※この作品は、軽めの性的な表現があります。苦手な方はご注意下さい
『春霞』

= 黒 =








『これでお仕舞いだよ、あかね』

箏を奏でるあかねの手が止まる。
そっか。もうお仕舞いなんだ……。

友雅の妻として、友雅の邸で暮らすのようになって数ヶ月。
あかねは、持ち前の好奇心から友雅に貴族としての手ほどきを受けていた。
和歌、漢詩、そして以前も教えて貰った箏。
好奇心旺盛で、元々頑張り屋のあかねだから、あかねも無理することなく、自然と教養を身につけていた。
そして、この日。遂に、友雅から「もう教えることはないよ」と言われたのだった。

数ヶ月の間、朝廷が終わると直に帰って来ていたこともあり、この時間がもう取れないのかと想うと、あかねは少し寂しく感じた。
夜になれば一緒だし、それはこの京の時代には珍しいことだとは解っていても。

『まだです!』

気がつくと、引き留めたい思いが口に出ていた。

『だって、友雅さんの好みとかまだ全然知らないもの』

『好み?』友雅が聞き返す。
『はい、好みです。ほら…えっと、今までいろんな和歌とか教えてくれたけど、どれが好きなのかとか……。
……あと、その…女性のどんな姿が好きなのか……とか……』

必死に言い訳をするあかねに、友雅はふふっと柔らかく笑う。

『それに、私の世界だとテストっていうのがあるんです。習ったことをちゃんと覚えてるかどうか。だから……』

『習ったことを覚えているかどうか試して、それでどうするんだい?
 別に覚えていなくとも困ることはないだろう?』

確かにそうなのだが……。そうなると、百人一首暗記させられたりとか年号覚えさせられたりしたのって何だったんだろうと思う。

『あ、えっと』
戸惑うあかねに、友雅が笑って答える
『わかったよ。君が望むならそうしようか。
そうだねぇ、では、君が私の好みの和歌を詠んだら、そのご褒美に一つ、
私の好みを教えてさしあげよう』

友雅は『好み……ね』と一人呟いた。


翌日から、あかねと友雅の和歌合戦が始まった。
合戦というよりは、あかねがひたすら思い出す和歌を友雅が聞いているというものだが。

万葉集や古今和歌集……それから、あかねが学校で習ったはずの百人一首をどうにか思い出しながらやりとりする。


−うたたねに恋しき人を見てしより夢てふ物はたのみそめてき
『ふふっ、可愛いね。あかねの転た寝に出てくるのは、私だといいのだけれどね』


−恋ひ恋ひて逢へる時だに愛しき言尽くしてよ長くと思はば
『おや、これほどまでに愛を囁いているというのに、もっと欲しいのかな……
 では、これから毎晩、君が寝付くまで耳元で愛を囁くようにしようか』


あかねの和歌に友雅が答え、そして口づける。時には額に。時には頬に。
あかねが和歌を詠めば詠むほど、友雅の口づける場所は増えていった。


『あの、友雅さん。それで、友雅さんの好みを教えてくれるというのは…?』

思わずあかねが問いただすも、
『おや、まだ解らないのかい?それとも、もう降参かな?』などと言うものだから、
あかねはつい『いえ、降参なんかしませんっ』と言ってしまい、
好みが解らないまま、ただ、口づける場所が増えていくだけの日が続く。

唇は勿論、首筋に…項に、鎖骨に。
あかねはその都度、驚きながらも徐々にそれを受け入れていく。

やがて、口づけは着物で隠れている部分にもおよび、気がつけば和歌の
やりとりが始まって半年、あかねの肌の目に見える部分には全て赤い花が咲いていた。
口づけはすっかり習慣となり、友雅の深い口づけに合わせ、
いつしかあかねもまた自ら友雅に口づけをおねだりし、深い口づけもするようになっていった。


―長からむ心もしらず黒髪のみだれてけさは物をこそ思へ

ふと、あかねの口をついた和歌に友雅が反応する。
『あかねは、その歌がどういう意味か解って言っているのだろうね?』

『えっと……』

友雅の口づけが全身と、今までとは異なる場所に落とされる。

『どんな花を咲かせるのか、見せてくれまいか』


幸せな重みを腕に感じながら、友雅はあかねの髪を撫でる。
あかねは目覚めると途端に頬を染める。
そして、恥ずかしさからか少し身体を覆う衣で少し顔を隠しながら問う。

『友雅さん…… あの…』
『うん?』
『その、友雅さんの好みってあの歌だったんですか?』
『ああ……違うよ、あかね。
 私の好みはね……こうして、身体中に私の色のついた君が私の腕の中で
 私だけの花として開いて行くことなのだよ』
あかねの頬が再び紅く染まる。

『気がついていないのかな、あかね。最近では君宛の恋文もなければ、
 他の八葉からの誘いもないだろう?』

『……?』

『それはね。君の首筋ある証が何か、皆、解っているからなのだよ』

『え、友雅さん。あの…っ、一体いつから…。』
あかねは慌てて鏡でその場所を見る。鏡からだと見えにくい場所に、その痕はしっかりと残っていた。

『友雅さん…… 恥ずかしすぎです』

友雅はあかねを再び抱き寄せ、耳に囁く。

『愛しているよ、あかね。これからもずっと、私の腕の中で咲き続けておくれ』

−春霞たなびく山のさくら花見れどもあかぬ君にもあるかな





前回の作品で友雅さんとあかねちゃんの甘い時間が足りなかったので、
今回は存分にあかねちゃんを愛でることにしました。
書いてて気がついたんですが、合計すると一年くらい手を出してないことになりますね。
あかねちゃんが一生懸命なのを逆手にとって、自分の好みの展開に持って行くところが黒かな……と。

Drop into a reverie / 櫻野智月 様