夏の終わりに ーSide Tー

= 残暑 =





ウィィィィン・・・・という静かなコンピュータの作動音。

開け放った窓から容赦なく流れ込んでくるセミの声も、なんだか自分を急かしているように思える。

 言われなくても一番気が急いているのは私だよ。

 友雅は唇の端に苦笑を滲ませる。と、またミスタッチ。苛立たしげに小さくため息をつく。

 大体、私はこんな風に自分の仕事を見せびらかすようなことは好きではないのだけれどね。

 樹木医としてこなした仕事結果を、母が切り盛りしている『碧造園(株)』のホームページにアップする。仕事が遅々として進まないのは、この仕事に気乗りがしないからであって、断じてさっきから視界の隅でちらちらしている白い肢体が悩ましいからではない、と友雅は自分に言い聞かす。

 いつものように前触れなくやって来たあかねは、初めて見る柔らかな素材のワンピースに
身を包んでいて・・・丈は短いし、肩は剥き出し、襟ぐりは随分深くて・・・・・一瞬喜んでしまった
自分が情けない。

 滑らかな首筋から細い鎖骨のラインに釘付けになりそうな視線をなんとか引きはがす。

「いらっしゃい。少し仕事をしなくてはいけないけど、その辺で適当に寛いで良いよ。・・・ああ、
冷蔵庫にスイカがあると思うよ。」

可愛らしくもどこかほんのりと色気のあるワンピースに気を取られまいとする声は我ながら
わざとらしかったか。

 まだ高校生のあかねにとっては、今日は夏休み最後の日。
別に今日は仕事先へ出掛ける予定もない。本当ならこんなデスクワークは放り出して、あかねを
どこかへ連れ出してやりたいのだけれど。



 友雅の脳裏に母の勝ち誇った笑みが浮かぶ。

『あら、別に良いのよ?あなたが自分で書き込みたくないなら、私がやってあげるわ。』

 冗談ではない。自分は至極まっとうな、どこにでもいる樹木医なのに。
母に任せるとおよそ樹木に絡んでいるのかどうかも分からないもめ事まで何でも解決して
みせる、と誤解されそうな煽り文句を付けられてしまう。

 先日もそれでやっかいな目にあったばかりだ。

 橘姓の夫と離婚して、藤原と再婚し。
二番目の夫と死別したあとは、自分の夫運のなさに見切りを付けたのか、かの女性は
藤原との間にもうけた子ども、藤原の連れ子、その従兄達そして友雅・・・と計8名の男を指先で
操って、『翠造園』をそれなりに名の通った造園会社に育て上げた。

その手腕には感嘆するし、並々ならぬ苦労もあったろうにそれを微塵も感じさせない彼女を
敬愛している。だがこれ以上会社の広告看板代わりに使われるのはごめんだ。
ましてやそれにあかねを巻き込むことなど、絶対に許せない。



 早々に自分がこれを終わらせないと・・・。あ、また。

思い通りにならない機械に苛立ちをぶつけそうになり、友雅はふっと我に返る。




 全く、まるで遠足に出掛けるのを待ちきれない子どものようだねぇ。




 素直に認めてしまえ。あそこで溶けかけている(別の意味でもっと溶かしてしまいたい、という
気にさせられる)あの生意気で手に負えない小悪魔が気になって仕方ないのだと。

「あかね、はしたないよ、その格好は。」

 わざと軽く声に出せば、かえって気持ちが落ち着いた。あかねが寝転がったままこちらを見る。
片膝を立てているので元々短いスカートが更にずり上がって、日に焼けていない太腿が
露わになる。




  わざとやっているとしたら、相当タチが悪いねぇ。




 友雅は振り向いてじっくり鑑賞したくなるのを無理矢理堪え、なんとか視線を面白みのない
画面に固定する。

「ねー、どっか涼しいところ行こーよぉ。なんで友雅さんのところってエアコンないの?今時
信じらんない!ありえな〜い!」
「私はエアコンの風は嫌いなのだよ。不自然に冷えた空気は植物にも良くないしね。さっき
外に打ち水をしたから、ほら、少し涼しい風が入ってくるだろう?」
「全然涼しくなーい!」

