「まさか、悲恋話で名を馳せた彼の地で突然天気が崩れるとは。誰かが私を思って泣いている訳でもなかろうに」
雨・雨・雨・・・
帝からの直々の仕事を頼まれた友雅は、帰りがてら身一つで随心院にいた。寄った途端、行き成りの雨に慌てはせずとも早足で大木の下に身を寄せ、雨宿りをしつつ自虐めいた声で呟いた。見渡す限り誰も居ないが、友雅を見知る者が居合わせたならば、心が半分流れる雨に削ぎ落とされたかに見える微笑に唖然とするに違いない。
はっきり言うと友雅はこの時期の雨が好きではなかった。あかねが内裏で穢れを祓っていた日々を想い出すから。雨の薫りは、己が居合わせない間に起きた二人の情景を、真偽に関わらずもたらすから。その時に出会った舞手の力添えもあったからこそ今の京があるのだろうが、どこか褪めた己がいる。その舞手はかつて友雅の琵琶の音を褒めた一面もあったが、あかねと親愛以上の情が互いにあったと誰が否定出来ようか。
本当にこの時期の雨は温かいのにどうして冷たく、冷たく心に落ちる?
ぽつん、と飛んだ雨を冷たいと感じても己の方がより冷たいのだと気付く。あの舞手か、あかねか、もしくは共に涙していそうで、聞きたくなくても耳に入り、目を背けたいのに瞳に映る。
『情熱』という陽の感情を手に入れると『喪失』という陰の感情が溢れ出て、まるで己が天秤にかけて心の均衡を保っているようだと思いを巡らし、また嗤う。
「友雅さん!」
友雅を捕らえている単一の鈍色の色彩で描かれた世界に鮮やかな桃色が飛び込んで来た。
「あ、かね・・・どうして此処に」
久方に見る水干姿を眩しそうに目を細めながら呟く友雅にお構い無しで、あかねはひたすら友雅を拭いながら悲しみとも怒りとも取れる声で言った。
「大丈夫ですか?また、そんな顔して変な事言わないですよね」
「そんな、とは?」
顔を見られぬ様に友雅の肩に額を埋めたあかねは、耳まで赤く染めつつ告げる。
春になったら桜がわたしを攫ってしまいそうだ、
夏になれば友雅さんが蝉の様に儚くなるのではないだろうか、
秋になれば紅葉の様にわたしが色付いて何処かへ行ってしまうのではないか、
冬になれば雪がわたし達をこのまま閉じ込めてしまえばいい、
―――って後ろ向きに考えてしまう事です。夫婦になってどれだけ経ったと思っているんですか!わたしの気持ちは通じてないの?やっぱり、わたしばっかり好きだからそんな・・・」
「地吹雪にあるまつばらの葉のようなまなこでわらうのは『めっ』だからね」
と、言葉を紡ぐ聴き慣れた声。友雅に桃色の色彩をもたらせたのは一人だけではなかった。
顔立ちと性格はあかね似だが、友雅譲りの飲み込みの速さと器用さで、片手で足る年で才溢れる姫と、友雅にとって有難くない事に帝の覚えがめでたい。その上、龍神と白虎の寵を受けている二人唯一の愛娘に掛かると親しい者の場所を探るなど至極簡単らしい、寂しそうな気は直に。
「私の居場所が分かったのは、せんさー、とやらに引っ掛かったのだね」
「はい、こんな『特別』な日だから。あれこれ準備している間に、ちい姫が友雅さんの気の変化を感じて、早く元気になって欲しくて牛車で来ちゃいました。牛車は向こうで待って貰っていますよ」
ちい姫はあかねが引っ張って来た為か、今まで息切れが治まらなかった様だ。友雅が慌てて拭くも、にこにこと、大事に、大事に大きな包みを抱えている。友雅の『特別』という疑問は母娘顔を見合わせて、せーの、と発した声で霧散した。
「おたんじょうび、おめでとうございます!!!」
友雅に向けられた満面の笑みは瓜二つで、見ると自然と顔がほころばされる表情だった。
「あかねの世界の祝い事の習慣はいつまで経っても慣れないものだね」
「とおさま、ちい姫からのおくりものは雨がたのしくなるとおもって、ちい姫がえらんだの」
と、抱えていた包みを差し出し、あけてあけてと、せがむ仕草に両親の顔は蕩けそうである。
「おや、唐傘とは違うようだが?」
「京の傘は日除け用でしょ。これは防水性があって、わたしの世界で昔からある『蛇の目傘』っていう雨用の傘なんです」
「では、私の許可なく、龍神の力を使って行き来してきたのだね」
「今日は実家に制服姿で贈物を取りに行っただけですよ」
「時間はさほど問題では無いのだよ。私の命が縮まる程心配しているのが解らない?龍神との気が合わねば、後々影響が出るのは知っているはずだね。この日の為に何度往復したのかな?」
「怒るよりも怖い顔で微笑まないで下さい。い、一回だけですから。あれこれ揃えて貰う為に、わたしの母と打ち合せしただけです。吃驚させたかったんです!今日くらい大目に見て、ね?」
「とおさまだいじょうぶよ。りゅうじんさま、今日もその前も、しぶいおかおだったけど、きちんと『いってらっしゃい』っておくったのをちい姫かんじたもの」
今度は、さしてみて、と愛娘は大木の下から傘を持った友雅を引っ張り出す。
ぱん、ぱら、ぱらり。ぱらたと、たん。
