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HoneyBunch |
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= ラッピング = |
恋する乙女達最大の行事バレンタイン。 愛しい人に想いを込めて、届け私の恋心。 そんな乙女達に混じってここにも一人、恋する少女がいた。 「あかねちゃん、今日はいつにもましてご機嫌だね」 「ああ、気持ち悪いくらいにな」 「バレンタインだから仕方ないけど…ちょっと不気味ね」 いつも通りに学校を終え、いつも通りみんなで揃っての帰り道。 いつもと違うのは彼らの前を歩いている少女が鼻歌を歌い軽やかに舞い踊りながら進んでいるところだろうか。周りのことなど全く目に入っていない様子で、ちゃんと見張っていないと車道にまで飛び出しそうな勢いだ。 『はい友雅さん。あ〜んして下さい』 『ん…美味しいね。口の中で甘く蕩けるこの感じ、まるであかねの様だよ』 『もうっ、そんなことばっかり言って。本当にちゃんと美味しい…ですか?』 『私は真実しか言わないよ。ほら、君も食べてごらん』 『っふ…ん……はぁ…』 『…ね。美味しいだろ?』 『友雅さん…狡い』 『そのような瞳で睨んでもね、却って男を煽るものなのだよ。そのことをとくと教えて差し上げよう、姫君』 『えええ遠慮致します!!』 『あかね…チョコよりも甘い君が食べたい。食べさせて…くれるね?』 「いやんもう友雅さんったらそんな大胆なこと私出来ないでも今日だけは特別にがんばっちゃったりとか?きゃ〜〜vv」 頬を赤らめ両手を添えてぶんぶんと頭を振りながらいやんだのばかんだの呟きながら歩くは恋する乙女…いや、乙女と呼ぶには少々難ありか? 「あかねちゃん…考えてること全部口に出しちゃってるね。あはは…」 「なぁ蘭。今からあかねと友雅だけ京に放ってくるってこと出来ないか」 「考えてみるわ」 などと友人達に言われているとも知らないあかねは、くるりと振り返るとにんまり笑って 「もう我慢出来ない!みんな、私先帰るから。ばいば〜い!」 「ちょとあかね、ちゃんと前見て……って、もう見えなくなっちゃったわ」 残された面々は顔を見合わせ、それはそれは深いため息をついたそうな。 「バレンタイン〜バレンタイン〜恋人達の素敵な行事〜♪ただいまぁ!」 歌声も軽やかに玄関を開けて、あかねは勢いよく台所の冷蔵庫に向かった。 そこには昨日の夜作ったチョコレートがいるはずである。 テンパリングして型に流しただけの簡単チョコ。 本当はもっと凝ったものを作りたかった。 でも、ガトーショコラもトリュフも生チョコもシュークリームもクッキーもどれもこれもうまくいかないのだ。いちおう食べられるものにはなるのだが美味しいとは言い難いできで。 料理の方は割と得意なあかねだが、いくらなんでもバレンタインに「はい、肉じゃがですv」と渡すわけにはいかない。 詩紋に試食して貰ったところ、うまくいかない原因は”計量がしっかりしていないこと”だそうだ。お菓子作りは配合が命。しかもチョコレートは温度管理が非常に重要な代物だ。”適当”が通用する相手ではない。 「大丈夫だってあかねちゃん。一生懸命作ったものってその人の想いがこもっていてとっても美味しいし。それにね、きちんとテンパリングしたチョコって、滑らかで光沢があってすごく綺麗なんだよ」 そう励まされて教えて貰ったレシピはブラックチョコとストロベリーチョコの2種類を使った「溶かして固める」だけのもの。 ストロベリーチョコを溶かしてコルネに入れ、バットに敷いたクッキングシートに模様を描き、少し冷やしたら完全に固まらないうちにブラックチョコを流し入れる。 簡単だが、ブラックチョコの黒とストロベリーのピンクが可愛らしい。それにきちんとテンパリングをしないと表面の滑らかさがでてこない。