春の事変 |
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=友雅なのにストーカー!?= |
「ねぇ、ああいうのって ”頭隠して尻隠さず” って言うんだよね?」 光のどけき春の日に、現代から共にこの地に召喚された友人達と日向ぼっこを満喫していたあかねは、呆れたように呟いた。 土御門の中で最も寛げる場所である西の対の簀子縁で、誘うようにひらりひらりと舞う蝶を眺めていた彼女がそれを見つけてしまったのは偶然という名の必然で──日毎繰り広げられている光景でもあったからだ。 「そうだろうなぁ。ってか、まんまじゃねぇ?」 「あの人も本当に…懲りないよね」 「つーか、ライフワークなんじゃねぇの?」 3人が同時に深く長く溜息をつく。 それもそのはず。 彼らが意識的に視線を逸らした場所。この庭で一番大きな桜の樹の枝から、木の葉に紛れて直衣の裾がびろーんと垂れ、存在を強く主張していた。ただそれだけで、その正体が分かるというものだ。 内裏からの帰りに、そのままそこへ上ったのであろう彼は、何が目的でそうしているのか…。 「頼久さん?」 あかねがおもむろに名を呼ぶ。 するとそれまで穏やかな風がそよいでいた場所に、音もなく影が現れた。 「はっ。御前に」 「うを!?どこから…」 天真の驚きも無理はない。 それほど気配もなく、唐突に出現…いや、湧き出た頼久は階の下で膝をつくとこうべを垂れた。 どうやらずっと簀子縁の下に隠れていたらしい。 「あの害虫、駆除してきて下さい」 にこり。 桜の樹には毛虫が付きものとはいえ、そんな言われようの木城の彼に同情する者などいない。 頼久はあかねが満面の笑みを浮かべたことで、涎を垂らさんばかりの勢いでほわわ〜んと惚けた表情を見せた。 が、兄の敵よりも憎き男に対する駆除命令を受け、一気に頬を引き締めた。 「御意っ」 即座に残像だけを残して走り出す。 かくして桜の樹から、刃を叩き合わせる音が聞こえはじめた。 べきべきと生木を裂き、生い茂った葉を揺らす轟音。 「頼久さんってまさに犬、だね。それも忠犬」 「詩紋くんもそう思う〜?今度ご褒美に、骨でも買ってあげようかな」 「それなら羅生門で拾ってくればいいんじゃない?人骨がゴロゴロしてるらしいよ」 「あぁ、それ良いかも」 「良いんかいっ!?」 庭がことごとく破壊されていく様子を眺めつつ、妹や弟のように思うふたりの会話に、天真が思わず突っ込みを入れた。 髑髏を口にくわえて千切れんばかりに見えない尻尾を振る片割れを想像して、尚更にゲンナリと脱力しているようだ。 それにしてもこの状況にまったく動じることなく、のんびりと茶飲み話でもするかのような雰囲気で、とんでも無いことを口にするふたりに対しても、何やら空恐ろしい気がする天真だった。 言うならば、この場にいる者の中で彼が一番常識人だったのかもしれない。 「なぁ、頼久はなんだって縁の下なんかにいたんだ…?」 美しく整えられていたはずの庭に舞い上がる、おびただしい砂塵や異音を尻目に、ふと思い出して尋ねる。 あかねは繰り広げられる死闘の様子を見ながらも、相変わらずぽや〜んとした雰囲気を醸し出したまま、何でもないことのように答えた。 「天真くんは気づいてなかったの?いつもいるけど…」 「いつも!?」 「そ。私がここにいる時は、いつも」 天真は目をむきながら彼女の顔を見るが、あかねは眠そうにあくびをひとつ漏らしている。 詩紋はといえば彼らの会話など気にも留めていないのか、「最近、頼久さんってキレが悪いよね…」などと暢気に批評をしていた。 あんなに可愛らしかったふたりの変わりように、ただ呆然と絶句するしか残された道はない。 いや、そもそもこちらが本性だったのかもしれない。だとしたら、自分の人を見る眼のなさに、項垂れるしかないのだが。 その時、再び桜の樹が大きく揺れた。 