カタカタと静かな町中を牛車の車輪が廻る音だけが響いている。
主上の我儘をなんとか言い包めやっと愛しい彼女の元へと帰ろうとした私に届いた不穏な知らせ。
私が好む銀色の綺麗な紙に彼女独特の文字が可愛らしく鎮座していた。
しかし・・・その内容はまたも私を悩ませる内容だったのは・・・言うまでも無い。
『友雅さんへ
藤姫ちゃんが高熱を出してしまったの。
連れ出した私にも責任があるし、今夜は土御門のお屋敷に泊まります。
ごめんなさい。 あかね』
あのじゃじゃ馬な姫君は、私の妻という・・・その自覚が無い。
いや・・・無いなんて言ったら彼女も怒るだろうし、私自身気落ちしてしまうのだけれど・・・
自覚が・・・疎いのだ。
もちろん彼女はこの世界の少女では無いのだから、仕方が無いとも思う。
そしてそんな彼女を甘やかして、自由奔放さが直らないのは私のせいでもあるのだが・・・
今だって、彼女を諌める為では無く・・・ただただ自身が逢いたいが為に牛車は土御門へと向かわせている。
「はぁ・・・・」
知らず零れた溜息に自身苦笑するしかなかった。
「あれぇ?友雅さん、どうしたんですか?」
私を見て発した第一声に膝から崩れ落ちそうになる感覚を覚えた。
仮にも自分の夫が逢いに来たのだから、もう少し喜んでも良さそうな物だが・・・
そんな事を彼女に問おても仕方なの無い事と諦めるしかないが。
「おや・・・冷たい事をお言いだね?
君に逢いたくて仕方が無かったから、こうして逢いに来たというのに・・・
もしかして・・・私がこちらに伺ったのは迷惑だったかい?」
哀し気に視線を流すと瞬間・・・頬を朱く染め俯く彼女の初々しい様子が愛おしく感じる。
小さく呟くように『そんな事言ってないもん。』と拗ねる彼女の華奢な体を引き寄せたい衝動に駆られた。
が、私がそれを実行するより先に、藤姫付きの女房が彼女を呼びに来てしまった。
「神子様・・・姫様がお目覚めになりました。」
「本当?良かった・・・じゃあさっき貰ったお薬飲まないとだね。私が行くよ。」
先程の愛らしさは何処へ行ったのか、私の存在すら忘れたかのような彼女の振舞いに嫉妬という感情が渦巻く。
相手はまだ子供のしかも病人だというのに・・・そんな藤姫にすら嫉妬してしまう自分の小いささに頭が痛くなる。
「姫君・・・今夜はこちらにお泊りになりたいと・・・文に書いてあったが、本当にこちらのお屋敷に?」
先程貰った文に書いてあった事を確認するように声を掛けると、今にも駆け出しそうな彼女が私を仰ぎ見た。
「うん・・・だ、め・・かな?」
悪戯を見つかった幼子のような表情でそう答える。
ついつい苦笑が漏れてしまった。
「いや・・・駄目だと言っても君は聞きはしないだろうからね?
良いよ、ただし・・・今宵は私もこちらのお屋敷に泊めて貰う事を了承戴けるならね・・・」
私の言葉に反応したのは、昔馴染みの女房だった。
「では私は神子様と少将殿のお部屋を準備してまいります。神子様・・・
申し訳御座いませんが、姫様にお薬をお持ち戴けませんでしょうか?」
「え・・・うん、分かった。じゃあ・・・友雅さん、私藤姫ちゃんの所に行ってきますね?」
「あぁ・・・私は少し部屋で休ませて貰うから。しっかり看病してあげなさい。」
「うんっ!」
私の言葉に安心したのか、いつもの・・・眩しい程の笑顔で答え、颯爽と廊下を駆けて行く。
その後姿を私はなんとも言えない複雑な心境で見送る事しか出来なかった。
「友雅さ・・ん?」
どれ位経っただろう?彼女の声音に意識が覚醒させられた。
月を肴に女房殿が持ってきた酒を飲みながらいつの間にか眠りに落ちていたようだ。
「お戻りになられたのかな?姫君・・・・」
少しだけ乱れた髪をかき上げ起き上がると彼女が佇んでいた。
「うん。藤姫ちゃんの様子も落ち着いて、さっき眠ったから・・・」
そう言う彼女に腕を差し出すと、静かに私の手に自分のそれを重ねた。
ゆっくりと、でも少しだけ強引に彼女の手を引き寄せる。
すると軽々と彼女のしなやかなな身体が私の胸の中に飛び込んできた。
「看病お疲れ様、姫君・・・」
耳元で囁くと顔を上げ微笑んだ。
「落ち着いた所で・・・次は私の看病でもしてもらおうかな?」
私の言葉に顔を曇らせる。
「友雅さん・・・・もしかして具合が悪いの?
