誤魔化す

= 友雅なのに泥酔!? =





「もう、呑み過ぎですってば友雅さん!」
 どうしても逢いたいから、とあかねが留まっている藤姫の屋敷に迎えの車とともに友雅からの文が届いたのは今日の夕刻だ。
 別に用事もないし、逢瀬を願う友雅を袖にする理由もなく、あかねはそれに従った。
 友雅があかねを呼び出すのは、もう数え切れないくらいになる。
 いつも、何か珍しい花や衣や、話があるからと言ってあかねを呼び出し、そのまま夜を過ごすのが慣例となっているのだが、今日ばかりは何も理由がなかった。
 ただ、逢ってくれないかという内容の文だったのだ。少しは変だなと思ったが、そもそも恋人に逢うのにいつも理由をつける必要なんてないと思っていたので、あまり疑わなかった。
 そうして、友雅の屋敷を訪ねてきてから、もうしばらく経っている。
 あかねはまだ、今日友雅に呼び出された理由が分かっていない。というのも、あかねが部屋に来た時には既にかなりの酒が入っていた。
 そして何をするでもなく、ただあかねを側に置いて友雅は杯を重ねている。
 あかねは友雅の顔を見据えた。
 珍しく酒に酔った赤い顔をして、彼は上機嫌な様子で笑っている。
 夜を迎えた部屋は、さして明るいとは言えない燭台の光りを頼りにその境界を保っている。高級ではあるが古い調度品が紅い灯の光りをつやつやと跳ね返し、部屋の雰囲気を作っている。
 そんな中で洒落た衣に身を包み、羨むような綺麗な髪を背中に流して杯を傾ける友雅の姿に、常ならばあかねも他の取り巻きの女性たちのように溜め息ながらに見守るところだが、今日ばかりはそうはいかない。
 むしろ情けなくて溜め息が出るところだ。かろうじて幻滅しないのは、悔しいかなあかねが友雅に惚れているからなのだろう。
「私のどこが呑み過ぎだって?」
 友雅はいつも以上にへらへらと笑っている。今日は終始この調子だ。先ほどからこの問答を、何度繰り返したのだろう。明らかに友雅は、普段にはないくらいに呑んでいる。あかねは杯を放さない友 雅の手を取り呆れ口調で言った。
「これです、こーれー!」
 いい加減にして下さいとあかねは杯を取り上げて遠くへと追いやった。
「もう、こんなに酔っ払っちゃって…」
 漂う酒の匂いに、あかねは顔をしかめてぱたぱたと手で顔の前を仰いだ。
 酒の匂いにこちらまで酔ってしまいそうだ。これではいけない。あかねは避難がてらに酔い覚ましの水でも取って来ようと、廊下の方へ向かった。
 黙って出て行こうとしたあかねの身体を、友雅が横からさらうように抱き締める。
「姫君、姫君、私の可愛い姫君。お願いだ、私を置いて行かないでおくれ」
「友雅さん!」
 あかねは焦った声で友雅を押し返しながら叫んだ。
「離して下さいってば!私、別にどこにも行きませんから!」
「嘘だ、神子殿。今だって私を置いてどこへ行くと言うのだね」
「だーかーらー!」
 もう、とあかねは身体に巻きつけられた友雅の腕を必死に解き、逃れた。だが、無意味な抵抗だ。またすぐに肩を掴まれ腕の中に捕まってしまう。
 切ない溜め息のような吐息が耳にかかり、身が竦むような感覚があかねを襲う。それを振り払うように首を振って慌てて耳を押さえた。
「どこへも行きません!少しは酔いを醒ましてくださいよ。水を取りに行くんです。それだけです。放してください!」
「嫌だ」
 駄々っ子のような台詞に、あかねはなさけないやら何やらで泣きたくなった。
「じゃあ、誰かに持ってきてもらいましょう。誰かいませんかー!」
「無駄だよ。人払いをしているから」
 ああ!もう!こういうところだけはしっかりしてるんだから!とあかねは心の中で叫んだ。友雅のことだから、「どんな声がしようと決して足を踏み入れるんじゃない」などと妙な言い付けをしているに違いない。思わずくじけそうになったあかねは必死で自分を奮い立たせた。
