(中編)
ある休日、あかねは友人と約束していた。
休みの日は友雅と過ごすことも多いが、やっぱり友達と買い物に行ったりしたい日もある。
友雅も、そういう時間も大切にしなさいと言ってくれているし、あかねは駅前で友人を待っていたのだが。
♪♪♪♪♪
あかねの携帯が鳴った。
「はい。」
『あかね? ごめん、ちょっと急用が入って今日行けそうにない!』
待ち合わせしていた友人からの電話だった。
家のことで何か急用が入ったらしく、ドタキャンの電話だった。
「うん、わかった。じゃあ、また今度ね。」
残念だが、仕方がない。
一人でぶらぶらしようかとも思ったが、あかねは友雅のところに行くことにした。
時間が空いたのなら、やっぱり友雅に会いたい。
あかねは友雅のマンションへと向かった。
玄関の呼び鈴を鳴らそうとして、あかねはふと手を止める。
(もしかして、友雅さん寝てるかな・・・。)
友人との待ち合わせ時間が早かったため、まだ家を訪ねるには早い時間。
普段遅くまで仕事をしている友雅は、もしかしたらまだ寝ているかもしれない。
となると、起こすのも悪い気がする。
玄関の鍵は友雅からもらっている。
いつでもおいで、と言われているし、あかねはそっと鍵を開け極力音がしないように部屋に入った。
(そーっとね。)
もし起きていたら、びっくりさせるのも面白いかもしれない。
いつもいつも友雅に驚かされてばっかりなので、たまには驚かすこともやってみたい。
起きている物音がしたらバーンとドアを開けてびっくりさせようと思い、あかねは中の気配を探った。
(あ、起きてるみたい。)
何かぼそぼそと話し声が聞こえる。
テレビの音かと思ったが、友雅の声もするので誰かと話しているようだ。
あかねはギクッとした。
友雅が部屋に誰かを上げたところなど今まで見たことがない。
もしかして。
・・・誰か女性でも連れ込んでいるのではないだろうか。
今日あかねは一日中友達と出かける予定だった。
友雅にもそう言ってある。
また疑惑が頭をもたげ、あかねはドアに耳を近づけ中の会話に耳を澄ませた。
(?)
女性の声ではなかった。
どこかで聞いたことのある声。
「・・・だから、白虎。」
(・・・あ!)
聞き覚えがあるのも道理。
友雅の四神でもある白虎の声だった。
半分ほっとしたが、友雅の言った言葉が気になりあかねはそのまま耳を澄ませる。
「そんなに簡単にあかねと契れるわけないじゃないか。」
(・・・え?)
あかねはちょっとドキッとしてしまった。
契る、というのは、確か身体の関係を持つことだ。
ということは、友雅は白虎とあかねとの関係について話しているらしい。
「やっぱり初めてというのは何かと不都合があるだろう?」
「・・・そんなに気にすることか? おまえでもそんなことを気にするんだな。」
「そりゃあ気にするさ。うまくいかないこともあるかもしれないし。」
友雅がため息混じりに言う。
「・・・初めてじゃなければね。私だってまだ気が楽なんだけど。」
「神子に正直に言えばよいではないか。」
「言えるわけないだろ? 初めてなのが嫌だなんて。」
あかねはその会話を呆然と聞いていた。
友雅は、あかねが初めてということを重荷に感じているらしい。
あかねは、学校で友達が話していることを思い出した。
『処女っていうのは、男にとって重いらしいよね。』
友人が言っていたことは本当だったらしい。
やっぱり友雅もそう思っていたのか。
「・・・だからあかねと契るのに戸惑っているのだよ。」
「はっ、あきれたな。じゃあ、おまえはどうやって処理してるんだ? 性欲くらい一人前にあるだろう?」
「そりゃあ、処理の方法なんか決まっているだろう。」
(・・・えっ・・・。)
今の友雅の一言。
これは、やっぱり・・・。
浮気。
セフレ。
そんな言葉だけが頭に浮かぶ。
あかねは思わず後ずさりした。
これ以上聞くのが怖かった。
すっかり友雅の会話に気を取られていたため、後ろに観葉植物が置いてあったことを忘れていた。
あかねはそれにぶつかって、植木鉢を倒してしまった。
派手な音を立てて、植木鉢が転がる。
その音に友雅も驚いた。
いったい何事だろうと玄関へ繋がるドアを開ける。
「・・・あかね? どうして・・・。今日は友達と出かけたんじゃ・・・?」
友雅はそこにいたあかねに驚いた。
今日は来ないはずではなかったのか。
しかし何より驚いたのはあかねの顔である。
