夢の枕ににほふたち花

= Happy Birthday!! =











日曜日。一昨日からの雨は止んで、きれいな青空がのぞいている。
今日は友雅さんの誕生日―――のイブ。

だ・か・ら。今日は一日、ゆーっくり、まーったり二人で過ごそうって思っていたのに。
お昼も、晩ご飯も、ケーキだって! 作ろうってはりきってたのに・・・

・・・朝からなんだかぼぉーっとする。

(でも、気合? 気合ならあるし!)

と、自分で自分を叱咤してみても。

頭ががんがんと鈍く絞められるような痛み。
寒気と震え。立っていると床がスポンジでできているような不安定さ。
じわりとした妙な緊張感と不快感でへたり込みそうになる。
”世の中には気合だけじゃどうにもならないことはたくさんある“ 
・・・と、思い知っただけのような気がする。

やっぱり風邪だ―――と思ったときには、もう声も掠れて自分の声じゃないような気がした。

「あああぁ、も、ダメだぁ・・・。」

こんな声じゃ友雅さんに余計な心配をかけてしまうのは間違いない。


「・・・・・・・・・メール、しよ」



『ちょっと風邪引いたみたいです。今日は行けそうにありません。せっかく約束してたのに
 ・・・また連絡しますね。本当にごめんなさい。  あかね』






□ □ □ □ □ □






もう友雅さん、メール見たかなぁ、と、ぼんやり思いながら、薬を飲んでベッドに潜り込む。

久しぶりに一日中、ずっと一緒に居られる、と、ずっと前から楽しみにしていた特別の日に、
なんでこんなところで寝てるんだろう、と思わずにはいられない。
ごそごそと、布団に丸まりながら大きな溜息をいくつこぼしたことだろう。
しょうがない、と頭では納得していても。
まだ少し残っている未練が、昨日からの“お出かけ準備”たちに視線を送ってしまう。

ポールハンガーに掛けられているのは、ふわんと軽い、薄い青色の小花のプリントが可愛い
キャミソールワンピ。それに合わせた白いサマーニットのボレロ。
バッグは最近お気に入りの、ころんとした籠バック。
“今日”のために何日も前から選んでいた、それら。

その足元の紙袋には、今日使うはずだったエプロンがアイロンして入れてある。
今晩のメインディッシュ、“白身魚のアクアパッツァ”のレシピのメモだって忘れずに入れ
たのに―――

そして、机の上。―――小瓶に挿されて、私と一緒に出かけるのを待っている、花。
このまえ、学校の近くの神社の境内で偶然見つけたそれ。
昨日の降ったりやんだりの小雨の中、約束の時間を間違えてしまった宮司さんの来るのを
待って待って、ずうっと待って。それでようやくいただいた、花の小枝。
白い小花は今が盛りとばかりに、夕べからずっと甘くて爽やかな香気を放っている。

アレを渡したときのあの人の顔を想像するのが楽しくて。
その香りがもう嬉しくて、わくわくして。夕べはうっかり眠るのが遅くなった・・・のも、
・・・今日の敗因、かもしれない。

ああ、でも!

(なんでよりによって今日、なんだろう。もう)
(いや、昨日のアレが原因だよね、やっぱり。でも、しょうがないじゃん)
(ごめんね、友雅さん・・・)

いろんなことがいっぺんに頭の中をぐるぐるぐるぐるするのだが。
何よりも、会えないと思うと、ただもうそれだけで悲しく、切なくなってきた。
(・・・メール、見てくれたかなぁ・・・・・・やっぱり、電話の方がよかった・・・かなぁ・・・)
返事くらいくれてもいいのに、と思ったけれど。
でも、ここのところずっと忙しそうだったし・・・、と、思い直す。
朝一番のメールだったから、返事が来ないのはまだ眠っているのかもしれない。

(もう一回メールしたら、返事・・・くる?…かなぁ)
なんて、埒もない考えが頭の片隅を過ぎるけれど。
なんだかますますぼぅっとして、寝返りを打つのも少し億劫になってきた。
もう一度メールを入れる気力は、今はなかった。

ただの風邪。この熱が下がりさえすれば、いつものようにすぐに会えるとわかっていても。
頭の中はいまだ忙しなく、なんだか悪い方にばかり思考がまわっていくような気がする。