今のあかねにはちょうど良いレシピだ。 「ありがとう詩紋君。私、頑張ってみる。そして友雅さんと素敵なバレンタインを過ごしてみせるよ!あ、余裕があったら詩紋君と天真君にもあげるからうまくいくように祈っててね!!」 「うん…………頑張ってね」 そんなこんなでようやく満足のいく形に仕上がった今年のバレンタインチョコレート。天満や詩紋、蘭には学校で会った時に渡してある。 友雅の分もちゃん度準備してあり、冷蔵庫で十分に冷えているはずなので切り分けてラッピングすればいよいよ完成だ。 「さ〜て、どうやって包んであげようかなぁ……あれ?」 鼻歌交じりに冷蔵庫を開けたあかねがはたと動きを止めた。 今朝は確かにあった場所にそれがない。おかしいなとごそごそあさっていると後ろから声を掛けられた。 「お、帰ったかあかね。おかえり。学校はたのしかったか?」 「お父さん!なんでこんな時間に?出張は?」 「ん?驚いたか。はっはっは。思ったより仕事が早く片付いてな。愛しい妻と娘に会うために早々に帰ってきたわけだ」 「そうなんだ。お仕事お疲れさま。…ねぇお父さん。冷蔵庫にバットを入れておいたんだけど知らない?」 「ん?冷蔵庫は野球をするには狭いと思うぞ」 「そうじゃなくて!」 「分かってる分かってるって。うん。バットだろ。お菓子作ったりするのに使う」 「そうそれ。知らない?チョコレートが入ってるんだけど」 「うん、知ってるぞ。今年のチョコは上手にできてたな」 「え?」 なにやらいやな予感がする。 「チョコにイチゴが混ざってて美味しかったぞ〜。見た目も綺麗にできてたし。あかねはいつの間にあんなにお菓子作りが上手になったんだ?」 「え?え?え?」 確かめたくない。でも確かめなければいけない。 あかねは恐る恐る口を開いて父に尋ねた。 「お父さん、ここにあったチョコ…食べちゃった?」 「ああ。ありがとうな、あかね」 「まさか…全部食べちゃったなんてこと…ないよね?」 「はっはっは。そんな訳ないだろう」 ほっ。ひとまず友雅に渡す分は確保出来ているようだ。 そう思った次の瞬間。 「あかねがせっかく作ってくれた物を残すわけないだろう?ちゃ〜んと全部食べさせて貰ったぞ」 「……………………!!!!!」 「ん?どうしたあかね?」 突然黙ってしまった娘を心配して顔を覗き込む父親。 「ぉ……ぁ……」 「なんだ、よく聞こえないぞ?」 「お父さんのばかーーーーーーー!!!」 「あ、おいあかね。冷蔵庫のドアは開けたらちゃんと閉めなさい!じゃなくて、どうしたんだ急に!」 うわ〜んひどすぎる〜と泣き叫びながら自分の部屋に飛び込むあかね。 「ただいま〜。あらあら、何だか騒がしいわねぇ。あ、あなた。留守番ご苦労様…どうしたの?」 冷蔵庫の前で呆然と佇む夫に声を掛ける。 「いや、その…あかねが、バットで、チョコがうまくて、ばかーって…」 「…もしかして、あかねのチョコ全部食べちゃったの?」 この訳の分からない説明を瞬時に理解するのはさすが夫婦と言うところか。こっくり頷いた夫に妻はため息一つ。 「はぁ…あれはあの子が友ちゃんにって、ものすごく一生懸命作ってたものなのよ。それを全部食べちゃうなんて…あかねが怒るのも当然よ」 「友ちゃん?あのあかねの”恋人”とか言ってる橘って奴か」 「そう、その友ちゃん」 「それじゃあ全部食べてちょうどよかったじゃないか」 「あーなーたー!」 あかねの父は友雅が気にくわなくて仕方がない。 高校生になって大人っぽくなってきたなと思っていたらある日突然 「私の旦那様になる人なの〜v」 と15も年上の男を連れて来た。 軟派そうな外見に、遊ばれているだけだと思い追い返そうとした。 そしたらいきなり玄関で土下座して 「私のような男に大切なお嬢さんお任せられないと思われますでしょう。しかし、私は彼女を愛しています。冷え切った私の心を暖かく包んで癒してくれたあかねを愛しています。必ず幸せにします。