花盗人 |
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= 左近衛府少将と中宮 = |
花盗人 君ならで何にかわせむ 華の中の花 妙なる調べ 「神子様、大変でございますわ!」 「どうしたの、藤姫。」 青ざめ、落ち着きを失った様子の藤姫。一体、何があったというのだろう? 「入内の、仰せ事ですわ!」 「じゅだい? じゅだいって?」 「帝がお召しなのです!」 「え、この間、中宮さまのところでお会いしたよ。」 「ですから!」 じれったいと言わんばかりの藤姫の表情。こんなに取り乱している様子は初めて見る。 「入内というのはね、後宮に入って、帝のお側近く仕えることだよ。」 御簾の向こうから声がした。藤姫はいよいよ度を失った。 「友雅さんだ♪」 「ごきげんよう、神子殿。何だか、大変なことになっているようだが?」 蝙蝠で半ば顔を隠し、藤姫を心配げに見やりながら、友雅が言った。 「う〜ん、何だか、さっぱりわけがわからないの。教えてください。お側近く仕えるって、大変なことなんですか?」 「ああ、お仕えするのは、主に夜だからね。」 ふふっと笑って、あかねをじっと見つめる。 「意味が、わかるかい?」 あかねはじっと考えていた。まさか……え? 何となく顔が赤くなるは、どうしてだろう? 「ひょっとして、プロポーズって、ことですか?」 「ぷろぽおず?」 「結婚してくださいっていうこと。」 「ああ、神子殿は賢いね。その通りだよ。」 何となく赤かった顔が、今度ははっきりと熱を持つほど赤くなってきた。 「で、いったい、どなたが入内するのだね? ここの家からはすでに中宮さまが立っておいでだから、まさか、藤姫ではあるまいが?」 藤姫は、怯える目で友雅を見た。 それから、あかねを見た。 (もしや……) 友雅の胸に、嫌な予感が去来する。 「神子様……私は、神子様に、何をしてさしあげられるでしょう?」 やはり……友雅の顔がかすかに引きつる。 「え? 私?」 あかねは友雅を見た。いつもと変わらず、しどけなく柱に寄りかかって蝙蝠を使いながらあかねのために整えられた藤姫の庭を眺めている。 (友雅さんは、びっくりしないの?) あの戦いはほんの数日前のことなのに。すべてが終わった後、抱き合って喜んだあのぬくもりをまだ覚えているのに。あの絆は、京を救うためだけのものだったの? その点には、一番気が乗らない風だったのに。 あかねの目から、静かに涙が流れ落ちた。 友雅が、立ち上がった。 「友雅殿……?」 藤姫が震える声で呼びかけた。 「あの……お断りすることも、できると思うのです。」 「……どうしてです? 神子殿にはこの上ない誉れでしょう? 異世界から来た姫ながら、帝に想われて后となる。かぐや姫そのものだ。そういうのは、お嫌いかな? 神子殿。」 「友雅殿、それは……!?」 「決めるのは神子殿だ。私ではありませんよ、藤姫。」 「友雅殿、そのような言い方は……」 あかねの目から涙があふれた。両手で顔を覆い、部屋からかけだした。 「神子様!」 友雅をにらみつけ、藤姫はあかねの後を追った。走り去る二人を横目で追い、友雅はゆっくりと階から庭へ降り立った。 (さて……どうしたものか。) 下手なことを口にすれば、謀反を疑われる。藤姫の館とはいえ、幾人もの女房の耳がある以上、あの場では、あんな物言いをするしかなかったが。 あかねを帝に譲る気など、友雅には毛頭なかった。 (いったい、何を考えておいでなのか。) あかねと自分との絆の深さを知らない帝ではない。つい昨日も、側近くに召されて神子との仲をからかわれたばかりだった。それを裂くような、今日の宣旨。 (もしや……) 思い当たることは一つ。 (永泉さま、か……) あれ以来、御室から一歩も出ないと聞いた。もともとか弱いお方だったのが、いっそう線が細くなられて、朝晩のおつとめ以外は床に伏せっておいでだという噂も聞いた。 (兄帝としては、ご心配ではあろうが。) こればかりは譲れない。