次回土曜遙か洋画劇場 八葉友雅とあかねの事件簿 異世界京ミステリー 「友雅の牛車の中で」猟奇誘拐事件 |
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= リレーde次回予告 = |
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白く煙る霧雨が、乾ききった簀の子縁にじわりと染みをつくっていく。 屋根を伝って落ちる雨垂れは、階に並んで咲く牡丹の花弁を小さく揺らしていた。 あかねは水干を濡らしている露をさっと払うと、音を立てないように御簾の内へと滑り込んだ。 もしも眠っているならば、起こしたくない。 視界を遮る几帳の波をゆっくりと抜けながら奥の様子を窺うと、僅かに衣擦れの音が聞こえてきた。 「──神子殿…?」 未だ熱が引かないのか、浮かされ掠れた声が響く。 躊躇うような歩みを早めて辿り着いたそこには、やはり熱に頬を上気させた友雅が横たわっていた。 「友雅さん、大丈夫ですか…?」 盥に浸されていた手拭いを水に泳がしてから絞り、額に浮いた汗を拭ってやると、心地よさげに双眸を細めた友雅が吐息を漏らす。 その様子に安心して、頬を、首筋を拭い、再び水を潜らせてから額に置いてあげる。 「ありがとう。心配をかけて…すまなかったね」 気丈にそうこたえた声にはまだ力がなく、その身体も床に伏したままだった。 常よりも浅い呼吸は熱を孕み、気怠げな瞬きを繰り返す。 その瞳は、光を持つ深緑に彩られていて…あかねは彼の存在を確認し、密かに肩の力を抜いた。 もうここには、絶大なる脅威を示した存在はないのだ、と。 「友雅さんと同じように、鬼に攫われて戻ることの出来た人たちのところへ、泰明さんと行ってきました」 おもむろにそう口を開くと、もとより交じる事の無かった彼の視線が、すぃ、と緩く漂った。 「怨霊に身体を奪われて、奥さんや子供まで手に掛けようとした人のこと、聞きました」 記憶を無くして戻った者達は、やはり友雅と同じく意識を怨霊に支配されてしまっていた。 それを一人ずつ、彼に施した方法と同じ手段で解放していく。それが、今あかねたちに出来る唯一の救い。 多くの者は封印が成功し、正気を取り戻すことが出来たが、中には拒絶反応や周囲の人間の手によって、すでに事切れていた者もあった。 「急に豹変した旦那さんに襲われそうになっていたところを…ひとりの貴族が助けてくれたって…言ってました」 身動いで乱れた袿を胸に掛け直し、整えてやる。 友雅はその手を視線で追いつつ、そっと瞼を閉じた。 「友雅さんが『殺してきた』って言ったのは──その人のことだったんですね…」 静かに紡がれた言葉。 それは、質問ではなく確認で。彼は無言のままだったが、それはむしろ肯定の沈黙なのだろうと思えた。 後悔しているのだろうか。 それとも、嫌悪しているのだろうか。 眉間に刻まれた皺が、何を現しているのかは分からない。 あかねは、袿の上に放り出された友雅の左手を取り上げ、そっと包み込んだ。 その甲には、あかねが刻みつけた抵抗の痕が濃く残っている。 発熱のために平素よりも高い体温。 この温もりが消えてしまわなかったこと。それが、何よりも嬉しかった。 思わず、ほわり、と微笑が零れる。 「あとね、泰明さんが感心してましたよ。あれだけ強い怨霊と同化させられていたのに、自我を保っていられたのはすごいことだって」 泰然とした頬に、誇らしげな色を浮かべていたかの陰陽師の姿を思い出して、一層笑みを深くする。 だが友雅はそれに反して、口元に僅かに歪めただけだった。 どれほど怨霊の力に抗おうとも、人の命を奪い、あまつさえあかねにまで手を掛けたのだ。