夏の終わりに ーSide Aー

= 残暑 =






ツツクホウシの生真面目な鳴き声が開け放たれた窓から容赦なく雪崩れ込む。

「・あ・・・っうい・・・・。」

 路面に放置されたソフトクリームのような状態で、竹製のラグの上で大の字になっているあかねに、
友雅はクスリと笑う。

「あかね、はしたないよ、その格好は。」

顎をぐい、とあげて自分の頭越しにあかねは友雅を見上げた。
友雅はあかねが来てからずっとパソコンに向かっている。
今日は平日で、世の中の大人は確かに働いている日だ。だがあかねにとって今日は夏休み最後の1日。
高校2年生という、一生に一度しかない夏の最後の1日を友雅と一緒に過ごしたくてやってきたのに、友雅はあかねに『その辺で適当に寛いで良いよ』と言ったきり、まるであかねのことなど忘れたようにパソコンと手元のファイルにかかり切り。
 どうやら先日の仕事の報告レポートをホームページにアップしているらしい。

 ここは『樹木医』友雅のオフィスだ。

オフィスと言っても彼の実家が営んでいる造園会社兼自宅の離れ。
和風の平屋の手前8畳間をフローリングにして、パソコンやスチールの本棚、事務机などを詰め込んでいる。
奥の6畳間は畳座敷。来客時に使う。

 友雅の家は江戸時代から続く由緒正しい植木屋だったという。
今では本職の植木商はもちろん、個人や店舗、公の機関の庭園などを築造する造園工事業の他に、植樹・植栽の維持管理(つまり庭木や街路樹の手入れ)、花屋まで展開している。
それを社長である友雅の母、弟たちや従兄弟など、親族一門でこなしているのだ。


『樹木医』として、あちこちの巨木・名木の樹勢回復・保全に務めながら、樹にまつわるいろいろな
トラブル解決に当たる友雅とに、あかねが出会ったのはこの春のこと。

 すこしばかり人生に迷って黄昏れていたあかねは、祖父母の家の近くにある、古い桜の木を治療しにやってきた友雅と知り合った。
桜は見事復活し(友雅が一体何をどうやったのかは未だによく分からないが)、あかねの迷いも何故か少し晴れた。
 家族とはまだ少しぎこちないけれど、両親もあかねはあかねらしくやればいい、としばらく見守ってくれる気になったようだ。

 2年生になんとか進級できたあと、あかねはほとんど学校は休んでいない。
成績もなんとか中の上。昨年一年間ほとんど勉強しなかったにしては上出来だ。
これも、友雅のおかげだ。あの桜の仕事が終わっても、友雅はあかねと連絡を取り続けたいと言ってくれた。
そしてなんと、友雅の会社はあかねの家から電車で2駅、自転車でもがんばれば20分くらいで来られるところにあったのだ。

 以来、あかねは頻繁にここを訪れ───ほとんど入り浸っている、と言っても良い───たわいもない
おしゃべりをしたり、勉強を教わったりしているのだ。


友雅のそばは居心地が良い。
家にいても、『出来の良い兄のようにならなくては』というプレッシャーは、もうない。
だが友雅の近くにいるとまるで森の中を歩いているような・・・草原で寝転がって風に吹かれているような、寛いだ気持ちになれる。

だが。

「ねー、どっか涼しいところ行こーよぉ。なんで友雅さんのところってエアコンないの?今時信じらんない!
ありえな〜い!」
「私はエアコンの風は嫌いなのだよ。不自然に冷えた空気は植物にも良くないしね。さっき外に打ち水をしたから、ほら、少し涼しい風が入ってくるだろう?」
「全然涼しくなーい!」

うそだ。

 開け放たれた窓に立てかけられたヨシズを抜けて、少しだけひんやりした、緑の匂いの風が室内を満たしているのは、あかねも感じていた。
そして床に置かれた扇風機が、せっせと首を振りながらその風を部屋中に撒き散らしていく。
 エアコンがなくてもやっていけるんだ、とあかねが知ったのは友雅に出会ってから。
ここが暑いのは確かだが、そんな耐えられないほどではないのだ、実は。

 だがあかねはなんだか面白くない。

せっかく来たのに、友雅はあかねを放ったらかして仕事をしている。
あかねはさっきからずっと友雅を見ているのに、友雅はまるであかねの方を見てくれない。
だからつい、文句を言ってしまう。憎まれ口を聞いてしまう。友雅に構ってもらいたくて。
 自分でも子どもっぽいとは思う。だが、他にどうすればいいのか思いつかない。

買ったばかりの白いキャミのワンピースを着てきたのだって、友雅に見て貰いたいからなのに。
友雅は小首を傾げていつも通りにっこり笑っただけで何も言ってくれない。

『新しいワンピなんだけど。』

わざわざ自分で言うのも癪であかねも何も言わなかった。

 今までのあかねならちょっと躊躇う短い丈の、でもフリルが可愛いワンピ。

  『可愛い』と言ってくれるだろうか。
    『ちょっと大人っぽく見えるね』と笑ってくれるだろうか。




 そう思ってドキドキしてたのに!