大きな黒い影が左右の樹へと追いつかわしつ、行ったり来たりを繰り返す。 時折聞こえる鍔迫り合いの音だけが、その樹を揺する正体が猿や鳥でないことを示していた。 「あいつら、忍者か…?」 「あは、凄いね。お庭番も真っ青だよ」 人間業でないそれらの動きに、天真はあんぐりと口を開けて呟き、詩紋は至極楽しそうに手を叩いて喝采を送る。 そんな中でもあかねだけは冷静に…というよりにべもなく言い捨てた。 「そんな高尚なモンじゃないでしょ。単なる変質者だもん」 抱きかかえた膝に肘をついて、興味なさそうに桜の樹を眺めるあかねに、天真はニヤリと口角を引き上げる。 「それにしたってお前…すげぇモテモテじゃん」 「友雅さんに頼久さん。それに…アクラムもあかねちゃんに首っ丈だもんね」 からかうような天真の声に、詩紋が追い打ちを掛けてカラリと笑う。 「代わってあげようか?」 「「いや、結構(デス)」」 不機嫌そうなあかねに向かって、押し止めるように同時に右手を挙げて即答する姿に、3人は大きく吹き出して忍び笑う。 彼らの軽口と関係なく騒がしかった桜から、どしゃりと影が落ち、もうもうと煙が上がった。 ざわめいていた空気が、しんと静まる。 「あ、死んだ?」 情のない言葉が、あかねの口から零れた。 しばしの静寂の後、やがて樹の下にこんもりと植えられたサツキがガサガサと蠢き、そこから友雅が這い出てくる。 その姿はシンデレラも真っ青な、血だらけ泥だらけ。 彼の品位と情緒を飾っていた白い直衣は、あちらこちらが裂け、土に汚れたどす黒い血液が染み込んでいる。 まるでB級映画のゾンビのようにむくりと立ち上がり、だばだばとしたたり落ちる血液もそのままに、血で汚れた頬をニヤリと引き上げた。 「神子殿…君からの愛の試練、確かに超えさせてもらったよ」 「うっわ、スプラッタ…。穢れが移るからこっち来ないで下さい」 「ふふ…百夜通いではないが、頼久との戦、82戦81勝1分だからね。そろそろ君の身も心も…私に下さる気にならないかい?」 「会話が成立してないですねぇ」 自身の出で立ちにまったく気を配るでもない様子と、噛み合わない言葉の応酬に思わず詩紋が突っ込みを入れるが、友雅の耳目にはあかね以外の者など入っていないに違いない。 うっとりと双眸を細めて見つめる姿は、汚れさえなければ失神者が続出するであろう艶めかしさを放っていた。 が、あかねにそんな微笑が通じるはずもない。 「私があちらに帰るまでに、100勝できると良いですね?」 にこりと爆裂微笑み返しをお見舞いすると、友雅はあかねへの愛情故か、それとも貧血によるものか…クラリと身体を揺らした。 「何とつれない人だろうね。ふふ、そんなところも愛しいと思えるのだから、恋というのは不思議なものだ」 「貴方の頭の中身の方が、断然不思議ですけど?」 ガクガクと膝を震わせながらも、さりげなくあかねとの距離を縮めていく友雅の姿を、詩紋は微かな尊敬の眼差しで見ていたことを、誰が気づいただろうか。 これほどあかねに冷たくあしらわれても、ちっとも諦めることを知らず、ますますエスカレートしていくその言動に感動さえ覚えていた。らしい…。 「ああ、その桜の唇に、いつになったら触れることが許されるのだろうね。その時が来たら…もう離さないよ、モナムー…」 んぱっ…と投げキッスを送る彼をしばし呆然と見つめる。 「「──…天真くん(先輩)っ!!!」」 一瞬の沈黙の後、詩紋とあかねが勢いよく天真を振り返った。 3人のやりとりを苦笑しながら見守っていた彼は、何のことだかわからずに気の抜けた声を出す。 「へ?」 「友雅さんにショーモナイ言葉を教えたの、天真くんでしょ!?」 「あ、あぁ。だって、コイツがあっちの言葉を教えてくれっつーから」 冗談でさ…などと釈明しながらぽりぽりと頬をひっかく人差し指を、あかねによって逆に曲げられる。鼠が潰されたような、なんともおぞましい音が咽喉を飛び出した。 