《梅・桃・桜》 桃の章 |
|
= 梅・桃・桜 = |
あかねは悩んでいた。 この時期、あかねの世界でもバレンタイン・デーだホワイト・デーだともののやりとりをするが、花の返礼は初めてだし、どうやら、こちらにはいろいろと作法や常識があるらしい。 「和歌で詠みかけていらしたら、和歌でお返しするのです。」 と、藤姫が言う。 (和歌なんて……学校でも作ったことないし。) 友雅は引用してきたのだから、こちらも引用して返せばいいのかと思うのだが、引用するほどの知識がない。 とにかく、花だけでも選んでしまおう。それに合う歌なりなんなりは、藤姫にまた教えてもらえばいい。 あかねは庭に目をやった。 藤姫の心づくしの庭。あかねのために整えたのだと言った。春の盛りを迎えなんとする今、庭はとりどりの花で彩られていた。 (かわいい! あのピンクの花。見たことがある。) あかねの脳裏に、自分の家が浮かんだ。お雛様。お内裏さま。目の前にその衣装を着た人がたくさんいるから意識していなかったが、ちょうど今ごろは桃の節句、雛祭り。 (私がいなくても、お母さん、お雛様出して飾ってるのかな……) 目の奥が熱くなる。 「神子様、どうなさいましたの?」 藤姫が顔をのぞき込んだ。あかねはあわてて目をぬぐった。 「ううん、何でもないの、ねえ、あの、庭の木のかわいいピンクの花、桃の花?」 「ぴんく、ですか? 木に咲いているのですか?」 「うん、それ!」 藤姫は庭の木を見た。木に咲く花は、桃しかない。 「桃でございますわ。ああ、この間の梅の答礼ですわね。」 さすが藤姫。飲み込みが早い。 「桃なら、今盛りで美しゅうございます。桃を贈られるのがよろしいでしょう。お歌はどうなさいますか?」 「それよ! それ、困ってたの!」 「私、思ったのですけど……」 藤姫は楽しそうにゆっくりと話し始めた 「神子様は、こちらへいらしてまだ日が浅くてらっしゃいます。こちらの習慣になじまれなくて当然ですわ。ですから、神子様のおよろしいように、なさったらいかがかと思いますの。」 「本当に、それで、いいの?」 藤姫はにっこり笑って言った。 「友雅殿ですもの。」
あかねは、藤姫に桃花の色に合う紐と紙を所望した。 桃の一枝を花束のようにラッピングし、紐を結ぶ。 紙を切り、カードにしてメッセージを書いた。 「きれいなお花をありがとうございました。八葉として私を守ってくださいね。 あかねより」 「八葉として」のところを、特に太い字で念入りに書いた。 (私は元の世界に帰るんだもの。) お姫様を盗み出して結婚してしまう話は、あかねもいくつか知っていた。 (伊勢物語やなんかのお姫様みたいにこっちの世界に拉致されては困るのよ。) 藤姫に頼んで、友雅の邸に届けてもらった。 (友雅さん、わかってくれるかな。)
あかねからの風変わりな花の贈り物。 「八葉として私を守ってくださいね。」 あくまでも八葉と神子の間柄というつきあい方しかしないという意味か。 (さすがは、私の神子殿。楽しませてくれる。) 甘やかないとおしさがわいてくる。「かけがえのない」という言葉が脳裏に不意に浮かぶ。 (どうしたというのだろう。私が、あの月の姫に、恋をしたと?) 友雅は桃をそっと抱き、香りを胸の奥まで吸い込んだ。 (神子殿……) 抱きしめて口づけをしたら、こんな感じがするのだろうか? 「……仙源を弁えず何れの処にか尋ねん……」 思わず声に出た。 (手に入るべくもない。いずれ月に帰るあの少女を。でも、どうやら私はその月を想わずにはいられなくなるらしい。八葉としての立場など、忘れてしまいそうだよ、桃源郷の月の姫……。)
桃の枝をいつまでもいつまでも見つめている友雅がそこにいた……。 |
遙かなる悠久の古典の中で / 美歩鈴 様 |