桜、ただひとり… |
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=友雅なのに号泣!?= |
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「そして、う…ぐっ…それからこの山には、ヒクっ…幾千もの桜の樹が茂り、春になるとっ、ひっ…一斉に白く美しい花を咲かせたそうだよ」 「──わかりました。わかりましたから、絵巻物の主人公の名前を友雅さんと私に変換して読みながら号泣するの、やめて下さい」 「はぁ…なんと哀しい物語なのだろうねぇ…。あか、ひっ、ねも…そう思う、だろう?」 「まぁ、そうですけどね…。って、人の話し聞いてないし…。──はい、どうぞ」 「ん、ありがとう」 友雅はあかねに渡された懐紙で、勢いよく鼻をかんだ。 その様子を眺めながら、彼の最愛の妻は苦笑いを漏らしつつ、袿の袖を引っ張ると友雅の頬をちょんちょん、と拭う。 「ほら、そんなに泣くと、眼が溶けちゃいますよ?」 「そうだけれどね、この男、とても他人事には思えないのだよ。それにほら、姫君の方もあかねのようだろう?」 「私の胸は『たわわに実』ったりしてませんけど?」 「ふふ、そんなことを気にしていたの?大丈夫、次に桜が咲く頃までには私が手ずから、それはそれは豊かな麗しい美果にしてあげるから、ね?」 「鼻水垂らしながら言われても、嬉しくありませんっ。っていうか、否定して欲しかったんですけど…」 微妙に落ち込む妻の姿に、未だ乾くことのない眦を緩める。 「ともかく!」 「はい?」 「この物語から導き出される真理は、わかるかい?」 すん、すん、と鼻をすすり上げながら尋ねる夫に、妻はう〜むと大きく首を傾げる。 「──男の人は自分勝手で、えっち?」 「違うだろうっ」 再び友雅が、だばだば──っと涙を流す。 あかねはあからさまに「しまった!!」という顔で頬を掻いた。 すでに夫の涙でぐっしょりと重い袖を諦めて、袿の下から単の袂を引きずり出すと、止めどなく落ちていく涙を拭ってやる。 「ごめんね、冗談。冗談だから、ね?もう…友雅さんって子供みたいなんだから…。こんな姿、八葉のみんなが見たら驚くよ?」 「いいのだよ。君にしか見せないし、君の前でしか泣かないのだから」 「あたりまえ。友雅さんの涙を拭くのは、私だけの特権ですっ」 あかねは膝立ちながら彼の頭を抱き込むと、熱を持って紅くなっている眦に、ちゅ、っと小さく音を立てて口付けた。 照れたように笑む幼妻の姿態をやんわりと抱きながら、今はまだささやかな胸に頬を寄せた。 「この物語は、私の心の葛藤を表してくれているように思うのだよ」 「友雅さんの?」 穏やかに友雅の髪を撫でながら問う。 自分は何と幸せなのだろうか。そう思う反面、いつか愛する妻となった龍神の神子が、故郷の月へ戻りたいと言い出すかも知れない。そんな恐怖に苛まれているのも事実で。 その時、理由の如何にかかわらず、素直にひとり行かせることなどできないだろうと思う。 どんな理由であっても。たとえばそれが──彼女の生命にかかわることであっても。 「そう。君が月へと帰ってしまう。だが私は帰したくない。愛しくて切なくて…いっそ儚くなってしまおうかとさえ思った、あの頃の私のようだと…」 そして今もなお、その思いは胸を渦巻いている。 「そんなこと思ってたの?」 「いや、まぁ…今は幸せだから、そんなことは思わないがね」 小さな嘘で、真実を覆い隠せるだろうか。 だが、物語の中の男も、今の自身も、ひとりの女に囚われて…狂っていることは間違いない。 あかねはさも呆れた、というように肩を竦めると、大きく溜息を零した。 「馬鹿なこと、モンモンと考えないでちゃんと話せばいいのよ。どんなに愛し合っていたって、話さなきゃ分からないこと、話しても分からないこと、ってたくさんあるんだから。少しずつ歩み寄って、分からない部分を消していくしかないでしょ?」 「そうだね。今は本当に、そう思うよ。だからね、きちんと君に言っておこうと思うんだ」 頬を引き締め、背筋をただした友雅を、小首を傾げて見つめる。 「何を?──あ、今更外歩きはダメ、とか言ったら離婚だからね」 ふぁいてぃんぐぽぉず、なる格好で好戦的な表情をする妻の幼さと、男心の欠片も理解していない様に、溜息が零れた。 しかし、そんなことを思いつつも、「そこがまた、可愛いのだが」などとやに下がる自分は、救いようのない程に彼女に溺れているのかもしれない。 「違うよ…」 「じゃ、何?」 「君を、心から愛している。決して君を離さないよ。もしも君が月へ帰るというのなら…私はその脚にしがみついてでも、共に階を登ろう。君と在るためならば、私はどんな無様なことでもやってのけるよ。君は私の唯一の光、桃源郷の月だ。この身が朽ち果てようとも、幾百、幾千の時を超えても君に再び出逢う。君の心に刻みつけ── …」 「あー友雅さん、友雅さん…」 「この腕に抱き…うん、なんだい?途中なのだが?」 ぱたぱたと片手を振り、頬を染めながらも呆れたような様子に不満を漏らす。 今日という今日は、最後まで思いの丈をぶちまけ、聞いてもらわねば気が済まない。 「あんまり一度に言い過ぎると、ありがたみがなくなるから…ね」 「──そうかな…?」 「そうそう」 たった一言で丸め込まれてしまうことさえ、心地良いのだから…。困ったものだ。 「ともかく、愛してるってことでしょ?」 「ああ、愛してる。誰よりも──君の瞳は──」 「はいはい、ストップ!私も、大好きだからね」 「愛してると、言ってくれないの?」 「友雅さん。愛してる…心から貴方を──愛しています」 |
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さくらのさざめき / 麻桜 様 |