夢を形にしたいから

= 04.作家とその担当 =





『─────  月の光の中に、男が焦がれた少女の甘やかな肢体が淡く浮かび上がる。男の手がゆっくりと真珠の肌を撫で上げると、少女の吐息がナイチンゲールの囁きのように────  』



「・・・・・あの、先生?」

「何だい?」

 待ちかねていたように、向かいのソファで足を組んで優雅にコーヒーを傾けていた男がにっこり笑う。

 成功した悪戯を確認する子どものような笑顔。 プリントアウトされた原稿を握る手に力がこもる。

「打ち合わせの時には、ここにラブシーンが入るという話はなかったと思いますが?」

「そうだね。でも、ここはようやく2人が姫の父親に認められたところだろう?読者サービスがいるかな、と思ってねぇ。」







 読者サービスゥ〜?そんな殊勝な気持ちがあるなら、もっとハイペースで小説しあげてよっ!





 あかねは内心の叫びを表情に出さないように苦労しながら首を傾げる。

「でも、ウチはファンタジーレーベルですし・・・あまり露骨な表現は・・。」

「そのくらいなら許容範囲だと思うよ。最近のお嬢さんたちはずいぶん過激だからねぇ、頂くファンレターの中身なんて、私には恥ずかしくてとても口に出来ないものが目白押しだよ?」

「でも、予定ページ数を超えますし・・・。」

「今朝まで君の代理で詰めていた新人君はそのくらいならOKだと言っていたけど?」





 余計なことをっ!





 頭の中であかねは後輩の逆立てられた赤い髪を思いっきり引っ張ってやった。

「や、でも彼の一存では・・・。」

「もちろん彼は編集長に電話で確認を取っていたとも。君の教育が行き届いているね、抜かりはないよ?」

 にやにやした笑いが、ともすれば人形のように整った男の顔を生き生きと見せている。だめだ、とあかねはため息をついた。どうあっても押し通すつもりだ、この男。だが一応最後に一矢報いたい。

「先生の幻想的な、生臭さのない作品が読者に受けているんです。こういうシーンは反感を招いてしまうかもしれませんよ?」

「別にかまわないよ。そろそろ偶像化されるのにも飽きてきたところだからねぇ。私だって空腹になればお腹が鳴るし、トイレも行けばゲップだってする、ただの人間だよ?そう、欲求不満にだってなるんだ。」

「欲求・・・・・。」

「そう。さしずめそれは、愛する妻に捨てられて2次元で柔らかな彼女の身体を思うしかない、哀れな男の夢の産物だねぇ。」

 ひどく露骨な表現にあかねの頬に血が上る。

「『捨てられて』なんて、人聞き悪いこと言わないでくださいよっ!締め切りまでの10日間、ちょっと別居しただけじゃないですか!毎日ご飯差し入れに来てたし!」

「10日間が『ちょっと別居』だって?2日だって耐えられないね!それに差し入れに来たって私と顔を合わせようとはしなかったじゃないか。」

 売れっ子ファンタジー作家である橘友雅(ペンネーム橘葵)の妻、あかねは結婚してからも出版社で編集として働き続けている。若手の中でも将来有望な編集者として認められていたあかねが友雅の担当となったことが2人の出会いだ。

 作家として引く手あまたでありながら、むら気で面倒くさがりの友雅をなんとかなだめすかし、雑誌連載や単行本発売までこぎ着けられたのは、あかねの有能さはもちろんだが、友雅があかねにべったり惚れ込んでいることによるものが大きい。



 だが時折、『あかねが担当だから』の弊害もある。



 今回のように締め切りが切迫している時だ。友雅は集中すると信じられないペースで書き上げるくせに、『のって』こないとぴたりと書かない。キーボードに向かうこともない。そんな時、彼はひたすら妻を可愛がろうとあの手この手でつきまとうのだ。

 妻としては日常生活の同居でも、編集としては原稿に行き詰まった作家になんとか手助けしようと詰めているようなもの。あかねも資料を探したり、書きかけの原稿を見て、別の見方がないか話し合ったりしたいのに。2人きりになると(時には他人がいても)彼はあかねに手を伸ばしその身体を抱きしめようとする。



「だって私がいると、友雅さんちっとも原稿書いてくれないじゃないですか。」

「煮詰まっている時は気分転換が必要だろう?」

「気分転換で2日も3日もベッドの中ってのはあり得ません!」

 息を切らして睨みつけてもどこ吹く風。

最後の手段としてあかねが採った方法が、『あかねが家を出る』事だったのだ。





『橘先生の原稿が上がるまで、家には帰りません。』





 あかねの代わりに友雅の世話に泊まり込みに来た新人は、手渡したそのメモを見てみるみる機嫌を急降下させた友雅に、寿命が3年は縮んだという。

 デリバリーやレトルトの嫌いな友雅のために、本当は料理上手な詩紋に代理を頼みたかった。だが彼は今、別の作家の取材に同行してエジプトだ。きっと彼自身新しい料理を覚えて帰ってくるだろう。

