『私だけの君』

= 黒 =






―京に降り立った龍神の神子。龍神の神子は、神泉苑で怨霊を払ったのち、どこに消えたのか。―


龍神の神子と八葉。
その存在は、公には秘密とされていた。
だが、あかねが八葉を連れて歩き、怨霊を封印していたことは紛れもない事実。
内裏しか見ていない貴族とは異なり、街中の民の中では、ある少女が来るとそこでの怪異が治まると、噂になっていた。
神泉苑に黒い雲がたちこめ、やがて闇があけたとき、一筋の龍を見たという者
があり、その者曰く、龍からあの少女が落ちてきたのだと言う。
やがて噂は街中から、内裏へとそして遂には帝の元へと届いたのだった。

『少し、困ったことになったね』

帝の言葉に、永泉と友雅が頷く。
龍神の神子が左大臣家に匿われている姫だと、右大臣が気づくのも時間の問題。
そうなれば、権力を欲しがる者があかねを妻にと望むだろう。
特別な存在故に、「斎宮」として出家させるべきだという者も出てくるかもしれない。

そうなれば、あかねは今のように自由に外出したりすることも出来なくなる。
勿論、恋人である友雅とも離れなくてはいけなくなる。
三人は、あかねが普通の少女であることを知っているからこそ、
権力闘争や斎宮といった堅苦しい存在として閉じ込められるのを阻止したいと考えていた。

結局、その日は結論がでず、友雅は内裏を後にした。


何か妙案は無いものか……。
そう考えながら、野々宮へと足を向けようと、牛車に乗り込む。
すると、あかねと同じ年頃の娘が声をかけてきた。

『橘少将様でございましょう?』

友雅が振り返ると、あかねと同じ年頃でよく雰囲気の似た少女がそこにいた。

『そうだが……。君は?』

少女は、自分こそが龍神の神子なのだという。
あの神泉苑での戦いの後、気がついたら神泉苑の傍で倒れており、気がついた貴族の館に運ばれていたのだと。
だが、一時的に記憶を失い、最近、漸く、八葉の存在を思い出したのだと言う。
そして、きっと自分の八葉もまた、戦いで記憶を失っているのではないか……
貴方も、私の八葉だったのだが覚えてはいないかと…。

勿論、彼女はあかねではない。
戦いの後、あかねは保護されており、この少女の言うように記憶を失って倒れていたことなどない。
つまり、敢えて触れるまでもなく、この少女は何らかの理由であかねのふりをし、自らを龍神の神子として称していることになる。
雰囲気はよく似ているから、本当に身近なものでなければ、おそらく彼女の言葉を信じるだろう。

彼女の目的が解らない以上、友雅はとりあえず、彼女の嘘に載ってみることにした。

『……神子殿?』

友雅の問いに、偽の神子が答える。

『はい、友雅様。思い出されましたか?』

友雅は、彼女の目前に近づくと指で顎をもちあげてじっと見つめる。
紅くなる偽の神子に微笑みかけ、問う。

『それで……。神子殿は、これからどうしたいのかな?』

どうやら、考えていなかったらしい。
おそらく、神子であるといえば、直にでもどこかへ連れて行かれると思っていたのだろう。
偽の神子の目が一瞬泳いだ

……これは、と友雅は想う。

右大臣側からの何らかの謀略というわけでは、なさそうだ。
右大臣側の手のものであれば、疑われないよう、細かく指示されていることだろう。
となれば……。
彼女に後ろ盾がいるのなら、相当の小物。
或いは、巷の噂を聞いた彼女自身の策ではないか……。

『友雅様……あの、私を友雅様のお屋敷に連れて行っては頂けませんか?』

『一緒にいればきっと、友雅様も思い出しますし……』と続ける彼女に、友雅は柔らかく微笑む。

彼女の問いには答えず、牛車に乗り込むよう指示をする。
偽の神子は目的を果たしたと感じたのか、神泉苑で倒れていた後のことと、饒舌に話はじめた。
神泉苑の前で倒れていた時に、保護してくれた貴族のこと。
記憶を戻し、自分が神子だと気付いてからも、その貴族に申し訳なくて言い出せなかったこと。
けれど、その貴族が流行病にかかってしまい、後ろ盾を失いそうなこと。

『なるほど。では、神子殿は……その公達に恋をしているということなのだね?
 ならば、私の元へなど来てはいけないよ。
遊びだというのなら、それも良いかもしれないけれど、
残念ながら私は今は遊びはしないことにしているから、ね』

彼女が、『それは……』と言いかけた時、牛車が止まった。

『ここは、友雅様のお屋敷では……?』
『北山だよ、神子殿』

『なぜ…』そう、問いかける彼女の前に、一人の陰陽師が現れた。

『友雅、おまえが来るのは解っていた。
 今、聞いていたが、なぜ、おまえはその女を神子と呼ぶ。
 我らの神子は一人の筈だが』

友雅は、彼女が自らを神子と称していることを告げると、泰明は『待て』と一言言い、連理の賢木に手を置いた。

『なるほど。友雅。おまえは、これが神子ではないことを承知の上、
神子に害するものかを知りたいのだな。
ならば、問題ない。その女は後ろ盾を失っている。
大方、噂を信じて御前を取り込みたかったのだろう』

