2006/6/26
新しい朝
- 友雅なのにあかね -
「友雅さ……もう、許して……」
お互いのはずむ吐息と、ぶつかり合う躯体の艶かしい音が、しっとりとした夜に包まれたこの部屋に響く。
懇願し、救いを求めるように、あかねがおぼつかない動きで腕を持ち上げる。
空に浮かんだ華奢なその白い手を握り、友雅は褥へとまた縫い付けると指を絡めた。
「白雪……つれないことを言わないでおくれ」
「もうほんとに……おねが、い……」
激しさを帯びた律動が止まり、沈黙があかねを覆う。
内部に留まったままの、友雅自身だけが醒めきらない熱を伝えてきている。
それまで強い快楽に酔わされて、ギュッと閉じてしまっていた目蓋をそっと押し上げると、僅かに首を傾けてじぃっと真意を探るような真っ直ぐな視線にぶつかり、とくんと胸が鳴った。早くなった鼓動を誤魔化すように、あかねは慌てて言葉を紡ぐ。
「き、北山で鬼を見かけたって言う人がいるの。だから確かめに行かなきゃいけないし。暗くなってから羅城門で怨霊が出たらしいって聞いたから、そこも見に行きたいし。夜が明けたらすぐに出掛けないと、きっと両方行くのは無理だから」
友雅の表情を恐る恐る伺いながら、もうそろそろ眠らせて欲しいの、と眼差しで訴えてみる。
困ったように友雅は微笑し、覆いかぶさるようにあかねと胸の肌を触れ合わせ、ゆるやかなカーブを描くその頬へと唇を寄せた。
「無理だよ神子殿……まだ、君を離してあげられない……」
耳元でそう囁くなり、あかねを抱きこんで強く突き上げる。
「ああッ!」
突然の強い刺激に嬌声をあげながらも、なけなしの理性を総動員して、あかねは抗議を意を込めて友雅の肩に爪を立てつつ小さく叫んだ。
「わたしの…身に、も……なってくださいッ」
その瞬間、ふたりの意識は漆黒の帳が下りたように闇に包まれた。
先に我を取り戻したのは、友雅だった。
「いったい何が―――」
そこまで言って、異変に気づく。
自分で発した声のはずが、まるで別人の……けれど聞き覚えのよくあるものに。
それだけではない。身体に感じるのしかかられているような重さと、体内の熱い異物感。
頭を少し持ち上げて自分の身体を見てみると、ついさっきまで弄んでいたはずのやわらかな乳房がついていて。まさか、と視線を上げると、自分自身の顔が信じられないような眼差しで、こちらを見つめている。
しばしの沈黙の後、友雅もあかねも、この現象をはっきりと認識した。
「わたしと友雅さん…入れ替わっちゃってる……?」
あかねは友雅の姿で。
「……その、ようだね」
友雅はあかねの姿で、そう呟いた。
とにかく…と、友雅の姿になってしまったあかねは、身体を離そうとしたが、小さく「や……ッ」と悲鳴を上げてしまった。まだあかねの内に留まっていた友雅のモノが、やわらかで熱い肉壁に絡められたからである。
「んっ…」
と、友雅も、体内からそれが出てゆく甘い痺れを起こさせる感覚に、思わず声を上げた。
互いにその羞恥に頬を染める。
(友雅さんは)
(あかねは)
(こんな風に……)
(感じていたんだねぇ)
異性の快楽という未知の世界を知ってしまったふたりであった。
「どうしたらいいと思います?」
「ふむ……まぁ、じきに元に戻るとは思うのだけれどねぇ。夜が明けたら泰明殿に文を出すとして。とりあえず…今日一日、様子を見ても良いのではないかな」
脇息に腕を置き、くつろいだ姿で頬杖をついてそう言ったのは、あかね姿の友雅で。
そのすぐ前で、不安げにちょこんと正座をしているのは友雅になってしまったあかねだった。
「わたし、友雅さんのフリなんて出来ないですよ〜」
「では、私の屋敷でのんびりしていればいい。疲れているから休むと言えば、誰も近づきやしないからね」
「友雅さんはどうするんですか?」
「日常の神子殿と同じ行動は、さすがに出来ないだろうねぇ。私がこの姿…神子殿になったからと言って、怨霊の封印が出来るるとは到底思えないし。やはり君が君でなくては、神子としての務めは果たせないだろう。だから私も、今日はのんびりさせてもらうよ」
友雅は鈍い痛みがする下腹部を手のひらで温めるようにさすった。あかねが「もうゆるして」と懇願していただけあって、気のせいではなく随分とズキズキと痛む。下半身もやたらとだるく、うまく力が入らない感じだ。