顔色も青ざめていて、今にも泣きそうな顔をしている。
「どうしたの? あかね。」
「あ・・・。」
あかねは何を言ったらいいのかわからなかった。
「私・・・。」
何か言おうとするが、うまく言葉にならない。
何か言えば、涙がこぼれてきそうだ。
友雅があかねの様子から状況を察したようだ。
「あかね・・・、まさか今の話・・・、聞いていたのかい?」
ばつの悪そうな顔をする友雅から、あかねは思わず目をそらしてしまった。
これでは聞いていましたというのと同じことだ。
「私・・・、友雅さんがそんなこと思っていたなんて知らなくて・・・。」
「あかね。い、いや、さっきの話は・・・。」
「ごめんなさい、私・・・。」
あかねはじりじりと後ずさる。
「私、友雅さんにとって、重い女だったんですね。」
「・・・え?」
あかねはぐっと唇を噛む。
「友雅さん・・・、初めてなのが嫌って言った。」
「・・・っ!」
友雅が言葉に詰まる。
聞かれていたのなら、ごまかしようもない。
あかねは泣きそうになるのを堪えて言う。
「どうして? 最初は痛がるから? 何のテクニックもないから?」
「え・・・?」
「友雅さんはそんなこと言わないと思ってたのに・・・。私が経験ないの、そんなに嫌なの?」
「・・・あかね?」
「だって今まで男の子と付き合ったことなかったんだもん。処女だって仕方ないじゃない。」
友雅は首を振った。
「あかね、違う。そんなこと言ってるんじゃないんだ。」
「何が違うの?」
「それは・・・っ。」
あかねに問い詰められるが、友雅は何も言えない。
あかねはその沈黙を、やっぱり自分が処女なのが友雅は嫌なのだ、と解釈した。
「友雅さんがそんなに嫌なんだったら、・・・私、最初は他の誰かにしてもらうから!」
「あかね?」
友雅はびっくりしてあかねの顔を見た。
「他の誰かって・・・。」
「誰でもいい。天真くんでも詩紋くんでも。学校の友達でも。」
「・・・あかね!」
友雅がきつくあかねの手を掴んだ。
「冗談だろう? どうしてそんなこと言うの?」
「友雅さんが嫌なら仕方ないじゃない!」
あかねはきっと友雅を睨んだが、びくっと身体をすくませた。
それほどまでに友雅は怖い顔をしていた。
「・・・そんなことは許さない・・・! 他の男になど・・・、絶対!」
ますますきつくあかねの手を掴む。
その痛みに、あかねは顔をしかめた。
振り払おうとしてもびくともしない。
あかねは震える声で友雅に言う。
「どうして? 初めてなのが嫌なんでしょ?」
「だからそれは・・・。」
「初めてじゃなければ、抱いてくれるんでしょ? だから私・・・。」
「神子。」
部屋の奥からのっそりと白虎が姿を現した。
「ちょっと落ち着いたらどうだ。」
「白虎さん・・・。だって・・・。」
「おぬし、勘違いしておるぞ。」
「・・・え?」
あかねが涙で潤んだ目で白虎を見る。
「初めて、というのは神子の話ではない。」
「白虎!」
友雅が焦ったように、白虎を振り返る。
言うな、と目で訴えるが、白虎はふん、と鼻を鳴らしただけだった。
「初めて、というのはこやつの話だ。」
白虎があごをしゃくって友雅を指し示す。
「・・・え?」
白虎の顔は、どこか愉快そうでもあった。
「こやつは生まれてこの方、女性と契ったことがない。情けないことだがな。」
「・・・は?」
あかねは白虎の言っていることがすんなりと頭に入ってこなかった。
今、何かすごく違和感のあることを言われたような気がする。
友雅の顔を見ると、顔を赤くして困ったように目を泳がせている。
「・・・どういうこと?」
「やれやれ、信じられないか? まあ、年も年だからな。だが、本当にこやつは女性と関係を持ったことなどないぞ。」
あかねは目をぱちぱちとしばたたかせた。
「・・・は?」
あかねから出てくるのは、どうしてもそういう音にしかならない。
「だ、だって、京にいる時、友雅さんのことたくさんの女房さんが噂してて・・・。」
「神子は女房の話しか知るまい?」
「そ、それはそうだけど・・・。」
「あれは全て女たちの見栄にしか過ぎぬ。こやつと一緒にいて何もないということは、自分に魅力がないということと一緒だからな。」
「え? それじゃあ・・・。」
「こやつは顔だけはいいからな。評判だけが一人歩きしておったのだ。女たちはなんとかこやつと関係を持とうとあの手この手で取り入ろうとしたのだが、こやつは女と一緒にいても酒を飲むか琵琶を爪弾くかで、女には指一本触れておらぬよ。」
