Trick or Trap?

= Trick or Trap? =





 龍神の神子が、左近衛府少将の北の方となったのは、僅か四月前
 神泉苑で鬼との激戦に勝利した直後。


 少将は、神子に後盾がない事を、都合の良い理由にし
 強引とも取れる早業で自邸に連れみ、蜜月を満喫していた。





 月夜の美しい夜、友雅は牛車から降り、自邸の門の前で大きな溜息をついた。

 「やれやれ今宵は思いの他、遅くなってしまったな。
  月の姫は、もう夢路を渡っているだろうか?
  一人で往かせるなど、私も甲斐性がないねぇ」

 自業自得である。
 あかね愛しさのあまり、物忌み・方忌みと以前の倍近くも、出仕しない上
 来たら来たとて、仕事を早々に片付けると 【部下に押し付ける事も度々で】
 真っ直に屋敷へと帰って行くのだ。
 そんなこんなだから、仕事は確実に滞っていく。
 溜まりに溜まった仕事を真面目にこなすと、深夜まで掛かるのは当然の結果。


 しかし友雅の溜息の理由は『仕事が辛い』のではなく
 あかねが眠ってしまっている事、に他ならない。


 いくら友雅でも『寝ている幼妻を起こしてまで』なんて無体な事は出来ない。
 しかし、起きてしまった場合は『仕方がない』らしいので 【オイオイ】
 色々と策を弄し、あかねの目を覚まさせ様と試みるのだが
 彼女の眠りは深く、一度眠ると中々目が覚めないのだ。
 まぁ、それも自業自得な訳で
 普段は、誰かさんの所為で夜、寝る事もままならないのだ。
 身体の自衛本能が、眠れる時に寝る様になってしまっているのだろう。 


 それでも、一分の望みを賭け閨に行こうとした時
 思いもかけない光景を目の当たりにして、息を呑んだ。
 あかねが渡殿に腰掻け、月を眺めている。
 しかしその眼差しには、いつもの様な愛くるしさはなく、どこか儚く物憂げで
 今にも『弱竹のかぐや姫』の如く、月光と共に消えてしまいそうだ。
 友雅の背筋に寒気が走り、身体が凍る。


 彼はよく理解しているのだ、犯した罪の深さを。
 自分の元に、京に残るという選択で、どれ程の物をあかねから奪ったのか。
 自分の世界、両親、友達、そして共に京に来た大切な仲間さえも
 そして、これから手に入れられたであろう、自由な未来を。


 友雅とて、あかねの世界に行く事も考えなかった訳ではない。
 京や自身の身分に何の興味のない、行く事は容易い。
 しかし、行った時どうなるのか、保証がなかった。
 自分一人なら、何とでも出来よう
 だが、あかねに生活の負担を掛ける事は、プライドが許さない。
 あかねが側に居てさえくれれば、そこは何処でも桃源郷だ
 だけど、愛や夢だけで糊を口にする事は出来ないのも良く分かっていた。


 だから京に残る選択をさせた、それは自分の我侭だ。
 こんな独り善がりな我侭が、いつまでも押し通せる訳がないとも思っていた。
 いつか罰を受け、あかねが消えるかも、月に帰るかも、龍神に連れ去られるかも

 (…もし、あかねが『帰りたい』と言ったら、私は狂気に支配されるだろう…)

 泣き、喚いて、叫んでも、口を塞ぎ、身体を縛り、自由を奪って、塗籠に閉じ込めてでも
 手放す事など出来ない程の、人ならざる狂喜に。



 一歩、足を進めると渡殿が微かに鳴った。
 その音で、あかねは友雅の存在に気が付いた様だ。
 月から視線を友雅に移すと、いつもの様にニッコリと微笑む。

 「友雅さん、お帰りなさい。 こんな遅くまで、お仕事ご苦労様でした」

 彼女の笑顔一つで、今迄の闇の様な思考が霧の如く消えていく。
 友雅はあかねの背後に座り、確りと抱き寄せる、その存在を確かめるかの様に

 「こんな夜更けまで、私の帰りを待っていてくれるなんて。 嬉しいよ、あかね」
 「それもあるんですけど、あまり月が明るくて綺麗で、眠れなくて」
 「おや、独りで月見とは寂しいだろうに・・・一体何を考えておいでだい、月の姫?」
 「・・・明日は、ハロウィンだなぁって思って」
 「はろうぃん?」

