黒 日 〜koku hi〜

= 黒 =






  上も下も、右も左も、真っ黒な空間に少女は囚われていた。
  意識はある、目も見え耳も聞こえる。
  だが口から声を発する事は出来ず、体も微動だに出来ない。

  そんな彼女のすぐ横を男は通り過ぎだ。
  まるで少女の存在など無きが如く、気付くことなく、気にも留めないで。

  男は、いつの間にか少女の目の前に現れた、豪華な十二単を纏った姫を愛しげに抱き締めた。
  恋人を見詰めるがの如くの優しげな眼差しに、艶を佩び嬉しげに囁く美声。



  「愛しているよ」





  ─── 嫌だ、嫌っ! 分ってはいるけれど嫌だっ!!
        私の目の前で、そんな風に他の人との関係を見せ付けないでぇ!!!───









  「・・・くっ!」



  少女の声にならない慟哭が届いたのか、一転して男は苦悶の表情を浮かべ
  十二単を掴みながらもズルズルと、力なくずり落ちていった。

  姫が手にしていたのは、怪しげに光る懐刀。
  そしてその刃には、赤褐色の液体が滴り落ちていた。




  ─── えっ!? ───




  ふふふ



  妖しげに笑う姫と、少女の視線が絡む。

  次の瞬間、少女は豪華な十二単を纏っていた。
  手には懐刀、足元には鮮血に染まった男の身体。

  少女はぺたんとその場に座り込むと、血色を失った男の顔をまじまじと見詰める。

  翡翠を佩びて緩やかにウエーブする髪、切れ長の閉じられた瞳
  筋の通った高い鼻、僅かに微笑んだように結ばれた薄い唇。

  ・・・もう二度と開かれる事のないソレ・・・永久に私のもの?・・・




  ぷつり

  何カガ音ヲ発テテ切レタ。



  「・・・ふふ、はっ、あはははははは」



  狂喜を佩びた笑い声を上げながら、少女は・・・あかねは
  自らが鮮血に染まるのも全く厭わず、男の・・・友雅の死体にしがみ付いた

  心の底から湧き上がってくる物は『歓喜』

  誰かのモノになるのなら、いっそ殺してでも手に入れたいと願う狂った夢。














─── 本当に、ただの夢? ───



















黒  〜koku hi〜 



  「え、どうして藤姫?」

  「本日は黒日ですので、外出はお控えくださいませ」

  「黒日?」

  

  あかねが何時もの如く外出しようとしていたのを、藤姫はきつく止めたのだ。
  聞きなれない言葉に首を傾げていると、噛んで含める様に少女は説明を始める。


 
  「月に一度、大凶日が巡ってまいります。
   本日、水無月の午の日がまさにその黒日なのです。
   それに明日は、龍神様のお力が一番満ちる日
   満ちる前は大きく引くもの、本日は最も龍神様の加護が得られない日なのです」

  「え〜っと」

  「神子様には、京を救って頂きました。
   そして明日は、一年を経て神子様のあるべき世界にお戻りになる日。
   その事は寂しゅうございますが、藤は、最後まで無事に神子様に御仕えしたいのです。
   ですから、どうか、本日は邸に留まりくださいませ」  

  

  幼い藤姫に涙目でこうも真剣に訴えられては、あかねとしてはどうしようもない。



  「うっ、うん、分った・・・局にいるから」

  「そうですか、宜しゅうございました。
   それでは、何か御座いましたらお呼び下さいませ」
 


  藤姫は深々と頭を下げると、あかねの局を出て行った。



  「どうしよう・・・かな」



  彼女がいなくなって、大きな溜息を吐く。
  あの日以来、必要以上に藤姫が心配性になってしまったのも、ある意味仕方がないのだが




  あかねは黒龍の瘴気から守る為、自らを贄にと捧げた。
  あの荘厳たる白い世界で、彼女の魂をそれたらしめたのは一体誰の言霊だったのか。
  ともあれ、何とか神代の国から戻れたものの流石に無事に・・・という訳にはいかなかった。

  人知を超える膨大な神気に晒された結果、意識を取り戻すまでに三日。
  身体機能が回復するまでには、更に一週間の月日を要し
  ようやく床から起き上がれる様になった頃には、帰れる好機を逸していたのだ。
  京の気は滞りなく巡り始め、流れは日々緩やかに満ち引きを繰り返し
  差が最大になる時、その時が最も龍神の力が満ちる瞬間。
  あかねが床に伏せっている間に、最高の時期は過ぎ去ってしまい、次に訪れるのは一年後。
  否応もなく、一年の居残りが確定したのだ。


  あかねや天真や詩紋、そして無事にこの手に取り戻した蘭は
  土御門で世話になりながら、日々を過ごした。
  日がな一日を邸に留まることもあったが、台風一過が過ぎ去ったような京の現状は 
  未だに清浄な神気を宿したままの龍神の神子を、放って置く筈もなく
  小さな事とはいえ何事か異変や怪異な事があれば、八葉と共に出かける事もしばしばだった。