しかし、下手に動いて謀反といわれることも絶対に避けなければならない。 (橘家を……いや、私を陥れようとする、罠?) 日ごろ言葉も交わさぬあの顔この顔が浮かぶ。友雅が帝の側近くに仕える身であることを必ずしも快く思っていない者たち。 (さて、どうしたものか……) 藤姫の藤棚の下で、友雅はじっと考え込んでいた。 「友雅さんがわからない。みんな、うそだったの?」 藤姫の部屋で、あかねは声を上げて泣きじゃくっていた。 どうして「行くな」と一言、言ってくれないのか。 龍神のもとから帰ってきたとき、あんなにも固く、折れよとばかりに抱きしめてくれたのは? 「君が帰ってきてくれてうれしいよ。私の情熱。私の月の姫。」 二人かわした、甘い口づけ。互いに永遠に離れることはないと誓ったのに。 「きっと、何かお考えがあってのことだと思いますわ。」 落ち着きを取り戻した藤姫が、考え考え言った。 「そうかな、藤姫。」 わらにもすがる思い、というのは、こういう気持ちのことをいうのだろう。あかねは、涙に濡れた目を、藤姫に向けた。 「殿方のことはよく分かりませんが。入内をお断りするというのは大変なことなのです。帝の思し召しに逆らうことになりますもの。」 「それって……」 「ええ。謀反ですわ。」 謀反の罪で裸馬に乗せられ、都を追放される友雅の姿が、藤姫の脳裏に浮かんだ。恐ろしい想像を振り払うように、藤姫は激しく頭を振った。 「とにかく、お返事をなるべく引き延ばしますわ。お父様に、申し上げて……。その間に、よい策を考えましょう。」 しかし。 事は思うようには進まなかった。 返事を求める使者が、毎日のように土御門を訪れる。 あれやこれや理由をつけてはぐらかすのにも限界があった。 応対はすべて左大臣がしているが、さすがに、顔に疲労の色が見えてきた。 ……もう、これ以上、引き延ばすことはできない。 誰にも罪をきせないためには…… 入内の準備が始まった。 色とりどりの衣装、豪奢な調度。里からつく女房の人選。土御門の養い姫としての体面を保てるよう、ぬかりなく事は進められていく。 友雅は、あれ以来、ふっつりと訪れなくなった。 (忘れなくちゃいけない。) 忘れようとしても忘れられるはずなどないけれど。 夢に見るのは、友雅と過ごした日々。友雅と過ごせるはずだった日々。幸せになれる、その瞬間にいつも、何か黒く蠢く物が目の前をさっと横切り、叫び声を上げて身を起こしてしまう。じっとりと汗をかいて、苦い唾液を飲み込む。 そんな夜が、ずっと続いていた。 (鈴の音も聞こえない……) もう、龍神の加護も得られないということなのか。 元の時空に戻ることも、もう、かなわないのか。 それができるなら、友雅と共に時空の狭間を越えて、誰も追ってこられないあかねの時空に逃げてしまうこともできるのに。 捕らえられた籠の鳥。 息が詰まるような閉塞感。 助けは、ない……。 (あきらめられるのだろうか?) 友雅も、自問自答を繰り返していた。 家も名も惜しくない。自分だけのことを考えていればいいのなら、今すぐにでもあかねを盗みだし、どことも知られぬ遠い場所へ逃げてしまうものを。 しかし。 それを謀反と言われれば、自分だけのことにおさまらない。 あきらめられるはずなど、ないのだ。 生まれて初めて、心の底からほしいと思った乙女。 命を懸けても守りたい、そんな気持ちにさせてくれたのは、あかねだけだった。 大切な人。 あかねなしで、これから先、生きていけるとでもいうのか? しかも。 帝と、永泉と、共にあるあかねに、近衛府の将として仕えられると? (あり得ない。) 失うために望んだわけではない。 共に、生きるために。これからの人生を、共に、歩みたいと願ったのだ。 友雅は決意した。 (盗み出す!) 何にも代え難いあかねという存在。 こうしてしばらく逢わずにいるだけで、こんなにも落ち着かない気持ちにさせる。こんな気持ちのまま、これからの歳月を過ごしていくなど。 考えたくもない。 たとえ謀反と言われようと。 