確かにこれでは、京のあちこちに行って怨霊と戦ったり、鬼の行方を捜したりするのはつらいかもしれない。
ふぅ、と溜息をついて、友雅は今度は腰をトントンとたたく。
(手加減してあげなくてはならないな……)
今後は、もう少しだけ。
思うがままに情熱をぶつけてしまうと、少々負担になるようで。
これはあかねの身体になって、わかったことだった。
「あ。もう朝になっちゃいますね」
「行くかい? 確かに『私』がここに居て騒ぎになってはいけないからね」
まだ周囲には秘密の恋。
「うん。友雅さんは大丈夫ですか?」
「まぁ、君の迷惑にならない程度にはなんとかなるだろう」
あかね姿の友雅は立ち上がると、自分の姿になってしまった直衣など着慣れないだろうあかねの身なりを整えてやる。
「友雅さん、すみません…ありがとうございます」
「いやいや。礼には及ばないよ」
見上げると視線が重なった。
いつもこんな風にあかねは自分を見ているのか、ととても新鮮な気分だ。
背伸びをしても微妙に届きそうになくて、その首に腕を絡めて引き寄せて小さく口付ける。
「と、友雅さん!?」
「この程度なら別にかまわないだろう? 入れ替わっているとはいえ、私と君なのだから」
友雅姿のあかねは照れくさそうに目を細めて微笑んだ。
自分はこんな表情も出来るのか、と友雅はそれを見て思うのだった。
*****
友雅の邸の女房は、あかねが驚くほど教育が行き届いていた。友雅の言う通りに「疲れているから、今日は一日休む」と言えば、食事を持ってきてくれて「殿、他に御用はありませんか?」と訊ねてくる以外に、声をかけてくることもない。
おかげで久しぶりにひとりでのんびりとした時間が過ごせた。
今まで、ゆっくり空を見上げることも出来ないほど余裕がなかったが、澄んだ青空に浮かぶ雲が風に流されて形を変えてゆく様を眺めたり、葉々が揺れる囁くような音を楽しんだり、歌うような小鳥のさえずりを聞いたりと、今までの疲れがすべて消え去って、新たな活力が満ちてくるような気分だった。
いつもよりずっと美しく見える夕日を見ながら、あかねは友雅のことを思う。
「大丈夫かな…友雅さん……」
土御門殿では、何かといえば、藤姫やお付の女房が声をかけてきて傍に控えている。
もちろん、不慣れな京の生活でわからないことも多いのだから、とても有難いことではあるが。
「わたしの姿で、からかったりしてないよね…?」
周囲の人を。
藤姫や、女房や、他の八葉。
「やってそうで不安……」
あかねは大きな溜息をつき、立ち上がる。
癖のある長く豊かな髪が揺れて頬に纏わりついて、あかねは文台の上にあった赤い紐でそれを束ねた。
そろそろ日が暮れる。
女房を呼ぶために「すみませーん」と、声を上げかけて、慌てて口を押えた。
「わたしは今、友雅さんなんだから!」
ぶつぶつとそう呟きながら、いつもの友雅を思い出しながらなりきってみる。
「誰か」
ドキドキしながらそう呼ぶと、声をききつけた女房が「お呼びでございますか?」とやってきた。
「出掛けるよ。牛車(くるま)をお願いできるかな」
言うと、つつがなく牛車が用意され、「着替えられますか?」と問われて、頷いてみると、着替えも手伝ってくれて。
(友雅さんって貴族で、本当に不自由なく気ままに生活してるんだなぁ)
そうしみじみと感じる。
ずっとこれが当たり前だと思っているならば、きっと、まわりに感謝することもあまりないだろうから、
「いつもありがとう」
着替えを手伝ってくれた女房にそう言ってみると、やっぱり驚いた顔をされた。
けれど、すぐに嬉しそうに微笑んで頭を垂れ「勿体無いお言葉……殿にお仕え出来てわたくしどもも幸せでございます」と。
(意外と好かれてる?)
主人を厭う家人は少ないかもしれないが、さっきの微笑みは嘘ではないように思う。
「これからもよろしく頼むよ」
そう言って、また少し友雅を好きになったことを自覚しながら、あかねは牛車に乗り込んだ。
*****
「おや、随分とすっきりとした顔だ。ゆっくり休めたようだね」
そう迎えてくれたあかね姿の友雅は、長袴に単衣、その上に袿をさらっと羽織っているだけというのに、なぜか様になっている。
(身体はわたしなのに、なんでこんなに違うの?)
