光の道しるべ |
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= トナカイ = |
冬は、すき 星も月もきれいに見える、澄んだ空気がすき ほほを痛いくらいに撫でる、冷たい北風がすき 薄もやの中に、黄金色の光が輝く朝も 吐く息すべてが白くけぶる、凍えるような夜も 見つけるたびに踏みたくなる霜柱や氷 凍ってしまってなかなか水がでない蛇口 空からの贈り物としか思えない雪 愛しい人のぬくもりが強く感じられるひととき 何気ないことにしあわせを覚えて 何気ないことがひどく愛しく思える だから、冬はすき でもね。一つだけ、嫌なことも、あるの それは… *** 「あ、あかねちゃんだ。おーい、こっちこっち!」 冷たい風に肩をすくめながら歩いていたあかねに、突然声がかけられた。振り向くと、蘭と天真が大きな荷物を抱えて手を振っていた。クリスマスの買い出しだろうか、袋からチキンの足らしきものが覗いている。 「蘭ちゃん、天真君!ふたり揃ってお買い物?」 街は年末ムード一色。あちこちでクリスマスソングが流れ、イルミネーションが 飾られる中、しめ飾りや鏡餅も店頭に鎮座し、年賀状をせかす声も聞こえる。年越し前の商店街はまさに戦場と呼ぶにふさわしい。 その人混みを、あちこち人にぶつかりながらどうにかすり抜けてあかねが天真たちのところへ駆け寄った。 「ああ、年末の買い出しだとさ。まったく、クリスマスだか正月だかしらねぇけど勘弁してほしいぜ」 「文句言わないのお兄ちゃん。こんなに可愛い妹がつきあってあげてるんだから感謝してよね…っと、あかねちゃんはどこ行くの?そんなにおしゃれしちゃって、このこのぉ」 「え、わ、私!?え…っと…その…友雅さんのとこに…」 白いコートにマフラーを巻いて、いつもより少し丈の短いチェックのスカートに、この間蘭と一緒に買いに行ったブーツ。いつものあかねとは違い、少しだけ大人っぽさを感じさせる。 あかねが視線をそらしてわたわたする姿を見なくても、これから彼女がどこへ行くかなんて問うまでもなく分かってしまうのだ。 「そうよね〜、なんたってクリスマスだもんね。聖なる夜は素敵な彼と一緒に過ご したいわよね」 「ら、蘭ちゃんっ。恥ずかしいからそんな大きな声で言わないでよ」 「いいじゃない、本当のことなんだから。そうだ、私からのクリスマスプレゼントとして栄養ドリンク買ってあげようか?」 「蘭ちゃーーーん!!何言ってるの、もう!」 「あははは、ごめんごめん」 仲の良い友達同士でじゃれ合うのは悪いことではないが、天真としてはその内容について聞くたび、どうしても苦い顔になってしまう。気持ちの整理はとっくに着 けた。あかねが納得した相手ならそれでいいと決めた。あかねが幸せでいるのなら、その隣にいるのが自分じゃなくても構わないと思えるようになった。 けれど、こうして友雅とのことでちゃかされて、怒りながらも少し照れて、それでいて嬉しそうな表情を見たら…意地悪の一つでもしたくなるというものだ。 「おい蘭、もうぼちぼち行かねぇか。あかねの鼻が寒さのおかげですっかりきっちりばっちりくっきり赤くなっちまってんぞ」 「あ…本当だ、ごめんねあかねちゃん。寒い?もしかして、風邪引いてるとか?ほ っぺたも鼻もこんなに赤くなっちゃって…」 からかわれた時の赤みはとっくに引いているにもかかわらず、あかねはほほも鼻も痛々しいほどに赤くなっていた。 「ううん。全然平気だからっ。コート着てるし、マフラー巻いてるし、風邪も引いてないし、うんうん。」 「そうかぁ?それにしては赤すぎるよな。まるで…」 「わー、わーー!!