 代わりの生け贄君はせいぜいレンジで温めるか、お湯を沸かすくらいしかできなくて。仕方なくあかねが毎日お弁当を作って差し入れていたのだ。

「友雅さんに直接会うなんて、そんな危ないこと出来ません。あれこれ理由をつけてさぼろうとするに決まってるもの。」

「ずいぶんと信用がないねぇ。」

「絶対そんなこと、かけらも思わなかったって誓えるんですか?」

 あかねに横目で睨まれて、友雅は肩をすくめる。思わないはずがない。あかねを目の前にして何もせずにいるなんて、友雅にとってはそちらの方が異常事態だ。

 あかねはふぅっとため息をつく。

「だから心を鬼にして、お弁当をイノリ君にこっそり手渡すだけにしてたんです。・・・・・私だって、早く友雅さんに会いたかったですよ?」

 友雅の熱が一気に上がる。全く、言葉のプロである自分をこんな風に容易く操る彼女は本当は魔女なのではないか?

おもむろに立ち上がると、回り込む手間すら惜しいと一気にコーヒーテーブルをまたぎ超え、あかねの隣に腰を落とす。そして驚く彼女の身体を自分の胸に抱き込んだ。

「では私たちは同じ想いに胸を焦がしていたというわけだ。こうして無事に原稿が上がったのだから、もう自分を抑える必要はないよね?さあ、君がどれほど寂しかったか、私に教えておくれ、あかね・・・。」

 顎に手を添えられ、うっとりと近づいてくる唇を、しかしあかねは抱えていた原稿で留めた。

「あかね?」

「まだ仕事は終わってないんです。すぐにこれ、印刷所に回さなきゃいけないし。」

「データなんだからメールで送ればいいだろう?」

 テーブルの上にはあかねが手にしている原稿の入ったCDがぽつんと置かれている。

「予定よりずいぶん遅れてるんです。ただ送りつけるだけじゃなくてお詫びに行ってきます。それに、別の作家さんのところにゲラ届けに行くことになってるんです。だいぶ変更が入りそうだし、直接打ち合わせないと。」

「やれやれ、そんな不完全な原稿を書くなど、作家として未熟だね。誰だい?まさか男の作家じゃないだろうね?」

 口元を塞いだ原稿をぞんざいに投げ捨てて、友雅はあかねを抱き直す。

「違いますよ、藤川星姫さんです。私が男の作家さん担当できないの、知ってるでしょう?自分でそうし向けたくせに!」

 頬を膨らませるあかねに友雅はにやりと笑った。



『あかねが他の男性作家を担当するなら、もうこの雑誌には書かない』



そう編集長に脅しをかけて、あかねの担当を変えさせたのは友雅自身だ。本当は最初、



『私専属にしないと書かない』



と言っていたのだが、一人の作家に担当一人、では編集部は潰れてしまう。交渉と妥協の結果が前述の条件なのだ。

 おかげで今あかねが担当しているのは女性作家ばかり。元々ファンタジーを書いているのは女性が多いが、それでも男性作家だって何人もいる。

「あ〜あ、担当してみたい素敵な作品を書かれてる男性作家さん、いっぱいいるのにな・・・。」

 あかねのそのつぶやきを、嫉妬深い夫が聞き逃すはずもない。地を這う声があかねの耳に忍び込む。

「・・・・どこに『素敵な』『男性』が『いっぱい』いるって・・・・?」

「都合のいいとこだけ拾って凄まないでください!もう!」

 ぺちんと夫の腕を叩くあかねの額に自分の額を付き合わせ、友雅は妻の若葉色の瞳を切なげにのぞき込んだ。

「私は外で君が何を見て、誰といるかを知らないのだよ。君がこの仕事を好きで、全力を注いでいるのは知っている。一作家として、君ほど作家に親身になって力を尽くしてくれる担当はいなかった。だから、」

 友雅は目を閉じて額を擦りつける。

「妬けてしまうのだよ。君はきっと、他の作家にも同じように心を砕くのだろう?私の知らないその作家のところに行った時は、その作家の想いをどうやって文字にするか、その作品を世にどうやって出すかだけを必死に考えるのだろう?・・・・・私のことなど忘れて。」

「友雅さん・・・・。」

 あかねは自分を抱きしめる意外に逞しい腕から何とか両手を抜け出させると、そっと夫の頬を包み込んだ。

「確かに編集としては、目の前にいる作家さんのことに全力投球してます。でも、友雅さんは私にとって、ただの作家さんじゃないですよ?」

 学生時代、あかねを一番夢中にさせた小説を書いた人で。彼の作品を読んで、普通にOLになるのをやめて、編集になる夢を追うことにした。

いつか彼の作品を形にする手助けをしたい。この手で彼の本を世に出したい。夢は期待以上にかなえられ、こうして夢ですら思わなかった、彼の腕を独占する権利まで手に入れて。

