《チョコと薔薇の日々》 友 雅 の 憂 鬱 |
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= チョコと薔薇の日々 = |
友雅はうんざりしていた。 一掬の酒が友の友雅である。 甘いものは受け付けないわけではないが、たくさんはいらない。 はっきりいって、あまり得意ではない。 いったい、この現代の風習は何なのだ。 バレンタイン・デー?
あかねと一緒に買い物に出かけたとき。 チョコレートの売り場がやたらと目立たせてあった。 「もうすぐバレンタイン・デーなんですね。」 あかねの目がわくわくと輝いた。 「かわいい〜。いろんなチョコがある! 毎年、変わったのが出るから、楽しみなんですよ〜。」 あれやこれやと選んでいるあかね。意匠もかわいらしく、華やかで、あかねの好みにぴったりだ。 「気に入ったのがあるなら、買ってあげるよ。」 あかねは一瞬きょとんとした顔をした。それから、ぷっと吹き出して……。 どうしたというのだろう? 「友雅さん、これはね、男の人が買うんじゃないんですよ〜。」 笑いをこらえた涙目であかねが言う。チョコで好きな男の子に告白するのだと。好きでなくても、日頃のお世話に感謝をこめた「義理チョコ」とか、女の子同士で交換する「友チョコ」というのもあるのだと。 「毎年、お父さんと、天真くんと、詩紋くんと、クラスの仲間全員に、チョコをあげるんです。今年は、友雅さんも入れて良いですか?」
本当に、変わった風習があるものだ。 なぜ、チョコレートなのだろう。 仕事を終えた後の一掬の酒を愛する友雅には理解できなかった。 天真や詩紋のような子どもには、チョコレートも似合いだろう。 だが、あかねの父親のような一人前の男にまでチョコレート? しかも、職場を見ても、だれもがその日を楽しみにしているように見える。 チョコレートの数が、人気のバロメータのようなのだ。
そしてその日。
友雅はうんざりしていた。 思った通り、教卓はバレンタインチョコレートの山。 中には、手編みのセーターとか手編みのマフラーとか、手縫いのクマのマスコットとか、およそあかねの目に付くところには持ち帰りたくない品まで混ざっている。どこで友雅の好みを知ったのか、酒もあったのはうれしいが。ヴィンテージものや入手困難ものといった希少な酒もあるようだ。 (いったい、これをどうしろと?) 期待に満ちた学生の眼差しの手前、うれしそうに礼を述べながら。 友雅はうんざりしていた。 今日は、授業が3コマあった、そのすべてでこの展開だ。 「お盛んですな。」 教官室へ帰れば、嫌み混じりのあいさつ。 机といわず椅子といわず、友雅へのバレンタインプレゼントが積み上げられていれば、嫌みの一つも言いたくなるだろう。 だが、これは、友雅の望んだことではない。 非常勤講師だから、特別に部屋をもらっているわけがなく。 (これを今日、私に持ち帰れというのかね?) 研究室の助手に手伝ってもらって荷造りしたら、段ボールに8個ほどにもなった。 「先生、これ、全部お持ち帰りになるんですか?」 助手もあきれ顔である。 (君がくれたのも入っているのだがねえ……) 「チョコレートはここに置いていくよ。甘いものが好きな人で食べたらいい。」 そして、かさばるものが残る。セーター、マフラー、クマ……(酒♪) あかねの目には触れさせたくはないが、人に分けられるものでもない。(酒以外は♪) 「……車に積むから、手伝ってはもらえまいか。」 といっても、友雅の洒落たスポーツカーに積める段ボールの数など知れている。 (あかねと二人、乗れればよいと思って買ったのだがねえ……。) 助手席から外が見えないほどもぎゅうぎゅうに段ボールを詰め込んで、友雅は大きなため息をついた。 これを車から下ろすとき、あかねはどんな顔をするだろう。