天真君そこまで!ストップ!それ以上言ったら年賀状出してあげないよ!!」 「…?どしたの、あかねちゃん。お兄ちゃんも」 突然慌てだしたあかねと、口元をにやつかせている天真に、蘭は少々困惑気味だ。しかし、なにやらあかねがからかわれていることだけは分かる。しかも自分には分からないネタで。 …気に入らない 蘭はまだにやついている兄のベルトをひっ掴むと、力一杯引っ張った。 「うわっ…ととっ。なんだよ、危ないじゃないか」 「お兄ちゃん、そろそろ行かないと、買い物終わる前に年が明けちゃうわよ。あかねちゃんも友雅さんに早く会いたいだろうしね」 「あっ、ごめんね蘭ちゃん。お買い物の邪魔しちゃって。」 「ううん、こっちが引き留めちゃったんだから。楽しい夜を過ごしてね」 「もう…ありがと。蘭ちゃんも天真君も、家族で楽しいクリスマスを過ごしてね」 それじゃあ…と言ってあかねは人混みの中に消えていった。押し合う人並みにもまれながら、それでもまっすぐに、友雅と少しでも早く会えるように、と。 「…で、お兄ちゃん。さっきあかねちゃんに何言おうとしてたの」 「んー?まぁ、ちょっとな」 「さっさと白状しないとお父さんたちにあること無いこと吹き込んでお年玉減らしてもらうわよ」 「なっ!きたねえぞ!」 「じゃあ教えなさいよ。」 「はいはい…」 こちらの世界は、とにかく人が多い。とくに最近は、この寒さにも負けず外出する者が多く、しかも大抵の人は大荷物を抱えてひいこらしている。見苦しい…とは 言わないが、人混みの不快感が増すことだけは事実だ。大声を出し、必死に客を引 き留めようとする店員、同じような曲ばかり流すスピーカー。少々派手とも思われ るくらい光輝くイルミネーション。 そのどれもがやかましく、不愉快に思えてしまう気がするのに、道行く人々の顔 がどこか楽しげに見えるのはこれから訪れる楽しい行事のせいだろうか。それとも 、自分がそれを待ちこがれているからだろうか… 「友雅さーん!ごめんなさい、待たせちゃいましたか」 「いや、私も先ほど来たばかりだから大丈夫だよ。この人混みでは大変だっただろう?誰かにぶつかったり転んだり店の商品をひっくり返したりしなかったかい」 「私、そこまで子どもじゃないですよ!」 あかねの頬がフグのように膨らむ前に、友雅はあかねをむぎゅっと抱きしめてしまう。突然の行動に、けれどあかねの反論はふごふごとくぐもって友雅まで届かな い。 「ふふっ、冗談だよ。今日のあかねが、いつもよりずっと可愛くて素敵だったからつい…ね」 「…照れ隠しに意地悪言わないでください…」 「仕方がないだろう?私は君に惚れているのだから」 耳元でささやかれる甘い言葉に、まったくもうと思いながらも嬉しくなってしまうのは、今日のために何日も前から用意していた服を友雅が気に入ってくれたからだろう。 「さ、いつもまでもここにいては体が冷えてしまう。行こうか」 「はい!友雅さん、どこに行くか教えてくれないんだもの。おかげですっごく期待しちゃってますからね」 「もちろん、期待にしっかり応えられるように頑張ったのだから、盛大に驚いてもらおうか」 「あーもう、気になるー。早く行きましょ」 「では、あちらに車を待たせてあるから。行こうか」 友雅が差し出した腕にあかねが腕を絡めるのを確認すると、ふたりは歩き出した。 琥珀を深く溶かし込んだような色の、一目で高級と分かる車両。 ドアは自動ではなく、運転手がわざわざ降りてきて開けてくれた。 スーツに白手袋をした男の人が、うやうやしくお辞儀をしてあかねが乗るのを待っている。 てっきりタクシーで行くのかと思っていたのに、どうもこれは、なにか違う種類の乗り物のようだ。 