元宮さん、私と、そして何よりもあかねを信じて下さい」 なんて言い出す物だからうっかり感動してその場で娘は頼む!なんて言ってしまった自分も恨めしくて仕方がない。 家からすぐ近くのアパートに住んでいるのも気にくわない。そのせいであかねがしょっちゅう遊びに行ってしまう。 デートのたびにあかねが花やら食べ物やら装飾品やらの”お土産”を持って帰ってくるのも気にくわない。またその時のあかねの顔がなんとも幸せそうで。むくれた自分をよそに妻と娘は会話に華を咲かせて楽しんでいるのだ。おもしろい訳がない。 しかし、今回バレンタインのチョコを全部食べてしまったのはさすがにまずかったかも知れない。友雅はどうでもいいがあかねが悲しむ姿を見るのは辛い。自分が嫌われるのも怖い。 足取り重く謝罪の言葉を述べるためあかねの部屋のドアをノックしようとしたその時 ドバンッ と勢いよくドアが開いたためにしたたか鼻を打ち付けてその場に蹲る。 「お父さん大丈夫!?」 まさかそこにいるとは思わなかったのだろう。心底驚いた様子のあかねの声。 「だ…だいじょうぶだ。それよりあかね…」 「ね、お父さん。お父さんは私が作ったチョコを食べちゃったんだよね」 ふがふがしながら言った言葉は聞こえなかったようだ。 蹲った父に合わせてあかねもしゃがむ。 「あぁ…ごめんな。橘さんのために作ってたんだって?」 「うん、でもそれはもういいの。元々お父さんにもあげるつもりだったし。」 「あかね…ありがとうな」 「でねお父さん。ホワイトデーのお返しは三倍返しって知ってる?」 「へ?」 知ってはいるが何故今それを言い出すのかが分からずあかねの瞳を見つめると、透き通った翠色の瞳の奥がきらきらと輝いているのが見えた。 まずい。 昔からあかねがこんな目をするときはとびきりのいたずらを考えついたときで。そしてこの目でおねだりをされるとどうしても断ることが出来ないのだ。 「お父さんは友雅さんの分も食べちゃったから三倍返しの三倍返しで九倍返し。さらに友雅さんへのごめんなさいの分も含めて十倍返しで貰っても良いよね」 「じゅ…十倍返し!?」 そもそも三倍返しの基準も分からないが十倍返しなんて聞いたことがない。おまけに最後のごめんなさい分なんてとってもじゃないが返したくない。 「ちょっと待てあかね。確かに今回はお父さんが悪かった。だけどいくら何でも十倍はないんじゃないか?」 「お父さんはホワイトデーのお返しくれないの?」 「いや、感謝の気持ちを込めてきちんとお返しはするけども…」 「じゃあ決まりね!ありがとう!お父さん大好き!太っ腹〜!」 「あ、いや……まぁいいか」 十倍返しといっても服とか靴とか最新式の携帯電話とかいったところだろう。へそくりの残り具合は気になるとこだが久しぶりに娘から抱きつかれてこれはこれで悪くないなとも思う。 「それじゃあ私行ってくるね」 「ああ行ってらっしゃい…ってどこに!?」 「友雅さんとこ」 今気が付いたがあかねは既に制服ではなく私服に着替えていて、なにやら大きめのカバンを抱えている。 「む…夕飯までには戻るんだぞ」 いつもは何かと理由を付けて行くのを阻止しようとするのだが、先ほどのこともあるので多少の譲歩はしてみる。 「ううん。今日は友雅さんの所にお泊まりしてくるから夕飯はいらないよ」 「何ぃ!?」 今なんて言った!?泊まり?あの男のところに!? 「だ、駄目だ駄目だ!!そんなの許すわけ無いだろうが!!」 「あらあなた。たった今した約束を早速破る気ですか?」 「お、お前!!いつからそこに!?」 「あなたが愉快に蹲ったあとくらいかしら。それよりあかね、”お返し”がなんのことか分かってないお父さんにちゃんと教えてあげたら?」 くすりと笑って今にも駆けだしていきそうなあかねを留める。 「えっとね。まずは今日のバレンタインでしょ。それからホワイトデーに春休み中の四国旅行。友雅さんの誕生日に私の誕生日に夏の海に秋の紅葉狩りに冬のクリスマスとお正月の初詣。