「おかえりなさい、友雅さん……」 あかねが硬直した。 荷物を下ろそうと助手席のドアを開けたとたん、転がり落ちた段ボール。 「まさか、まさか、お仕事、やめちゃったとか……?」 あかねの目から大粒の涙がこぼれた。 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」 友雅の方があわてた。駆け寄って抱きしめ、涙を吸い取ってやりながら、 「どうして君が謝るのだね? 君は何も悪くない。」 「でも、慣れないこっちで苦労して、お仕事……」 「何を言っているのだね? 辞めてなどいないよ。」 「じゃあ、あの段ボールは!?」 「あれは……」 言葉に詰まる友雅に、あかねの涙は止まらない。 「あれはねえ……ほら、君の言ってた……今日は何の日?」 「バレンタイン・デーです。」 「それだよ。」 あかねは泣きじゃくりながら箱を見た。落ちた拍子に止めてあったテープが一部はずれて、中身がはみ出している。 「バレンタイン・デーの、プレゼントですか? あんなに、たくさん?」 「そうだよ。あれでも、減らしてきた方なのだよ。分かってくれたかい?」 「……友雅さんって、やっぱり、こっちでももてるんですね。」 「妬けるかい?」 友雅はあかねの顔をすくい上げ、花びらのような唇にキスした。 「いくらバレンタイン・デーのプレゼントを積み上げられても、本当にほしいのは、君からのだけさ。さあ、何をいただけるのかな、私の姫君。」
二人で段ボールを家の中へ運び込んだ。 全部開けてみたあかねががっかりした口調で言った。 「チョコ、一つもなかったんですか?」 「食べたかったのかい?」 あかねが今日のためにチョコレートを特別に手作りしていたのを友雅は知っていた。 「だって、どんなのがあったのか、見たかったんだもの。」 うらめしそうに箱を見る。友雅の脳裏に、研究室に置き去りにしてきた段ボール4杯分のチョコレートが浮かんだ。 あのチョコレートが、あかねを喜ばせることになったのか……。 「……車に、乗らなかったのでね。研究室に、置いてきたのだよ。明日、持ってきてあげよう。」 友雅のうんざりは少し解消された。毎年繰り返されるのかと思っただけで嫌気がさしたが、そのチョコレートがあかねの楽しみなら、自分も共に楽しもう。 少し機嫌の直ったあかねはキッチンに姿を消した。 しばらくして、何かの入ったグラスを持ったあかねが戻ってきた。 「友雅さん、これ、私からのバレンタインです。」 あかねの差し出すグラスには、チョコレート色の液体が入っていた。 「これは?」 「飲んでみてください。」 甘いものは苦手なのだがねえ……と思いながら、友雅はグラスに口を近づけた。 甘すぎず、むしろほろ苦いチョコレートの味が口いっぱいに広がる。 そして、この感覚は? 「チョコレート・リキュールです。友雅さん、今日もお仕事お疲れさまでした。」 チョコレートの酒! 友雅はあかねがいとおしかった。無二の姫。自分の情熱をかけてあまりある者。 その夜、友雅がチョコレートの答礼に充分以上の時間をかけたのは、言うまでもない……。
翌日。 「昨日の、チョコレート、ですか?」 講義を終えて研究室に帰ってきた友雅の質問に、助手は怪訝な声で答えた。 「ごめんなさい、下さるとおっしゃったので、みんなで分けちゃったんですけど、でも……」 助手は部屋の片隅を指さした。 「昨日お帰りになった後、併設の高校から届いたんです。橘先生にって。たぶん、あれ、全部チョコレートですよ……」 おおきな段ボールに3杯。ふたができなくて外にまであふれそうになっている、花やらリボンやらで飾られた色とりどりの箱たち。 (いくらあかねがチョコレートが好きだといっても……) 家中に甘いチョコレートの香りが充満する様子を想像して、友雅はまたもうんざりしていた……。 |
遙かなる悠久の古典の中で / 美歩鈴 様 |