 あかねの胸の下辺りでしっかりと組まれている友雅の腕を解くのには無理がある。簡単には逃げ出せないだろう。後ろから抱きつかれているので、唇は大丈夫だ。狙われるとすれば、耳か首筋だろう。あかねは慌てて両手で耳を押さえた。
「姫君…。耳を塞がないで。そんなに私の声が聞きたくないのかな?」
「そういう訳じゃありませんけど…、あっ!」
 友雅は耳元にやっていたあかねの手を事も無げに払うと、吐息をかけた。
「じゃあ、どうして?」
「んー!」
 耳のすぐ側で響く囁き声にあかねは声を上げた。抗議をしようと身体を捻り友雅に顔を向け叫んだ。
「友雅さんは酔うと見境がないからキライなん…んぅ…!」
 あかねの言葉は友雅の口付けによって遮られ最後まで言えなかった。強い酒の匂いがする口付けから、あかねは首を振り逃れた。
「私のどこが見境がないって?」
 普段よりあかねをからかうようのを戯れにしている友雅は、酔うと更に質悪くあかねをからかうのだ。
 今も耳元で息を懸けるように囁き、あかねが身をこわ張らせるのを楽しんでいる。
 あかねは友雅が作り出そうとしている甘い雰囲気を散らすように勢いよく言った。
「そういう所です!いい加減からかうのは辞めて!」
 あかねの言葉に友雅は心底心外だとでも言うように眉を撥ね上げた。
「からかってなど…。私はいつでも本気だよ…。いや、今日は特に本気かな…?」
 それこそ質が悪いのだとあかねは心の中で叫んだ。
 友雅が際限なく垂れ流す甘い言葉はあかねにとってはどう返していいのか分からないやっかいな代物だ。
「だけど、君が嫌と言うなら控えよう。ねぇ、可愛い姫君…?」
 酔っているくせに、瞳だけは真摯な光を宿している。口許に浮かべているのはひどく軽薄な笑みなのに、あかねはその視線に捕らえられて動けない。
 端正なその顔が近付いてくるのを止めようとすれば出来た筈なのに、また口付けを許してしまう。
「どこへも行くな姫君…」
 そう言ってあまりに悲しそうに友雅は笑う。
「友雅さん…どうしたの?」
 軽薄な口許に、あかねは戸惑いながらもそっと手を伸ばした。
 友雅はあかねの指先に軽く歯を立てると、形の良い唇の端を吊り上げた。額が触れ合うくらいに近くに友雅の顔がある。笑っているのに、何だかとても悲しそうな瞳だ。その目に、あかねは胸が痛むような感覚を覚えた。だから、口付けの予感に素直に瞼を閉ざした。
 拒んじゃいけない。側にいなければ、何となくそう思った。
「どこへも行かないと言っておくれ、あかね…」
 切ないような声で呼ばれ、あかねはもう一度目を開く。目の前には泣きそうな友雅の顔だ。
 今にも涙を浮かべてしまいそうな友雅に、あかねは焦ってしまう。
「友雅さん?急にどうしたんです?そんなに泣きそうな顔をして…」
 首を傾げてそう聞くと、座ってと促され、あかねは大人しく腰を下ろした。
「ねえ、友雅さん?」
 呼びかけには答えず、友雅もあかねのすぐ横に腰を下ろす。
 ふわりと白檀の華やかな香りと、そのあとで濃い酒の香りが漂う。黙ったままの友雅に、あかねは短く息を吐いて顔を背けた。
 さらりと衣擦れの音がして、あかねの肩に重みがかかった。友雅の頭がもたれ掛かってきたのだ。だけど、別に不快な重さではない。むしろその重さが愛しい。あかねは黙ったまま友雅の吐息の数を数えた。
 呑み過ぎて眠くなったのだとしたら、まるで子供みたいだとあかねは唇だけで笑った。だけど、それがまた何だか憎めなくて可愛い、外見には似合ってないけれど、と心の中で付け加えると、思わずくすりと笑みが零れてしまった。
 その揺れに目が醒めたのか、友雅が動いた。
「神子殿…」
 友雅の眠そうな声に、あかねは思わず口許をほころばせて答えてしまう。今日はどこまでも彼らしくない。