で、最後の一つは友雅さんが体調崩したときとかに看病しに行ってあげる用!のお泊まり10回パックだよ」 「なんだとぉぉおおおお!!!!!」 「あらあらあかねは今から予定が一杯ねぇ」 目を白黒させて叫ぶ夫と対照的にくすくすと顔を見合わせて笑い合う妻と娘。 「それじゃあいってらっしゃいあかね。今日は寒いからお夕飯は鍋にでもしたらいいんじゃない?」 「ちょっ、待て!そんなの父さんは許さんぞ!!」 「鍋!それいいね。ありがとうお母さん。行ってきま〜す!」 「こら、待てあかね!あかねーー!!」 叫び声はむなしく響き渡り、春が近づいているとはいえまだまだ冷たい風の中に哀しい余韻を僅かに残して消えていった。 <<ピンポーン>> 歩いて2分の位置にある友雅のアパートは走れば30秒で着いてしまう。 「やあ、あかね。いらっしゃい。待ってたよ」 「友雅さん!会いたかった〜!」 ドアが開くなりガバッと抱きつけば応えるように降ってくるキスの嵐。 ここ数日あかねはアパートに来ていなかった。チョコの準備をしていることを気づかれないためと、きちんと完成するように願掛けの意も含め、断腸の思いで「友雅断ち」をしていたからだ。 久しぶりに会えば今までどうして会わないでいられたのかが不思議なくらい互いが愛しくて堪らない。 「久しぶりに会ったら友雅さんまた格好良くなってる。狡い」 「それを言うなら君の方だよ。私の目の届かないところでそのように美しく成長されては不安で堪らないよ。さ、中へお入り。道行く人に君を見られたくはないからね」 「もう友雅さんったら、お邪魔しま〜す」 部屋に入ると既にお茶の準備がしてあり、火に掛けられたヤカンからはシュウシュウと湯気が噴き出していた。 「友雅さん、準備万端ですね」 「言っただろう?君を待っていたと。さ、まずは一服しようじゃないか。君の好きなロールケーキも用意してあるよ」 「もしかしてあそこのロールケーキですか?わーい!」 テーブルの上にちょこんと置かれた白い紙箱を開けるとあかねお気に入りのケーキが顔を覗かせた。チョコを食べるための準備かと思って一瞬どきりとしたがどうやら大丈夫そうだ。 テーブルの同じ側に座ってあかねは紅茶、友雅はコーヒーを飲みながらケーキを突いていると、友雅があかねのカバンに目を留めた。 「おやあかね。もしかして今日は…」 「はい。お泊まりするつもりで来ました」 えへへと少し照れながらはにかんだ笑顔を見せられれば、それだけで頭に血が昇りそうになる。友雅はあかねの腰に手を回して引き寄せ、耳元でいたずらに囁く。 「また蘭殿のところへ行くと言って出てこられたのかな?」 あかねが友雅の家に泊まりに来るのはこれが初めてではない。蘭の家に泊まりに行くと言った内の3回に2回は友雅のところに来ているのだ。 母には直ぐにバレたが、行き先さえちゃんと告げればかまわないから思う存分いちゃついてきなさいとむしろ積極的に会うことを勧められた。知らぬは父親ばかりである。 「ううん、今日はお父さん公認なんです」 「それは珍しい。よく許して貰ったね…一体、どんな手を使われたのかな?」 かわいい娘をあんな男のところへ行かせられるか!と怒る姿が目に浮かぶようだが今回は何故許しを貰えたのだろうか。 「そっ、それは…内緒です」 「おや?私にも言えないようなことをして来たのかな。そんないたずらな姫君にはお仕置きをしなければいけないかねぇ…こんなふうに」 「わひゃぁ!!」 口の端に付いたクリームをぺろりと舐められてあかねが驚きの声を上げる。その反応に気をよくしたのか、そのまま唇は顎から細く白い首筋を滑らかに辿る。少しきつく吸い上げればたちまちに咲き誇る所有の証。 友雅がそのままゆっくりと体重を掛け始めた途端 「とっ友雅さん!お買い物、夕飯のお買い物に行きましょう!!」 わたわたとあかねが友雅の腕の中から逃げ出した。 今ここで”食べられて”しまっては困るのだ。 