二人だけの世界が作られた。
 あかねは友雅の頬に一瞬だけ唇を付けると、顔を真っ赤にしながらそそくさと離れてしまう。

「おや、唇にはしてくれないの?」
「しゅ、祝福のキスっていうのはほっぺたって相場が決まってるんです!・・・って、あれ、蘭。いつからそこにいたの?」
「・・・・・・・・・・・・だいぶ前から」
 
 ふと気が付くと非常にうんざりした様子の蘭があかねの荷物を持って立っていた。

「もうお昼だから。はい、これあかねの荷物。」
「え!?もうお昼?くす玉は?」
「そんなものとっくの昔に終わってるわよ。」

 見ると本当に金と銀のくす玉は見事に割れており、『八葉対鬼の一族&怨霊』『秋の大運動会』の垂れ幕が風に吹かれてひらひらとたなびいていた。

「とにかく、それをもってさっさと昼でもどこでも行ってちょうだい。ただし!午後の競技が始まるまでには戻ってきてよ。じゃ」

 告げることだけ告げると蘭は1秒でもその場にいたくないかのように(実際いたくないのだ)駆けだしていってしまった。

「ふふっ、蘭殿はよほど忙しいらしい。ではお昼にしようかあかね。ああ、荷物は私が持つよ」
「ありがとうございます、友雅さん。でも蘭、何であんなに急いでるんだろ」
「何か急ぎの用事でもあるんじゃないかな。私たちに遠慮してなかなか声をかけられなかったようだからね」
「遠慮何かする必要ないのに・・・・・・って!きゃあああぁああああ!!!!」

 ここに来て、漸くあかねは先ほどまでの友雅とのやりとりを全て蘭に見られていたことに気付く。いまさら気が付いたところでもはや後の祭りであるが。

「友雅さん!蘭が居るって知ってたでしょ!」
「いやいや、あかねが気が付くまで私も蘭殿がそこにいるとは知らなかったよ」
「う〜〜、絶対気付いてた・・・」

 目の縁に涙をうっすら浮かべて上目遣いで睨んでもちっとも恐ろしくはない。かえって目の前の男を喜ばしているだけだとあかねが気が付くのは一体いつになることだろうか。

「まあ細かいことは良いじゃないか。過ぎたことを気にてもしかたないさ、そんなことよりせっかくの二人の時間を楽しむ方が大切だと私は思うけれど」
「ん・・・そうですね。うん!今度からは周りに気を付ければいいものね」

 もともと気持ちの切り替えが早いあかねである。直ぐに立ち直って友雅と一緒にお昼を食べるべく人気のない大きな銀杏の木陰に場所を移動して作ってきたお弁当の包みを広げはじめた。

「あのね、友雅さん・・・お弁当・・・作ってきたんですけど、食べ・・・ます?」

 おしぼりを差し出しながらおずおずとあかねが言うと、友雅は一瞬目を見張ったあと、これ以上ないくらいの極上の笑みを浮かべて力一杯あかねを抱きしめた。

「本当かいあかね!いや、君の言葉を疑うなんて無粋なまねはしないよ。ああ、私はなんて果報者なんだろうね。君が作った料理を食せるなどこの身に余る光栄だよ。私がこの年まで生きながらえてきたのも全ては君に出会いこの日を迎えるためだったのだね。」
「ちょっ、ちょっと友雅さん!そんな大げさな物じゃないですって。」

 弁当ではなくそのままあかねを食べそうな勢いの友雅を何とか押しもどして、荷物から友雅用に作ってきた若葉色の包みと、自分用に作ってきた桜色の包みを取り出す。

「あんまり上手に出来なくて・・・美味しくないかもしれないですけど」
「あかねが私のために作ってきてくれてものだろう?それが美味しくないわけが無いじゃないか」

 こんなにも期待されて、実際は不味かったなんてことになったらもう友雅に顔も合わせられない。あかねは一瞬の躊躇のあとエイッとばかりに勢いよく包みを開いて中身を露わにした。

「おや、これは・・・ふふ。ありがとうあかね。とても美味しそうだよ」

 開けられた包みの中にはのりであかねと友雅の顔を作った可愛らしいおにぎりが二つと葱が入った玉子焼き。海老フライとちょっと不格好なタコさんウインナーに花の形に型抜いたかまぼこ。そして鮮やかにゆでられたブロッコリーが彩りを添えている。確かにあちこちいびつな形をしているが、しかしそこにはあかねの友雅への愛が溢れんばかりに詰まっていた。

「ねぇあかね。君の手で食べさせてはもらえないの?」
「え・・・い、いいですよ」

 普段は恥ずかしくて出来ない行為も、運動会という特別な雰囲気があかねに箸を取らせた。まずは一番良くできたと思う玉子焼きからつまんで友雅の口へと持っていく。

「はい、あーんして下さい」
「ん・・・・・・うん。とても美味しいよ、あかね」
「本当ですか?無理してません?」
「無理などしていないよ。あかねも食べてみると良いよ、ほら」

 そういうと今度は友雅が箸を取って玉子焼きをつまみ、あかねの口元へと持っていく。

「はい、あかね、あーんして」
「え、えっと・・・はい。・・・・・・ん、美味しい」
「ね、ちゃんと美味しいだろ?君はもっと自信を持って良いのだよ。君が魅力溢れる人だといういうことは私の命をかけて保証するよ」
「だから友雅さんは大げさなんですって・・・」

 友雅の大仰な言い方には恥ずかしくていつもやめてと言うが、本当に心から言ってくれているのが感じられてあかねにはとても嬉しかった。
 玉子焼きは砂糖と塩の加減がちょうど良く、うまく半熟に出来たのもあって口の中でほろりと溶け、熱さで疲れた身体に心地よく入っていった。

「あ、友雅さん。私柿の葉茶作ってきたんです。飲みます?」
「茶まで用意してくれたのかい。全く・・・君は私をどこまで喜ばせれば気が済むんだい?」
「そ、そんなんじゃないですよ。はい。熱いから気を付けて下さいね」
「ありがとう、あかね」

 それから二人はお互いに食べさせ合ったりお茶を注ぎ合ったりしながらお弁当を全て食べ終え、木漏れ日の柔らかな光の元で穏やかに午前中の競技についておしゃべりをしていた。

「それでですね、大玉を追いかける犬神と豆狸がとってもかわいかったんですよ」
「ふふっ、そのように熱っぽく語られては、怨霊といえども嫉妬してしまうね」
「もう友雅さんったら・・・・・・ふぁああ・・・」
「おや、お腹一杯になって眠くなってしまったかな。いいよ。まだ時間があるから眠りなさい。時が来たら私が起こしてあげるから」
「ん・・・・・・」

 一旦あくびをしてしまうと眠気が来るのもあっという間で、あかねは友雅の腕の中でゆるゆるとまぶたを閉じていく。

「あのね・・・友雅さん・・・」
「なんだい、姫君」

 落ちていく意識の中であかねは友雅に伝えたかったことを思い出しゆっくりと言葉を紡ぐ。

「運・・・動会・・・が終わっ・・・たら・・・・・・一緒に────────」

 言い終えるとスヤスヤと寝息を立て始めたあかねの頬を、秋風が優しく撫でていった。




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