※この作品はコミックベースのお話しです ※年齢制限を設けています。18歳未満(高校生含)の方は閲覧を控えてください |
汝、とらわれしもの |
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= Happy Birthday!! = |
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囚われしもの 一 望 夜半の月を眺めながらひとり杯を呷る。いくら呑んでも一向に酔いはまわってこないどころか、益々五感が高まるばかりだ。酒の力を借りて誤魔化すのももう無理か。友雅は瞼を閉じ天を仰いだ。 アクラムとの決戦の後、あかねは友雅の手をとり、京へ残った。そして今、彼女は彼の屋敷で生活している。共に起きて眠る、それだけの関係。満足していたはずだった。傍にいてさえくれれば他に望むものは無い、そう思って引き止めた。なのに現実は。 (情けないことだ…) もはや自嘲すらも尽き果てた。浮き名は数限りなしと評された彼は、今はもうどこにもいない。恋を知ったばかりの少年のようだと自分でも思う。全ての誘いを断って、ただ愛しい女と共寝する。それだけが今の友雅の全てだ。 初めはそれで充分だと思っていた。己の腕の中にある温もりを感じて眠る。離れないように、離さないように。 「人の業、か」 ひとつ叶えばまたひとつ。人の欲に限りは無いという。己もまたその無限地獄にあるということを実感する。守りたいと思った存在を、この手で壊してみたい。今、彼はまさに正念場にいた。己の欲に正直に押し切ることは簡単だろう。だが彼女の、あかねの意思を尊重してやりたい。おそらく初めての体験を無理強いすることだけはしたくない。 そんな建前をたててもう十日。年長者として、と配慮したつもりが男としての自分を置き去りにしてしまった。結果がこの有様だ。夜半に床を抜け出しては酒で欲望を鎮め、明け方に戻ることの繰り返し。そういえばかつて、あかねは友雅を『臆病』だと罵ったことがあった。あれは、いつのことだったか。 ふと、衣擦れの音がした。驚いて目を開けると、そこには夜着に大袿を被ったあかねが心細げに立っていた。目が覚めて、隣にいなかったことに怯えたのだろう。 「おいで」 先程までの欲望を振り払ってなるたけ優しく呼んでやると、静かに歩み寄ってきて隣に座った。その肩に手をまわして引き寄せてやれば、頭を胸に預けた形でぴったり収まる。 「キレイ」 天に蒼月。望月には少し足りぬ姿で静かな光を放っている。 「恋しいかい?」 咄嗟に口をついて出た言葉に友雅は驚いた。思わず出た本心だった。取り繕おうとしてかけるべき言葉を捜したが見つからず、あかねはあかねで俯いたままだ。 しばしの無言の後、あかねは強く首を振った。その唇は噛み締められ、眉尻は下がって今にも涙が零れ落ちそうなのは明白だった。 「つまらないことを言ったね。泣かないでくれまいか、姫君」 肩にまわした手に力を込めて強く抱き寄せる。何を迷うか。あかねは選んだのだ。遠い桂の宮殿よりこの橘を。もう迷いは捨てよう。友雅は手酌で最後の酒を呷った。 二 鎖 何時切り出そうか、あかねは迷っていた。隣では友雅が肘枕で見つめているはずだ。片手をあかねの胸の上に乗せて、自分が眠るのを待っている。きっと哀しげな目をして。 夜半に一人床を抜け出すことを彼女は知っていた。最初はどこかへ出かけるのかと思っていた。けれどある日後を追ってみて判ったのだ。彼は哀しそうな目で月を見上げながらひとり酒を呑んでいた。そして昨日の言葉。彼が後悔しているのかもしれないと知った。 これ以上、後悔させたくない。ここにいるのは自分の意思だと、これ以上無理をしなくてもいいのだと伝えなくては。 そして友雅も時を計りかねていた。規則正しく上下する胸。いっそこのままかき抱いて―――――駄目だ、それだけは。今そんなことをしたら、きっと優しくしてやれない。今夜はまだその時期ではない。 安らかな寝顔に安堵してゆっくりと腕をはずす。あかねは触れることを嫌がらなかった。髪を撫でるのもこうして眠るときには腕を預けるのも。寝苦しくはないのかと問うてもみたが、返ってきたのは意外な言葉だった。 『だってそこに居るって判るから』 あの時はあまりの無邪気さに笑ってしまい、ふくれた彼女を宥めるのに苦労したなと思い出す。これまでそんなことを言った女性は初めてだった。腕一本とはいえ、男のそれも逞しい方だと思うものだ。結構な重さではないのかと続けて訊いたら、その温もりと重さが丁度良いのだと返されてそれ以来眠るときは習慣にしていた。 薄い雲が満月の光を薄く遮り始めた。今夜は初夏にしては蒸し暑い。おそらくこのまま雨になるのだろう。今宵は月見酒とはいかないな、そう思った瞬間だった。 「友雅さん」 起こさぬようにと気遣いながら離れていく重みを引き止めるように、瞳を閉じたまま意を決して口を開いた。息を呑むのが手に取るように判る。そして瞳を開けてもう一度、今度ははっきりと呼びかけた。 「友雅さん」 それまで明るく注いでいた光がだんだんと翳ってゆく。だが暗さに慣れた目はくっきりとお互いの輪郭も表情も捉えていた。じっとりと重たいくせにいやに緊張した空気がまとわりつく。沈黙を破ったのは友雅が先だった。 「起こしてしまったかい?