「夕飯は家にあるものでいいけれど?」 「で、でも。ほら、夜は冷えるし暖かいお鍋でも囲みたいですよね。お鍋の材料切れてたし、ね?」 「暖まるなら鍋を食すよりもっと良い方法をしっているのだがねぇ」 「え、ええと。そ、そうだ!明日の朝ご飯も買いに行かなきゃいけないし、やっぱりお買い物行きましょうよ!!」 なおも食い下がってくる友雅から何とか逃れようとするが何分狭い室内である。あっという間にその逞しい身体に組み敷かれてしまった。 「さ、捕まえた。寒さなんて気にならないくらい愛してあげるから安心しなさい」 「イエ、そういう問題では…」 それ以上は言わさないとばかりに友雅は己の唇であかねのそれを塞ごうと顔を近づけたのだが ぐぎゅうううぅぅくるるる… なんとも間抜けな音に進行を阻まれてしまった。 「ぷっ……あかね、そんなにお腹が空いていたの?」 「ちちち違いますよ!今のはたまったま鳴っただけででして!!」 「そう?くすくす…それでは、姫君のご要望を満たすために出かけると致しましょうか。ああ、マフラーはきちんと巻いてね。私の印を、他の人にも見られてしまうから」 顔を真っ赤にして必死に否定するも、あれだけ盛大な音をたてた為全く説得力が無い。 これも龍神様のご加護の賜物なのだろうか。幸か不幸かはともかく、あかねは無事に買い物へ繰り出すことになったのだ。 「ほらあかね。あかねの好きな春雨があるよ、入れるかい?」 「うう…お願いします」 いつもは楽しい二人での買い物も、先程のことを思い出すと一緒にいるのが恥ずかしくて堪らない。買い物かごを持った友雅の少し後ろをあかねは歩いていた。 「さて。白菜、椎茸、長ネギ、豆腐、エノキに豚肉、そして春雨…と、こんなところでいいかな、あかね?」 「あ、はい。鍋はそれで良いです。…そうだ、明日の朝ご飯に生野菜サラダ食べませんか。さっきあったトマトとか美味しそうだったし」 「…………いや、私はこの間あかねが作ってくれたリンゴと温野菜のサラダの方が食べたいかな」 「あれ美味しかったですか?」 「ああ、とても。是非ともまた食したいものだね」 「本当ですか!じゃあ材料持ってくるんで友雅さんここにいて下さいね」 自分が作った品が美味しいと言われ、さらにリクエストされれば悪い気はしない。一気ににやけ顔になったあかねは足取り軽く青果コーナーへと戻っていった。 「えっと、キャベツとリンゴと…あと缶詰のコーンと…ドレッシングは前に使ったのが残ってるから良いとして」 サラダの材料を考えながら歩いているあかねだが、足先は青果コーナーではなく製菓コーナーへと向かっていた。友雅をおいてきたのは実はここに寄りたかったから。一緒に来たら何を買うのかばれてしまうので友雅が付いてきていないかはきっちりと確認してある。 本当は店を出た後に買い忘れたものがあると言って買おうと思っていたのだが、温野菜のサラダは良い口実を作ってくれた。 バレンタインセールでいつもより充実した品揃えの中からあかねは小さな袋を掴むと急いでレジに並び、そのあと何食わぬ顔でサラダの材料を手にして友雅と合流した。 「友雅さん、お待たせしました」 「いや、大して待っていないよ。早かったね」 幸いにも友雅はあかねの寄り道には気が付いていないようで、買い物かごを持ってのんびりヨーグルトやらチーズやらを見たりしていた。 「何か美味しそうなの有ります?」 「ん…これなんか良さそうだよ」 「『牧場しぼりたてヨーグルト』ですか。うん、美味しそう。じゃあ明日の朝はパンと温野菜のサラダとヨーグルトで決まりですね。ふふっ。こうしてるとまるで新婚さんみたい。いらっしゃ〜いって」 「“みたい”ではなく今すぐ新婚さんになっても私は良いのだがねぇ」 「だっ駄目ですよ!高校卒業するまではって、お父さんと約束したし」 店内だというのに遠慮無く抱き寄せようとする腕をかろうじてすり抜けながらあかねが言う。 