「友雅さんは他の誰とも違う、私だけの特別な人です。私の夢を形にしてくれる人なんです。どこにいたって、私は友雅さんの担当だし・・・・・妻、ですよ・・・・?」

 最後は少し小さく、恥ずかしげに囁かれて。友雅はうっとりと温かな掌の感触を味わった。

「あかね・・・。愛しているよ・・・。」

 ゆっくりと友雅の身体があかねにのしかかる。

「だ、だめですってば!夕ご飯に間に合うように帰ってきますから!原稿が上がったお祝いに、どこかへ食べに行きましょうか?」

 友雅を押しのけようとする細腕を難なくかわしながら男は妻のあちこちにキスを落とす。

「食べたいのは、あかねだけだよ。」

「ちゃんとご飯食べないと身体壊しますよ!」

 顎を掬うように引っ張り上げられ、友雅の視界に少し怒った妻の顔が映る。本当に自分を気遣ってくれるからこそ、あかねは本気で怒る。友雅は子どものように邪気のない笑みを浮かべた。

「わかったよ。ちゃんと『あかね以外も』食べる。でも、外になど行きたくないね。せっかく君と2人きりに戻れたんだ。ゆっくりしたいよ。」

 あかねもつられて微笑む。

「分かりました。じゃあなるべく早く帰って、私が何か作りますね?」

 まだ未練たらたらな夫の身体の下から何とか抜けだし、あかねは次の仕事先に向かうべく、玄関で靴を履く。

「じゃあ、行ってきます。途中で電話しますから。」

「藤川某などに引き留められてはだめだよ?」

あかねが担当する中で一番若い作家である藤川星姫は、あかねを姉か友達のように慕っていて、お茶や食事によく誘ってくれる。打ち合わせも和気あいあいと、まるで女友達が教室で戯れているような感じで進む。そして自宅にもしょっちゅう電話が掛かってくるのだ。友雅にとっては目障りなことこの上ない。

 あかねはくすっと笑い、ストールを肩からはおると少し背伸びをして友雅に「行ってきます」とキスをする。軽く唇に触れるだけのそれに情熱的に応え、さらに背中に回ってきた夫の腕を慣れた身のこなしで素早くかわし、あかねはドアノブに手を掛けた。

「あ、そうだ、友雅さん。」

「何だい?」

「あの、ですね・・・次の作品なんですけど・・・。」

「おやおや、もう次?鬼のような編集だねぇ、あかねは。」

「催促じゃないですよっ!そりゃ、早く見たいけど・・・。でも、そうじゃなくて。」

「ん?」

 優しく促す友雅にあかねは少し頬を染めて続けた。

「次は、その、主人公に私と友雅さんの名前使うの、やめてください、ね?」

友雅は著書に自分のプロフィールを明らかにしてはいない。本名も結婚していることも、妻の名も。

だけど編集室では丸わかりなわけで。ゲラをチェックする校正部や、出来上がった本に目を通す他の編集者から、からかわれっぱなしなのだ。

 ましてや今回の原稿にはかなり大人なラブシーンが入っている。『セクハラ』発言が飛び交うこと間違いなしだ。

 妻の苦労を知ってか知らずか、友雅は長い髪を掻き上げ首を竦めた。

「君の頼みなら、是非とも・・・と言いたいところだが、今朝編集長から電話があってね。」

「え?」

「『あかね姫』と『魔法使い』の話が好評なので、続編が欲しいそうだよ?」

「ええ〜!?」



 そんな話、聞いてないっ!



思わず抱えていた原稿を落としそうになる。

「私としても気に入っている世界だから、このまま終わりにするのはもったいなかったのだよね。今回仕上げた番外編で無事、2人は結ばれたことだし。どうだい、次は2人が不思議を求めて旅に出るというのは?もちろん、2人きりだ。きっと愛も深まるだろうねぇ?」

 にやにやと笑う夫を呆然と眺め、あかねの脳裏を確定した未来の映像が走馬燈のように巡る。

 きっと友雅の本は当たるだろう。『姫と魔法使い』のシリーズは、何冊も続くに違いない。取材と称して何を友雅が要求するか。そしてどんなシーンを作品に盛り込んでいくか。あかねの編集者としてのカンはまず、外れない。

 おそらく自分のこれからの戦いは、内容よりも表現をいかにファンタジーの域に留めておけるかの、友雅との攻防だ。

「い・・・・行って、来ます・・・。」

 ある意味素晴らしく、別の意味では悲惨な未来図によろめきながら、あかねは仕事へ向かう。

「行ってらっしゃい。早く帰っておいで、あかね。早速次の作品のための打ち合わせをしようね?」

夫の顔が、大ヒットになるであろう、彼の小説の主人公『ちょっとサド気のある魔法使い』に、見えた・・・・。











fin......






ああ、やっぱり私はヘタレな友雅さんが好きだ!あかねちゃんがいないとダメなくせにちょっといじめっ子v

パラレル大好き!な私としてはたくさんのお題で書きたかったのですが、力不足で2本で断念。へへ、作家橘葵先生が書いた作品がお祭り内にあったりして?今回も楽しく参加させていただきました。ありがとうございました!

夢見たい / koko 様