しかしながら、そんなことで慌てふためいたり同情したりするようなあかねでも詩紋でもないことを、天真はここに来てようやく悟り始めた。というより、あまりの激痛と衝撃で悲鳴さえ出せずにいたのだが。 案の定、あらぬ方向に曲がった人差し指をギシギシと天真の甲に押しつけながら、あかねががなり立てる。 「『私の恋人』って意味でしょ?私、変質者の恋人なんかいないし!!」 「どうしてよりにもよって『モナムー』なんですか…」 「ふふ…そんな風に怒った顔も愛らしいのだから…困った人だね、君は…」 「困った人は貴方でしょ!」 「願わくば、笑った顔も、怒った顔も…全てを私だけのものにしてしまいたい。神子殿、私の滾る想い。この胸を切り裂いて君にお見せするのは可能だろうか…」 「必要ないし!」 むむぅ…と頬を膨らましたままの彼女は、しばし考え込むように沈黙した後、おもむろに微笑みを湛えながら名を呼ぶ。 「友雅さん」 久しぶりに向けられた笑顔が余程嬉しいのか、彼はピンと背を伸ばして千切れんばかりに尻尾を振った。ように見えた。 「なんだい、私の白雪?」 言葉と表情だけは、百花の王と称されている男の本領発揮。婉然と微笑みつつ、普通の女房ならば一発で失神ものの流し目を送る。 しかしながらその様相は、鬼に襲われ這々の体で逃げ出してきた貴族…といったもので…。 そのアンバランスさが、一層に皆の笑いを誘うのだが。 「81勝の、ご褒美あげましょうか?」 「く、くれるのかい!?」 どもっていらっしゃいますが…? 少々食いつきすぎにつき、減点です。 天真は次に出てくる言葉に戦々恐々としていたが、詩紋などはどんなご褒美なのかと瞳を輝かせてそのやり取りを見ている。 あかねはことさら純粋そうな、穏やかな微笑を浮かべ、イソイソと履いていた靴下を脱いで、庭めがけて投げ捨てた。 放物線を描いて飛んでいったそれに、ふたつの影が飛びつく。 言わずと知れた、変質者友雅と忠犬とは名ばかりな頼久だ。 先程のしておいた男が飛び出してくる気配を察知していたのか、友雅の跳び蹴りが見事に頼久の股間にクリーンヒット。 「ぐがっっ──っ!!」 あり得ないような悲鳴を残して、頼久がどしゃりと地に落ちる。 その背を無慈悲にも踏み台にした友雅は、ひらりひらりと舞い落ちる天女の羽衣ならぬ、神子の靴下に食いついた。 くんかくんかくんか。 こちらに背を向けて座り込み、ようやく獲得した獲物を奪われないよう警戒しながら、一心不乱に靴下に鼻先を埋める。 「友雅も…犬みてぇだな…」 ボソリと零れた天真の言葉に、詩紋がぽむっとひとつ手を叩く。 「あかねちゃん…」 「うん、詩紋くんなぁに?」 声を掛けられたあかねは、眩しそうに友雅の背中を見つめながら応える。 心ここにあらず、なその様子に、自分の仮説が正しかったことを詩紋は悟った。 「そう言えば、毛の長い大型犬、好きだったよね?」 「うん。ゴールデンレトリバーとか、アフガンハウンドとか…おっきくて長い毛がうねうねしてるの、好きよ?」 「もしかして…だから友雅さんのことも、好きなの?」 「うん」 「なっ……」 考えるまでもない即答に天真は絶句し、詩紋は納得したとばかりに大きく頷く。 「可愛いよねぇ、あの図体ばっかり大きいバカっぷり。もう、ナデナデしてむちゃくちゃにこねくり回して、何が何でも跪かせたくなるよね…」 「ね、と言われても…」 友雅や頼久。そしてあかね。 どちらが ”より変質者か” と問われても、明確な答えは見いだせない。 うっとりと瞳を細め、恍惚とした表情の龍神の神子。 果たして彼らの双肩にかかる京の平和は…いかに? 遠いお空の彼方から、龍神の溜息が聞こえた──ような、気がした。 |
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さくらのさざめき / 麻桜 様 |