「と、友雅さん…これって…」 「まずひとつ、驚いた?さあ姫君、どうぞお乗り下さい」 友雅に促されてようやくあかねが車に乗り込み、ついで友雅も隣に座ってきた。 シートは車のものとは思えないほど座り心地がよく、ついあかねは革張りのそれをさすってしまう。内装も、車体カラーと同じように落ち着いた飴色をしておりあちこち視線をさまよわせてはため息をつかずにはいられない。 運転手が席に戻ってきて、車は動いたことを思わせないほど静かに滑り出した。 走り出したばかりなのだからいつもの見慣れた場所のはずなのに、窓の外を流れる景色がどこか違う場所のように思えて仕方がない。 「気に入ってもらえた?」 「すごい…です…こんな車、テレビでも見たこと無いですよ」 その言葉に満足そうに微笑むと、友雅はあかねを抱き寄せてこめかみに一つ、キ スを落とす。 「喜んでもらえたなら嬉しいね。ああでも…これの印象が強すぎてあとがお粗末に見えてしまうと困るかな」 「ううん、きっとこれからもっともっと素敵なことが起こるって気がするもの。大丈夫。それよりも、こんなとこでそんなコトしないで下さい!」 走っている車だから外から見られることは無いだろうが、直ぐ目の前に運転手がいるのだ。 しかも車にはバックミラーというものが存在する。後部座席は丸見えも同然だ。 「そんなコトとはどんなことを言うのかな。こちらの言葉はまだ分からないことも多くてね」 「うー、友雅さんのばか…」 「ふふっ。これ以上嫌われないうちにやめておこうか」 では…と、友雅はあかねの両目をその大きな手のひらですっぽり包み込んでしまった。 「え…友雅さん?」 「外の景色で行き先が分かってしまってはつまらないからね。しばらくの間我慢しておくれ」 突然目隠しをされて困惑したあかねだが、理由が分かれば落ち着ちついて友雅の肩に身を委ねてきた。その可愛らしい仕草に友雅はもう一度キスをしようとして……………何とか堪えた。あまりいたずらをしすぎてあかねを怒らせてしまっては、 今日という日が台無しになってしまったら意味がない。 肩に触れる暖かさ。そこから感じられる愛しい存在に友雅の顔はゆるみっぱなしだったが、その表情を運転手が見ることはなかった。なぜなら、最初のキスをうっ かりミラー越しに見てしまったため、同じくミラー越しに、友雅から背筋も凍るほ どに力一杯睨み付けられていたから。 甘い空気と時折向けられる冷たい視線。哀れな運転手は一刻も早く目的地に着きたくて、それでもスピードを速めることなく安全運転で車を走らせるのだった。 「さ、ついたよ。けど、まだ目を開けてはだめだよ。私が良いと言うまでは閉じたままでいておくれ」 「まだ開けちゃだめなんですか?」 「もう少しだけ、ね」 どのくらい走ったのだろうか。信号待ちとは違う感覚で車が止まり、ドアが開く音がした。 目をつぶっているため足元が分からず、少しだけ怖かったけれど、友雅が手を引いてくれたのであかねはこけることもなく無事に車を降りられた。後ろで役目を終 えた車両が走り去る音が聞こえる。 「転んでしまわないよう、しっかり私の腕を掴んで」 「はーい。ね、どこに連れてってくれるんですか?そろそろヒントの一つくらいほしいです」 「ヒント…ねぇ。そうだな、『君の笑顔が見たくて一生懸命頑張った』…かな」 「その言葉はとっても嬉しいんですけど…ヒントになってないです」 「そうかい?これ以上ないヒントだと思うんだけどね……と、そこ、二歩先から階段があるから気をつけて」 友雅の誘導に従って歩を進める。小さな段差や曲がり角、細かいところまでしっかり教えてくれるので不思議と不安無く歩くことができた。 