あかねはまだ信じられない。
「それ・・・、本当?」
白虎が頷く。
どう見ても、白虎が嘘を言っているようには見えない。
「友雅さん・・・、セフレがいるんじゃなかったの?」
「セフレ?」
友雅は一瞬あかねが何を言っているかわからなかったが、ふとその言葉の意味に思い当たる。
「ちょ、ちょっと待って、あかね。」
困惑したような友雅の声。
「・・・セフレってセックスフレンドってことだろう?」
あかねの身体がビクッとしたまま固まる。
「そんなのいるわけないじゃないか。」
「でも・・・。」
「何?」
「電話が・・・。」
ポツッと言ったあかねの言葉に、友雅は首をかしげた。
「電話?」
「友雅さん・・・、私の知らない携帯持ってるし、それ、女性の名前ばっかりだった。」
友雅は、この前あかねが自分の上着に手を触れていたことを思い出した。
「・・・ああ!」
友雅はポケットから携帯を取り出す。
「これのこと? 見たのかい?」
あかねはためらいがちにコクリと頷く。
「ああ、ごめんごめん。これは仕事用なんだよ。そう言えばあかねに見せたことはなかったかな。」
仕事用と言われて、それを信じてもいいものだろうか。
あかねは友雅と白虎の顔を交互に見る。
「・・・でもアドレス帳が・・・。」
「え?」
「アドレス帳、女性の名前ばっかりだった。」
「それで、私が浮気していると?」
友雅がため息をついた。
携帯を開け、アドレスを確認する。
「まあ、この携帯だけ見れば、確かにそう見えるかもしれないね。」
友雅が怒るかと思っていたあかねだったが、予想に反して友雅の声はなんだか困ったような言い方だった。
「ここにあるのは、取引先の相手ばかりなんだけどね。ほら、名前の後に社名も入れてあるだろう?」
あかねは友雅の差し出した携帯を見た。
この前は気が付かなかったが、確かに社名も入っている。
「どういうわけか、取引先の相手は皆女性ばかりなんだよ。最初男性が担当でも、すぐに女性と変わってしまうんだ。」
白虎も仕方なく友雅に助け舟を出す。
「外見が外見だけに女好きに見えるからな。相手方も女性を担当にしたらうまくいくと思うようだ。全く人間というのは浅はかなものだな。その女たちも何とかしてこやつに取り入ろうとしているようだが・・・、神子、こやつに全くその気はないぞ。」
「・・・本当なの? 白虎さん。」
「神子であるおまえに嘘など言う必要もない。」
確かにそうだ。
龍神の神子であるあかねに、四神の一人白虎が嘘などつくはずがない。
しかしそれにしても、友雅は三十歳を越している。
結婚が早いあの京に生まれ育ちながら、女性経験がないなんて本当だろうか。
女性・・・。
(・・・はっ!)
もしかしたら。
新たな疑惑があかねの頭の中に浮かび上がる。
「友雅さん・・・、まさかホモなの?」
女性より男性の方が好きなんだったら、今まで女性と関係したことがなくても当然かもしれない。
友雅は一瞬ぽかんとした後、慌てて否定した。
「ち、違うよ、あかね! そんなわけないだろう!」
「わっはっはっ! ほんに神子は面白いのう。」
白虎が愉快そうに笑った。
「そんな心配はいらぬよ。こやつは正真正銘、ぴかぴかの童貞だ。」
「白虎!!」
あまりの言い方に、友雅が真っ赤になる。
「・・・じゃあ、本当に本当なの?」
「本当だ。そんなに初めてなのが嫌なら適当な女と経験すればいいと言ったが、こやつは断固として神子以外の女性は抱きたくないと言いおった。」
「と、友雅さん・・・。」
あかねが真っ赤になって友雅を見るが、友雅はあかねと顔を合わせない。
合わせないが、その耳が真っ赤に染まっている。
「もう一つ教えてやれば、こやつは神子が初恋だぞ。」
「・・・え?」
「白虎!! もう帰れ!」
友雅が白虎の方を振り返ると怒鳴った。
「やれやれ、そんなに恥ずかしがることもあるまい。・・・まあこれ以上ここにいても邪魔だろうからな。消えるとしよう。」
白虎は愉快そうに笑うと、あかねに言った。
「一生人を愛することなく死んでいくのかと思っていたがな。神子、おまえに会ってこやつは変わった。情けないヤツだが、よろしく頼む。」
そう言うと、白虎の姿はあかねたちの前から掻き消えていた。
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