夕べからずっと部屋を満たす、甘い花の香り。どこか、纏わりつくようなその香りは友雅を
連想させて、昨日は幸せな気分の中で眠りについたのに。

今はどうしようもなく八つ当たりめいた気分にさせられてしまっていた。
(この香りも悪いんだ・・・余計に寂しく感じるんだもん)
(ううん、違う。花は悪くない。悪くないの。あああっ、もう。やだ、こんな―――)

さっき飲んだ薬のせいか、高い熱のせいか。だんだんと意識があやふやになってきている。
自分が起きているのか眠っているのかもよくわからないけれど、とろとろと目蓋が重くなっ
てきているのはわかる気がする。



―――ええ、すみません・・・・・・・・・ひと目、様子を・・・・・・失礼します・・・・・・ええ、これは・・・
   後で・・・・・・ありがとうございます―――


階下で聞き覚えのある声がしたような気がしたけれど。
ありえないよなぁ、と、頭のどこかで失笑する自分がいる。
“ありえない”―――そう思ったとたん、ものすごい勢いで寂しさがこみ上げてきて。
(・・・・・・・・・・・・寝ちゃえ)
と、身体を丸め、肩口の布団を一層深く巻き込んで、半ば自棄になって目を閉じた。


いや、意識を手放した―――



 


□ □ □ □ □ □






深夜までかかった仕事をようやく終わらせ、そのままソファで軽く仮眠を取っていた友雅は、
朝日が部屋に差し込む前に目を覚ました。
まだ暗い窓の外に目をやれば、このところ降り続いていた雨も上がった、ようだ。

「―――あかねと二人、どこかへ出かけるのもいいね」

薄く、カーテンを開けて、まだ薄暗い外に目をやりながら、ふふっと、小さく微笑む。
ここしばらく逢うことの叶わなかった愛しい、ただ一人の恋しい姫を想う。
自分のただ一つの情熱。己のすべて―――あかねという、たった一人。

友雅とあかね―――時を越え、世界を隔てて出会い、恋に落ちて。何に代えても別ち難く、
共に生きる道を選んだ、1年前のこの日。いや、正確には1年と3ヶ月前になるのか――?
あかねにとっては、この「元の世界」は「京」に来る前と殆ど時間が変わっていなかった。
しかし、友雅にとっては、この「今の世界」は「京」での時間の流れの延長線上でしかない。
単にあかねと出会って1年3ヶ月の後の、ごく「普通の」一日でしかなかったのだ。

―――龍神によって曲げられた時間の流れなどを数えても何になるというのか。
事実は”あかねと二人、同じ世界、同じ時間の中を生きることができるようになった”
それだけのことでしかない。

そんなことをつらつら考えてしまったのは、ここしばらく、あかねが随分と“友雅の誕生日”
にこだわっていたせいだ。

実際、友雅は“誕生日”の感覚がまだよく理解できない。以前は『正月に歳が改まると同時
に自分の歳も改まる。だから元旦が、世間も人も、万物等しく誕生日』が常識だったのだ。
しかも元旦をはじめ、年末年始は、当時の宮仕えの自分にとっては宮中行事が目白押し。
そんな中、個人的にめでたい気分になったことが、はてさて、あったものか・・・。
正直、「どうでもよい」というのが本音の友雅に対し、あかねの“友雅の誕生日”への関心
は妙に、いや、非常に高く、この日は特にいろいろと贈り物や趣向を凝らしたい日、らしい。


数日前、いや、先週からやけに楽しげに、“お誕生日のお祝い“をいつが良いかと楽しげに
尋ねてきていた。

『ホントは次の日だけど、今日の方がゆっくりできるでしょ?でも、やっぱり当日の方が
 いいかなぁ? ねぇ、友雅さんはどっちの方がいい?ホントのこと言って』

と。もちろん、返事は『ゆっくりの方が良いに決まっている』、だ。

あかねの心尽くしの趣向を楽しむのもまた一興。
己のペースで一日を過ごす展開に持っていくのもまた、一興。
どちらにしても時間はたくさんある方が良いに決まっている。

「今日は一日、二人でゆっくりと過ごそう」とあかねが言っていた。
もちろん否やなどあるわけがない。
だが、数日ぶりにここを訪れる彼女はきっと、「出かけよう」と誘っても、まずこの部屋の
掃除や洗濯を先にやってしまおうとするだろう。
くるくると、楽しそうに家事をやってくれる姿は見ていても楽しく幸せで、嬉しいものだが。
久しぶりの二人の時間をそんなことに割かれるのは嬉しいものではない。