 たまに出て来る、あかねの世界の不思議な言葉。
 友雅はそれを聞く度、思わず幼子の様に聞き繰り返してしまう。


 その仕草をあかねは、少々不謹慎ながら、嬉しく思っていた。
 友雅が、自分を京に留めた事を気に病んでいるのは知っている。
 いくら『私が決めて残ったんです!』と言っても、大人の彼が素直に思えない事も。
 だから、なるべく現代語は使わない様にしているのだが、こんな風に不意に出てしまう。
 すると彼は、子供の様に首を傾げる。
 その姿がなんとも可愛らしく、友雅が唯一自分だけに見せる
 屈託のない困惑の表情で、嬉しくなるのだ。

 「ハロウィンって言うのは、10月31日の私の世界のお祭りで
  う〜ん、大雑把に言うと『お盆』みたいな行事・・・かな」
 「お盆・・・盂蘭盆会の事だね。 あれが、祭りになるのかい?」
 「元々は、霊を弔う宗教行事なんですけど、今は、子供が好きなお祭りなんです」
 「???」
 「子供達がお化け…えと、怨霊みたいな格好をして、家々を回って
  『Trick or Treat!』と言うと、お菓子を貰えるんです」
 「なるほど、菓子を貰える祭りなら、子供は喜ぶだろうね。
  で、『とりっく おあ とりーと』とは?」
 「『お菓子をくれなきゃ、悪戯するぞ!』って意味です」 

 友雅は言葉の意味の凄さに、思わず破顔した。

 「ははは! 脅迫だね、ソレは」

 暫く笑っていたのだが、腕の中のあかねが眠そうに目を擦るのを見て、そのまま抱き上げた。

 「友雅さん?」
 「さぁ、そろそろ寝ないと、夢路を渡る前に朝が来てしまう」


 友雅はあかねを褥に降ろすと、自身の腕を彼女の枕にし胸元に抱き寄せ
 横臥の姿勢にして、衾を身体に掛ける。
 それはいつもの眠姿勢…しかし、後朝の姿勢なのだ。
 あかねが不思議そうな顔をすると、友雅は眼を細めながらその疑問に答える。 

 「今日は楽しい話も聞けたし、もう夜も遅いからね、あかねも眠いだろう。
  ・・・物足りないなら、朝まで寝かせてあげられないけど、どうする?」 

 色を含んだ言葉にあかねは頬を染め、慌てて衾を引き上げ顔を隠す。
 やがて、ゆっくりと襲い来る睡魔の波に揺られながら、先程の話を繋ぐ。

 「・・・子供・・・だけじゃなく・・・大人だ・・・って・・・お菓子・・・貰える・・・です
  私・・・も・・・沢山・・・・・・貰っ・・・て・・・・・・」

 友雅はあかねの髪を撫でながら、言葉を返す。

 「あかねは、甘い物が好きだからね」
 「・・・うん・・・好き・・・甘いの・・・
  でも・・・・・・とも・・・ま・・・さ・・・さん・・・が・・・いち・・・ば・・・ん・・・・・・す・・・・・・」
 「・・・あかね?」
 「・・・・・・」

 答えはなく、代わりに穏やかで規則的な寝息が聞こえてきた。

 「最後まで言ってくれないのかい、つれないねぇ」

 その桜色の柔らかな髪を指に絡め弄びながら、耳元で甘く囁く。
 普段なら真っ赤にして反応が返ってくるが、今は

 「ん〜」

 と、くすぐったそうに微かな声を上げるだけで・・・。
 そんな、あかねの幸せそうな寝顔と、腕の中にある確かな温もりに包まれて
 友雅の心を蝕んだ兇器の様なドス黒い感情は、もう何処にもない。