どこかの建物に入るのが分かり、エレベーターに乗って上へと昇っていく。 チン…と到着の合図が聞こえて外に出た。どこかは分からない通路を歩いていると、コツンコツンとふたりの靴音があたりに響く。 建物ということはどこかのホテルなのか、レストランなのか。目を開けたらラブホテルでしたなんて日には力一杯殴ってあげようなどどあかねが様々なことを考えているとふと、友雅が歩くのをやめた。 「さあ着いたよ。でももう少しだけ目を瞑っていて」 ガチャリと扉を開ける音がして、数歩進むと一度止まるように言われた。何だろうとあかねが不思議に思っていると、いきなり友雅が足を触ってきた。 「きゃっ、何するんですか」 「いやね、靴を脱がないといけないから脱がしてあげようと。目を閉じたままブー ツは脱げないだろう?」 「事前にちゃんと言ってからして下さい!それに、自分で脱げます!」 まさか、靴を脱いで上がるところに行くとは思わなかった…多少ふらついてブーツを脱ぎながら、あかねは大いに後悔していた。 家を出る前にしっかり足は洗ってきたし、炭の力とかいうシートも引いてある。待ち合わせの場所までと、車を降りてからの間しか歩いていないから…たぶん、そ んなにしないとは思うのだが……どうしたって、臭わないなんて保証はない。そも そも今日は友雅の家に泊まる予定だったのだから、遅かれ早かれ脱がなければいけ なかったのだ。それをすっかり忘れて履いてきてしまった…ああ、今度から靴を脱 ぐか脱がないかは服を考えるときの最重要事項として刻んでおこう、と心の中で涙 ながらに決意するあかねだった。 「どうしたんだい、あかね。やっぱり脱ぎにくい?」 「いえいえいえいえ!一人で脱げます自分で脱げます、だから友雅さんはもう少し離れてて下さい!」 ブーツを脱いだ足が思っていたよう状態でなかったのは不幸中の幸いだろうか。 ペタペタとフローリングと思われる床を数歩進むと一度そこで止まるように言われ、がさごそと何かをしている音がしたあと、ようやく友雅からお許しがでた。 「待たせたね。それじゃあ、目を開けて良いよ」 「ん……わぁ…す…ごい…」 「驚いた?」 明かりはすべて落とされ、窓にも暗幕が張られ室内は真っ暗だった。 その暗闇の中を、無数の光の粒がきらめいている。 天井も、壁も、床も、ありとあらゆる場所が無数の光の粒によって彩られ、一瞬 、違う世界に行ってしまったかのような錯覚を覚えた。しかもじっとみていると、その光はゆっくり動いているようにも見える。 「宝石箱みたい……きれい…」 「あかねの方が、ずっときれいだよ。君の輝きを映してこんなにも光っているのかもね…」 「もう…友雅さんったら…」 あかねがうっとりと光の海に見入っていると、後ろから友雅が大きく手を回して抱きしめてきた。 耳元でささやかれた言葉に気恥ずかしさを覚えながらも、回された腕にあかねも手を添えて腕を絡める。互いが触れ合っているところから伝わるぬくもりが、なんだかひどく幸せな暖かさに思えて仕方がなかった。 そのまま暫く二人で光の海にたゆたっていたが、暗闇になれてきたおかげで部屋の様子もだんだんと見えてきた。ソファにテーブル、奥にテレビがあって、ダッシュボードの上には品の良い調度品が並べられている。 室内は暗くて、置かれた家具はうっすらと輪郭しか見えない。 けれど、あかねはそれらを見たことがあるような気がした。形、大きさ、配置の具合…そう、ここは…もしかして、ひょっとすると。 「あ…れ。ここ、友雅さんの家ですか?」 「おや、もうばれてしまったか。そうだよ、ここは私の家」 魔法が解けてしまったかな…と呟いて友雅がくすくすと笑った。 