彼は自責の念に駆られているのか、目を覚ましてからも、真っ直ぐにあかねと視線を合わしてはくれなかった。 友雅は何も悪くないのに。 彼は必死に、京の人々を。そしてあかねを、守ろうとしてくれた。 どれほどの苦痛に苛まれようとも、どれだけの苦悶に血を吐こうとも。 決して諦めず、その想いを示してくれた。 「友雅さん、こっちを向いて?」 指の背で、火照る頬をそっと撫でる。 だが友雅は、僅かに顔をこちらに傾けただけで、穏やかで温かい眼差しを寄越してはくれない。 「ね、私を見て。お願い…」 そうねだると、渋々といった様子でこちらを見やる。澄んだその瞳はやはり、自責に傷つき揺れているように思えた。 あかねは包んでいた彼の左手を取り上げ、己の頬に押し当てる。 熱いくらいのてのひらから脈動を感じ、しっとりと汗ばんだ指先がピクリと震える。 ああ、と声を上げたくなった。 生きている。 本当に、生きているのだ。 このてのひらからは、温もりだけではない、友雅という人の存在を感じることができる。 皮膚の下で流れる血潮 発熱 汗 香り 恐怖 自責 贖罪 そして、想い。 友雅は虚ろな眼差しであかねを見つめ、頬に当てられた指先を自らの意志で動かした。掠めるように何度も触れるその指は、酷く優しい。 彼はあかねの頬に落ちた春色の髪をそっと払うと、真っ直ぐに見つめてきた。 「君だけは――傷つけたくなかった」 ボソリ 零れた言の葉。 許しを乞うでもなく、己を責めるでもなく、ただ真実の想いだけを紡ぐ。 「私のことが、好きだから?」 そう訊き返せば、友雅は驚いたように息を詰め動きを止めたが、すぐに諦めたように小さな吐息をついて微笑んだ。 「そう…君が好きだから。元宮あかね、というひとりの少女を愛しているから」 そして、そんな自分に呆れたように「こんなはずじゃなかったのにねぇ」と溜息をついた。 何が、とは聞かない。どうして、とも訊ねない。 ただ、彼がそう呟いた理由が、何となく分かるような気がした。 平素の彼らしくなく、ほんの少し悔しげな色を浮かべて天を仰ぐ様子がどこかおかしくて、あかねも思わず笑みを零す。 どうして自分が龍神の神子なのか。 どうして好きになった人が八葉なのか。 それを思い悩んだことがなかったといえば嘘になる。けれど今は、神子と八葉で良かったと思う。 友雅の鎖骨にある宝珠の傍には、今までは無かったタトゥーのような文様が浮かんでいた。宝珠を中心に、両翼を広げるように刻まれたそれ。 形代で浄化することの出来なかった怨霊の残滓をこの呪印で封じ込め、友雅自身の血肉や気をもって、少しずつ浄化を図るのだ。 京から穢れを払い、滞っている龍脈を正常に近づければ近づけるほど、龍神の力は強くなる。それを怠れば、龍神の力は弱まり、友雅の中で抑えてある怨霊もまた力を取り戻してしまうかもしれない。 そうならない為にも、今まで以上に神子としての勤めに励まなくてはならないのだろう。 「この戦いが終わったら…私も友雅さんに自分の気持ちを伝えたい。どうかそれまで──待っていてくれますか?」 この想い人を守る為にも、今は神子として力を尽くさなくてはならないから。 「あぁ、しかと承知したよ、白雪。けれど、君のその唇から私の思う通りの言の葉が聞けたなら、その時は遠慮はしない。私を本気にさせたのだから、覚悟しておいで? だから今は――」 それまであかねの頬を撫ぜ、愛しむ様に髪を梳ていた指を彼女の後頭部にまわすと、ぐいと自らの方へと引き寄せた。 バランスを崩したあかねは小さな悲鳴を上げて、そのまま友雅の胸へと倒れこむ。 「これで我慢しておくよ…」 穏やかな低い声が、あかねの耳に届いた。 <おしまい> |
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