2006/6/19
宿罪の檻
- 友雅なのにストーカー -
音楽というものはどこに転がっているかわからない。
それは人気のない森林だったり、夏の日差しが照り返すアスファルトの上だったり。
この日も、友雅は音を探しに街の雑多にひとりで繰り出していた。
友雅の手がける音楽は、映画やドラマ、テレビのCMなどにも良く使われて、世間にはかなり浸透しているが、テレビ出演はおろか音楽雑誌のインタビューすらも滅多に受けない為にその姿を知る人は少ない。その上、本名ではなく木蓮という名を使って活動している為に、女性だと思っている人も多かったが、せめて仕事ではあまり目立ちたくないと思う友雅にはありがたい誤解だった。
「ねぇねぇ…あの人、すっごくカッコイイ」
人込みの中、脇をすり抜けた若い女が、友雅を指差し、控えめとはいえ黄色い声を上げる。それに合わせたように、周辺にざわめきがにわかに広がり出し、わざわざ足を止め振り返ってまで見ようとしてくる人まででてきた。
長身でスタイルも良く、整った甘い顔だちであることが、友雅の意思に関係なく、女性を惹きつけてしまうようだ。
昔からそうだったのだから慣れてはいるものの、苦笑を僅かに口元に浮かべたまま、友雅はそれを無視して足早に歩き去る。
(これだから人の多いところは嫌なんだ……)
とはいえ、人間ほど変化に富み、にぎやかなものはない。その中でしか生まれない音も確かにある。だからこそ、こうして外へと出てきたのだが。
溜息をつきながら俯くと、長い髪が肩から流れ落ち、それを煩わしげにかきあげる。
「…ん?」
捨てられた宣伝チラシが地面に転がっていた。
ここからすぐ近くの百貨店の屋上でのイベント―――その内容に野次馬的な興味を惹かれ、視線から逃れる理由もあり、友雅は足を向けた。
屋上を見渡せる数段高くなった場所にある客のほとんどいないオープンカフェでコーヒーを注文する。
イベントは簡素なもので、長テーブルに布をかけただけの台に、その町の特産物が細々と置かれているが、特に目ぼしい物はない。どうやら町興しイベントのようだ。人寄せの為に呼ばれたらしい、全く聞いたことも見たこともないアイドル志望と思われる15、6歳と思われる若い娘が、少し強い風が吹けば潰れてしまうのではないか、まだ高校の学園祭の方がマシじゃないかと思えるようなステージの裏で、こそこそと打ち合わせしているのが見えた。
(どんな曲を聴かせてくれるのかねぇ)
大して期待はしていないが、その子にはすでに固定ファンがついているようで、ステージの前には3人ほどだが頭にハチマキをしめた男たちが待ちわびている。うちの2人は今から汗をだらだらと垂らしているような肥満気味の男だが、もうひとりはなかなか凛々しさのある美丈夫だ。
一見、売れないアイドルの追っかけをするとは思えないが、人は見かけによらないということもある。
運ばれてきた美味くもないコーヒーを、友雅はひとくち喉に流し込み「へぇ」と、好奇な眼差しでその光景を眺める。
素人くさい司会がミニコンサートが始まることを告げたが、友雅はステージから視線を外し、またコーヒーカップに口をつける。
ファン3人のバラバラな歓声が上がる。
イントロが流れ始め、友雅はステージに目を向けることなく、溜息をついた。
「駄目だな…」
全く心を揺さぶられることがない。売れるような流行の曲調でもないし、残念ながら駄目だとしか言いようがなかった。
ソーサーにカップを置くと、カタンと音をさせて椅子から立ち上がる。
目的は済んだ。
予想通りとはいえ、疲れたようなおっくうな気分になってしまうのは仕方がない。
「―――!?」
屋上から出る為に歩き始めた足を思わず止めたのは、その声が聞こえてきたから。
理屈もなく心臓が音を立てはじめて。
友雅は思わずそのステージを振り返った。
その娘にそこまで魅力があるとは思えない。懸命に霧散する理性をかきあつめて冷静に分析しようと試みるが、打ち鳴らす鼓動が脳に響き渡り、今までに感じたことがない激しく熱い何かが込み上げてきて、思考が遮断され眩暈がする。友雅は額に手をあて、すぐ傍にあった壁に手を着いて身体を支えた。
ただ、その娘の声だけが次々と沁みこんできている。
特に声や歌い方に特徴があるというわけではない。なぜここまで心が揺さぶられるのかが、友雅自身まったく理解が出来ない。それでも、惹かれている事は明白だった。
奥底で得体の知れないもの目覚めて蠢めきだす。ドクドクと激しい音をたてる心臓。額には汗が滲み出した。
自分に何かが起こっている。起こり始めていると、警告音が鳴り響くが、自らの内での出来事だけに逃げる場所などない。
それは、ぞろり、ぞろりと緩慢に動いたかと思った刹那、鎌首を擡げ、大きな口を開けた。
「う……」
のまれた、とそう認識する暇もなかった。
「…なぜ…だろうね……」
どうしてこのような気持ちになるのかわからないが、芽生えた荒れ狂うような紅蓮の情熱は紛れもなく現実だ。
