I Believe

= 雨 =







「私ね、紫陽花の花が好きなんです!・・・・特に雨に濡れた紫陽花って、とても綺麗だと思いません?」

「おや、君は雨がお嫌いじゃなかったかな?雨の日は、君お得意の脱走が出来ないとぼやかれていたような気がするが?・・・・・・私の記憶違いかねえ」

「・・・そ、それは・・・うう、もうっっ、意地悪言わないで下さいっ!!」

「ふふっ・・・まあ、確かに雨に濡れた紫陽花は風情があって良いものだから、・・・その意見には賛成だね」

「でしょ?!雨の日に映える花ってそうないと思いません?雨の日って何だか気が滅入る様な気がするんですけど、雨に濡れている紫陽花を見たら、雨もそんなに悪くないんじゃないかって・・・そう思えるんです」







キラキラ


雨に濡れた色んな色の紫陽花が、まるで宝石のようで


----------その綺麗な花を「あなた」と一緒に見られることが、嬉しかった










これは、異なる世界へと足を踏み入れた「代償」




それでも離れる事は、出来ない---------あなたからは






I Believe




纏わりつくように、サラサラと降る細かな雨


・・・・う〜〜ん、天気予報で今日一日雨って言っていたしなあ


手にした可愛らしいパステルカラーの傘からちらりと灰色がかった空を見上げると、彼女は軽く息を吐いた。
身を濡らす様な強い雨ではないけれど、天からの恵みは暫らくは止みそうにない。
日本独特の------ある特定の期間とは言え-----長らく雨が降り続く、梅雨という 鬱陶しい時期

おそらく誰もが、どんよりとした厚く垂れ込めた空よりも晴れ渡った青空を望むであろうが
それでも彼女はこの季節は嫌いでは、ない

---------だって、とっても綺麗なんだもの

そう呟く彼女の視線の先には鮮やかに咲き誇る色とりどりの、この時期の代名詞ともいえる-----紫陽花----

彼女が居るそこは、繁華街に程近い場所にあるかなり広い敷地に広がる紫陽花園だった。
辺り一面を埋めるほどの沢山の種類の紫陽花が、雨に濡れている。

ここは元々は裕福な財産家のものだったらしいが、その人物が亡くなり遺言により
地元である市に土地ごと寄付したらしい
それ以来市による管理がなされ、以前よりずっと多くの紫陽花が増え今では立派な観光地だ。
が、纏わりつくような霧雨の中を散策するのは誰も好まないのだろう
さすがに今日は、彼女のほかにはほんの数人の人影しか見えない。

しかしその雫で艶やかさを増して、この花ほど雨が似合う花も無いだろうと思えるほど
生き生きと見えるのは、気のせいでは無い筈だ。

土壌などの性質によって、時間と共にその身にまとう色を変える事もあるその花は
「気まぐれ」や「心変わり」などのあまりいい代名詞には使われはしないが
彼女はいつの頃からか、雨に濡れ咲き誇るこの花が好きだった。
雨の中で淑やかに、しかし凛と咲き誇るその花を見ていると、何故か心が落ち着いてくる気がした。

しかし------------最近は、その心境が少し違っていた。

なんだろ・・・・紫陽花を見ると「誰か」思い出しそうになるのは・・・・・

自分を包み込むような優しい存在を想い出しそうで、心がサワサワとざわめいている
もちろんそんなものなど知らないし、今まで感じたことなど無い・・・・・・筈だ。
それなのに近頃この花を見ると、大切な何かを置き忘れたような気がする
自分の心が自分のものでないような、はっきりとしない
そのせいか


--------せっかく好きな花なのに、全然楽しめない!

「・・・・・・・も〜〜〜、やだなあ・・・・・」
そう呟いてつい手近にあった紫陽花の花びら----正確には額なのだが----を、
ピンと指先で弾いたその瞬間



「何が嫌なのだい?」


ふいに響いた滑らかで穏やかな、しかし一度聞いたら忘れられないような艶やかな低い声


「え?!」
まさか自分が呟いた独り言に答える者がいるとは思わず、彼女は反射的にそちらを振り返った。
------そこには彼女より少し離れ他場所に立つ、長身の男性の姿

そして

・・・・・・・・・っっ?!