目が覚めてしまったついで、とばかり、友雅はそのまま掃除、洗濯などあかねが気にしそうな
コトを簡単に片付けていく。
“簡単に”といっても、あかねにつけ入る隙を与えないほどにキチンとした仕事ぶりは、
あかねが見ていないことが幸いなほど、手際の良いものだった。

最後にリビングの窓を大きく開けて。雨に洗われた、清々しい朝の光と空気を入れて。
満足げな笑みを浮かべながら、どかり、とソファに腰を下ろした。

軽く目を閉じれば、あかねの顔が浮かぶ。

きっと今日は、いつもより甲斐甲斐しく世話を焼こうと意気込んでやってくるのだろう。
誕生日―――“特別の日”だと、大きな瞳をいつも以上に輝かせて彼女は言う。
「どうでもいい」、と正直に言うのはさすがに心苦しい、そんな笑顔で微笑むのだ。
そして折にふれ、ことある毎に『何か欲しいものは?』『食べたいものは?』『して欲しい
ことは?』そんなことを嬉しそうに次々と聞いてくるものだから。
正直に回答したら、その度に目元も、頬も赤く染まった君に、鼻息も荒く『却下!』と叫ばれ
たことを思い出す。

なんとも―――頬が、緩むね。


もう一時もしたらあかねから連絡がくるだろうか。
コーヒーでも飲みながら、ゆっくり君の訪いを待とうか。お迎えにあがるのもいいかな?
今日一日、どうあかねと過ごそうか、そんなことを思いながら過ごすひと時でさえ楽しい。

レースのカーテンが、さわ、と揺れる。
少し柔らかくなった瑞々しい朝の光が、開け放った窓から差し込む。
徐に腰をあげ、キッチンでコーヒーを淹れていたそのとき。
キッチンのカウンターに置いた携帯からメールの着信音が流れた。

あかねから、だ――――

淹れたてのコーヒーを一口含みながら、ゆったりと携帯を取りあげる。
ふわり、と包みこまれるように軽く取りあげられた携帯はまだ手の中でちかり、ちかり、と
サインを送っている。

ソファに腰掛け、目を細めながら携帯を操作する。

「おやおや、もう家を出たというんじゃないだろうね?そんなに急がなくてもいいのに。」

ふふっ、と満面の笑みを浮かべながら、言葉とは裏腹に、その顔は早くおいで、と言わん
ばかりの輝きをみせる。

だが。


「―――な、んだって・・・?」

ぱくん、と開いたその画面を食い入るように見つめたまま、その顔は凍りついてしまった。




 



□ □ □ □ □ □








あかねはどうしても約束をキャンセルしなければならないようなときは、いつも必ず電話で
きちんと話をしてくれていた。
メールなどでは申し訳ないし、声も聞けるから―――そう、言っていたのだ。

それが―――メール。

そういえば、先週ぐらいから顔色も声音もあまり良くなかった。体調が整わないまま、忙しく
学校に追われていたのかもしれない。
ただの風邪? 熱が高いのだろうか? 本当に風邪なのだろうか? 今、学生達の間で悪い
病が流行っている、とテレビなどで連日報道されている。普通の風邪なら電話ぐらいできる
んじゃないか?
”風邪”というのは私を心配させないためのあかねらしい気遣いで、本当は
なにかもっと酷い―――

そこまで考えて、友雅は、もう居ても立ってもいられず、あかねの家に電話をした。

今、は、あかねよりも母君の方が信用できる情報をもたらしてくれるだろうからだ。




あかねが熱を出すのは、珍しいことだが、たいしたことではないらしい。
一度熱が出るとすぐ高熱になる分、治るのも早い、らしい。そういうものだという。
至極冷静に電話をかけたつもりの友雅だったが、あかねの母は、友雅のなにやら切迫した
雰囲気に苦笑しながらも、丁寧に教えてくれた。