「やっと見つけたよ……私の白雪……」
理屈もなく胸に浮かぶ想いを言の葉にのせる。
「もう、諦めたりしない。私は君を―――」
友雅の口元にうっすらと笑みが浮かんだ。
「手に入れる」
屋上を出て百貨店の中に戻ると、友雅は玩具売り場へと足を向けた。
あの娘が好みそうな、両手に乗るぐらいのふわふわと手触りの良いぬいぐるみを購入すると、次の行き先と決めた電気街を目指した。
*****
『わぁ、かわいい!』
ぬいぐるみが届けられるだろう日を狙って、友雅は車でそのマンションの裏手にある公園の駐車場へと来ていた。
あの娘の名は元宮あかねというらしい。弱小プロダクションに所属し、オーディションなどを受けながら、デビューを狙っているようだ。知り合いのいるリサーチ社に頼めば、住所や電話番号などの情報も簡単に手に入った。そして今も継続して交友状態や恋人の有無などを調べさせている。
『ふかふかしてる〜』
その声はあの日に購入したぬいぐるみに仕掛けた盗聴器から発信されている。
盗聴器からの受信機への電波受信距離は300m以内。
良い場所がなければ、路上駐車で受信を行うことになりかねなかったが、運良くあかねの住むマンションの裏が広めの公園だったことが幸いした。これならば雨の日は駐車場に置いた車中で。晴れの日は公園のベンチでと、気まぐれに場所を変えてあかねの部屋の様子を盗聴することが出来そうだ。
ポケットに入れた携帯電話に似せた受信機にさしたイヤホンからその声は聴こえてくる。
応援しています―――そんなメッセージカードを添えたぬいぐるみのプレゼントを、まさか盗聴器入りとは思わずに無邪気に喜んでくれているようだ。
あかねの声を聞きながら、生活の音を楽しみながら、友雅は不思議と次々と浮かんでくるメロディを公園のベンチで譜面に落とす。
そんな日が何日か続いたその日。残念ながらあかねは出掛けてしまっているようで、部屋から音がすることはなかった。
仕方なくこの日は、ラジオに切り替え、ベンチに寝転んで休息をとる。
(たまにはこんな日があってもいいかもしれないね)
そう思いながら、瞼を閉じてうとうととし始めた。
「……―――ません」
控え目ながらも、「すみません」と声をかけられ、友雅は起き上がった。
聞いたことのない男の声。
眩しさを感じて眉を顰めながらも、目を開くと、目の前には見たことのある男の姿があった。
懸命に記憶を探る。
どこで会っただろうか。
この声に聞き覚えはほとんどないから、きっと見かけただけ……
でも、どこで。
(あ……)
あの時の、と上げかけた声を、友雅はぐっと飲み込んだ。
あかねと出逢った時に、彼女のファンとしてステージに貼りつくようにしていた男だ。客観的に見てもモテる部類の精悍な顔立ちに、鍛えてあることわかる無駄な部分が絞られた身体。アイドルの卵の追っかけをするような男には見えず、浮いていたので記憶に残っている。
「何か?」
つとめて平静を装い、友雅は怪訝そうな顔つきを浮かべてから、男を眺めた。
「あの…突然、申し訳ございません」
その男の律儀な物言いがどこか懐かしい気がする。
「私に何の用だね―――……」
知らないはずの相手の名前が、勝手に口をついて出てきそうだ。今は襟足短い髪型の向こうに、長い髪を後頭部に高く束ねた彼の姿が脳裏にちらつく。
あかねを初めて見た時と同じく、自分に覚えのない過去がそうさせている気がした。
「知人に似ていたものですから」
そうまじまじと顔を眺めてくる。
自分と同じような心の動きを、この男もしているのかもしれない。
知らないはずなのに、知っている。
「残念ながら、私は君に会うのは初めてだよ」
「そう……ですね」
「同性にナンパされて喜ぶ趣味は持ち合わせていてはいないのだがねぇ」
男はハッと顔を上げて「そ、そういう訳では決して!」と深々と頭を垂れた。
それでも顔を上げた男はこう言った。
「ひとつお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「なんだね」
「何を聴いていらっしゃるのか、を」
ひやり、とした冷たいものが突然押し当てられたように、心臓が縮まる。
男の手には小さな機器が握られていた。
(盗聴の発見器か)
運がいいのか悪いのか。
それをひた隠し、友雅は迷惑そうに困ったような笑みを口元に小さく浮かべた。
「なぜそんなことを?」
「この周辺から盗聴の電波が出ているのです」
「私がそれを聴いているとでもいいたいのかね? 失礼だな君も」
まぁいい、と友雅はヘッドホンを外すと、男に放り投げた。
それからはFMラジオから放送されている流行の音楽が漏れている。
男はそれを確認し、丁寧な物腰で返却してくる。
「ありがとうございました。疑ったことをお詫びいたします」
「あぁ、気分が悪いね。突然盗聴しているのではないかと疑われたのだから。身分と名前ぐらい明かしたまえ」
「………」