  
  そんなこんなで、もうすぐ一年。
  明日は神泉苑より現代に帰るであろう日・・・だが、その前にどうしても
  やらなくてはならない事が、あかねにはあったのだ。
 
 
  その為に、もう当人は神泉苑に呼び出してあるのに



  「どうしようも何も、行くんでしょ神泉苑に」



  と、後ろから静かに声がかかった。



  「・・・蘭・・・」

  「行って、ケリをつけたいんでしょ」
  
  「・・・うん、じゃないと後悔しちゃいそうだから」

  「仕方ないわね、皆にばれない様に少しだけ黒龍の神気を纏っていくといいわ。
   白龍の加護が最低になる日は、黒龍の加護が最大になる日。
   黒龍の神子の私が、貴女を護るから」

  「ありがとう蘭・・・じゃぁ、行ってくるね」


 
  ほんの少しだけ大人びた笑顔を残し、あかねはそっと局を抜け出した。
  残された蘭は軽く息を吐く。
  先に進む力、それは白龍の神子の力。
  誰にも、そう例え対の黒龍の神子でさえ、その力を押し止める事は出来ないのだ。



  「あの子も、厄介な男に惚れたものね」
  










  あかねが息せき切って神泉苑に駆け込んでみたら、既に待ち人は着ていて
  その意外な光景を目の当たりにして驚いた。

  あの友雅が木に寄り掛かって、うたた寝をしていたのだ。

  飄々とした雰囲気で誤魔化してはいるが、流石は帝の懐刀と言われた武官。
  気配などには敏感で、こんな風に無防備な状態を曝す事など一度足りと見た事がない。

  そう言えば、最近何か忙しくしているらしいと誰かが言っていた。

  もしかしてこんな用事の為に呼び立ててしまい、無理をさせただろうかと
  側に寄って見るも全然目が覚める気配もなくて、思わずじっと見入ってしまった。
  




  思いがけず手に入れた一年間の猶予。
  ・・・もしかしたら、それは龍神からの贈物だったのかも知れない・・・

  今迄以上に構ってもらえて、楽しかった。
  彼にしてみれば、物珍しさから揶揄っているに過ぎないとしても、嬉しかった。
  だけど日を追うごとに、段々とその言葉を本気に捕らえるようになってしまって
  そんな事はないと頭では分っているのに、感情が都合のいいように解釈してしまって

  いつの頃からだろうか、あんな夢を見るようになったのは?
  
  貴族の婚姻は通婚、しかも妻を複数持つことが当たり前の世界。
  万が一、彼の言葉を本気に捕らえて
  億が一、この京に残って
  兆が一、彼の妻になれても
  恋多き色男、他の女性の元に通うのだろう。
  そしてそれが尋常であり、普通であり、当然である世界。


  その時、あの夢が現実にならないと断言できる自信は・・・ない。



  ふと、友雅が嬉しそうに笑った。
  夢の中で誰と逢っているのか? そう考えただけで、胸の奥がツキリと痛むのに・・・。

  あかねは顔を作るために軽く頬を叩くと、友雅の肩を揺り動かし声を掛けた。



  「友雅さん。  起きて下さい、友雅さん。  友雅さん!」

  「はっ!」

  「友雅さんがこんな所でうたた寝なんて、大丈夫ですか?」

  「あ・・・あぁ、いや」



  軽く頭を振って、現状況を確認している様だ。
  だがその無理に覚醒している様子が、夢の逢瀬に想いを馳せている様に思えて
  つい、口を吐いて出てしまった。



  「微かに笑っていたから、楽しい夢でも見ていたんですか?」
  
  「そうだね、私にとっては・・・そう、かな」



  思わせぶりな微笑みに、胸の痛みはツキリ、ツキリとどんどん大きくなる。
  一世一代の告白の日、折角のその日に嫌な表情はしたくないから
  精一杯の気遣いを



  「それにしても、私が来ても全然気がつかなかったから、よっぽど疲れていたんですね。
   最近、何か忙しいみたいですし、無理に呼び立ててごめんなさい」

  「いや、それは大丈夫、構いやしないよ」



  本当はそんな余裕は全然ないけれど、最後の日に醜い自分は見せたくないから。



  「それで、私に話とは何かな?」



  大きく息を吸い、心に決めた言葉を吐く。



  「友雅さん、私、明日自分の世界に帰ります」












  「・・・そう、それはとても残念だねぇ」


  
  数秒間たぷりと沈黙があって、ほんの少しだけ寂しげに笑って
  その態度を全く変えない友雅に、あかねの決心が揺らぐ。

  こんな事を告げてもいいだろうか? 迷惑にならないだろうか?