その人物に、彼女の動きはピシリッと固まってしまった。


年の頃は彼女よりかなり上だろうが、まだ青年といってもいい頃だろう
彼女と同じように、しかし格段に値が違うことが判ってしまうような仕立ての良い
しかしシンプルな傘を手に、これまた普通の会社員なら一生縁の無さそうな最高級ランクの-スーツ
雨のせいか、しっとりと濡れたように艶やいて緩やかに長びく黒髪

誰もが見惚れてしまう程の秀麗な顔立ち
見るもの全てを惹き込んで捉えてしまうかのように深く輝く翡翠の瞳が、彼女を真っ直ぐに見つめていた。

それは美しく咲き誇る紫陽花の中で決して負けることの無い-
----------否、それ以上の匂い立つような色香を纏う存在


ええっと・・・?!し、知らない人・・・・・・だよね・・・?






でも


一瞬---------「あの人」と重なった


それは美しい衣を纏った、でもその衣以上に美しい----彼


え?



・・・・・・・・・・・「あの人」?


誰?


ダレの、事?







自分でも判らないままに浮かんだ問いかけに
自らの記憶を引っ張り出してみるが、これほどまでに存在感のある人物など忘れるはずも無く
確実に知人ではない・・・・・・・筈だ。
だが周りに他に人がいないこの状況で、声を掛けられたのは確かに自分

え、え、もしかしてナンパ?!・・・・・って、こんな美形が私なんかナンパしないってっっ!!
わ----------っ、自意識過剰-------っっっ!!

そんな彼女が固まったまま怒涛のように思考を廻らしている姿に、ふっと男性の雰囲気が和らいだ。
「ああ、突然声をかけて申し訳ない・・・・・・驚かしてしまったようだね?」
パシャと水が弾け少しだけ近づいた気配とすまなそうな言葉に、ようやく我に返った彼女は慌てた。
いつの間にか目の前には、苦笑に近い笑みを湛えた彼が居る
「い、いえっ、そんなコト・・・・・・ええっと、ナンパかと思ってちょっとびっくりしただけで・・・・・って、す、すみません!!ナンパって失礼なこと・・・!!今のナシにしてくださいっっ!!」
先程より近い存在に思わず本音を言ってしまい、ますますアワアワとパニックに陥ってしまう
その慌てように、ついに耐えられないかのように彼はクスクスと笑い出していた。

「いや・・・・・・。君のような可愛らしい女性に突然声をかけたのだから、そう捉えられても仕方の無いことだよ?・・・・・やはり、謝るのは私のほうだね」
「は?!か、可愛いって、あの・・・そんなお世辞・・・」
「おや・・・お世辞などではないよ?雨に濡れた紫陽花の中に立つ君は、まるで清らかな華の精のようで・・・・・つい声を掛けてしまったのだから」
「は、華の精って・・・・・・・」
「そう・・・・。もしくは、天より使わされた神子・・・・・かな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

艶やかな笑顔と共に流れるようにさらりと、しかしとんでもない事を言われた。
またそれが本気で言っていると判るので、・・・・・・余計に性質が、悪い
もう、彼女は答える気力も無かった。いや、へたり込まなかっただけでも褒めてもらいたいくらいだ。

〜〜〜〜〜〜こっ・・・・・・この人って、いったい・・・・・。

きっとこの人物は、息をするようにあんな台詞を口にするのだろう
ましてやこれほどに人を惹きつける姿形であれば、どんな女性でも落ちない訳がない・・・・・・普通なら。
しかし、彼女はまだ初心者
いわゆる「大人の駆け引き」が出来るほど経験を積んでもいなければ、まだ積むつもりも無かった。





でも

彼が口にした言葉に

彼の滑らかな絹を思わせる低い声に


心の琴線が揺れた


「神子」


それは一瞬

どこか遠い記憶の中で覚えのある、呼び名

霞が纏わりつくように曖昧な、でも大切な愛しい声




ああ・・・・・「あの人」も、そう呼んでいた




「あの人」?



ダレ?