「言えないのならこちらにも考えがある。不審な男があやしい機器を手にうろついていると警察にでも行くことにしよう」
「源……頼久、と。警官ですが今日は非番で身分証は持っておりません」
聞いた事がない名のはずなのに、やはり知っている気がすることに苦笑を禁じえない。
「今日は職務ではなく……」
随分と歯切れが悪くそう続けた。
おそらく頼久は、あかねの部屋に盗聴器があることに気がついているのだろう。そして友雅を疑っている。直感的にそう感じた。
基本的に警察というのは事件や被害が起こらなければ動くことはない。あかねが盗聴に気づいているとは、現時点では到底思えないし、被害届けが出されているとは考えられなかった。頼久の言うように、仕事ゆえの行動ではないのだろう。ただ、あかねに何か不安があり頼久に相談し、個人的に動いている可能性がないとはいえない。
(この男とあかねが顔見知りかどうかが鍵だな。リサーチの報告を急がせてみようか……)
もしそうでないならば、勝手に頼久があかねのナイト気どりで警護していることになる。ナイトといえば聞こえがいいが、頼んでもいないのだから、はたから見れば、ストーカーの如くうろついているだけだ。今の友雅と同じように。
「君の名、覚えておくよ」
頼久は頭を垂れると、踵を返したがその足をふいに止め、振り返ることなく言った。
「いくら貴方でも、あの方を煩わせるのならば容赦はいたしません」
頼久は探り合うこともせず直球だ。
(相変わらず単純で熱いねぇ。言いたいことを言ってくれるよ)
指に髪を絡ませ、友雅は自分の取るべき対応を考える。
「意味がわかりかねるが?」
「忠告はしました」
「君は…彼女に頼まれたのかい?」
「いいえ。あの方は私のことをご存知ないはず……私はただ今度こそお守りしたいだけなのです」
友雅はホッと安堵の息をついた。
やはりあかねが関わっているわけではなさそうだ。
「貴方も、私と同じ気持ちのはずです」
「違うね」
「かつて私達は、あの方をお守りする仲間でした」
「残念だが、そんなことは覚えてないよ」
「友雅殿!」
どうやら頼久のほうが、昔の記憶が鮮明のようだ。知らせてもいないのに、こちらの名を口にした。
「頼久……君は私よりもずっといろいろなことを思い出しているようだ。そして『今度こそ守りたい』と言ったね」
「ええ」
「私が覚えているのは、彼女を失った喪失感と、後悔だけなのだよ。君の言うようにかつての私は、君と一緒に彼女を守っていたのかもしれない。けれど今の君とは違って、今度はもう、手放したりしない。相手が君であれ神であれ誰であれ、渡したりはしない……そんな思いに囚われている」
「友雅殿…」
「少ししゃべりすぎたようだ……あ、そうそう」
独り言のように呟いた友雅の声に、頼久がようやく振り返る。
「近々、この近辺に越してくるつもりでね。だから私がこの辺りを出歩いていても、怪しんで職務質問などはしないでおくれよ」
自分の行動を変えることはしないしないという宣戦布告。承諾したのかしていないのか、頼久は哀れみに似た悲しげな眼差しで目を細めると、軽く会釈をして立ち去った。
ふぅと軽く息をついて、友雅はベンチの背に身体を預ける。
つい今し方まで引っ越すことなどこれっぽっちも考えてはいなかった。
のんびりとあかねのことを知ってから、彼女が好みそうなシチュエーションを作り上げて、ドラマティックな出逢いを演出してみようかと思っていたが、頼久の出現で予定が変わった。
まさかこんなに早く、邪魔者があらわれるとは思ってもいなかった。
頼久は敵ではない。
だが、うかうかしてはいられない。もっと急がなくてはならないようだ。頼久の方が友雅よりもかつての記憶を持っている。そして、友雅よりも早くあかねを見つけている。
もし頼久とあかねが恋仲になるようなことがあれば―――
そう考えただけで猛火に焼かれるような痛みが全身にはしり、友雅はたまらずに自分の身体を抱きしめた。
口端に不敵な微笑が浮かぶ。
「ふふふ……」
だとしても、奪うだけだ。
必ず手に入れる。
誰にも渡さない。
どうしてそう思ってしまうのか。それもはっきりとはわからない。
生まれ変わりなど、信じているわけではないのに。
なぜあかねや頼久のことを知っていると感じるのか。チラチラと顔をのぞかせる生前の記憶のようなものなど捨て置けばいいのに。
不確かな感情に動かされていることは重々承知している。
偶然見かけて歌声を聴いたただけのあかねに対する妄執ともいえる執着。
ただ、荒れ狂うような情熱が止め処なく溢れてくることだけは、否定することができない事実だ。
激しさを知らずに生きてきた友雅にとって、今まで眠っていた新しい自分に突き動かされるのは、そう悪い気分ではなかった。
目覚めきらない古の記憶にひきずられ、運命が廻りだす。
<END>
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