「ううん、とっても素敵。でも…友雅さんの家って、こんなに光ってましたっけ?」 「いや、いつもは電気を消しても真っ暗だけどね。…ああ、大丈夫。君の素肌の白さはいつでも輝いて私の目を楽しませてくれているから」 「そんなよけいなことはいりませんから!」 「あはは…痛いよ、あかね。悪かったから」 「もう少しふつうに会話できないんですか、まったく」 目ををつり上げて睨み付けようとしたけれど、後ろ向きに抱きかかえられていてはそれもできない。 仕方がないのであかねは目の前にある友雅の手をムニムニと摘み上げることで反撃するが、その愛らしい仕草が余計に友雅を楽しませていることになっていることに、あかねだけが気づいていなかった。 「プラネタリウム…というのだっけ。夜空の星々を、偽りではなく本当に触れられるほど近くに持ってきてくれとは、なんとも不思議な装置だね」 「これ、プラネタリウムなんですか!?そういわれてみると、あれは…天の川?」 あまりに投影された星が多いため、星座を探すこともできないが、特に星が集中した部分が天井から壁にかけてうねるように映っていた。夜空にかかる、水無き川。 「すごい…本当に素敵です。友雅さん、ありがとう」 「こんなに喜んでもらえるなら、ずっとこのままにしておこうかねぇ」 「それもよさそうだけど…ううん、やっぱりだめ。友雅さんの顔がよく見えないもの」 「そうだね。私もあかねの笑顔ははっきりと見たいね。ただ…この装置、照明を外してつけているから、元に戻すのは明日になってしまうけれど…いい?」 「うん。じゃあ、離れちゃうとどこにいるかわからなくなっちゃうから、ずっと傍にいてね」 「もちろん。君の望みはすべて叶えるよ」 夢見るような満点の星空の下、ソファの上。 ゆっくりと巡り動く星を見つめながら、聞こえるのは互いの鼓動と吐息だけ。 友雅の膝の上に座るようにしてあかねは抱きかかえられていた。 友雅は食事も作ってくれていた。ろうそくの灯りを頼りに食べる光景は、京の世界でのことを思い出すかのようでなんだかとても懐かしかった。 パイ皮をかぶせたマグの中にはシチュー、ウインナーとピーマン、玉葱、チキンのごくシンプルなナポリタン。メインディッシュのローストチキンは、香草の香りと鶏の旨みが合わさった見事な一品だった。惜しくらむは焼くのに失敗して表面が黒焦げ状態になっていたことだろうか。けれど焦げだけ除いて食べたら何も問題はなかった。食べる部分はが少々なくなってしまったこと以外は。 このメニューは、以前あかねが『クリスマスに食べるならこれ!』といういかにも定番中の定番はなんだろうかとあれこれ考えていたときに作り出されたものだ。他にも大晦日の年越しそば、お正月の雑煮、焼き餅、おせちに七草がゆ、バレンタインはチョコレート、ホワイトデーのお返しはキャンディー。桃の節句は甘酒、ひなあられ、潮汁。端午の節句は柏餅。土用の日はウナギ。夏といえばかき氷にアイスキャンディー、祭になればわたあめ焼きそばリンゴ飴。秋は焼き芋お月見団子、巡って冬にコタツでみかん。誕生日のケーキは絶対ホールじゃなきゃ駄目なの!…と。まあ、非常にお腹が空いていたと思われるときの、何気ない会話。 そんなコトも覚えていてくれたのかと思うと、あかねの胸は喜びでいっぱいになってしまうのだ。 そうやって、さりげないところで友雅はいつも優しい。 優しすぎて、胸が切なくなってしまうほどに。 「ねえ、友雅さん。クリスマスってどういう日だか知ってる?」 「おや、こちらの世界についての試験かな。…そうだね、イエス・キリストが生誕した日?」 