夕暮れにたたずむあなた

= 夕暮れにたたずむあなた =





「ーこうしていると、まるであなたに抱かれているようだよ・・・」




鮮やかな夕暮れの中


あの人はそう言うと


ーとても綺麗に、微笑んだ。






それは、この京と呼ばれる都に遥かな時空の世界から舞い降りた
竜神の神子と呼ばれ、その身に類まれな神気を宿す少女ー元宮あかねが
自らを守る八葉と共に戦った、鬼との戦いからようやく一月ほど経ったーある晩秋の夕刻

この世界では、実家と言っても過言ではない程馴染んだ広大な左大臣邸の渡殿を
あかねはいつものーこの世界の身分高き姫にはありえない軽装ー水干姿で
パタパタと、軽やかな足音を発てて小走りに渡ろうとしていた。
まだ肩につかないくらいの色素の薄い短い髪が、その動きに合わせてさらさら揺れている。
そして、同じく若草色の大きな瞳はきょろきょろと何かを探していた。

「ん〜〜〜??・・・・・・おっかしな・・何処に行ったのかな・・・?」
あかねは小首をかしげ、西へと沈みかかる太陽に紅く染められた
微かな風にさわめく、美しく手入れの行き届いた園庭へとぐるりと視線を巡らした。
そして

「あ」

思わず出てしまった言葉を引き止めるかのように、口へ手を当ててこくんと言葉を飲み込む。
その視線は夢絵巻物にでも出てきそうな
現実から切り取られた光景に引き寄せられて、外す事ができなくなっていた。

ーまるで紅玉を水へ溶かして染め上げたかのように、紅く染まった園庭にたたずむ
周りの景色と同じように夕陽に映える、扇を手にした背の高い公達


均整のとれた逞しい体に華やかな直衣を纏い、すっと姿勢の良い立ち姿に
艶のある漆黒の絹糸のような、緩やかに波打ち流れる長い髪
見るもの全てを惹き付けてやまない、深い翡翠色の瞳
微かに笑みを浮かべた口元
扇を持つしなやかな、指

ー全てがため息が出るほどの、妖艶さを醸し出していた。

いつものように胸元を着崩した直衣姿なのに、決してだらしない印象がしないのは
彼が持つ華やかで、それでいて艶のある独特の雰囲気のせいだろうか。
ーそんな紅く染まり沈み行く陽を、身動き一つせずに見つめるその姿は


・・・・本当に悔しいくらい綺麗・・だよ、ね・・・。


あかねがあまりの幻想的な場面に、思わずため息混じりに心の中でそう呟いたとたん
まるでその声が聞こえたかのように「彼」ー左近衛府少将 橘友雅は、
ふっと視線を巡らし、あかねを見やるとふわりと見惚れてしまう程の綺麗な微笑を浮かべた。

「ーやあ、私の月姫」

「・・・友雅さ、ん・・・」

いつまで経っても慣れない低い良く通る甘やかな友雅の声に、さあっと朱を散らしたかのように
頬を紅く染めたあかねは、火照る頬を両手で押さえつつ
ここが、夕日に紅く染まった場所でよかった・・と心から思わずにいられなかった。
友雅は、そんなあかねの様子み笑みを浮かべ
優雅な、それでいて鋤を感じさせない足取りであかねの前まで近づくと
「どうされたのかな・・?」
あかねが立つ渡殿のほうが若干高い為、友雅があかねを見上げ可笑しそうにそう言った。
「あ、あの夕餉の支度ができたので、呼びに来たんです・・!」
常とは違う自分を見上げる秀麗な友雅の顔に、胸の鼓動が早くなることを押さえられないまま
あかねはそれを誤魔化すかのように、慌てて言う。
友雅はくすりと笑いを零すと
「ああ・・それで、わざわざ探しにきてくれたのかい・・?それは、申し訳ないことをしたねえ」
「いいえ、いいんです。・・だって、せっかく一緒にお食事ができるんですから・・。」
嬉しそうに微笑んで、そう言葉を口にするあかねを友雅は目を細め見つめた。
その表情は、これまでの友雅を知っている人物が見れば
驚愕のあまり、魂が抜け出てしまうのではないかと思われるくらい、蕩けそうだった。