そ・・そうだよね、友雅さんがうたた寝するなんて・・・もしかして、風邪でも・・・」
真剣に心配し始めた彼女を抱き締める腕に力を込める。
「と・・・」
「君がね・・・私を放って藤姫の看病に行ってしまったからね?
寂しくて・・・寂しくて・・・っ!」
そこまで言うと少し怒ったような表情で私の胸を小さな拳で叩いた。
「もうっ!本当に具合が悪いのかって心配してるのにっ!
友雅さんはそんな事ばっかり・・・」
「ふふ・・・ごめんよ、姫君・・・でも、寂しかったのは本当だよ?」
素直に謝りそう告げると、たちまち頬を朱く染めた。
「ところで・・・藤姫とお出掛けなんて、今朝はそんな事言ってなかったじゃないか。
何処へお出掛けだったんだい?それに・・・藤姫が屋敷の外に出るなんて・・・・」
「う・・・ん。そうなの・・・」
責任を感じてか、落ち込んだような表情で彼女が言うには・・・
屋敷から出た事の無い藤姫に見事な紅葉に彩られた東寺の話をしたところ・・・
活発に動き回る姫君に憧れている藤姫がぜひ一緒にその紅葉を見たい。と言い出した事が発端だったらしい。
牛車で境内に入る訳にはいかなかった彼女達は境内を歩いて散策した。
が、初めての外界。そして慣れない外歩き・・・という行為に藤姫の体は熱を出してしまった。
という事だった。
「外を歩いた事が無かったのに、いきなり歩いちゃったせいで足にも相当な負担が掛かったみたい。
熱は出ちゃうし、足は浮腫んじゃって熱持っちゃうし・・・私が余計な事を言ったりしたから・・・」
そう言って俯く彼女が愛おしく感じる。
屋敷に留まらず、未だ自由奔放でじゃじゃ馬な姫君。
だが、人一倍の正義感・・・そして私には無い強さ・・・一体この華奢な身体の何処に隠しているのか?と不思議に思う。
「しかし・・・藤姫もそれを望んで出掛けたのだから、君がそんなに責任を感じる必要はないのでは無いかな?」
腰まで伸びた髪を梳きながら、そう声を掛ける。
「う〜ん・・・そうなんだけどねぇ。でも、やっぱり私のせいもあると思うし・・・」
「まぁ君が責任か強いのは知っているけど・・・あまり気にしない方が良い。
別に藤姫の具合だってそんない悪いわけじゃないんだろう?」
「うんっ!慣れない事をしたから体が疲れちゃったんだろうって、薬師の人が言ってた。
良かった!!ねっ、友雅さんも安心したでしょ?」
そう言って笑う君の笑顔に・・・まさか『君が落ち込んでいる方が私には心配だ。』なんて事は言えなかった。
「そう、だね・・・私も、安心したよ。」
君の笑顔に答えるように微笑むと嬉しそうな表情で私の胸に顔を埋めた。
「安静にしてれば、明日中には熱も下がるだろうって・・・・」
「そう・・・・」
「でも・・・」
「ん?どうしたんだい、そんなに哀しそうな声を出して・・・」
先程までの嬉しそうな声から一変して、不安そうな・・・哀し気な声音を響かせる。
「浮腫んじゃった藤姫ちゃんの足をね・・・揉んであげた時に思ったんだ。
すごい・・・細いなぁ・・・って。」
「・・・それがどうかしたのかい?」
話の意図が見えず話を促した。
「うん・・・あんな細い足じゃ・・・歩くだけでもすごく負担が掛かるんだろうなぁって。
そう思ったんだ。それで思い出し事があって・・・」
「・・・何を思い出したのかな?」