  だけど今日は、黒い日々と決別する日。



  「私、友雅さんが好きです」

  「え!?」
 
  「・・・だから、明日、自分の世界に帰ります」

  「・・・み・・・こ・・・殿」



  友雅は驚愕に目を見開き、何とも言い難い複雑な表情をしている。
  帰る事は分っていた筈、だから突然の告白に驚いているのだろうと。
  何と答えてよいものか、傷付けずにこの場をやり過ごすには
  どうしたらいいかと、考えているのだろうと。
  そんな彼の表情を見たくなくて、あかねは思わず背を向けた。

  ツキリ、ツキリ、ツキリ、胸の奥の魂が強く軋む。

  涙が零れそうになるのを必死で抑え、一気に心情を捲くし立てる。



  「私は子供だから、京のお姫様みたいに大人じゃないから
   友雅さんが、他のお姫様の処に通うのが嫌だから
   でも友雅さんが好きだから、嫌われたくないから・・・明日、帰ります」


  ─── 逃げる事になるけれど ───




  「友雅さんに出逢えて良かった」


  ─── ここに残ったら、迷惑をかけてしまうから ───   


 

  「友雅さんが住む京を守れて良かった」


  ─── 少しでも、貴方の心に残れるから ───




  「だから胸を張ってこう言えます」


  ─── 今はこんなに胸が、魂が、魂魄が痛いけれど ───




  「友雅さんが初恋の相手で良かっ・・・た」  
  

  ─── きっと、いつか、大切な傷痕になると思うから ───









































  「・・・全く、酷い人だね神子殿は」

  「えっ」



  盛大な溜息一つと共に、背後から腕が回され友雅に力一杯抱き締められた。   
  何時ものやんわりと包むものではなく、逃げる事も身を捩る事さえ出来ない力任せの抱擁と
  その非難めいた言葉に身体が強張る。

  やっぱり迷惑だったんだ、と俯いてしまったあかねの耳元で思わぬ言葉が紡がれた。



  「『良かった、良かった』・・・と、全て過去形なのかい?
   それで身も心も御身に捧げた男を、見限ってしまうと言うのかい?」

  「え!?」



  逃れ様もない腕の中で、肩を掴まれ、体を回され、あかねが見上げた先にあったものは
  その冷めた言葉とは全然対照的な、蕩けそうなほどに嬉しげに微笑んだ友雅の顔。



  「君に捨てられたら、私は儚くなってしまうのだよ。
   だから、最後まで面倒を見てもらわないとねぇ」

  「・・・面倒って・・・」

  「連れて行ってもらえるかな? 君が戻る桃源郷に」



  降り注がれる言葉がまるで呪文の様で、正しい状況の判断が出来ない。
  つまり、この京での生活や身分を捨てて現代に一緒に来てくれると?
  右も左も、生活習慣も考え方も何もかも、未知の世界に飛び込んでくると?

  ─── 私の為に? ───


  
  「だけど、ソレは!?」

  「おや、神子殿は私を殺しておしまいになりたいと?」

  「でも」

  「そうだねぇ、こんな年寄りの鬱陶しい男はお嫌だろうが」
  
  「ちっ、違っ!」

  「ふふ、でも駄目だよ、私はまだ死にたくないからねぇ。
   嫌だと言っても、無理矢理に随行させていただくからね。
   だから本当に嫌ならば『ここ』を懐刀ででも貫いておくれ・・・それもまた本望だ」


  始終物騒な言い回しではあるが、その表情は何の迷いも柵もない子供のような笑顔のまま
  友雅はあかねの柔らかな手を取り、自らの心臓の上へ強く押し当てる。

  ドクン! といつも見ているあの夢がフラッシュバックされて

  翡翠を佩びて緩やかにウエーブする髪、切れ長に細められた瞳
  筋の通った高い鼻、僅かに微笑んだように結ばれた薄い唇。

  ─── 一緒にいてくれるんですか、これからもずっと? ───


  縋る様に、請う様に、願う様に見詰め返せば、友雅はあかねを抱き締め
  恋人を見詰める優しげな眼差しに、艶を帯び嬉しげに囁く美声。



  「愛しているよ・・・あかね、逃がさないからね覚悟おし」



  そっと、唇が重ねられる。














白龍の加護が得られない黒の日に、神の子は人の子に・・・否、女と成る。




─── 嘘だったら、本当に懐刀を突き立てちゃいますからね ───










はい、と言う訳で『現代お持ち帰り』と相成りました。

「もっと暗黒に叩き落す」は、ヤツのグルングルンなんで構わないけど
「洒落なならんぞゴルアァァァ!」は、真剣に無理なんで orz 却下!
まぁ所詮私の書くSSですから、黒と言ってもこの辺が精一杯かと(^_^;)

因みにタイトルの「黒 日(こく ひ)」は『告日』
告白する日とかけておりますw(・・・言わなきゃ分んねーよ!

友雅編の「黒日」(R18)と読み比べてもらえれば
黒さの違いと度合いが、分るかと。


いつまでも子供と思って舐めんなよ、ってねw(≧▽≦)
まぁ『ヤツを殺すにゃ刃物はいらぬ〜、一言「嫌い」と言えばいい〜♪』

さてその後、ヤツは腑抜けになるか? 真っ黒になるか?
 

姫君主義 / セアル 様