あかねが足をばたつかせて抗議する。そうすると更にスカートが下がっていって・・・・いっそ、
ショートパンツを穿いてきてくれた方が良かったかも知れない。

 いつもなら打ち水と自分の背に風が当たるように調整してある扇風機で、友雅は十分だった。
だが今日は無駄に体温が上がって、じんわりと額に汗が滲む。
うっかりすると別のところにも熱が集まってしまいそうで気が抜けない。

 全く、どういうわけで己の年の半分ほどの少女にこれほどまでに囚われてしまったのか、
自分でも戸惑ってしまう。



 春先に依頼された、花を付けなくなった桜の樹勢回復。
 古い樹木には人ならぬモノが宿ることもしばしばで。
あの桜にもそういった『モノ』が憑いていたようだ。別に除霊師でもなんでもない自分に
何かできたのかは分からない。
だが、あの桜が咲かなかったのには自分が報告書に書き込んだ根頭癌腫病以外の原因があった
ことは間違いないだろう。



あの桜の治療は、あかねがいなかったら出来なかった。


 説明しろと言われても困るけれど、友雅はそう思っている。そうして治療とは関係なく、
あかねとの縁をそこで終わりにしてしまいたくないと思ったのも確かだった。
時が過ぎ、逢瀬を重ねる毎に。あかねに対する思いはますます強く、深くなる。


どうかしている、と思う。

あかねがしばしば口にするように、自分はあかねから見れば随分年上の・・・『おじさん』なのに。

 あかねはあるがままの自分を受け入れてくれない家族の、父親や兄が果たすべき役割の
代替を自分に求めているだけかも知れないのに。
いや、それだけにしてはあかねの態度や目つきは・・・と、友雅の本能の声が都合の良いことを
囁き始め、理性の声が再びそれを抑える。
そんな脳内討論に突然ビブラートの効いた、妙に耳に引っかかる声が飛び込んできた。

あ〜〜〜〜。

いつの間にか起きあがったあかねが、扇風機の回転部を無理矢理押さえつけ、自分の顔に
向けている。

と〜も〜ま〜さ〜さ〜ん〜のエ〜ロ〜オ〜ヤ〜ジ〜。


いきなりそれか。



思わず笑ってしまう。確かにどさくさに紛れてエロオヤジと呼ばれても仕方のないことを
したことがあるが、ひょっとして彼女はそれを覚えているのだろうか?

あ〜つ〜い〜ぞ〜。ど〜こ〜か〜つ〜れ〜て〜け〜。

ツクツクホウシの声にリズムを合わせてあかねが不平を訴える。
全く、可愛らしいことだ。
思わずコンピュータの電源を切って、なんでも言うことを聞いてやりたくなる。
だが、流されてはいけない。

「この仕事が終わらないと無理だよ。」
ア〜イ〜ス〜ク〜リ〜ム〜が〜食〜べ〜た〜い〜。か〜き〜ご〜お〜り〜
が〜食〜べ〜た〜い〜。

「さっきスイカを食べたろう?冷たいものを食べすぎると逆に身体が辛くなるよ。」
言〜う〜こ〜と〜が〜い〜ち〜い〜ち〜お〜じ〜さ〜ん〜く〜さ〜い〜ぞ〜。

自分でも思っていたことを平坦なリズムで指摘され、思わず声を上げて笑ってしまった。

「・・・・まったく、ああ言えばこう言う・・・。君はどんどん可愛くなくなるねぇ。」


これだけ人を煽るようなことをしておいて、そこで『おじさんだから』と線を引くのかい?
 あかねはまるでショウロウトンボのようだ。
すぐ側に止まって捕まえられそうなのに、手を伸ばすとふいっと逃げる。

 捕ってはいけない、と言われるトンボ。

だからこそ、手を伸ばしたくなる。そのほっそりした胴に。透き通るような羽根に。

思わず溜め息が漏れる。

子〜ど〜も〜あ〜つ〜か〜い〜す〜る〜な〜。
「そうは言ってもねぇ。」




本気になると飛び立って、手の届かないところへ行ってしまうのは君の方だろう?