「そうだね、約束はきちんと守らねばなるまいね」 “交際は認めるが、結婚は高校を卒業してから”があかねの父の出した条件だった。もっとも、認めた交際についてもことあるごとにぶちぶち言っているのだから往生際が悪いというか何というか。 会計を済ませ、少々冷たい夕方の風に身を縮こませながら帰路に着き、帰宅したら早速夕飯作りに取りかかる二人。 狭い台所は二人で立つと少々窮屈だがいつも食事の支度は二人で行っている。たまに相手を驚かしたい時だけ立ち入り禁止になったりするが、却ってバレバレな気もしないこともない。 「味、このくらいで大丈夫ですか?」 「うん、とても美味しいよ。あかねの作る料理はどれも最高に美味しいからね」 「またそんなことばっかり言って。…もう」 などといちゃつき合いながらも無事鍋は完成し、仲良く食卓を囲んで穏やかな夕食を迎えた。互いに互いの器によそりあったりすれば 「友雅さん…これじゃあ鍋じゃなくて春雨ラーメンですよ」 「あかねこそ…これは白菜どんぶりと名付けた方が良いと思うけど」 相手の好物てんこ盛りで鍋の意味が無くなったり。 そんなこんなで食後のお茶を飲んでまったりしていると、ふと思い出したかのように友雅がぽつりと呟いた。 「そういえば…今日はバレンタインデーとか言う日だそうだね」 ぎくり 「なんでも、女性が男性にチョコレートを送る日だとか」 どきり 「チョコ…くれないの?」 肩口に顎を乗っけられて上目遣いで尋ねられる。 只でさえ友雅のアップは心臓に悪いというのにそんなことをされればますます動悸が激しくなる。 「えっと、ですね。実は…」 「はっはっはっは。なるほどね。あかねの父君もやってくれるね」 「ホントお父さんったら」 「ふふ…それでこのお泊まりという訳か。けれど、もともと父君にもあげるつもりだったのだろう?」 「それはそうなんですけど」 「ならばそれで良いじゃないか。私にはあかねがいればそれだけでいいからね」 そう言いながら友雅の指が身体のラインをなぞるようにあかねの脇から腰の辺りを意味ありげに動き始めた。 「でっでも替わりのチョコも用意してますから!中身よりラッピングに拘ってみた…一品」 悪戯な手をやんわりと諫めながらあかねが言う。 「らっぴんぐとは…包み紙のことだったかな。どんなものか楽しみだねぇ」 「んー、たぶん友雅さん気に入ると思うんだけど、退かれたらどうしようかなって思うと踏ん切りがつかなくて」 「…?あかねが一生懸命やってくれたことで退いたりなどしないよ。早く見たくて仕方がないくらいだ。何分、先程からだいぶ焦らされてしまっているからねぇ」 艶やかな流し目一つ送られながら言われると、それがチョコ以外のことを示しているのは明白で。 見つめられただけで熱くなる身体に気が付かない振りをしながらあかねは意を決したようにすっくと立ち上がった。 「で、では準備してきますね。友雅さん、シャワー浴びてきても良いですか」 「それは構わないけれど…入浴なら私も一緒にしたいものだねぇ」 「だっ駄目ですよ。これはチョコを渡す前の儀式のようなもので…えっと…そうだ。禊!禊みたいなものなので友雅さんは来ちゃ駄目です」 「禊…バレンタインデーがそんなに重要な神事だとは知らなかったよ」 「あはは…それじゃあ準備してきますから待ってて下さいね」 あかねは持ってきたカバンを掴むとずりずりと後ずさりするようにして脱衣所へ入っていった。 程なくしてシャワーの水音が聞こえてきた。 「ふふっ、姫君は一体どのようなものを下さるのだろうねぇ…楽しみで仕方がないよ」 あかねから貰えるものならなんだって嬉しいのだが、果たして禊までして用意するものはいったい何なのか。 「それに…今日はずいぶんと焦らされているからね。そのお返しはたっぷりとさせて頂くよ、あかね」 ケーキで良い雰囲気になったのに買い物に阻止され、チョコの替わりに頂こうとしたら用意しているからと釘を刺され、さらに禊をするからとこうして待たされている。 