「それもそうなんだけど、そっちじゃなくて」 「『赤い服を着たサンタさん』が『ピカピカ光る赤い鼻をしたトナカイ』にのって子どもたちの靴下にプレゼントを入れていくってほう?あかねが教えてくれたんだよね」 「うん。そう。正解でーす」 ごほうび、と友雅の頬に軽くキスをすると、あかねはそのまま友雅の首筋に顔を埋めてじっと押し黙ってしまった。何やらいつもと違う様子に友雅は訝しみながらも、あえてせかさずあかねの背中をゆっくり上下になでてやる。 「あのね…私、冬は嫌いじゃないの。寒いのは苦手だけど、ほっぺたとか、鼻の奥とかがきーんとするくらい冷えた空気って、好きなの」 「ほう…凍てつく空気を好むとは、あかねも風流だね」 「風流ってほどじゃないですけど。でも、冷たい風が嫌になるときもあって…とくにこの時期は」 「寒いから?」 「ううん、そうじゃなくて…」 あかねの手が、友雅の頬に触れる。ムニムニと引っ張ったり、むぎゅうと摘んだり。 突然してきた赤子のような行動に一瞬驚くも、友雅はそのまましたいようにさせてあげた。けれどお返しにあかねの頬を指先でぷにぷに突いたり、手のひらでぐりぐりこね回したりすることは忘れない。 「ふふっ、友雅さんの手って、大きくて温かくて、大好きです」 「あかねのこの小さな手も、とても温かいよ。…頬に、何か気になることでも?」 「ほっぺたもそうなんだけど…それよりこっち!」 「むぎゅ!」 いままで頬をいじっていた手が素早く動き、わずかな星明かりの中でも正確に友雅の鼻を摘み上げた。 そうして、反対の手で自分の鼻先をさわる。 「私ね、寒いところにいると直ぐに鼻が赤くなっちゃうの。どんなに暖かい格好をしてても、冷たい風がピューッて吹くとね、風邪でも引いたみたいに真っ赤に」 「それが…嫌なの?」 摘まれたままの鼻ではくぐもった鼻声しかでてこず、いつもの艶っぽさのかけらもない友雅の問いにあかねは吹き出しそうになりながらこくりとうなずく。 「ちっちゃいころからそうだったから、親戚の人たちやクラスメイトなんかによく『赤鼻のトナカイさん』って呼ばれて…みんなの笑い者のトナカイと一緒なんていやだなーなんて、思ってたの」 「そう…。私は、あかねの赤く色づいた頬もお鼻も、とても愛らしいと思うのだけれどね」 「ありがとう、友雅さん。…今はね、もう高校生だからからかってくる子もいないし、好きで鼻が赤い訳じゃないのは私と一緒なのにいやだなんて思うのはトナカイさんに失礼だなって思うから割と平気なんだけど、昔はね」 「なにか嫌な思い出でもあった?」 「嫌というより、笑い話なんだけど。クリスマスの歌の中で、赤鼻のトナカイさんはサンタさんにぴかぴか光る鼻が役に立つよ、暗い夜道を照らしてくれるからって、言ってくれるでしょ。歌の中のトナカイさんは光る鼻でサンタさんの役に立てるけど、私は赤くなるだけで光りもしないから…なんの役にも立てないわって、落ち込んだときとか…あって。あはは、笑っちゃいますよね」 天真にからかわれるまで、今年はすっかり忘れていたのだ。サンタクロースがあわてん坊だったり背が高かったり恋人だったり、お供のトナカイは鼻が赤くてぴかぴか光って、ちょっぴり笑える楽しいクリスマスを純粋に楽しめていた。 けれど、思い出してしまった。友雅はいつも優しくしてくれる。たくさん自分を愛してくれる。その気持ちに、ちゃんと応えられているのだろうか。京の世界で神子と言われていたときだって、自分はいつも無力だった。鬼の一族と京の人たちとのしがらみもどうにもできなかった。怨霊退治の時も後ろで応援しているだけ、龍神を呼んで京を救ったなんて言えば聞こえは良いけど…それしか出来ることがなかったから、やっただけ。 