「------------どうかしたのかい?」

訝しがるような、しかし心配そうな問いかけに、彼女はハッと意識を現実に戻す
顔を上げればその秀麗な面立ちに戸惑ったような表情を浮かべた彼がいた。
「あ、いえ・・・・なんでもないです!」
慌てたようにブンブンと音がするくらいに首を横に振る彼女をどう思ったのか。
彼はもうそれ以上何も言わずふっと笑いを零し、代わりに別の事を口にした。

「ここで出会えたのも何かの縁・・・・・・。もし宜しければ、君の名を聞いてよいかな?」
微かに首をかしげ、彼女の顔を覗き込むように聞く彼は
それだけで雑誌の表紙を飾れそうなくらい絵になっている。
傾げた拍子に長く艶のある髪がふわりと長引いた
「え?!わ、私の、ですか?」
まさか、そんな事を聞かれると思ってもいなかった彼女は思わず自分で自分を指差してしまった。
「そう・・・・ああ、失礼」

人に聞く前に、自分が名乗っていなかったね

そう苦笑しつつ、彼は自らの名を口にする


「私は、橘友雅------初めまして」


その名に、彼女はまたもや不思議な感覚に囚われた。





橘友雅?-----------タチバナトモマサ






どこかで聞いたことのあるような気が、する。
しかし彼の事は知らない
知らない筈、だ
なのに何故こうも懐かしい----愛しい?


自分でもわからない、戸惑いに満ちた心を持て余している彼女をよそ目に
彼はスーツの内ポケットから白い小さな紙を差し出した。
「自己紹介。------貰ってくれると、嬉しいね」
悪戯っぽく笑う彼の仕草に彼女が何気無く受け取ると、それは手触りの良い上質な紙の名刺だった。
それの中央には綺麗な黒い文字で、橘友雅と書かれていて
その右横には八遥堂と小さく添えられ、その反対側に携帯番号らしき数字の羅列
他には何もかかれていない、いたってシンプルな名刺
確かに彼のものらしいが。
それよりも-------ハチヨウドウ


「って・・・・もしかして、あの八遥堂?」
最近良く見るブランド名に、彼女は思わず声を上げていた。
「おや・・・・もしかしてご存知かな?」
「はい、だって今人気の化粧品のブランドですし。・・・実は、私も使っています」
「それは光栄だね。------では、これからもよろしくお客様?」



そう八遥堂とは、今女性の間で人気上昇中の化粧品ブランドの名だった。

日本でも有数の巨大複合企業グループを背後に持つ、化粧品業界では三本の指に入る大手

様々な人気商品を世に送り出し、特にその口紅の特定シリーズは爆発的に売れていて
それは入手困難のレアものとまで言われている
目の前の人物は、そんな会社の関係者なのだろうか?
しかし名刺には、役職や部署名も特別何も書かれていない。


なので、つい
「あの・・・・八遥堂で、何をされているか聞いていいですか?」
「何、とは?」
「ええっと、たとえば営業とか・・・」
「ああ・・・・そういう意味。------そうだねえ」
彼----友雅は暫らく言葉を捜しているようだったが、ふっと笑って口を開いた。
「・・・・・・しいて上げれば、雑用係かな」
「雑用係?!」
なんだそれは?会社にそんな係りがあるなんて聞いたことが無い・・・と思うが。
「そうだよ。もしくは、何でも屋」
・・・・・・・・ますます判らない。会社の中に「何でも屋」なんて部署がある筈も無く
あっけに取られた彼女の表情に、友雅はその笑みを深くしただけだった



--------------これから暫くの後



彼女が巨大な八遥堂本社ビルに初めて足を踏み入れ、それはそれは丁寧な対応で
最上階の「社長室」とネームプレートが掲げられた広い部屋に通されるまで、
友雅の正体は明かされることは無かった。

・・・・というのは、その真相に唖然を通り越して呆然となった彼女には笑えない後日談

彼曰く
「社長なんて態のいい雑用係のようなものだよ?自由も無く、いいようにこき使われるだけだからねえ」
・・・・・・・らしい


----------それはさておき、友雅は肝心な事を切り出した。
「では、君の名を教えていただいても宜しいかな?」
「あ、すみません。ええっと・・・私、元宮あかねといいます」
「あかね・・・・殿、か。----ああ、君に相応しい良い名だね。・・・あかね殿と、そう呼んでも?」
「は、はい・・・・」

今時「殿」付けなんて物凄く時代錯誤のような気がしたが、
何故か彼からそう呼ばれることに違和感は無かった。
それどころか、彼が嬉しそうにふわりとまるで花が咲き誇るかのような笑みを浮かべ
自分を見つめる姿に胸が騒ぐ。