 しかし、こうも無防備に安らかな顔をされると、なんだか歯痒くなってくる。
 一番安全な場所、しかし、あるイミ一番危険な場所
 友雅の心に、狂気とは正反対の黒い感情が頭を擡げて来る。


 先程、あんなに自分を奈落の底に叩き落しておいて 【勝手に堕ちたくせにっ!?】
 今も最後まで、睦言を紡いでくれず 【寝て良いって言ったじゃないっ!?】
 こんな愛らしい寝顔だけを見せて、焦らすなんて 【一体、どうしろと!?】

 「・・・はろうぃん・・・ねぇ」

 友雅の目許に、邪悪な策略を思い付いた様な笑みが浮ぶ。
 あかねがその表情を見なかったのは、幸か不幸か。





 翌日あかねが目を覚ましたのは、昼前の事。
 当然、友雅は出仕してしまっている。
 あかねの起きた気配を感じて、女房が御簾内に入ってきて、彼女の仕度を手伝う。

 「友雅さん、起こさなかったんだ」

 ポツリと零すと、女房が不思議そうな顔をする。

 「殿が『北の方は、疲れるだろうから、ゆっくり寝かせておくれ』と言われたのです」

 いつもの事で、女房も心得たもの
 あの友雅に愛されたあかねが、早くに起きられる訳がないのだ。


 その言葉に、こんどはあかねが首を傾げる。
 いつもはそうだろうが、昨夜は何もなかったし
 普通このパターンだと、朝から起こされて何かされる筈なのに。

 ・・・何故か、嫌な予感がするのは気のせいだろうか・・・





 
 その夜、友雅はいつもの時刻に帰ってきた。

 「ただいま、あかね」
 「お帰りなさい、友雅さん」

 あかねは、いつもの様に友雅の腕の中に飛び込んだ。
 いつもなら、そこから自分の膝に座らせ、後から抱すくめる友雅が
 今日はあかねを正面に下ろし、対峙する様に座らせた。

 「?」

 慰撫傾げるあかねに、友雅は笑顔で答える。

 「今日は『はろうぃん』なんだろう。 呪い(まじない)の言葉を言ってくれまいか?」
 「えっ?」
 「さぁ」

 あかねは戸惑いながらも、その言葉に従う。

 「Trick or Treat!」

 すると、友雅は懐中から小さな桐の箱を取り出し、あかねに手渡した。

 「・・・これは?」
 「開けてごらん」

 言われるままに、箱を開けると、中にはカマンベールチーズの様な白く丸いモノが
 だが、チーズとは違い、甘い香りが漂ってくる。

 「友雅さん、これ?」
 「『蘇(そ)』と言ってね、牛の乳を煮詰めたものなんだ。
  特別に帝から賜ってね、甘いから食べてごらん」
 「えっ、でも、友雅さんが戴いた物でしょう?」
 「私は甘い物は好きじゃないし、それに『悪戯されては』堪らないからねぇ」

 昨日の今日で用意するとは、大変だったろう。
 自分を寂しがらせまいと、慈しんでくれる友雅の優しさが、今はただ素直に嬉しかった。

 「有難うございます、友雅さん。 頂きます!」

 蘇を適当な大きさに千切り、口に運ぶ。
 口の中でほろほろと崩れ、まろやかな甘さが一杯に広がる。
 牛乳を煮詰めた物なら乳製品だろうが、その味はチーズより
 寧ろ、ベイクドチーズケーキに近い甘味だった。

 「美味し〜い♪」

 思わず、心からの賛美が漏れる。

 「それは良かった、日持ちするものじゃないからね。
  食べてしまわないと、傷んでしまうよ」
 「えっ、そうなんですか!?」

 出来るなら、少しずつ楽しみたいのだが、駄目になっては元も子もない。
 元々、量があるものでもなく、全部食べるのにそれほど時間は掛からなかった。


 久しぶりに甘い物を満喫できて、乙女独特の幸せ〜♪な気分に浸ってるあかねに
 友雅が牙を剥く。

 「あかね 『とりっく おあ とりーと』」
 「えっ?」

 咄嗟に言われた言葉の意味を反芻する。

 「今日は『はろうぃん』なんだろう? 大人も菓子を貰える、と言っていたね。
  『とりっく おあ とりーと』 お菓子をくれないと、悪戯するよ!」

 実際、コレは只の台詞で、お菓子を貰えない事はないので、悪戯をする事はない。
 もし貰えなくても、本当に実行する者はいないだろう。
 だが相手は友雅だ、彼の『悪戯』とは何か・・・考えるまでもない。