「・・だから、ね?ー早く行きましょう?」
少し恥ずかしそうに言って、首を微かに傾げて友雅を見るあかねの色素の薄い髪が
さらさら揺れ動く。
「ああ、そうだねーしかし」」
友雅はそう言いながら手にした扇を袂にしまうと、両手をすいっと伸ばし
「えっ?!わ、きゃっ・・!!」
瞬間、あかねの体がふわりと宙に浮いて
あっという間にその体は、軽々と友雅の腕に友雅の片腕に腰掛けるように抱き上げられていた。
思わず友雅の首筋辺りへ慌てて両手をやり、あかねは友雅へしがみ付く格好になってしまう。
艶やかな緩やかに波打つ髪が、あかねの華奢な手に触れ
とたん、ふわりと友雅が身に纏う侍従の香りがあかねを取り巻いた。

・・・・相変わらず、良い香りだなあ・・

自分の今現在の立場を、一瞬忘れて素直にそう思ってしまう。
しかし
「・・・っじゃなくて、友雅さんっ!」
はたっと現実へ舞い戻るとあかねは自分を抱えたまま、まるで重さを感じさせない足取りで
すたすたと庭先へ歩き始めた友雅へ、慌てて強い口調で呼びかけた。
友雅の片手に腰掛けているため、あかねの方が視線が高いので友雅を見下ろした形になる。
友雅はそんなあかねの慌てた声に、チラリと視線を上げると
「何かな?」
にこやかに微笑み返す。
「何か、じゃありませんよ!!もう、降ろしてください〜〜!!誰か来たらどうするんですか〜!」
恥ずかしそうに頬を染めて、そう訴えるあかねに友雅は
「・・・・・ねえ、月の姫?少しの間だけ、この年寄りのわがままに付き合ってはくれないかい?」
わざとらしいほどに、憂いを帯びた声と視線を向けると、あかねはぐっと詰まってしまった。
見上げる長い睫毛の下の深い翡翠の瞳が、真っ直ぐにあかねを映し出している。
たとえ、これが友雅の計算高い演技だとわかっていても、
「〜〜〜〜もう・・・少しだけ、ですよ?皆が心配しちゃうから」
その瞳には、あかねは逆らうことはできないのだ。
友雅は、あかねの苦笑に近い微笑みに笑い返すと
その桜色の頬に、軽い口づけを落とした。
「ー大丈夫。ほんの一時だけ、だよ。」
そう言って、もう数歩足を進めると不意に立ち止まる。
そして、あと少しで山間に沈みきろうとしている夕陽に体を向けると
燃えるように紅く輝く夕陽が、遥かに広がる空間を見事な程紅く染め上げていた。

「夕陽を、見ていたんですか?」
「そうだよ。あまりにも、鮮やかだったものだからね」
「・・・・本当にとっても綺麗、ですね」
「ーああ・・」

とても綺麗で

泣きたくなるくらいに、紅く遠い空

美しく整えられた園庭の草花も、今は紅く染められ
頬をなでる風も柔らかで心地よい

布地を通して感じる手の暖かさも、心が跳ねるくらい嬉しい感触で
あかねは少しだけ、友雅に回した両手に力を込めた。
そんなあかねの仕草に、友雅はゆるやに微笑むと
もう半分以上、その身を隠しかけている夕陽に視線を向けたまま口を開いた。

「私はね・・。この時が、一日の中で最も好きなのだよ」
「え?夕刻が、ですか?」
友雅の意外な発言に、あかねは驚いたように
ぱちくりと、その大きな瞳を見開いて友雅を見返す。
「そう・・。この全てが紅く染まる瞬間が、とてもね」
「へえ・・・」
「おや・・意外そうだね」
「え・・だって・・」

ー「あなた」は、夜の色が似合う人だから

最後の言葉は口にしなくても、友雅には伝わったのだろう。
くすくすと笑いを漏らし悪戯っぽくあかねを見上げて、その目元に柔らかな口づけ一つ

「では、何故ーこの時ーが好きなのかわかるかい・・・?」
「え?何故って・・・、え〜〜っと・・?」
小首をかしげ、ほんのしばらく考え込んでいたあかねは降参といった風に片手をあげて見せた。
「判りません。教えていただけますか?ー左近衛府少将様」
「おやおや、もう降参かい・・・?」
お互いに、楽しそうに笑い見やる。
「−では、教えて差し上げよう」
そう言って、友雅があかねを抱いていない反対の腕を夕陽に向かって軽く掲げると
まだ沈みきらない半分ほどの夕陽の欠片が、友雅の大きい手を紅く縁取った。

