《梅・桃・桜》 桜の章 |
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= 梅・桃・桜 = |
桜の花びらが風に舞う。 内裏での仕事を終えた友雅は、ふと、土御門へ寄っていくことを思いついた。 (神子殿は、もう、戻っているだろうか。) 通っている女房でも藤姫でもなく、あかねの顔が真っ先に浮かぶ自分に少し驚く。 (どこまで参ってしまったのか……。あの、月の姫に。) 内裏の怨霊を祓うというので参内したあかね。 貴族たちの中でおろおろするあかねを見たくないがために、箏を教え、詩を教え。 いつしか、宮廷貴族の噂の的になった、美しい神子殿。 (私のものになるはずもないのに。このように肩入れするとは、いったい?) 自分で自分がおかしかった。今までの自分からは考えられない。他人のためを思い、他人の立場を守ろうと行動している自分。いずれ月に帰る姫に執着は禁物だが、この気持ちを執着と呼ばずになんと呼ぶのだろう? (明日は物忌みだと言っていた。) いったい、誰を呼んだのか。
あかねは悩んでいた。 顔をつきあわせて一日を過ごす物忌み。誰に傍にいてもらおうか。 「絆の強い方とお過ごしになるのがよいでしょう。」 藤姫が言う。 絆の強い人……? 参内していても、いつもと変わらず警固してくれる頼久。 疲れるでしょ? と、おいしいお菓子を差し入れてくれる詩紋。 がんばりすぎるなよ、と、優しくいたわってくれる天真。 京の町の中でおきた楽しいことを面白おかしく話して笑わせてくれるイノリ。 お困りのことはありませんか、と、毎日気遣ってくれる鷹通。 きれいな笛の音で疲れを癒してくれる永泉。 穢れに触れることがないように、と、いつも先回りして清めてくれる泰明。 みんなの気持ちはとてもうれしく、あかねもその気持ちに応えたかった。 だが。 どうしても、友雅を特別に感じる。 どうしてだろう。宮中でのいろいろを教えてもらうというので一緒に過ごした時間が長かったからだろうか? 年齢も一番離れているし、いつもからかってばかりで真面目に見えないのに。 一番気になるのは、友雅なのだ。 こうしていても、もう仕事は終えただろうかとか、今日は誰の所へデートしに行くのだろうかと、友雅のことばかり考えてしまう。
「神子殿。」 庭から呼ぶ声がした。 友雅の声? まさか! あかねは濡れ縁へ出てみた。 「戻っていたのだね。逢えてうれしいよ、神子殿。」 あかねは心が温かく濡れていくのを感じた。温かさは目から頬を伝って、口元を押さえたあかねの袖口をぬらした。 「どうして泣くの。」 あかねの涙は、友雅には二つの意味に取れた。泣くほど自分を嫌っているのか、それとも? 確かめてみよう。 友雅は階を上り、あかねの手をとった。両手で包み込み、自らの胸に押しあてた。 「ほら、こんなに高く打っている。君の言葉で言うと、『どきどきしている』というのかな。」 友雅はあかねの手のひらに口づけた。あかねはびくっとしたが、そのまま、手を引っ込めることはしなかった。 少なくとも嫌われているわけではなさそうだ。では、あかねの心はどこまで自分に向いているのか。友雅はもっと、あかねを知りたかった。 「君が明日、物忌みだと聞いて、いったい、誰を呼ぶことにしたのかと思ったら、もう、ここへ来ないではいられなかった。おかしいね。いったい、私はどうしてしまったのだろう。」 友雅はゆっくりと、あかねを自分の方へ引き寄せた。あかねの髪をかき撫で、そのまま抱きしめる。 鼻腔に広がる侍従の香りに、あかねはぼうっとなった。 この香り……。やはり、この香りにずっと囲まれていたい。 他の誰でもない、友雅の、この香り。 引き寄せられるままに友雅に身を預ける。 友雅は、あかねの心の在処をはっきりと捉えた。 手にはいるはずがないと思っていた月の姫。叶わないと思っていた望みは、今、さめない夢としてここにある。 もう、触れずにはいられない。私の、白雪。 友雅の顔があかねの顔に被り、唇と唇が合わさる。 あかねは夢中で応えていた。 自分は、友雅を、愛していたのだ……。あかねも、自分の気持ちをはっきりと確かめた。
友雅はあかねを抱き上げ、几帳の陰に運んだ。 うっとりと見上げるあかねにもう一度口づけして。
友雅は去っていった。 (龍神から神子をかすめ取るには、時期が悪いからね……。) 桜吹雪と共に、友雅の想いが伝わってきた。 あかねは銀色の紙に物忌みの誘いを書き付けて藤姫にわたした……。
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遙かなる悠久の古典の中で / 美歩鈴 様 |