「あかね」

彼が自分の名を口にした。
ただそれだけなのに------それがひどく心のざわめきを巻き起こす
どこか身の置き所が無い、けれど喜んでいる自分がいる
しかしあかねには、それが何処からおきるものなのか全く判らなかった。

だが、そんなあかねを他所に友雅は話の矛先を変えた
「ところで、随分と熱心に見ていたようだけれど・・・・・・あかね殿はこの花に興味があるのかな?」
まだ降り続ける雨の雫に濡れている紫陽花に、彼はその翡翠の瞳を向けている
急にそう問われ、あかねは同じように紫陽花へ意識を戻した
「え?あ、はい。・・・・・・特に雨に濡れた紫陽花が宝石ように綺麗で・・・好きなんです」
「そう・・・・・・」
楽しそうなあかねの言葉に、友雅の翡翠の瞳が切なげに一瞬揺れたが
あかねがそれに気づくことは無かった
だから
「えっと、橘さんも」
紫陽花がすきなんですか?と続けようとしたあかねを遮るように、
友雅からとんでもない一言が落とされる。

「友雅」
「は?」

あかねの思考が、一瞬飛んだ。
手にした傘を落としそうになり、慌てて握りなおすが
「私の事は友雅と呼んでくれると・・・・嬉しいね」
「え?・・・・と、とも・・・って、橘さん、何を・・・・?!」
「友雅」
慌てるあかねを、うっすらと浮かべた微笑で見返したまま、まるで拗ねた子供のようにそれを繰り返す。
・・・・・この人は一体何を言っているんだろうか
いくらなんでも今日今さっき知り合ったばかりの年上の(かなり上・・・・だろう)男性を、それも女子高校生の自分が名前で呼ぶなんて・・・・・マズイだろう
とりあえず人並みの常識を持つあかねは、反論を試みた
「あ、あのですね、橘さん」
「友雅」
「いや、でも、ですね」
「と・も・ま・さ」
に----っこりと、それはそれは魅力的な微笑を浮かべた
・・・・・・何処の小学生デスカ?と聞きたくなるくらい大人気ない大人がそこにいる

「〜〜〜〜〜〜〜判りました」
しばし考えた後、あかねは諦めた。
本人が譲らないのだし--------説教なら本人に言ってくれ、だ。

「友雅さん」

これで良いですか?
そう言ったあかねの一言に友雅の拗ねたような表情があからさまに一変した
「ああ・・・・もちろん」
それはそれは嬉しそうで、彼女は思わず彼の顔を見つめてしまう
彼のその瞳が、とても優しげでまるで愛しいものを見つめるように甘く輝いている
その瞳になんだか引き込まれそうで、落ちつかない

でも

あかね自身もその呼び名がしっくり来るのは、何故?
まるで、昔からそう呼んでいたかのように馴染むのは?





私も紫陽花が好きなんだよ






そう微笑む彼の姿に、泣きたくなる様な想いがこみ上げてくるのは?






アナタハ、ダレ?












シンプルな、しかし趣味の良いと思わせる調度品を配置した広い部屋には
降る雨を遮る大きな窓ガラスを背景に重厚な黒檀の机に向かう、誰もが見惚れそうな美しい存在

手にした書類にすっと目をやりそれから手早く署名し、判子を押す
そんな作業を淡々とこなしているその姿は、それだけで一つの芸術作品のようだった。
時々髪を掻き上げる何気無い仕草も、それを惹き立てるだけだ。
そして彼は最後の一枚にサインを書き込むと、机の前に静かに立つ自らの片腕に視線をやった。

「-------これで終わり・・・・かな」
そう言ってウンザリとした様子を隠そうともせず、手元の書類を差し出すと
自分とそう年齢のかわらない、スーツ姿の青年秘書が受け取り確認する
「はい----今日の分は終了です」

お疲れ様でした、社長

と軽く頭を下げるのを、彼------橘友雅は椅子の背もたれに背を深く預けて軽くため息をついて眺める
「やれやれ・・・・・本当に社長なんてなるものじゃないね。------雑用ばかりだ」
本当に嫌そうに言い募る友雅に、秘書はしれっと口を開いた。
「しかし雑用もする者がいないと、皆が困るのですよ。・・・・皆の平穏の為には必要な役目ですね」
敏腕と名高い彼には、流石の友雅も形無しだ