「・・・・こうやってー染まるから、だよ」
「染まる・・・・?」
「そう・・・。茜色に、ね。」
「あ、かね色・・・?」
「だってねえ・・。愛しい人の名の色に染められるなんて、そうあることではないだろう?」
「−染め・・・・って、えっ、な、何をっ、言っているんですかあ・・!!」
ようやく友雅の言わんとしている事に気づいたあかねは、先ほど以上に真っ赤に頬を染めた。
「おや、答えを教えて差し上げただけなのに、ねえ・・」
しれっと答えて可笑しそうにくすくす笑いを零す友雅は、山の彼方にその身を隠そうとする
その最後の輝きの一欠片に、瞳を細めた。



ーあかね

私の何よりも大切なー月姫

その貴女と同じ呼び名のーこの、瞬間

私の全てが

貴女色に、染まる



「ほら・・こうやって茜色に染まっていると
まるで、貴女に抱かれているような気持ちになるんだよ?」



だから

私はこの時が、何よりも心地よくて

とても、愛しい




「〜〜〜〜もう・・・よく、そんな気障な台詞いえますね・・」
友雅の言葉に、照れ隠しなのかあかねは拗ねた様に呟いてそっぽを向いた。
その表情は、さらさら揺れる髪に隠れて見えないが
隙間からのぞく可愛らしい耳は、ほんのり紅くなっている。
「心からの言葉なのに、わが姫はつれなきお言葉をくださるねえ・・」
友雅の、可笑しそうな苦笑交じりの口調に
「・・・む〜〜〜っ、からかうの間違いじゃないんですかっ。」
あかねは、まるで仔猫が毛を逆立てているかのような反応で返す。
その態度が、より友雅の悪戯心に火をつける結果になっている事に、あかねは気づいていない。
「ーもうっ、知りませんっ」
「おやおや・・・、これはご機嫌を損ねてしまったかな。ーそれでは」
「えっ?!」
あかねを抱き上げたまま、くるりと身を翻した友雅は
とても人一人抱きかかえているようには思えない、いつもの優雅な舞を感じさせるような足取りで
屋敷の渡殿へ向かい、そこへ上がる数段の階に脚をかけた。
「わ、ちょ、ちょっと待って下さい!何処行くんですか、友雅さん?!」
「・・・おや、私を呼びに来られたのはどなただったかな?ーもう行かなくては、皆が心配するよ?」
「いや、それはそうですけどっ!!自分で歩くんで、降ろしてくださいよ〜〜!」
まさか、このまま屋敷に入るわけには行かないあかねは慌ててた。
いくらなんでも、この格好で藤姫たちの所へ行くのは不味いだろう
しかし
「姫のご不興は、私の不徳の致す処。−お詫びに御部屋まで、お連れして差し上げようと思ってね」
艶やかな微笑と共に、とんでもない台詞が返ってきた。
「は?!・・・って、いやいやいやっ、私歩けますんでっっお気遣いなくっ!!」
このままでは、本気で抱き抱えていかれそうな状態に
あかねは焦って身動きするが、さすがに優雅に見えて武官である腕は、びくともしない
そしてその持ち主の口からくすくすと、悪戯な笑みが零れる
「・・・お気に為さらずとも、私の月姫は羽の生えたごとき、軽さだよ?」
「・・・・・・と〜も〜ま〜さ〜さあんっ!!」

ーあかねの焦った声と友雅の華やかな笑い声が賑やかに交じり合い、周りの空気に溶けてゆく。

もうすでに夕陽はその身を完全に隠し、夜の帳が辺りを包み込もうとしていた。
冷たさを増した風がさわさわと草木を揺らし、虫達が控えめな晩秋を告げる。




ーひとつ残念なのは


あなたと同じ


この色が


この時が


ー私「一人のもの」ではない


という事かな





                                         (終)





星降る闇/星降咲夜 様