ふいに湧き上がる、微かな憤り。
友雅は手を止めると立ち上がり、一歩一歩あかねに近づいた。
横座りする華奢な身体のすぐ側にしゃがみ込む。
扇風機の風に煽られる柔らかそうな桃色の髪。甘く暖かな香りは香料などではなく、
あかね本来の香りだろう。もっと深くこの香りに包まれたい。
友雅はゆっくりと手を伸ばし、扇風機のスイッチを切る。

「扇風機で遊ぶなど危ないよ。指や髪が巻き込まれたら・・・分かるだろう?」

 本音を隠し、あくまで理解のある大人の振りをして。
ここであかねが大人しく引き下がるなら、自分も大人のままでいよう。

だが。

「止めないでよ。暑いじゃない。」

あかねは真正面から友雅を見据え、唇を尖らせてる。
ああ、どうしてそんな可愛らしい唇を見せつけるんだ?挑発しているとしか思えない。

 きらきらとした、強い瞳。少し汗ばんだ肌。このまま抱きしめてしまいたくなる。
ふいっと横を向いたあかねの項にクラクラして・・・・何かがぷちん、と切れた。

「仕方ないねぇ、そんなに暑いのかい?」

声が、掠れる。あかねの肩を押す指につい力が入った。
突然のことで心構えのなかったあかねの身体はそのまま後ろへ倒れる。
頭を床にぶつけないよう、その髪にすかさず指を潜り込ませて頭を支えて。
柔らかな絹糸のような感触を楽しむ。
何が起きたか分からずにいるあかねが逃げられないよう、反対側に手を突いた。

ゆっくりと覆い被さるように近づいて。




どうする?今ならまだ、逃げられるよ?




「友雅さん?」

 なんの危機感も感じられない声。




私が『そんなこと』、するはずがないと思ってるのかい?




「・・・・涼しくしてあげようか?」

 どんどん身の内に溜まっていく、熱。少しくらい発散させてもらわなければ身が持たない。
ついでに、少し脅かしておこう。『おじさん』を甘く見ると火傷しかねないことを。

残酷な悦びが身体の奥底にじわりと湧き上がる。

「暑い時にはね、むしろ熱くなるようなことをした方が良いのだよ。熱い飲み物を飲んだり・・・・
・・・運動したり・・・・。」

ゆっくりと白い身体にのし掛かっていく。

 柔らかなお腹。
    肋骨が感じられる鳩尾。
       浅く上下する、胸・・・・。

 あと一押しで双丘に触れることが出来る。あかねの体温すら感じられる薄い、布。
この胸を合わせたら・・・・脅しでは済まなくなるのは間違いない。

「心も体も熱くなれば・・・外の暑さなど、忘れてしまうよ。・・・・・試してみるかい?・・・・二人で。」

指でそっとあかねの下唇をなぞる。
柔らかくて、温かい。ここに、自分の唇を重ねたい。そして思う存分奪い、味わいたい。
 心臓がどんどん熱い血を体中に送り出して、呼吸が速くなる。
つつ・・・と端から端までなぞると、従順にその形を変える、熟した唇。
思い切り吸い上げて、歯を立てたらどれほど甘いだろう?
今時の高校生らしくもなく、なんの化粧もしていないあかね。
この唇が友雅の唾液で濡れて光り、口づけで腫れ上がっている様を見てみたい。

友雅の背中をゾクゾクしたものが駆け上がる。同時に腰前が窮屈になってこっそり身じろぎする。

友雅の髪があかねの頬に掛かった。髪ではなく、手で、唇で触れたい。
触れずに済ますつもりだった胸は今や半分あかねと重ねていて、あかねの胸が上下する度に
その先端が友雅に触れる。

鼓動がツクツクホウシとシンクロする。




 全身に響くこの振動は自分のもの?それとも真っ赤な顔をしているあかねの?