その言葉に、友雅はひょいと肩をすくめてみせたその時
不意に鳴り響く、落ち着いたメロディと振動音
友雅は胸内ポケットに入れた薄い携帯電話を取り出し
二つ折りのそれを片手で開くと、画面表示された名に少し片眉を上げたが通話ボタンを押した


「もしもし?」
(--------よう。・・・・俺、だけど)
電話越しに聴こえてきたのは、馴染みのある若い低い声
「おや・・・・・君がこの携帯に掛けて来るなんて珍しいね」
(まあな・・・・ちょっと今良いか?)
「ああ、構わないよ。ちょうど一息ついた所だしね」

友雅はそう言って、目の前に微動だにしないまま待つ青年にひらひらと片手を降って見せる。
彼はその仕草に軽く頭を下げると、音も立てずに部屋から出て行った
友雅はそれを視線で追っていたが、ふいに座っていた椅子を回転させる。
背後にドアが閉まる音が微かに聞こえ、目の前には雨に濡れた高層オフィスビル郡

「------で、何かあったのかい?」
友雅が外を眺めたまま低く問いかけると、電話の向こうでは少し戸惑うような気配が感じられた
(・・・・・いや、別に特別何かあった訳じゃないんだけど、な)
「おや・・・・・益々珍しい事だね」
友雅は、すくすと可笑しそうに笑う
-----電話の向こうの相手は、自分とはどちらかといえば犬猿の仲といってもいからだ。
最も、それは相手が一方的に嫌っている・・・のだが。

(---------あんた、さ・・・・・アイツと時々逢ってるんだって?)
「---------ああ・・・その事かい。・・・・・彼女から聞いたのかな」
(いや・・・・・・蘭からちょっと、な)
長い黒髪の美しい、しかし勝気な少女の姿を思い浮かべ友雅は冷たく皮肉気に口元を上げた。
「ああ、蘭殿はあかねと仲が良かったからね。------で、その妹君から私にクギをさせとでも言われたのかい」
そんな友雅の言葉に、微かにムッとしたように落ちた沈黙の後
(・・・そんなんじゃねえけどよ。ただ、詩紋のヤツが気にしていたからな・・・・・・・蘭も)
ふいに紡がれた言葉には、ぶっきら棒な言い方ではあるが友雅を気遣う様子がある

それにようやく気づいた友雅は額に片手を当て軽く息をつくと
「すまない。--------先程の言葉は忘れてくれ・・・・」
素直に謝罪の言葉を口にした

彼女の周りにいる彼らは、心から彼女を心配している
彼女と、彼の事を
ただそれだけの事、なのだ。
友雅自身が思った以上に、神経が過敏に反応しているようだった

(------まあいいさ。状況が状況だし、あんたも神経尖らしてんだろうよ。・・・・・アイツ、記憶戻ったんじゃねえんだろ?)
「ああ、思い出したわけではないよ。・・・今の所は、ね」
---------時々、何か言いたげに揺れる視線を感じるが。

(・・・・・あんた、さ。-----それでいいのか?)
「それとは?」
(あかねの事だよ。・・・・多分、アイツがあんたの事を、あの世界の事を思い出す事は・・・無いだろうしよ。
------後悔しねぇのかな・・・って、思ってよ。・・・・色々とな)
何だかんだ言いつつ、この少年は人を思いやる心が強い
だからこそ、彼女の周りにいる事を-------許せるのだ

「しないよ。-----そんな事を考えた事も無い、ね」

澱みなく強く返す友雅に、電話の向こうでふっと空気が揺れるのが判った
(・・・・・俺、いけすかねえヤツって思っていたけど・・・・・アンタ、すげえな)
「おや、君からそんな言葉を聞けるとは・・・・・・。季節はずれの雪でも降らせるつもりかい?」
(うるせえよ。二度目はねえから、たまには素直に聴いとけ)
からかうような声に、いつもの口調ではあるが真剣な言葉が帰ってきた

(マジな話・・・・・すげえよ。俺はアンタと同じ状況に置かれて、それに耐えられるかと問われたら・・・・・多分むりだ。好きなやつが自分を忘れ去ってしまうなんて事には我慢できないし・・・きっと、相手をひどく追い詰めてしまいそうな気がする)