馴染んでいるというか、自然に着こなしているというか。
その差が何なのか知りたくて、あかねは睨むように友雅を見つめていた。
歩く時に袿を持つ手指や、袴を捌く時の動きなど、ひとつひとつの所作が洗練されていて美しいことに気がつく。
「なんだか落ち込んじゃうなぁ……」
同じ身体でもこれだけ差があると、わたしは京の人じゃないから、などという言い訳が出来なくなってしまう。
「どうかした?」
訝しげに首を傾げる友雅に、あかねは慌てて「なんでもない」と、首を振った。
すでに人払いをしてくれているようで、周囲に人の気配はなかった。
「あのね、友雅さん。わたし、とってもよく休めました。こんなことになってどうしようかと思ったけれど、リフレッシュできたから、逆に感謝しなくちゃ駄目ですね。友雅さんは、今日一日どうでした? 困ったこととかなかったですか?」
念の為あかねの部屋に入り、隣り合ったまま腰を下ろす。
「特に問題はなかったよ。そうそう、藤姫や他の八葉とも会ったが、誰も君と私が入れ替わってしまっているとは思ってないようだったねぇ」
「そうですか」
あかねはホッと胸を撫で下ろす。
「あ、友雅さん。泰明さんには相談したんですよね? このこと何て言っていました?」
「近いうちに元に戻れるのではないか、と」
「良かった〜」
長引くならば藤姫や他の八葉にも打ち明ける必要があるだろうけれど、すぐに戻るならば、煩わせるようなことはしたくない。
「『神子が望めば、すぐにでも元に戻れる』、そう泰明殿はおっしゃっていたよ」
「わたしが…望めば……」
今も戻らないということは、望んでいないということになるのだろうか。
「そんな……わたしは……」
「あの時、君は言ったね」
「…あの時?」
「私たちが入れ替わってしまう直前、君は『わたしの身にもなって』と」
「あ……」
そう言ったかもしれない。
日々の疲れも溜まってピークに達していて、それなのにまだまだやることがあって。
眠くて。
でも、眠らせてもらえなくて。
「神子殿…私は、君に謝らなくてはならないね」
「…え?」
「こんな小さな身で懸命に京の為に、と頑張ってくれていたのに無理をさせてしまって」
あかね姿の友雅が不意に膝立ちになり、友雅になってしまっているあかねの頭をその胸に抱きしめた。
「すまなかった……私も浮かれてしまっていたのだよ…君に受け入れてもらえたことが嬉しくてね」
「友雅さん……」
「別れても構わないよ」
あかねは驚きに息を呑む。
「私が神子殿の負担になっているのならば……それも致し方ない」
「そんなこと言わないでください!」
確かに睡眠時間は減ってしまっていたが、夜に友雅と会えることは嬉しかったし、幸せな時間だった。
恋したこの気持ちは、とても大切なもので。
この気持ちがあるから頑張れているといっても過言ではなくて。
「…酷いこと…言わないで」
「神子殿……」
「別れるなんて嫌……お願い、離さないでいて」
「あぁ」
ギュッと抱きしめてくれる腕は華奢で、頭を預けている胸もいつもよりずっと頼りない。
「戻りたい」
「…ん?」
「早く元に戻りたい」
あかねはギュッと友雅にしがみついた。
(友雅さんに抱きしめて欲しい……)
広い胸はとても安心できて、その逞しい腕に捕らわれればどんなことからも守ってくれる。そんな気持ちになれるのに。
すぅっと目の前が暗くなる。
(あ…この感じ……あの時と同じ)
そう思った時には意識は暗闇に覆われてしまっていた。
「神子殿、大丈夫かい?」
その声にあかねは弾けるように半身を起こした。
どれぐらい気を失っていたのかわからないが、まだ薄らと明るさが残っていた西の空も、すっかり暗くなっている。
先に目覚めた友雅が灯してくれたのか、部屋の隅には大殿油の明かりがついていた。
「わたし……」
視線を落として、自分の腕や身体をくまなく確かめる。
「元に戻ってる……」
今日一日、友雅も身体を休めていてくれたようで、慢性的感じていただるさも、激しい夜の営みで痛かった下腹部も、すっかり良くなっていた。
まるで重い枷がなくなったように、とても身が軽い。
「神子殿、もう大丈夫だよ」
腕をつかまれ引き寄せられて。
焦がれていた、そのひとまわりもふたまわりも大きな身体に包まれて、あかねはとろけるような吐息を零して身を委ねた。
安心しきってそのまま温もりを感じていると、知らぬうちに瞼がとろんと閉じてくる。
「さぁ、今日はもうこのままお休み」
その声に誘われるように、あかねはそのまま眠りに落ちた。
昇った月が、格子の隙間から光りを注いでくる。
「きっと龍神が、疲れている君を休ませようとしたのだろう……」
私の愛しい姫…許して欲しい
これからは君に負担を強いることはしないから
あかねの耳元にそう呟いて、友雅はまだあどけなさの残るその閉じられた瞳に、誓うように口付ける。
花ちらば おきつつもみむ常よりも さやけく照らせ春の夜の月
花が散ってしまうのならば、起きてずっと眺めてみているからいつもより冴えた光りで照らしておくれ。春の夜の月よ―――
「散らせなど、決してしないけれどね……」
月の光りを浴びながら眠るあかねはどこか幻想的で。
友雅はあかねを抱きしめたまま、その寝顔を飽きることなく眺め続けた。
静まり返った夜に、小さな虫の音が聞こえだす。
*****
翌朝、目覚めてみるとすでに友雅の姿はなかった。
けれど夢ではないとでもいうように、あかねの左手の小指には赤い組紐が結び付けられてある。あかねが友雅の姿だった時に、髪を束ねる為に使ったもの。
あかねの口元に笑みが浮かぶ。
胸の中がほんわりと温かくなり、とても満たされた気分だった。
「神子様。お目覚めでございますか?」
藤姫が声をかけてくるいつもの朝が始まる。
けれど、まるで生まれ変わったように新鮮だった。
<END>
和歌:大中臣能宣
|