すまなかったね」 「友雅さん。どこに行くんですか?」 いつもの余裕をたたえた微笑と真剣な眼差しが交錯する。どこかぎこちないやり取り。 「月を、眺めてこようかと思ってね。別に心配することはないよ」 「嘘。今夜は曇りだもの」 「では少し風に当たってこよう」 そう言って友雅はいつもの優雅な仕草で距離をとった。静かに侍従の香りが離れてゆく。このまま彼自身が離れていってしまうような不安に駆られて、あかねは声をあげた。 「友雅さん!私はここです。今日は満月だけどどこにも行きません!」 (早く離れなくては…) 手を伸ばせば引き寄せられる距離が苦しい。友雅は知らず眉根を寄せていた。 「迎えなんて来るはずないから、来たって帰ったりなんてしないから、だから―」 (駄目だ。その先を言ってしまっては……) 「行かないで!ここに居て!」 それはもはや反射的な行動だった。力任せに細い手首を掴んで引き寄せる。彼女は抵抗しなかった。華奢な体躯と温もり。出会ったならば惹かれる予感がするといつか藤姫に話した記憶が甦る。それは間違いではなかった。 「悪い姫君だ」 もはや全てを悟られていることを彼は確信した。それでもなお引き止めるということが何を示すのか、説明の為の言葉は不必要だった。触れることさえ躊躇われた禁忌の華は今、彼の手の内で静かに咲き誇り手折られる瞬間を待っている。 「私は冷酷な男なのだよ」 「友雅さんは優しい人だって、私ちゃんと知ってますよ」 そう。いつも飄々として捉えどころのない風のような人。でもいつも必ず傍に居て助けてくれた。揶揄に隠された本気、嘘の中の真実。この人はきっと誰よりも寂しかったのだと思えた。だから私はここに居ようと決めた。この人がもう寂しがらずに済むように。 いつの間にか雨が降り出していた。柔らかな雨音の中、抱きしめた腕を緩めて頤に手をかけ目線を合わせる。粧わぬ白い肌に装わぬあどけない笑顔。やがて二人の唇が重なった。 繰り返される優しいキスに包まれながら身体を横たえられた。これから始まるであろう事の知識程度はあかねにもある。しかしいざとなると恐怖感が先にたってしまってどうすることもできない。そんな彼女を察してか、友雅はあかねの右手を取り、自分の袷をはだけてそこへ導いた。 「大丈夫。同じだ、安心しなさい」 そこは宝珠の、自分とのつながりのあった場所。すでにそれは失われてしまったが、代わりに彼の拍動が自分のものと同調するように脈打っていた。 「そして、これが本当の私。橘友雅という男だ」 ゆっくりと逞しい体躯が重なってきた。ひとり分の熱と重み。存在の確かな証拠。そして再び唇が重なり合った。今度は深く、激しく。苦しくて逃れようとしても執拗に追い立てられ、空気さえも入り込ませないような勢いで貪られる。酸素不足と別の何かで頭がくらくらしだした頃、ようやくあかねは解放された。 全身が小刻みに震えている。呼吸は荒く、潤んだ瞳も蕩けてきっともう何も考えられる状態ではあるまい。彼もまた同じであった。このまま二人して甘い毒に痺れてしまえばいい。痛みも迷いも消し去るほどに。 空いた手でくまなく全身を撫でながら耳朶を食んで首筋を強く吸い上げると、艶やかな吐息が零れる。無意識の音色が不快だったのか、あかねは咄嗟に指を噛んでそれ以上を防ごうとした。 「いけない。誰であろうと傷をつけることは許さないよ。例えそれが自分自身でもね」 そう言ってやんわりと口元から手をはずすと、胸に当てられた右手と共にあかねの頭上で戒めた。言葉も思考も奪われ、それでもなんとか意思を示そうと小さく横に首を振ってみたが力は緩められなかった。宥めるように睫毛の先の滴を唇で拭って、愛撫を再開する。頬、肩、胸、腰、太腿。ぞくりとするような奇妙な感覚が次々に湧き上がり、その度にとめどなく声が溢れる。それは湿った空気の中で高く低く響き、汗ばむ二人の身体にまとわりついて更に行為を加速させた。 隅々まで探索し尽した手が最後の一箇所で止まった。初めてとはいえ時間をかけて様々にあらゆる手段で解したおかげでこことて例外ではなかったが、友雅はあえて一旦留めて問いかける。なし崩しにするのではなく、きちんともう一度答えを確かめたかったのだ。もはや正気などとは到底思えないあかねが頷く以外にできようはずもなかったが、彼にはそれで充分だった。 濃い、蜜が指に絡む。未踏の地を拓く愉悦に彼は溺れそうだった。今までに経験がなかった訳ではない。だが今日は特別だった。こんなに自分が熱くなれることを教えてくれるこの少女を心から愛しいと、そして同じように感じて欲しいと願いを込めて愛したかった。 ただでさえ硬く狭いそこを丹念にくつろげてから指を引き抜く。すでにあかねは息も絶え絶えに全身を震わせながらただ瞳だけが友雅を見つめていた。いやおそらく無意識に彼の瞳を追っているのだろう。蕩けきった中に一抹の不安をたたえて揺れ動いている。 「…と……ささ……ぁ…」 がくがくと震える唇から掠れた甘い呼び声。今はそれがどんな酒より極上の媚薬だ。彼はそっと手首の戒めを解いてその両手を肩に掛けてやりながら囁いた。 「もう、逃さないよ」 外の雨よりもなお濃密な気配の中、掠れた甘い啼き声が一際高く響いた。 |
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いろは 様 |