思わぬ雨の音に瞠目すれば、「ね」と、ほっこりと笑う。心から嬉しそうに、小さな顔が見上げている。見返す友雅の顔はふわり、と最愛の妻娘にしか見せない極上の笑みで、最早陰の気は微塵も感じられない。あかねは置いてけぼりにされて、ずるい〜と言わんばかりの笑顔で傘に入ってくる。友雅は、愛娘の着物が所々ぬかるみで汚れていようとも気にせず抱き上げ、傘を持ち直すと、あかねを濡れない様に庇いながら牛車に向けて優雅に歩き出した。
「すごいね。ありがとう、二人共。素敵な贈物と思い出に、天上からも祝福を受けている様だ」
「え?確かに小雨になって日が差し込んでますけど、まだ、わたし何も贈っていませんよ?」
「普段では、絶対に口にしない大胆で熱烈な、愛の告白以上のものを下さるというの?」
「あ、あれは、此処の言い伝えと雨がそうさせて・・・って、そ、その、へん、じ・・・」
「かあさま、夕日におかおをひたしたみたいね〜」
「本当にね〜。あかね、後ろ方の言葉が聞き取れなかったのだがもう一度言ってはくれまいか」
「その顔は絶対聞こえてます!もうっ、これで今年の友雅さんのお誕生会終わりにしちゃいますよ」
「如何したら機嫌を直して頂けるかな。私は愚かな男だからね。常日頃、私ばかりが愛していると、あかねが少しでも想いを返して下さればと考えてしまうのだよ。だから、言の葉に乗せ呪いにして絡めて欲しいという願いが叶ってしまい、つい浮かれていつもより自制が効かないかもしれないね」
あかねは、嬉しいけれど恥ずかしさ此の上ない、といった顔で更に赤くした顔を伏せていた。瞬間、雨足が戻り友雅も知る。この突然の雨は龍神の嫉妬だと。唯一、気付かないかつての神子は辛うじて、
「・・・今年の贈物は限定物のケーキと三人お揃いの浴衣です」
と、か細い声で言ったが、牛車に乗り込んだ父娘には聞こえなかったかもしれない。
牛車の中で各々の体に残る雨を拭いていると、真っ先に夫婦に阿吽の呼吸で素早く着物を替えさせられた愛娘が、友雅の制止を気にせずくっつき、鎖骨の下の微妙に着物に隠れる場所に吸い付いて一片の花を咲かせた。友雅を見つめる瞳はこの上なく純粋で無邪気でどこか誇らしげに言う。
「とおさまの陰の気をとって、ちい姫の神気をおくったの。とおさまとかあさまがいつもしているのは心の臓にちかいほうがいっぱい気を清めるからだよね。まえにかあさまが『元気ちう入』っていっていたの。はじめてだけどうまくできたよね!これでかぜなどへいきね。もっといる?」
才溢れる姫の側面に『京の姫君』とは程遠く、近しい者ほどよく見せる型破りな言動がある。あかね曰く『りーさるうえぽん』というらしい。側面だけが広まれば、うつけ者、気が触れた者として男共が色めく事は無いのに、と友雅はそのつど思う。そうならないのは、純真で無自覚に場を弁えると京の作法に則ったやり取りが群を抜き優れる為、帝さえ幾重にも魅力倍増と映り鷹揚に受け入れらているからかもしれない。枠に囚われない友雅と異世界から来た活発的で天然のあかねの子供らしいが、聞き使い分けが良い分性質が悪いと考えるのは神気を授けた龍神だけではないだろう。
案の定、友雅は喜んで礼を言った後人前以外で二親にしかしてはならない事を念押ししているし、あかねは火が出る程顔を染めて頭を抱え込み絶句している。
「さ、顔を上げて。あかね、先を越されたからと言って頬を膨らませるものではないよ」
「あしたとおさま物忌みだからずっとよりそってらぶらぶできるよ」
「虫が多い時節になるからね。予防を兼ね『元気ちう入』も互いに沢山しないといけないし、ね?」
「とおさまほんとう?邪気いがいにも虫まではらうとはすごいのね!」
素直に信じる愛娘に、あかねは気遣う余裕も無く羞恥心で瞳が潤みつつも声が出てしまった。
「何の話をしているんですかぁ〜」
対する友雅はいつもの捕らえ所の無い微笑みで追い討ちをかけた。
「あかねの世界で着物を贈るのは、それを脱がせて肌を合わせるのを望むお誘いと聞いたけど?」
「そ、その意味では、無くて、で、すね。暑さ対策に、と、望んでは、えっと、先程の聞こ、えて」
「今宵は長いのだからね。お気に召すまでじっくりと誕生日とやらのお礼をさせて貰うよ。ちい姫ずれてくれるかい。合図を送るまで目と耳を塞いでいたら、夕餉の後にでも三人で楽の音を奏でよう」
はい!と、元気よく答え嬉しそうにお願いを聞く愛娘に、友雅は身の香りが薫る半臂を被せてあかねに囁く。
「真に・・・期待していない?」
確かに京に戻ってから友雅の温もりが足りないと思っていたあかねだが、抱き寄せられ、甘美な瞳に捕らわれ、耳に艶事を吹き込まれると何も言えなくなるのは相変わらずだ。即、主導権を握られる事を解っていても横を気にしつつ、あかねから引寄せられる様に口を合わせた。
友雅は、暫く現在(いま)の身の上をかみしめるかの如く味わい、愛娘から半臂を取ると、両腕に愛しき二人を擁き団子状になって童の様に笑った。
生み、育み、消し去る、雨は・・・今は、こんなにもあたたかい。
終
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