指先を少しだけ曲げてあかねの下唇を押すと爪先があかねの歯に触れた。
このまま口中に差し入れて、存分に嬲ったら・・・ああ、どんなにか・・・・。

逃げる気配もなく、耳まで真っ赤になっているあかね。

今度こそ、捕まえられるのか?

「・・・可愛いね・・あかね・・。」

あかねがぎゅっと目をつぶり、その身体が僅かに震えた。




ショウロウトンボは捕まえてはいけない




 熱い吐息を唇に感じるところまで近づいた時、突然その声が頭に響く。

かりっ。

無理矢理顎を挙げて、汗の粒が浮かんだ鼻先に歯を立てる。唇には甘い塩味。
拳をぎゅっと握って無理矢理身体を起こす。腰が不平を訴えるが無視した。
 あかねがこれ以上は無理だろうというほどに目を瞠っている。
涼しい空気が火照った体を撫でていく。

・・・・危なかった・・・・・。

「どう?少しは涼しくなったかい?」

あっさり理性が砕け散るところだった自分が情けない。
自嘲のまま、なんとかあかねを誤魔化して、引き起こしてやるべく手を差し伸べた。
またからかわれたと思ったのだろう、みるみるうちにあかねの頬が膨らんで。
それもまた可愛くて堪らない。




全く、頼むよ。なんとか我慢しているのだからこれ以上煽らないでくれまいか?




 あかねの小さな手が友雅の手に掴まって・・・思い切り、引っ張られた。

思ってもいない時に全体重を掛けて引っ張られてはバランスも崩れる。
何しろこちらはまだ興奮している腰をなんとか宥めようと不自然な姿勢でいたのだから。
 このままではあかねを押し潰してしまう、ととどまろうとした隙に。

 突然視界は桃色に覆われ、唇に何かががつん、と当たる。
鈍い痛み、そして一瞬ののちに離れていくあかね。
友雅の口の中に微かな鉄の味が広がった。少し切れたようだ。

 思考が完全に停止して、友雅は間抜けな顔でただあかねを見つめる。
こちらを窺っていたあかねの顔がみるみる赤く染まってぷいっと横を向いた。

「うっ、上手くないのは仕方ないでしょ!初めてなんだからっ!」

ではやはり今のは『口づけ』だったのか。
あまりに短い上に半分ずれていたので(しかも勢いだけはものすごくて)思い返しても
甘さの欠片もなかったのだが。

 友雅はにやけていく自分の顔を留めることが出来ない。
あかねが触れてくれた辺りをそっと指でたどる。




 全く敵わないね。線を引いたり、飛び立ったり、そうかと思うとふいにこんなに近づいて。
どうあっても君は私に大人しく捕らわれる気はないのかい?





むしろ、捕らわれているのは自分の方か。それもまた悪くはない。

「・・・・初めてでは、ないよ。」
「え?」

振り向いたあかねの唇にそっと、唇を触れあわせ。
自分でもびっくりするほど優しい気持ちで離れる。
 思った通り柔らかくて甘い唇。思うさま貪りたい気持ちは少しも減ってはいないけれど、
今はこれでも良い。

 何があったか理解できていないような少女の顔を楽しみながら、友雅は立ち上がった。




さぁ、面倒な仕事を終わらせよう。そしてあかねをどこかへ連れて行ってやろう。




気持ちも新たにデスクに向かい、どこへ行こうかと考えながら。

 オーシツクツク、オーシツクツク、ジー・・・・・

夏の終わりを惜しむセミの声が再び部屋を満たす。








身の内の熱はまだまだ冷めそうには、ない。



                                              Fin..........





『おじさん』と呼ばれることに予想外に傷ついている友雅さん。あかねちゃんの無意識の行動に
翻弄されまくってます。さて、彼の理性の糸はいつまで持つのか?(既に切れかけてますしねぇ:笑)
2週に渡ってのお付き合い、ありがとうございました。
夢 見たい / koko 様