 「えっ、えっ、えぇ〜っ!!
  何で、食べ終わる前に言わないんですか!?」
 「私が欲しいのは、あかねが用意した菓子だからね」

 無理を言う、現代と違い京では甘味材は貴重なのだ。
 屋敷から出る事の殆どない、あかねに用意できる筈もない。
 そもそも、ハロウィンをやろうなんて思ってもなかったのだから。
 『余計な情報を教えてしまった』と悔いても後の祭り。

 「あかね、菓子は?」
 「うっ・・・・・・・・・ありません」

 意地悪〜っ!って感じの涙目で睨み付けると、友雅が艶っぽく微笑む。

 「じゃぁ『悪戯』させて頂こうかな?」

 そう言うと、その場であかねを組敷いた。

 「ええっ、ここで!?(//////)

 そこは、御簾一枚を隔てて、直ぐに渡殿がある場所だ。
 屋敷の奥の北対とは言え、誰かが来たら分かってしまう。
 あかねの考えは、総てお見通しなのだろう、友雅が耳元で囁く。

 「大丈夫、人払いをしてあるからね、誰も来ないよ」
 「! いつの間に、そんな手配をしてるんですか!?」

 全くこの手管の早さには、厭れを通り越し賞賛に値できる。

 「昨夜、独りの月見は寂しかっただろう?
  だから、二人っきりでの月見を楽しみたくてねぇ、心行く迄・・・ね」
 「こんな体勢じゃ、月なんか見れませんっ!」

 思わず正論を述べてみるが、その程度で今の危機回避に繋がろう筈もなく

 「おや、あかねは天の月を見るつもりかい?
  ここに『月読』が居るだろうに、私は『桃源郷の月』を愛でる事にするよ」
 「っ!?」

 ぬけぬけと言い放つ友雅の貌を見て、あかねの背筋にゾクリと粟肌が立つ。
 こんな表情の時は、この男、本当に際限がないのだ。

 「・・・また、寝不足なっちゃう・・・」

 ポツリと愚痴を零す幼妻に、夫から残酷な一言が

 「明日は物忌みだから、ゆっくり眠れるさ」
 「・・・嘘、そんな話、聞いてません!」 (物忌み? 冗談じゃない!?)

 今日で明日がそれなら、昼が回っても起きられないのは確実で。
 起きられる様になっても、褥から出してもらえない可能性だってあるのだ。
 そして更に、止めの一言が

 「だから今日は、ゆっくり寝かせてあげただろう?」
 「!」

 そう確かに言っていた『疲れるだろうから』と『疲れ』ではなく『疲れ』と言ったのだ。


 総ては、巧妙に仕組まれた罠で、堕ちた兎に逃れる術はなく
 後は虎がゆっくりと食事を賞味するだけ。
 友雅にとって世界で一番甘いモノ・・・・あかねと言う名の菓子を




 呼吸も絶え絶えの生贄の仔兎に、不意にあるフレーズが浮んできたのは
 虎が一通りの味見を終え、本格的に喰み始めた刹那
 
 

Trick? or Trap?


 
最初「Trick or Treat」かと思っていたら、綴りが違う?って事に気が付いて
「Trick or Trap?」・・・トラップ、罠、ねぇ
友雅の罠は、強引ではなく承諾を得てヤル(ヤルとか言うな!)って事で
承諾の得方が、黒い大人丸出しですが (^_^;)

「蘇」ですが、修学旅行で京都に行ったとき食べた事があります
・・・すみません、私には味気のないチーズでした (-_-;)
姫君主義/セアル 様