しかし“心配ない”
と、いくら言われても、ここでじっとしていることすらも苦痛で。
後で見舞いに行く旨を伝えて、早々に電話を切った。

『お薬を飲んでぐっすり一晩寝れば、熱はすぐ下がりますから』と、いくら説明されても。
友雅と出会ってからのあかねは、そんな熱を出したことはなかったのだから。









□ □ □ □ □ □









元宮家の2階にあるあかねの部屋。
友雅は、おそらく眠っているだろう彼女の眠りを妨げないためにも、極力静かに部屋に入る。

あかねの部屋は、ドアを開けるとひと目ですべてが見渡せる、ごく普通の6畳ほどの洋間
である。今日は今どきにしては少し涼しいくらいの気温なのに、この部屋だけは少しむっと
するような熱気があった。別に暖房を入れているわけでもない。

あかねの熱がそれだけ高いのだろう―――そう思うと胸が絞めつけられるようだった。

すぐ目に飛び込んでくるのは、ベッドの上に丸くなっている、愛しい人の痛々しい姿。
寒気がするのだろう、布団を巻き込むようにして眠っている。
頬は熱で紅潮しているのに肌は蒼く、常より呼吸がやや浅い。
額に貼られた冷却シートが一層痛々しい。
己の無力さを突きつけられる、そんな姿だった。

彼女の回復を、無事を、ただ祈る―――友雅にできるのはただそれだけだった。

そっと、額に手をやる。額に貼られた冷却シートは意味を成しているのかも怪しいくらいに
ぬるくなっている。・・・熱がまだ高いのだ。
あかねの眠るベッド―――その傍らに腰をかけて、寝汗でこめかみに張り付いた髪の毛を
労しげに優しく梳き流しながら、低い声で話しかける。

「ああ・・・もう・・・。本当に、大丈夫かい――――? ホンの少し・・・で、いいから・・・目を・・・
 開けてはくれないか。君の笑顔が見られないのは、何よりもつらい――ねぇ、あかね・・・・・」

おそらく、何の心配もないほどの、単なる風邪なのだ。
眠っているだけだ。単なる風邪だ。

そう、ちゃんと理解しているのに。

応えが―――返ってこない。自分がこんなに近くにいるのに。


喪失感、にも似たこの寂しさ。なんとも言い難い、孤独感。






「早く―――よくなって・・・おくれ―――あかね」







祈るように、小さく小さく呟いた。
何度も何度も、その頬を、髪を、愛おしげに包みこむように撫でながら―――









□ □ □ □ □ □







きしっ、とベッドのスプリングが軋む音がしたような気がして薄く目を開けた。

いや、実際は開けたのかどうかもあやしい。
だって、さっきまでみたいにがんがんとした頭の痛みがない。
ぼぉっとした、どこか現とは違うようなふわふわした心地がする。
いつもの自分の部屋とは違う、なんだか懐かしいような匂いもする

(ああ、夢なんだ・・・)

どこかで、そう思った。
すると、夢だということを後押しするように、どこからか今一番聞きたい声が聞こえてきた。



―――あかね・・・



(・・・友雅さん、だ)

(どこ?どこにいるの?)



ぼんやりとしたその声を確かめようとするのだが、今ひとつはっきりしない。
そのことが、妙に一層『夢の中』を実感させるのだ。
夢の声はなおも聞こえてくる。

―――大丈夫かい? 私がわかる?

(わかるよ、友雅さん。間違えようがないのに。ふふ・・・いい夢だぁ・・・夢でもいいの・・・)

「・・・夢でも、い・・・の・・・、会いたかった。嬉し・・・」

―――あかね・・・

愛しげに、労しげに頬を包んでくれる手のひらが心地よい。
(ああ・・・いい、気持ち・・・)

白いシャツ。薄いピーコックグリーン地のアスコットタイがよく似合っている。長く、ゆるく
うねる黒髪は、少しだけ前屈みになったせいか、ひと筋ふた筋、肩口から落ちて、ゆら、と
揺れている。

(カッコいいなぁ、いつも・・・・・・キレイだし・・・)

うっとりと見惚れながらも。
普段なら優美に見えるその顔が、今日はどこか蒼いように感じてならない。
優しい、笑顔。なのに。
目許も優しいのに、辛そうで。口元は言葉に詰まったように、歪んでいる。

(・・・なんで・・・そんな泣きそうな顔をしてるの?・・・泣かないでよ、ね?)