 あかねは友雅をじっと見る。
扇風機の風が、友雅の長くうねった髪を揺らす。
風が通りすぎると髪は当然のように友雅の背中に落ち着く。
そして反対側からまた風が吹いて、髪に戯れていく。




 私は全然構って貰えないのに。




たかが扇風機の風ごときが友雅さんの髪に触ってる。




私も触りたい。でも、仕事の邪魔をしてまた子どもっぽいと思われるのは癪だ。



あ、また。




 部屋の向こうへ風を押しやった扇風機が微かなモーター音と共に戻ってきて、そのたび、
友雅の髪を掻き上げる。
規則正しく繰り返されるそれを見ているうちに、再びあかねの中に不満がむくむく湧き上がる。

 えいっと勢いよく起きあがると、あかねは扇風機の金属カバー部分ををぐい!と両手で掴んだ。
霞んで見えるファンの正面に顔を近づけると、涼しい風があかねの顔にぶつかってくる。
あかねの短い髪をばさばさと巻き上げ、カチカチカチという機械音が動きを止められたことに抗議しているかのようだ。




ふん!アンタになんか負けないわよ!




あかねは瞼を叩く風に少し顔を顰めると扇風機に向かって口を開ける。

「あ〜〜〜〜。」

風に飛ばされて声が震えて変な音になる。

「と〜も〜ま〜さ〜さ〜ん〜のエ〜ロ〜オ〜ヤ〜ジ〜。」

視界の隅で友雅の肩が揺れるのが見えた。笑っているのだ。

「あ〜つ〜い〜ぞ〜。ど〜こ〜か〜つ〜れ〜て〜け〜。」

声はいつもより少し低めに揺れて、オーシツクツク、オーシツクツク、というセミの声と妙な
セッションを繰り広げる。

「この仕事が終わらないと無理だよ。」
「ア〜イ〜ス〜ク〜リ〜ム〜が〜食〜べ〜た〜い〜。か〜き〜ご〜お〜り〜が〜食〜べ〜た〜い〜。」
「さっきスイカを食べたろう?冷たいものを食べすぎると逆に身体が辛くなるよ。」
「言〜う〜こ〜と〜が〜い〜ち〜い〜ち〜お〜じ〜さ〜ん〜く〜さ〜い〜ぞ〜。」

ついに友雅が声を立てて笑う。

「・・・・まったく、ああ言えばこう言う・・・。君はどんどん可愛くなくなるねぇ。」

ため息をつきながらも友雅は楽しそうに笑っている。
本気で怒っていないと分かるから、あかねは安心する。
友雅が本気じゃないから、くやしい。


子ども扱いされてると感じるから。

「子〜ど〜も〜あ〜つ〜か〜い〜す〜る〜な〜。」
「そうは言ってもねぇ。」

ついに友雅は手を止めると立ち上がり、ゆっくりとあかねに近づいた。
あかねのすぐ側にしゃがみ込む。友雅の髪がさらりと流れ落ちた。
ふっとミントのようなひんやりした香りがした。甘さのない、でも優しい香り。



シャンプー?アフターシェーブローション?



 自分が纏うのとは全然違う香りにドキドキする。
 カチ、と音がして風が止まった。

「扇風機で遊ぶなど危ないよ。指や髪が巻き込まれたら・・・分かるだろう?」


ドキドキする。でも小さな子どもに対するような言い方がむかつく。

「止めないでよ。暑いじゃない。」

唇を尖らせて憎まれ口を叩く。
ああ、どうしてこんな可愛くないことばかり言うんだろう。本当は友雅が好きなのに。
いつの間にこんなに好きになってたんだろうと戸惑うほどに。
ずっとそばにいたいと縋りつきたくなるほどに。



自分がひどく情けなくてふいっと横を向く。

「仕方ないねぇ、そんなに暑いのかい?」

艶めいた溜め息が聞こえた、と同時に、あかねの肩を意外に強い力で友雅が押す。
突然のことで心構えのなかったあかねの身体はそのまま後ろへ倒れる。
とすん、と背中にひんやりした竹の感触。だが頭は柔らかなものに受け止められている。
 友雅の大きな手がすっぽりとあかねの頭を支えて、ぶつからないようにしてくれたのだ。
そのまま友雅はあかねの肩の脇にもう一方の手を置いて、覆い被さるように近づいてくる。