それが、我が身のみのことでおさまるならば。 いや、おさめてみせる。 決して、他に累の及ばぬように。 入内の行列が動き始めた。 警固の長は頼久が務める。 表情もなく、無言で牛車に乗ったあかねの姿を、頼久は正視できなかった。 送り出す藤姫の表情も硬い。 (どうか、神子様がお幸せであるように……) 龍神に嘉せられた絆を断ちきられたところに、神子の幸せというものはあるのだろうか。あかねの行く手に立ちこめる暗雲を感じて、藤姫の心は暗く、重かった。 まるで葬列のように、あかねの入内の行列が進む。 新しい女御さまのお輿入れだと、京雀たちが大勢群れていたが、誰もが、この行列の重く苦しい雰囲気に、言葉もなく立ちすくむのだった。 まもなく御門につこうかというその時。 (あれは……!?) 頼久の目に飛び込んできた乗馬の人。 無紋の狩衣に身をやつしてはいるが、まさしく、 (友雅殿!) 全速で駈ける馬の勢いに怖じた牛が首をふって立ち止まった隙に、ひらりと車に飛び移った。 「あかね!」 すっぽりと懐かしい侍従の香りに包まれた。 息もつけないほどの驚き。 「友……雅……さん……?」 「迎えに、来たよ。一緒に逃げよう。君を、誰にも渡したくないんだ!」 狂ったように口づける。なぜ、この手を離せるなどと思ったのか。龍神に、連理の枝比翼の鳥と定められた絆を、なぜ、断ち切れると思ったのか。 衣にあかねを包み込み、友雅は再びひらりと馬に飛び乗った。 「友雅殿!」 駈け去ろうとする友雅に、頼久が追いすがった。 「頼久、許せ。神子殿は、鬼に攫われたと、そう、申し上げるがいい。」 それっと馬に一鞭くれて、疾風のように駈け去っていく友雅とあかねの後ろ姿。 頼久は何もできず、立ちすくんでいた。 (鬼に攫われたなどと……) 謀反の危険を冒しても、ほしいものは神子殿、か……。 (友雅殿は、変わられた……) どうか、神子殿とお幸せであるように。 土御門への帰還を命じながら、頼久は祈っていた。 人目をさけての逃避行。 しかし、なぜか、追っ手は来なかった。 女御を目前で攫いながら、一つも追っ手の来ない様子は、かえって不気味である。 「今夜はここで泊まろう。」 里のはずれの破れ寺に夜露を避けて入った。少しのぬくもりも大事にしたいと寄り添い、固く抱き合って眠りにつく。何もなくていい、二人一緒にいられるこの時が永遠に続くのなら。二度と離すまい、離れるまいと、友雅の懐にぎゅっとしがみついた、その時。 にゃ〜〜〜ん♪ 猫? 「お方さま、およりなってくださいまし、もう、日も高うございますよ。」 え? 「何か、恐ろしい夢をご覧になっていらっしゃいましたか? たいそううなされておいででしたよ。」 初夏の明るい日差しが一筋さっと入り込む。 まぶしさに目を開けると、そこは、見慣れた御帳台の中。 (私……?) 命婦ネコが懐かしげにすりよってくる。 「お目覚めかい? 私の白雪。」 朝の出仕から戻った友雅が入ってきた。 「友雅さん!」 寝乱れ姿もそのままに、友雅にかきついた。 「どうしたんだい? たいそうな歓迎じゃないか。」 飛び込んできたあかねの体を抱き留めて、友雅は囁いた。 「こんな艶めいたお出迎えをいただいたからには、それなりのお返事を差し上げなくてはならないねえ。何をお望みかな? 私の姫君。」 夢だった! あれは全部、夢だった。 引き離されそうだった恐怖はまだ身から離れていない。心がぶるぶる震えているのを感じる。友雅の背に両手を回して、精一杯抱きしめる。離れたくない。もう、二度と。 友雅の大きな手があかねの背をそっと撫でた。 いとしくてたまらないと伝えるその手の動きが、あかねの心を落ち着かせる。 「愛しているよ……」 このぬくもりが絶えることは決してないのに違いない。 すっぽりと包まれる幸せに、あかねはいつまでも酔いしれていた。 |
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遙かなる悠久の古典の中で / 美歩鈴 様 |