精一杯手を伸ばし、夢に現われてくれた愛しい人に触れようとするのだけれど、こちらから
は届かないのだろうか? 何故か遠い。
もう少し、と更に身を乗り出すようにして、それでも届かない。
泣きそうになりながらも、歯を食いしばるように必死で手を伸ばす。
それでも、なぜかこちらからは触れられない。―――遠いのだ。

ぼんやりとした視界の中で、彼がすっと離れていく気配が、した。

友雅が、離れて行く?



(友雅さん・・・?)



起き上がれない。

『夢なんだよ、これは。現実じゃない』って頭の中のどこかで、誰かが冷静に諭している。



でも、夢でもなんでも。行かないで欲しい。そばにいて欲しい。
もう、それしか考えられなかった。


―――動けない? 声も届かないの? お願い、行かないで・・・っ


(・・・やだ、置いてかないで。だめ・・・行かないで!)

必死に叫んだ。何度も、何度も、何度も。



「友、雅・・・さ・・・っ・・・!」



何度目かに叫んだとき。
驚いた顔で振り返った友雅は、先ほどよりももっと深い、温かい微笑で傍に戻ってきた。

大きな手で友雅に触れられて。笑顔が見れて。
なんともいえない、温かい、しっとりと包まれる安心感。そして幸福感―――
それらがじんわりと胸いっぱいに広がる。自然と顔がほころぶのが自分でもわかる。 

(もっと・・・)

もっと、と心の中でねだったら、本当に思ったとおりにもっと優しく、たくさん触れて、
一層深く微笑んでくれる。
現実の友雅も優しいけれど、この夢の友雅もすごく、すごく優しい

(・・・あったか・・・い。・・・ふふっ、ホントに友雅さんの手、みたい・・・よかった、戻ってきて
 くれて・・・ありがと・・・)

嬉しくて、涙が出そうだった。

でも今日は。ホントならこんな夢じゃなくて、本物の友雅さんと会って。ちゃんとお祝いする
はずだった。
そう思うと、今度は申し訳なさと悔しさに涙が出そうになって。
そんな気持ちを読み取ったかのように、夢の友雅は一層柔らかく微笑んで、撫でてくれる。


(ごめ・・・なさ・・・い。今日、せっかく、お誕生日の・・・お祝いしよ、って言ってたのに・・・)

―――そんなことはどうでもいいことだよ。まだ少しつらそうだね・・・少しおやすみ。
   ついていてあげるから

泣きたくなるほど、甘く、優しい言葉。心地よい声。
優しく、何度も何度も頬を滑る、温かい手。温かい、微笑み。
もう、泣きそうになるほど・・・嬉しい。

(・・・うつっ・・・ちゃう、よ?)

―――ふふっ、君からいただけるものなら何でも、と言いたいところだけど。残念ながらそう
   簡単には風邪にかからない性質でね。気にしないでおやすみ

軽口まで、本物そっくりで。
夢の中なのに、本当に眠ってしまいたくなるような心地にさせられる。
そう思っている間にも、更に優しく微笑んでくれる、夢の友雅。

(ねぇ・・・友雅さ・・・。も、少しここにいて? ず・・・っと、こ・・・して、て・・・ほしいなぁ
 ・・・ダメ?)

―――ああ、ずっとここにこうしている。ほら、ね? 大丈夫、ずっと、一緒だ・・・

(ふふっ、うれしい・・・友雅さん、大・・・好き)

額に冷たい冷却シートの感触とは別に、大きな心地よい温もりがある。
髪を優しく梳いてもらっているような、柔らかい心地がする。
頬や唇に時折感じる感触は、―――唇?―――指?
そしてすぐ近くに。いつも嗅ぎ慣れた優しい香りがする。そして、甘い甘い香りも――――




どれもこれも、自分が求めているものばかり。
ふわふわとしたまどろみの中で、一層夢心地に誘われる。

(友雅さん・・・ありがと・・・今日は、ごめんね・・・ちゃんと、言えなくてごめんなさ・・・)
(明日はちゃ・・・と・・・一緒に、お祝い、しよ・・・ね・・・)