「友雅さん?」
「・・・・涼しくしてあげようか?」

 言葉とは裏腹に、友雅の声は熱く掠れ、その瞳は濃さを増す。

「は?」
「暑い時にはね、むしろ熱くなるようなことをした方が良いのだよ。熱い飲み物を飲んだり・・・・運動したり・・・・。」

ゆっくりと友雅が近づいてくる。
お腹の上に友雅の重みが掛かって、動けない。重みは少しずつ上の方にも掛かってくる。
お臍を越えて・・・鳩尾にかかって・・・。

「心も体も熱くなれば・・・外の暑さなど、忘れてしまうよ。・・・・・試してみるかい?・・・・二人で。」

爪を綺麗に切り揃えた長い指が、そっとあかねの唇をなぞる。
つつ・・・と端から端までなぞられると、あかねの背中をゾクゾクしたものが駆け上がる。
友雅の髪があかねの頬に掛かる。
今や彼は胸まであかねと重ねていて、深い呼吸が出来なくてあかねは苦しくなる。
心臓がフル回転して耳の奥の方でドクンドクンと波打っている。
あれほど煩かった蝉の声も聞こえない。
友雅の堅い胸がぴったり寄り添っているせいで、心臓が飛び跳ねているのがはっきり分かる。

友雅の指がそっとあかねの下唇を押すと爪先があかねの歯に触れた。

あかねの視界に映るのは友雅の顔だけ。その緑の瞳に、自分の姿が映っている。
真っ赤な顔で、ぼうっとしている間の抜けた・・・。

「・・・可愛いね・・あかね・・。」

ゆっくりと友雅が、焦点も合わないほど近づいてきて・・・あかねは思わず目をぎゅっと閉じた。

かりっ。

鼻に軽い痛みを感じて、あかねは思わず目を開ける。
遠ざかっていく友雅。重さを失い、自由になっていく自分の身体。そして涼しい空気に包まれる。

「どう?少しは涼しくなったかい?」

笑いを含んだ声音にあかねは全てを悟った。からかわれたのだ!
あかねの顔に一気に血が上る。
怒りのあまり、憎まれ口も出ない。




悔しい。悔しい!悔しい!!





自分がこんなにドキドキしたのに、友雅は涼しい顔だ。
こんな風に見下ろされて、いつまでも追いつけない子どもだということを見せつけられるのが、
悔しくて・・・・寂しい。
友雅はにやにや笑いながらあかねが起きるのを手伝おうと手を差しだしてくる。


さっきあかねを信じられないほどドキドキさせた、指先。




少しでいい。近づきたい。あの友雅の取り澄ました顔を崩してやりたい。





あかねは友雅の差しだした手に掴まって・・・思い切り、引っ張った。
小柄なあかねとはいえ、思ってもいない時に全体重を掛けて引っ張られては友雅も隙をつかれてよろめく。
バランスを崩して驚くその顔に手を伸ばし、きゅっと目をつぶったまま、多分この辺り、と見当を
付けたところに唇を押しつける。

───  実際それは押しつけるというよりぶつけるようなモノだったのだが──────

あかねの唇は半分友雅の唇からずれ、しかも前歯がガチッと嫌な音を立てた。
そしてすぐにあかねの唇は離れていく。

友雅は目を瞠ったまま、あかねを見つめている。
沈黙に耐えられなくて、あかねはぷいっと横を向いた。

「うっ、上手くないのは仕方ないでしょ!初めてなんだからっ!」

いつも余裕な友雅の沈黙の意味が、あかねには分からない。
やっぱりあまりのことにさすがの友雅も呆れてしまったのだろうか。




どうせ私は子どもですよ、大人の友雅さんには敵いませんよっ!




 友雅をびっくりさせてやりたいと思っただけだった。
だがやっぱり止めておけば良かった。恥ずかしくて友雅の顔を見ることも出来ない。



だから分からなかった。唇に指を添えたまま、友雅がどれほど甘い笑みを浮かべているか。




「・・・・初めてでは、ないよ。」
「え?」

振り向いたあかねの唇にそっと、だが熱いモノが押しつけられ、そしてそっと離れる。

友雅が包み込むような優しい、愛しげな眼差しであかねを見つめ、そしてまた仕事を続けるべく
パソコンの前に戻っていくまで、あかねは動くことが出来なかった。



 オーシツクツク、オーシツクツク、ジー・・・・・



夏の終わりを惜しむセミの声が再び部屋を満たす。





しかし、もうそれをただ暑苦しいとは思えない、あかねだった。





                 Fin..........









 前回のお祭り「出会いは四月馬鹿」に出させていただいた『櫻唄ーさくらうたー』の2人です。
こ、こんな良識的な友雅さん、書いたことない・・・。4ヶ月経っても軽いキスだけですよ?
友雅さん、どっか悪いのっ!?(自分で書いといて・・・・笑)
ああもちろん、あかねちゃんは友雅さんのお母様のお気に入りですとも!

記念すべき10回目のお祭りに参加できて光栄です!またよろしくお願いします!
夢 見たい / koko 様