只でさえここ数日逢えずにやきもきしていた上にこの『おあずけ』状態はかなり苦しいもので、友雅の理性の糸はかなり危ないところまで達していた。 「私をこれほどまでに夢中にさせるとは、君も罪な姫君だね」 以前の自分ならばこのように思うことなど無かった。 情熱を見出すことが出来なかった日々。享楽に任せて生き、このまま儚い人生を終えていくのだと考えていたあの頃が今では信じられない。 今ではあかねを捕まえるためならどんなことだってしてみせると思えるのに。心も身体も全てこの腕の中に閉じ込めて、自分だけを見つめて欲しいと願うのに。そんな気持ちを知ってか知らずか、彼女はいつも腕の中からするりと抜けて広い大空へと羽ばたいていってしまうのだ。 そして、自分の予想を遙かに超える贈り物を持って戻ってきてくれる。 どれほど追いかけようとしても決して追いつけない月のような彼女は、しかし常にこの身に優しい光を注ぎ込んでくれる。 どれほど遠くへ飛んでいっても必ず戻ってきてくれる。 どれほど追いつけないと思っていても常にそばにいてくれる。 「そんな君だからこそ、好きになってしまったのだろうね…」 少し温くなったお茶を啜り、細く、長い息を吐く。 幸せに酔いしれた男の甘美な吐息は僅かに白いあとを残してふわりと溶けていった。 「…少し冷えてきたかな」 あかねが湯冷めするといけない。 そう思ってエアコンのスイッチを入れようとベッドの端に置いておいたリモコンを取ろうと手を伸ばしたとき 「だ〜れだっ」 両の目が悪戯な手に塞がれてしまい、楽しげな声が後ろから掛けられた。 誰なのかなんてことは考えるまでもなく分かり切っていることで、それでもそんな可愛らしいことをしてくる彼女にまた溺れそうな自分を自覚してしまう。 目に当てられた手を掴み、風呂上がりのしっとりとした肌に軽く口付けて振り返った。 「あかね以外の誰だというのだね。ねぇ、愛しいひ……」 そのまま友雅は硬直して動けなくなってしまった。 「に、似合います?これが今年の、バレンタインプレゼントです」 湯上がりでほんのり色づいた身体、水気を帯びて吸い付くように白い肌。先程自分が付けた痕が首筋に赤く残っていて、それだけでも眩暈がするほど可愛らしいのに。 桜色をしたふわりと軽い生地。 胸元は縁がレースで飾られ白とピンクの糸で花の模様が刺繍され、肩ひもの付け根には白いリボンが付けられていて。大きく開いた胸元から鎖骨にかけて、チョコペンシルで書いたのであろうハートマークの中に『LOVE』と大きく書かれている。 アンダーバストの部分にはピンクのサテンのリボンが結ばれ、そこから広がる生地は薄く紗に透けて同じくレースと刺繍で彩られたショーツが顔を覗かせている。 「これ、ベビードールって言うんです。前にふざけて通販で買ったことがあって。せっかくだからこの機会に着てみようかなって。チョコの方はこんなんでごめんなさいなんですけど………友雅さん?とも、わきゃぁ!」 硬直したまま動かなくなった友雅にやっぱりやりすぎたかもと思った直後、ベッドに押し倒されて深く口付けされている自分に気が付いた。 荒々しく口内をまさぐるその動きに、なんとか応えようとするも、受け止めるだけで精一杯でついて行けない。 歯列をなぞり上顎を擽られ、舌の裏側までも熱くぬめったものが遠慮無くかき回していく。 「ん…ふ…ぁ…んん」 絡められた舌が友雅の口内へ引きずり込まれて先端から小刻みに甘噛みされ、互いの唾液を絡め合い、流し込む。 深く長い口付けが漸く終わり、一旦唇を離すが細く煌めく銀の糸がまだ互いを繋いで離れようとしない。 「ともまさ…さん」 「ねぇあかね。君はどこまで私を貶めれば気が済むのかな?」 「おとしめ…?そんな…こと…」 たった一度の口付けで既にあかねの瞳は情欲に濡れ、呂律も回らなくなってしまっている。 それは友雅も同じで。だが、その瞳は今まであかねが見たこともないくらい扇情的で妖艶な色をしていた。 