浅かった呼吸が、表情までが、友雅のひと撫でごとに穏やかになっていく。

(明日、は・・・ちゃんと、会いに・・・行く、からね・・・)


どこもまでも心地よい、ふわふわとした柔らかな世界が。






静かに静かに、本当に、本物の夢の世界に―――落ちて、いった。








□ □ □ □ □ □








カーテン越しの空の色がすっかり藍色に変わっている。もうすっかり日も暮れていた。


(お腹すいた・・・)

目が覚めて。最初に思ったのが、コレ。
今朝の鈍い頭痛が消えている。身体はまだどうしようもないくらいだるいのだが、意識は
はっきりスッキリとしていた。あんなになかった食欲も湧いてきたようだ。
お腹が、くぅぅっと悲しげな声をあげるのに、くすっと笑いまでこみ上げてきた。

「うん、お薬効いて治ったかな?」

元気が湧いてきたあかねの鼻先で、甘い香りが遊ぶ。

「アレ、今日届けたかったのになぁ・・・。―――あ?・・・一枝、ない?」

今朝までは確かにあった。眠るまで見つめていたのだから。それが―――ない。

風邪を引く前、偶然見つけた橘の木。
友雅が好きだと教えてくれた、懐かしい花―――
丁度花も咲いていて、なんだか無性に嬉しくなって。その木のあった神社の宮司さんが来る
のを待って待って、無理をお願いして頂いてきた橘の枝。

二枝、いただいたのだ。今日持って行こうと机の上、瓶に挿して置いていた―――それが、
一枝になっている。

しかも、枝には紙が―――文、が、括られている。

ベッドを降りて、恐る恐る手を伸ばし。どきどきと逸る胸の音を宥めながら紙をはずす。




『  古へも今も恋ゆらむたち花は かほど薫ゆらむ吾がこひの如
   いにしへも いまもこゆらむ たちばなは かほどくゆらむ わがこひのごと)

                          早く、よくなっておくれ  』




かあっ、と頬が熱くなる。血が上る音までが耳の中でこだましている。
かさかさ、ふるふる、と小さな紙片を持つ手が震える。



熱、のせいなんかじゃない、これは。



何をどう言おう、なんてマトモな思考は吹っ飛んでいた。
急いで枕元に置いてあった携帯を手にして、電話をかける。


(友雅さん、友雅さん友雅さん、友雅さん―――、友雅、さん・・・っっ)






『ああ―――、目が覚めたのかい? 気分はどう?』

電話の向こう。友雅のホッと一息ついたような、穏やかな声が、優しく耳に届く。
コールの間、そのホンの僅かの時間の、とてつもない緊張感が、すうっと流れていくような、
そんな落ち着いた声が聞こえる。

「友雅さん、あの、来て、くれてたんですか?」

恐る恐る問いかけているからなのか、まだ本調子でないからなのか。
ホンの少し震えているあかねの声。けれど、昼間の、あのぼんやりとした、力のない声では
ない。それがはっきりと伝わったのだろう。
友雅の声も、いつものような明るい、軽い調子で返ってくる。

『ふふっ、さあどうかな?―――と言いたいけれどね。ホンの少しの間だけお邪魔したよ。
 君はなんだか夢の中だったようだけどね』


友雅は、昼間のぼんやりとした“夢うつつ”といった風情のあかねから聞こえた声が、今朝方
の不安をゆっくりと洗っていったことを思い出す。
そしていつになく可愛らしく、素直に甘えてきた様子に、あかねの元を離れてからも胸の奥を
くすぐられてしまったことまで―――





あかねの部屋。苦しげに眠るあかねにずっとついていたかった。
けれど、『心配ない』という母君の手前もある。
そろそろ帰らなくては、と腰をあげ、それでもなかなか立ち去ることもできずに、あかねと
あかねの部屋を眺めていた、そのとき。

きつく巻き込んだ布団の中から薄く顔を上げ。掠れた声で、熱に潤んだ瞳で。
真っ直ぐに、あかねが友雅を呼んだのだ。


あのときの歓喜、驚愕。 そして、歓喜 ―――君にわかるだろうか?