良くも悪くも直情な性質を持つ彼の-------その予想は、あながち外れてはいないだろう
だからこそ内心はどうであれ、表面上は淡々とした(ある意味、それのほうがよほど怖いような気もするが)友雅が単純に凄いと思えるのだ。


目の前にある切望する存在に、手が届いているのに手が届かない

たとえ自らが望んでなった事とは言え

そんな、どうしようもない状況を耐えている友雅を


(俺は、アンタを-------尊敬する)


普段であれば口が避けても言わない彼からの素直な言葉に、友雅はふわりと微笑んでいた
過去の自分であれば厭わしかったであろうが、これも「仲間」という大切な存在


「・・・・・この場合、褒めて頂いて有難うと返すべきかな」
(いらねえよ。・・・・・・・ってかやっぱ忘れろ、前言撤回)
今更になって自分の発言の恥ずかしさに気づいたのか、そういい募るが
「是非覚えておこう--------二度目は無いらしいからね。貴重な体験だ」
(やっぱり嫌味なヤツ。----------ちっ、心配して損した)
嫌そうに小さく履き捨てるように呟いたそんな様子に、友雅はくすくすと笑う。

「おや、それはすまなかったね。それでは------今度皆で食事でもどうだい?」
(・・・・・当然アンタの奢りだろうな)
「もちろん。これでも気前のいいお兄さんで通っているんでね」
(けっ、気前のいいエロオヤジの間違いだろ。犯罪者にはなるなよ)
「ふっ・・・・・相変わらず口の悪いボウヤだね」
しかし、やはり彼はこうでなくてはいけない
(俺は根が正直なんでな、つい本音が出ちまうんだ)
軽口を言い合う方が自分達らしい
「では・・・・・尚のこと、先程の発言は君の本音と認識させていただこうかな」

(〜〜〜〜〜〜っっ、破産するまで食ってやるから覚悟しておけよ!!)

叩きつけるようにそう怒鳴るのを最後に、電話は向こうから切られ
残るのは堪えきれないようにくつくつ笑いを零す、大人気ない大人が一人


笑いを収めた友雅は自分も携帯電話を切ると、それを無造作に机の上に投げ置いた。
そして椅子の背もたれに深く背を預けると、その瞳を閉じて深く息を吐く




窓ガラスの向こうの雨は、まだ止みそうにもない











これは「代償」




全てが終わり、あかねが心通じ合わせた友雅を共に、
あかねと天真と詩紋と、そして蘭がこの時代に帰ってきたあの時
彼女の記憶は、あの遥か遠い時空の世界の事---------そして、友雅の事に関する事全てを忘れ去っていた。

飛ばされた瞬間の、時間と場所に戻ってきたのは竜神の情けか
こちらの世界は、全く変わっていなかった。
蘭も行方不明になっていない事になっており、あかね達と同じ高校に通うよう記憶操作されていた。
何もかも、変わっていなかったのだ

---------ただ、「友雅」に関することを除いては

世界を渡った時、友雅だけは別の場所に飛ばされた。
もちろん同じ時空の同じ時間には、いた
友雅はこの世界では企業のトップの人間として位置されていた
友雅自身に、あの世界やあかねたちに関する記憶はある
そしてこの世界の事も





しかし

あかねは、覚えていなかった

--------全て

天真達には記憶があるのに、彼女だけはあちらに関すること全てを失くしていた。

元から何も無かったかのように

だから、あかねは友雅を知らない------------知らなかったのだ

どんなに友雅があかねを欲したか、さえも







おそらく、これは------------「代償」








そう友雅は思う

友雅が、異なる世界へ足を踏み入れる為に支払わなければならなかった「欠片」

零れ落ちてしまった--------「愛しい貴女」

味わった、絶望感と焦燥感と寂寥感




------------それ、でも




友雅に後悔はない

最早、離れることなど出来はしないのだ


無かったのなら、また最初から築けばいい

また、やり直せばいい

何度でも

何度でも

それだけの、事


だから


ただ、想う


狂うほどに




あなたの目に映る全てのものを



あなたが、好きだと言ったもの全てを



あなたが、嬉しそうに見ていたあの花を





あなただけを-------------想う







(終)





誕生祭に参加させていただき有難うございました。
         皆さんと共に、友雅さんをお祝いできて幸せです!!


星降る闇 / 星降咲夜 様