「何ですか、友雅さん」
 友雅は眠そうに目を擦ると、あかねの膝を枕にしてごろりと寝転がった。突然のことに身を竦めてしまったあかねに、友雅はふふふと短く笑う。
「神子殿はいつまで経っても初心だねえ…」
 からかうような口調に、あかねは頬を膨らませて言い返す。
「子供で悪かったですね」
「悪いとは言っていないよ。それに子供だとも言っていない」
 言いながら、友雅はあかねの腹の辺りに顔を埋めた。それこそ子供のような仕草に、あかねは微苦笑を浮かべる。それから、頬にかかっている友雅の髪をすくって払った。
 燭台の頼りない灯りの中でも分かるほどに、酔って赤くなった頬が露わになった。
「どうしたんです?友雅さん。今日は急に呼び出して、何にもしないで一人で呑んでるだけじゃないですか」
 何か変ですよとあかねが言うと、友雅は自嘲気味に短く笑った。
「いけない?」
「いけなくはないですけど…、話してくれてもいいんじゃありません?」
 あかねは友雅の頬に手を当てた。火照っているのか随分熱い。友雅はあかねの手の冷たさが心地いいのか、しばらく目を閉じてそれからぽつりと言った。
「ねえ、姫君?」
「何です?」
 もう妙な悪戯をする気がないのか、友雅はくつろぎきったように四肢を投げ出して仰向けになった。髪がさらさらとあかねの膝の上を滑り、秀でた額が晒される。あかねはその額にそっと手を置いて、 子供にするように前髪を撫でた。
「私を置いてどこへ行くんだい?」
 あかねはその問いに肩を竦めた。
「どこへも行きません。何言ってるんです?いい加減、酔いを醒ましてください」
 そうでなかったらもう寝てくださいようと、呆れたような口調で返す。本当に、今日はどうしたと言うのだろう。
「夢を見たんだ…」
「どんな…?」
 穏やかな声で聞き返して、あかねは友雅の髪を撫でた。
「君が…その白い背に羽根を生やして…私の腕の中から飛び立ってしまう夢だ…」
 突拍子のない言葉に、あかねは少しだけ笑った。
「羽根なんて…私は天使なんかじゃありませんよ…」
「だけど君の温もりが消えていく感覚が、夢と思えないほどに現実のようで…。君が側にいないことが急に不安になった。酒を入れても、誤魔化せない。だから…君を呼んだんだ、済まない」
 夢の一つで大袈裟だと、君は笑うだろうかと、友雅は苦笑を浮かべる。酔いに潤んだその瞳がまっすぐにあかねを映している。
 あかねは友雅の瞳をただ見つめ返した。
 それから、ああと気がつく。今日、なぜ呼ばれたのか。
 …一人きりで淋しいなら、淋しいと言えばいいのに。酔って誤魔化そうなんて、意地っ張りな人だ。
「姫君…?」
 黙ったまま笑うあかねに不安を感じたのか、友雅の手が伸びてあかねの頬をなぞる。
 眠たそうに目を細めるその顔は、寝ぼけて母親を探す子供のように無邪気で、寂しげだ。あかねは手を重ねて笑った。
「私はちゃんと側にいますよ、友雅さん…。だから、お休みなさい」
「明日の朝になってもちゃんと側にいてくれる?」
 寂しげな声に、あかねはこくりと頷く。
「本当に?」
 眠気か酔いか、幼い口調で友雅が言うのに、あかねはただ優しく頷いた。
「神子殿…」
「約束します。だから、今日は安心して眠ってください」
 言い終わる間もなく、友雅は寝息を立てている。
 あかねはそのどこかあどけない寝顔に、そっと囁いた。
「貴方みたいな寂しがり屋の人を、放っておける訳ないじゃないですか…。だからもう、強がらないで、淋しいなら淋しいと言っていいんですよ、友雅さん…」





お題は「泥酔」…のはずだったのですが…。そこまで酔ってないような…(苦笑)
だけどまぁ、ありえない友雅…ということで書いてみました。
とても楽しかったです。ありがとうございました。
Henri/光奈 様