その後もずっと、私を留める可愛い君がどれほど愛おしかったか。

ひと言、ひと言を掠れた声で返してくれる君だったけれど、やはりまだつらそうで。
それでも最後は寝息も少し穏やかになった。私がひと撫でするごとに、穏やかな顔になって。
それが、どんなに私を安堵させ、喜ばせたか―――

―――君にはわからない、かも、しれないね

寝息が穏やかになって、深く眠った事を確認してから、友雅はあかねの部屋を後にした。
あかねの部屋の机の上。彼女の元で馨っていた橘の小枝をひとつ、手に取って――――






あかねは、夢だとばかり思っていたいろんなコトが、ざああっ、と音を立てて、頭を過ぎって
いく気がした。同時に、なんともいえない気恥ずかしさと嬉しさとで、かあっと、全身が、
頬が、耳までもそれとわかるくらい熱くなった。


・・・夢じゃ、なかった―――


「じゃあやっぱり夢じゃなかったん、だ・・・。夢かな、って思ってたんだけど」

『母君は心配ないから、と仰ったんだけど、ひと目だけでも君に会いたかった。
 でも、寝ている君の枕元に長居はできなかったのでね。すぐに失礼したんだよ。
 ―――本当はずっとついていたかったんだけど、ね・・・』

ほんの僅かに寂しげに聞こえる声が、言葉にならない友雅の気持ちを伝えてくれる。
きっと、今日だけのことじゃない、いろんな申し訳なさに胸が、痛む。
でも、それと同じくらいか、それ以上に嬉しくて嬉しくて。
そして、どうしようもなく照れくさくて。

『あの、今日はこんなになっちゃって本当にごめんなさい。明日は学校にも行けると思うの。
 心配かけて、ごめんなさい。―――でも、お見舞い、すっごく嬉しかった。・・・歌も。
 ありがとう、友雅さん。元気になったら、友雅さんのお祝い、改めてさせてね?』

「そうだね、早くよくなっておくれ。そうしたら、君の全快祝いも一緒にできるからね」


ふふっ、と軽く微笑みながら、そうか、今日は”そういう日”だった、と改めて思い出した。

自分の誕生日なんてあかねと出会うまでは気にもしたことなかったのだ。
今さら祝われるほどのことでもないし、本当はそんなことはどうでもいい。
そう思っていた。

それでも。誕生日に寄せて、私のために心砕いてくれる君の、その様が愛しい。
なにくれと私の世話を焼いてくれる君の、うれしそうな笑顔が見れることが嬉しい。
だから、私にとっても嬉しい、幸せな日、なのだろう。
せいぜいがそれだけの意識だった。

君が元気でいてくれること。君がいつでも微笑っていてくれること。いつも私を想っていて
くれること。そして、その隣にはいつも、私が居ること。
―――それが、私にとって何よりの僥倖
そして、願わくば君にとっても、そうあって欲しいと心から乞い願う―――

それが、いつも、いつまでも変わらない、真実の想い。

だから―――

ひとつ齢を重ねていくときに、君が隣にいてくれる、と、こうして改めて思える日。
互いにその存在を、僥倖を確認できる日、それこそが君の言う『誕生日』の喜びなのだろう。
そのことがなによりの寿ぎなのだ、と。



「だからね、早く元気になっておくれ。そして二人で一緒にお祝いしよう、ね――あかね?」











あかねとの電話を終え、顔を上げる。少し元気になった声が嬉しい。
そしてひとつ、理解した「そのこと」も、どこか心を浮き立たせる。

けれど、こんな時にずっと傍にいることのできないこのもどかしさと寂しさ、は―――

今日は、この香りが慰めてくれるだろう。
彼女がもたらしてくれた、この香り。
昔も今も。時を越え、世界が異なっても変わらない、そして、これからも。
永久に変わることなく、この季節に香るのだろう。




―――この、橘の香り

 





白い満開の小花が、部屋いっぱいに、清かな甘い香りを漂わせている。











はやく、君に逢いたい



そして触れたい。君を、確かめたい



ずっと、ずっと――― 










優しく、橘の花に唇を寄せる。


「―――明日は、会える、かな? ねぇ・・・あかね」













―――Fin




Happy Birthday to Our
TOMOMASA









          ※タイトル引用
          『 かへりこぬむかしを今とおもひねの 夢の枕ににほふたち花 』
                                   式子内親王






katura 様