龍神から帰って来れたのも、蘭を無事に助け出せたのも、お札や四神を集められたのも、八葉のみんなや藤姫や、友雅のおかげ。 こちらの世界に友雅を連れてきてしまったことも本当はよくなかったのかもしれない。 あかねが生きてきた月日よりも、倍近く過ごした世界。帝の懐刀と呼ばれ宮中の華と呼ばれた人。京を救った褒美として昇進も約束されていたと聞いた。なのに…そのすべてを捨てて友雅はあかねと共にこの世界へとやってきた。 「私は清浄なる神子殿に懸想した罪人だからね…君の世界にかくまってはくれまいか」 私が京に残ると告げた夜、友雅さんは笑ってこう言ってくれた。けど、私の元の世界を捨てきれない気持ち…友雅さん、解ってたんじゃないかな。だからあんな言い方をして、私が傷つかないようにしてくれた。 私…友雅さんにしてもらってばっかり。 こんな私が…友雅さんの恋人でいいのかな…。 どんどん暗くなっていくあかねの思考を断ち切ったのは、友雅からの突然のキスだった。 啄むように、何度も何度も重ねられる唇。熱い舌先があかねの唇をなぞるように動いてくるが、それ以上奥へは行かず、いたわるように唇だけを濡らしていく。 「あかね、君はいつだって輝いていたよ。京で初めて会ったときから、ずっと。今も、この一面の星の海の中において、ひときわ輝く真珠のように、優しく光っている」 「でも…私…」 「君がいてくれたから、初めは仲の悪かった八葉もだんだんとうち解けることが出来た。穢れに呑まれそうになっていた京も救うことが出来た。いつも君は、私たちの行く道を照らしてくれた…そう、サンタクロースの行く先を照らすトナカイのようにね」 その言葉に、俯きかけていたあかねの顔がはっと上がった。 あかねの鼻にまたひとつ、唇を落として、友雅は再び語りかける。 「君に会うまで私は闇の中にいたも同然だった。この世は退屈で空虚なものだと思いこんでいた…まるで、目を瞑っているかのようにね。けれど、君はそんな私の目を開かせて、世界はこんなにもすばらしいものだと思えるようになったのだよ。愛する人のいる世界は…こんなにも光り輝いているのだと…」 「友雅さん…私、友雅さんの光に…なれて、いますか?」 「もちろん。君以外の誰も、私の光になれはしない。今までも、そしてこれからも。正直なところ、あかねがいないと私は何も出来ないのだよ。こちらにも無理を言って連れてきてもらったし…いつか、私のことが重荷になって離れていってしまったらどうしようと…そんなことばかり考えてしまう夜もあるよ」 友雅の、普段は聞けない本音。あかねが思っているのと同じように、友雅もまた不安だったのだ。 ふざけ合って、じゃれ合って、言葉を、身体を、いくら重ねても拭えない不安。 相手を信じていないわけではない。信じられないのは、己の心。 けれど、互いの不安を知った今なら…友雅も、あかねも、恐れにもにたそれを抱え合っていると分かった、今なら… 「ね、友雅さん」 「なんだい、あかね?」 「恋人はサンタクロースっていう歌もあるんだし、私が行く道を照らしてひっぱって行ってあげる相手は友雅さんよね。ちゃんと光って導いてあげるから…役に立つよって、ときどきで良いから…褒めて、くれますか?」 先ほどまでの落ち込んだ様子ではなく、いつもの明るい調子で訪ねてくる声。 役立たずなんかじゃないと、何かひとつでも出来ることがあれば。たとえほんの少しでも、愛しい人が幸せになってくれれば…それだけで、自分はこの世で一番の幸福者になれるのだ。 「もちろんだよ。子どもたちに夢を運ぶサンタを、ちゃんと導いてあげるトナカイさんこそは幸せの使者。あかね、君は私に幸せを運んできてくれた…今度は私が君を幸せにしてあげる。