April Truth

= エイプリルフール =






「友雅さんのウソツキ」
彼に手を引かれ、少し後ろを歩くあかねは、さっきからずっと同じ言葉を繰り返している。
ウソツキ。
約束と違うじゃないですか。
友雅さんのウソツキ。

……赤く染まった顔を隠すように、うつむいて自分のつま先に視線を落とす。
この日のために新調した、いつもよりちょっと大人っぽいワインレッドのローヒール。
二人の記念日だから、ドレスアップしなくちゃと思っていたのに。

「別に嘘は付いていないよ。ちゃんとレストランは予約してあるんだから。」
「でも、その前に…こんな約束してなかったですもん!」
肌に優しい春の夜風。淡い色の花びらが舞い踊る。
満開の桜が咲くその場所へ、あかねは連れて来られた。


--------------4月。
桜が咲き誇る春。
それは、二人が出会った季節。
新しい緑が芽吹くように、互いの心の中で恋の種は芽を出し、会うたびに成長し続けて花開き…今こうして一緒にいる。
恋することの嬉しさや切なさや楽しさ…何もかも、彼のそばで経験したこと。
だけどそれらの最後に、いつだって"幸せ"という答えだけが残る。

"ずっとこれからも一緒にいよう"と、ワインとジンジャエールのグラスを掲げて、二人で愛を誓い合う夜。
毎年必ず行って来た4月の儀式も、今年でもう3回目だ。

2月の末に彼から連絡があった。
「今年も例の店、予約出来たよ。」
最近タウン誌に紹介されたせいで、これまで意外とのんびり過ごせたレストランも、最近は予約を取るのが困難らしい。
空いていたのは、4月1日のエイプリルフール。
せっかく記念日を祝う夜なのに、あまり良い印象がない日になってしまった。
けれども、だからといって気持ちが変わるわけではないし。
まあ、良いか…と自分を納得させて、カレンダーに記した、今年の二人の記念日ディナー。

だが……友雅は、あかねにひとつウソをついた。
ウソ、というか、黙っていただけのことなのだけれど、あかねはずっと友雅の背中に「ウソツキ」と言い続けている。


「満開の桜は日本的な風景だけど、淡いピンク色と春の香りを漂わせる姿は、どんな景色の中でも美しいものだね」
友雅は、閉じられた入口の隅に腰を下ろし、目の前に立つあかねの手を取った。
散り始めた花びらが、ひらひらと彼女の髪を飾るように舞い落ちる。
まるで、桜色した花嫁のティアラみたいだ。
そんな風に思いながら、包み込んでしまえるほど小さな手を、しっかりと握る。


「ね、あかね…。君と出会ってから私の心には…ずっとこんな風に、満開の桜が咲く、春の景色が広がっているんだよ」
彼女と一緒にいるとき。
例えそれが、肌寒い雨の日でも、凍えそうな雪の日であったとしても、あかねの存在がそれらを吹き消して、春の風を呼んできてくれる。
抱き締めて口づけをして、寄り添い合って過ごした三年の日々。
いつも、彼女を見つめる先には、暖かな世界が感じられた。

幸せだと思った。
そばに彼女がいてくれること。微笑みがそこにあること。
一人を本気で愛せること。
それがこんなに幸せなものだなんて、気付かなかったのだ。
……彼女に会うまで。


「私は、君と一緒にいるのが好きだよ。君のことが好きだから、一緒にいたい。できれば……ずっとこれからも。」
友雅は毎年記念日に、そんな甘い言葉を囁いてくれた。
誰にも見せない表情で、誰にも言ったことのない愛の言葉を、毎年繰り返してくれた。
今年もそうだと思っていたのに、違っていた。
言葉は同じでも、意味が……これまでとは違っていた。

ジャケットの内ポケットから、友雅は小さな小箱を取り出す。
ここに着いたとき、ちらっとあかねに見せたそれは、パールホワイトの上品な造りに、銀色のブランドロゴ入り。
そして中のものを取り出し、あかねの左手の薬指に、ぴったりと差し込んだ。
「こういうプレゼントをするなら、レストランよりもこんな場所が似合うと思ってね。」
閉じられている入口には、十字架の飾り。
白亜の建物に三角屋根。てっぺんに白く輝く十字架と、窓に聖母マリアのステンドグラス。
ウェディングドレスの女性が、嬉しそうに祝福されているのを何度か見かけたことがある。

「ずっとこれからも、私と一緒にいて欲しいんだ」
きらりと小さなダイヤが輝く手を握り、あかねの顔を見上げて友雅は言った。
これまでの三年間とは違う、もっと深い想いを込めて、彼女の瞳を見つめて。
「私に、ずっと春の景色を見せて欲しい。だから………」



--------------私と結婚してくれませんか?元宮あかねさん。

愛を誓うように、彼はリングのダイヤにキスをする。




「ウソツキ…!」
もう一度、あかねが言う。
「食事に行くって言ってたのに、こんなところに連れてきて…」
「ごめんね。夕べ、この場所を思い出したんだ。」
確か桜通り沿いに、結婚式をよく見かける教会があることを。
あそこならば、永遠の愛を彼女に誓うには、最高の場所じゃないかと思って。

「でもっ、こんなプレゼント用意してるの、黙ってたじゃないですかっ…」
「…これでも、ちょっと緊張しててね。そのあたり、大目に見てくれないかな」
あかねの指を撫でながら、彼は目を伏せて静かに微笑む。
苦笑いのような、それとも…照れ笑い?
「断られたらどうしようか、とか考えてて。」
多分断られても、諦めることは出来ないだろう。
どこを探したって、二人と同じ人はいない。
こんなに穏やかに愛せる人も、他にはいないと知ってしまった。
「もし断られたら…次はいつ告白すれば良いかな、とかね。しばらく時間を置けば、気が変わってくれるかな、とか」
ほとぼりが冷めたら、考え直してくれるだろうか。
今、断られても、いつかまた指輪を受け取ってくれるだろうか。
そのためには、どうすれば良いか。
……我ながらしぶといね、と友雅は笑う。
「でもね、他には探せないから。あかねは、一人しかいないから。」


「…ばかぁ」
きらめく宝石をあしらった指先で、あかねが友雅の胸を叩いた。
「バカぁ…友雅さんのバカ…っ」
「ウソツキ呼ばわりされたあと、今度はそんな言われ方されるとは」
「茶化さないで」
潤んだ瞳から、こぼれる雫をぬぐおうともせずに、何度もあかねは友雅を叩く。
「最初から教えてくれてたら…私だってちゃんとお返し…持ってきたのにっ…」

「…あかねが、ここにいてくれるだけで、それで十分だよ。」
胸を叩く彼女の手をそっと折りたたみ、震える肩を両手で抱き締める。
「ここにいてくれれば、それで良い。私のそばに、ずっと。」
ずっと永遠に、抱き締められるところにいてくれれば。
自分だけを見つめてくれれば、君を見つめ続けさせてくれれば。

ダイヤなんて比べものにならないほど、美しく輝く彼女の涙に静かに口づけて。
寄せる身体を、解けないくらい強く抱き締めて。
「……ずっとこれからもね。来年も再来年も、これからずっと一緒に…ね」
口づけを交わす二人の頭上から、夜風に乗せて桜の花びらが降り注ぐ。

桜色のライスシャワーに祝福を受けながら、誓いを交わす。




-----------そんな、特別な春の夜。



-----THE END-----



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右近の桜・左近の橘 / 春日 恵 様