「昔ね、ある国で足が小さい女性が綺麗って風習があったの。」
「足が?」
彼女の突拍子も無い話にらしくもなく、大きな声を発してしまった。
そんな私の反応に彼女は小さく笑っただけで、瞳を伏せ話を続けた。
「そうなの。小さければ小さいほど、美しい女性だと言われてたみたい。
でもね・・・」
そこまで言って、言葉を止めると視線だけで私を見上げる。
その仕草が私の衝動を掻き立てるのを知っているかのような・・・
そんな艶めいた雰囲気に流されそうになるのを堪え微笑んでみせる。
「でも、それは男の人の所有物であるという証でもあったんだって。」
自分で発した言葉に顔を歪め、今にも零れ落ちそうな涙を瞳に溜めている。
私は彼女の頬を両手で包み込み、指先で眦の涙を拭ってやった。
「男の人から逃れられなくする為に・・・そんな事してた、んだって・・・」
「それは・・・随分無粋な事をするものだね・・・」
「私・・・初めてその話を聞いた時、すごく哀しくて・・・腹が立って・・・泣いちゃった。」
そう言ってはにかむ彼女の頬に唇をそっと落とす。
零れ落ちた涙を拭うように・・・・
「君は・・・優しい女だからね?」
「そんな事無いよ。皆・・・こんな話聞いたらそう思うに決まってるもの。
なんか・・・少し歩いただけで・・・倒れちゃった藤姫ちゃんを見たら・・・
そんな異国の風習が頭を過ぎって・・・」
はらはらと涙を零しながら、そう呟いた彼女の唇を咄嗟に自分のそれで塞いだ。
「んっ・・・・」
突然の行為に身を硬くする彼女を安心させるように、啄ばむ様に何度も繰り返す。
段々と弛緩してくる彼女の身体を抱え込むように抱き直した。
「本当に君は・・・ふふ、鈍感なようで繊細な姫君だね?」
「なっ!鈍感って・・・ヒドイっ!!」
呆然としている彼女にそう囁くと、頬を膨らませ私を責める。
「異国の姫君に共感して涙を流すなんて・・・さすが私の可愛い姫君だ。
この国の女性が家から出ないのは・・・皆が大切に扱っている証拠なんだのだけどね・・・
それに・・・君は私がそんな酷い・・・無粋な事をする男だとお思いかい?」
そう言って華奢な身体をそっと褥へと誘った。
小さな寝息を立てて腕の中に眠る彼女の顔を見詰めた。
少しだけ開いた唇が幼さと色香の曖昧な風合いを醸し出している。
先程までの艶めいた風合いも好ましいが、この危な気な風合いもまた・・・
そんな事を考えてしまう自身に苦笑を漏らしながら、先程彼女が話していた話を思い出した。
女性を自分だけの物とする為の残虐な行為・・・
そんな事を進んでしようと思いはしないが・・・
日に日に女人としての耀きと艶を帯び、成長していく君・・・
いつ厭きられてしまうのかと怯えているなんて君が知ったら、幻滅されてしまうかな?
どんなに君を一人締めしたいと思っても、手のひらの隙間から逃れていく蝶のような君・・・
私を翻弄できる唯一の女性。
自分の檻の中だけに閉じ込めてしまえる物なら・・・
君の瞳に・・私の姿だけを映せるのなら・・・
「私は・・・そんな酷い事すらしてしまうかもしれないよ?」
そう一人呟き、眠る彼女の肢体を腕の中に閉じ込めた。
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