泰明に礼を告げると、友雅は再び牛車に乗り込んだ。
偽の神子も慌てて乗り込む。

『要するに……。君は、後ろ盾があればそれでいいということだね。
その貴族には何の恩義も感じていない、と』

全てがばれてしまった彼女は、静かに頷く。

『最初から解っていたよ、君が神子でないことはね。
 巷の噂は知らないけれど、大方、八葉も神子も記憶を失っただのと尾ひれがついているのだろう?
 そして、君はそれに乗ろうとした。違うかい?』

『はい』とうなずき、彼女は本当のことを話はじめた。

自らの家が、元は貴族であること。
けれど、母方の貴族が財を失い、財力のなくなった彼女を恋人が見限ったこと。
だから、どうしても後ろ盾が欲しかったこと。
その為に噂を利用しようとしたのだと…。
浅はかであったと謝罪する彼女に、友雅は一言『では、私の言うことを聞いていただけるかな』と告げる。
偽の神子は、頷く他なかった。

一週間後……。

朝廷では、遂に、噂の龍神の神子の議題が持ち上がった。
予測していたとおり、権力争いの元になる神子を斎宮として、
誰の手にも届かぬところへ置くべきであるとか、そうした話題になる。
永泉は、その場に友雅がいないことに気がつき、ひたすら案じていた。
『このままでは、神子に自由がなくなってしまう……。
 けれど、私は政治には関われない身。どうしたら―』

『遅くなりました』
友雅が、そう言って一人の女を連れて入ってきた。
周りが一斉にざわめく。

遠目にはあかねによく似た女性。けれど、あかねではない……。
永泉には……勿論、鷹通にも。
それは解ったが、友雅が何をしようとしているかはつかめないでいた。

『では、この彼女が斎宮になるということで、良いでしょうか』

美しく着飾った彼女を見て、貴族達は暫し議論をするものの、
『誰かの者にするくらいなら』と、彼女を『龍神の神子』として、斎宮に立てることを承認した。

『友雅殿っ』
朝廷が終わると、永泉と鷹通がほぼ同時に友雅に声をかけてきた
『これは一体…』

言葉をかける二人に、友雅は『ここでは他に聞かれるだろう?』と、
土御門家へと促す。
果たしてそこには、龍神の神子が斎宮として承認されたと耳にした
他の八葉も集まっていた。

鷹通が口火を切る。

『友雅殿。あれは神子…あかね殿ではないではありませんか』
『私は、あの場で、一言でも、彼女が龍神の神子だと言ったかな?鷹通』
『いえ…それは…あっ…』

つまりこういうことだ。
議論しているところに女性を連れて行き、彼女を龍神の神子の…いわば、代理として斎宮にさせる。
それを承認したということになる。

『永泉様も、鷹通も顔に出るからね。
 このことは帝には既に了承済みなのだよ。
 泰明殿には、彼女があかね殿に害をなすつもりがないことを確認を取っているし、ね』

『それに……。この一週間のうちに、既に三日夜の餅の儀も済ませたからねぇ……
喩え、後から何といおうと、手出しはさせはしないよ』

『三日夜の餅の儀…?あっ』
詩紋の言葉に、天真が問いかける。

『餅がどうしたって?雑煮でも食うのか?』
『だからね、天真先輩。あかねちゃんはその……。
友雅さんと正式に結婚したってことなんだよ』

詩紋の言葉に他の八葉が頷く。

『友雅……。おまえ、こういう時だけは動きが早いのな…』
『本当に、いつもそれくらい本気を出してくださればいいのですが』

天真の言葉に鷹通が頷く。
これであかねが斎宮に立つことはなくなったということで、話が終わるとそれぞれが、土御門家を後にした。

夜。

友雅の腕の中ですやすやと眠るあかねの瞼に、友雅はそっと口づける。

―もう二度と、君以外の誰かを神子殿などと呼びたくないものだね

そう思いながら、そっと呟く。
『もう誰にも渡さないよ、あかね。君は私のものだし、私は君のものだ。
 ”龍神の神子”の代わり身はいても、私にとっての君の代わりになる者など、
何処にもいないのだからね』

その後。
龍神の神子の噂は噂のみとなり、斎宮となった龍神の神子が本物かどうかなど、
誰も詮索することはなかった。
やがて、噂は余分な部分が剥がれ落ち、いつしか昔語りとなっていった。

―京に降り立った龍神の神子は、京の危機を八葉と救い、そして姿を消してしまったと。








友雅さんは、あかねちゃんを手放さない為なら、どれだけでも黒くなれると思います。反面、あかねちゃんが知って悲しむことは出来ないから手込めには出来ないだろうと…。
あかねちゃんとの絡みが少なすぎますが、友雅さんのあかねちゃんへの愛はたっぷりです。

Drop into a reverie / 櫻野智月 様