この身のすべてと、あなたの輝きにかけて、それを誓うよ」 「私も…私が友雅さんを好きな心と、友雅さんが私を想ってくれている心にかけて、誓います。これから先、何があってもずっとそばにいますから。ずっとずっと、友雅さんのこと、好きでいますから」 「愛しているとは言ってくれないの?」 「もう…もちろん、愛してます。いっぱいいっぱい大好きで、言葉に出来ないくらい愛してて、離れたら息が出来なくて苦しいくらい…私の中にいるよ、友雅さんは」 初めから、不安になることなど何もなかった。ただ信じればよかったのだ。 自分の心と、なによりも、自分を想ってくれる相手の心を。 友雅があかねの肩を抱きしめ、顔が近づいてくるのがわかった。口付けを受け止めようとあかねがゆっくり目を閉じる。互いの吐息が近づいてきて、唇が触れ合う前の一瞬の、ちょっぴり気恥ずかしい気持ち。 「みぎゃ!と、友雅さん、なにしてるんですか!」 けれど、触れるかな、と思ったところとは違うとこが触れられて、あかねは驚きのあまりなんとも珍妙な声を上げてしまった。 「なにって、私の大切な道しるべのメンテナンスだよ。きちんと手入れしておかないと曇ってしまうからね」 「だからって、鼻に噛みつかなくたって……んっ」 てっきり口付けをされるのかと思っていたのに、友雅はなんとあかねの小さな鼻にかぷりと噛みついてきたのだ。おまけに丁寧に、それこそ手入れをするかのように、何度も何度も鼻の先端から眉間のあたりまでを舌でなぞり上げる。 「やだっ、も……だめですって…」 「そういえば、あかねは寒いと鼻が赤くなってしまうのが嫌だったね。私がしっかり暖めてあげるから安心おし」 「今は寒くないし部屋の中だから…全然平気…暗くて見えないし……ひゃん!」 友雅が今度は耳たぶにぱくりと噛みついてきた。ぴちゃりと水音が響いて耳の中も丁寧に舐めくすぐってくる。その間に友雅の手はあかねの服の隙間から素肌へと進入し怪しすぎる動きを見せ始めていた。 「私には見えるよ…耳も頬も鼻も、とても綺麗に色づいている。知っているかい、赤く色づくということは果実が熟すのと同じこと。今が食べ頃だと教えてくれているのだよ…あかねの身体が、私にね」 「食べ頃って、さっきと話が違ってきてませんかっ…やぁ…だめっ…」 「あぁ…ここも、そしてここも…困ったな、どこもかしこも色づいて、誘惑されているようだよ…」 「誘惑なんてしてませんって!やだっ、もー、せめてシャワー浴びさせてー!!」 *** 直ぐに赤くなる鼻がいやだった 赤鼻のトナカイだとよくからからわれるから でもいまは あの人を導く印だと思えるから ちょっぴり誇らしいとか思えてしまう もちろん 他の人には言わないけどね けど… 赤くなるのが誘ってるって、それじゃあ私冬の間ずっと発情してるみたいじゃない! 友雅さんのバカバカ!変態! *** 「あかね、昨夜の傷跡が痛むのだよ…消毒してはくれまいか?背中と肩では付けづらくて…」 「とっ、友雅さんがあっちもこっちも『食べて』くるからです!自業自得!因果応報!」 「仕方がないだろう?あかねもいつも言っているじゃないか、残さず食べなさいって…エコロジーだよ。地球に優しいねぇ」 「友雅さんのはエコロジーじゃなくて『エロジジイ』っていうんです!バカーーーー!!」 「あぶなっ…あかね、薬箱の中身を投げてくるのはやめなさいっ、わっ!っと…なんのっ…んがっ!!」 Happy Merry Christmas…? |
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戯れの宴 / 橘 深見 様 |