「いいや、君は何ともいけない姫君だね。さんざん私を焦らせておいて最後の最後でこの誘惑…いつの間にこんな術を身につけたの?こんな、男を惑わして虜にするような術を」 そう言いながら友雅の指はあかねの胸元に書かれたチョコのハートマークをなぞり、自身の口に運ぶ。 只それだけの仕草なのに、下から見上げているあかねにはひどくいやらしく感じられ、また、先程からかけられる言葉の意味は分からないがその声色はいつもの情事のときのそれよりもさらに危険な香りを含ませていて、投げ掛けられる視線だけで身体に火がともったように熱くなる自分を感じた。 「こんなに魅惑的な誘惑を断れる男がいるだろうか、いや、いないだろうね。堕ちると分かっていても自ら望んで堕ちてしまいたくなる。…ねぇ、あかね…愛して欲しいの?」 投げ掛けられた言葉の意味に真っ赤になるも、あかねはそれを否定することが出来ない。 確かにいつもと一味違う夜を過ごしたくてこんな作戦を思いついた訳だが…どうも予想していたよりも遥かに危ないことになりそうで、少女は己の考えの甘さをその身を持ってまざまざと思い知らされることとなる。 「っあ、はぁ…や…もう…許して…だめ…」 「そんな顔をして言っても聞けないね。それに、私を捕らえて離してくれないのは君の方じゃないか。先程から…ほら、絡み付いて奥へ奥へと誘ってくれているだろう?」 「そんなこと…ないっやああぁん!!」 「偽ることなどやめて真実のみを言えばいい…そうすれば、もっと気持ちよくなれるよ」 再奥を抉るように突き込めば、途端に絡み付いてくる心地よい反応が堪らない。 あかねの全身にくまなく散らされた赤い花が薄い布地から透けて見えている。 いつも以上に艶めかしいその身体は友雅が突き上げるたびに哀れなほどに跳ね上がり、その口からはひっきりなしに甘い声が響き、下肢からは止めどなく甘い蜜が溢れ出る。 「ああ…本当にあかねの中は熱くて…溶けてしまいそうだよ…」 うっとりと呟く声は官能の極み。 その声にあかねが目を向けると飛び込んできたのは瞳を閉じ、快楽に酔いしれる男の姿。 逞しい胸板の上を玉のような汗が滑り降り、繋がり合った場所へ、また、ベッドのシーツへと吸い込まれていく。 腰を掴んで離さないその腕には先程自分が付けた赤い爪痕。腕だけではなく、背中はもっとひどいことになっているだろう。 首筋には自分と同じ場所に宿る所有の証。そしてその端正な顔立ちは今や己の欲望のままに感じ入る獣のそれだというのに、何故かひどく美しく思われる。 (友雅さんが…感じてくれている) (私の身体で…私の身体を感じてくれている) 女としての喜びを教えてくれたのは彼。 その彼がこんなにも自分の身体を求めてくれている。 これ以上の幸せがあるだろうか。 「友雅さっん…あ、やぁああああああん!!」 「あかね…っく!」 呼びかけに閉じていた目を開けば互いに絡み合う視線。 その瞬間あかねの官能は弾け飛び、一気に収縮して友雅自身を締め付け、友雅もまたその締め付けに己の欲望を解放する。 飲みきれなかったものが結合部から溢れてシーツに吸い込まれていく。互いに荒い息を吐きながら散らした熱の心地よさにしばし酔いしれるが、繋がり合った場所からじりじりと熱が溢れ出してまたさらに激しく求め合う。 どれほど深く繋がってももっときつく繋がり合いたいと思う。 どれほど激しく愛し合ってもさらにお互いを求めて気持ちが焦がれてゆく。 「友雅さん…好き…大好き…愛してる。ずっとずっと、愛してる」 「私もだよ、あかね。君を愛している。君だけを、愛している」 互いの想いを確認し合い堕ちていくことのなんと甘美なことか。 心も 身体も もっと深く もっと強く 熱く 激しく絡め合い 淫らで甘い 極上の夜は更けてゆく… |
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戯れの宴 / 橘 深見 様 |